第六十七話 歪みの力をここに
《……しまった!!》
異常を理解してヌルスが駆けだすのと同時。鋼鉄の檻が、ギシリ、と軋んだ。
「え?」
「ギシャァアア!!」
バギィイン! と鋼鉄の檻が内側から砕かれる。鉄の破片を飛び散らせて、ボス魔物が咆哮した。
奴は死んでいなかった。それは勿論、ヌルスと違いアルテイシアはちゃんと理解していたが、一方であの鋼鉄の檻を突破できる余力など無い、そう判断して安心しきっていた。
それは確かに事実ではある。アルテイシアの見立ては正しく、ボス魔物は外部からの魔力供給がなければ、拘束を脱する事も出来ずにあのまま朽ちていたはずだ。
だが、アルテイシアが見落としていた点が一つある。
高い戦闘力から彼女も失念していたが、このボス魔物は“寄生型”だ。異常成長した巨大モンスターから、魔力を盗み食らって生きている存在。その中でたまたま巨大かつ強力に成長しただけで、その性質は変わっていない。
つまり、巨大魔物の体内に居る限り、このボス魔物は魔力を宿主から吸収する事が出来る。
それによって瀕死の状態から復帰したボス魔物は、目下最大の脅威である彼女を排除するタイミングを虎視眈々と狙っていたのだ。
「くぅ……っ!」
素早く反応し、杖を構えるアルテイシア。だがその体をボスの前足が横殴りに殴打した。
少女の軽い体が3~4mほど宙を舞う。床に倒れ伏す音も、酷く軽かった。
《アルテイシアァ!!》
最悪を想像してヌルスの触手が強張るが、倒れ込んだ彼女はわずかに身じろぎしている。死んでないとはいえボス魔物も重篤なダメージを受けている、平時ほどの力は発揮できていない。
ボスはアルテイシアを殴り飛ばしたまま、その場で膝をついた。魔力を外部から供給したとはいっても、肉体の構造がボロボロなのは変わらない。肉の塊に過ぎないヌルスと違い、この魔物の甲殻はそう簡単に修復できるものでもない。得意の突進の反動にも耐えられないだろう。
だが、それでも人間の少女一人を殺すには十分すぎる力が残されている。体勢を立て直すと、ボス魔物は全身から血を流しながらも、一歩、一歩とアルテイシアに歩み寄っていく。
少女の命は、あと数秒も持たない。
ヌルスはその間も必死に走ってアルテイシアの下に向かうが、到底間に合いそうにない。触手による引き寄せ移動をしようにも、減りすぎた触手の本数では体を支えられない、途中で千切れる。
《っ、だったら!》
脚を止めて杖を構える。
あのボス魔物は高い魔法耐性を持っていた。だが、それは特殊な外殻によるものだ。アルテイシアの魔術でその外殻には穴が穿たれ、防御力は大きく低下している。
今ならば、ヌルスの魔術であっても通るはず。だが、生半な魔術では駄目だ。今ヌルスが持ちうる、最大火力でなければならない。
朽ちかけのスクロール。濁った触媒。そんな手札しかなくても、まだとっておきがある。
アルテイシアが、とんでもないものを見せてくれたのだ。今度は、ヌルスの番だ。
《……やるしかない》
触手で摘まむのは、触媒ではなく道中戦利品の紫の魔力結晶。内部で闇色のうねりが渦巻くそれを杖にセットし、スクロールを手にする。
鎧や外套で正体を隠すことなく堂々と魔術を詠唱するのは久しぶりの事だ。
遮る物が無い分、気楽で良い。
一方、強打を受けたアルテイシアは痛みのあまり呼吸が出来ず、危険が目の前に迫っても起き上がれずにいた。喘ぐように何とか肺に酸素を送り込む彼女であったが、不意に後方で魔力の高まりを感じ取って目を向ける。
果たしてそこには、逆巻く闇色の魔力の高まりがあった。
ヌルスさん、何を、と言葉にしようにも、声が出ない。ただ、ゼイゼイと喘ぐように息をしながら、その魔力の高まりに目を奪われる。
『α γ』
紡がれる、極めて初歩的な最初の言語。何にも遮られる事のないそれは、だからこそ精緻で強い意志が込められている。
基礎こそ全ての始まり。
全身全霊をもって、始まりの言葉が闇を謳う。
『β』
かくして、歪みの力は解放された。
《ぐぎぎぎ……っ!?》
想定通りに発生したノックバック。逆巻く破滅の力は、やはりヌルスに制御しきれるものではなかった。ほんの僅か、制御から外れた力が魔力結晶からあふれ出し、杖を伝わってヌルスに届く。杖を握る触手が血を噴いて裂け、ほかならぬ杖そのものもひび割れるようにして砕け散る。その波及が本体に届く前に間一髪で触手の自切が間に合った。限界ぎりぎりだったスクロールの魔術式が燃え上がり、スクロールが灰になる。
失敗か。
否。
全ての感覚が途切れる瞬間、一瞬先に、魔術が完成した手応えがある。
空間を捻じ曲げて、紫色の魔力が一点に集中する。激しくのたうつ紫色の火花が、圧縮されるように束ねられ、生み出されるのは魔力の弩。
きちんと杖を使い、詠唱もより正確だったおかげか、その勢いも込められた魔力も、以前ヌルスが3層フロアガーディアンに放ったものとはくらべものにならない。
「ギシュシュ……!」
尋常ならざる魔力を感じ取り、ボス魔物はすぐさま防御姿勢を取る。自慢の甲殻は穴だらけ罅だらけだが、まだ両腕がある。甲殻と同じ性質を持つそれを眼前で交差させ、正面からワープボルトを受け止めに行く。
これを防ぎきれば、ボス魔物の勝ちだ。故に、それを全身全霊で受けにいったのは、間違ってはいない。
それが。
本当に防げる程度のものであったならば。
「ギッ!?」
虹色を帯びた腕の甲殻と、闇色の魔弾が拮抗していたのは、それこそほんの瞬き程度の間の事だった。確かにボス魔物の腕は魔弾に抵抗して見せたが次の瞬間、その体は完全に押し負け背後へと吹き飛ばされていた。なおも勢いを失わない魔弾によって、たまたま進路上にあった魔物の巨大な核へと、まるで磔のように叩きつけられる。
その衝撃で、魔弾に込められた始原の魔力が解放された。
「ギシィイイ!?」
迸る紫色の稲光。着弾点を中心に、空間が捩じれるように歪むのは過去にも見た光景だが、今回は完全版であった為か迸る魔力が可視化できるほどに強力だ。
着弾点を中心に空間が歪んで捻じ曲げられ、そこに罅割れのように雷鳴が迸った、その瞬間。
世界が、砕けた。
まるで全てがガラスに描かれた絵だったかのように、雷鳴の軌跡が罅割れ砕け、柔らかいものも硬いものも関係なく、陶器のように割れて飛び散った。
ガラガラガラ、と魔物の核や、ボス魔物だったものが辺り一面に転がる。一瞬おいて、それらすべてはパチパチと燃え上がって灰となる。
その全てを、ヌルスは茫然と見届けた。
生死確認など必要ない事は、もはや言うまでもない。
《今、のは……》
おずおずと足元に目を向ける。自切した触手はすでに灰となり、残っているのはノックバックでバラバラになった杖の残骸だけだ。
ヌルス自身は、この力をデメリットの大きい切り札と思っていた。だが……もしかして自分は何かとんでもない勘違いをしているのではないかという不安が浮かぶ。
これは。到底、この世にあっていい力では……。
《いや、そんな事は後、後! アルテイシア!》




