第六十二話 事態は安息を許さず
《あ》
外套も籠手もブーツも、邪魔だーと放り投げた。残っているのは胴鎧ぐらい。つまり、ピンク色の触手というヌルスの本体が、今は全力で露になっている。
そしてアルテイシアは飲み込まれる瞬間は意識を失っていたので、彼女からすれば突然、気が付いたら触手型モンスターにがっちり捕縛されているという事になる。
おまけに、水で濡れた服は体にぴったり張り付いて、下着やら肌やらが透けて見えている。
彼女からすれば命の危機である。ついでに貞操の危機も。
そしてヌルスにとっても危機である。
今更ながら状況を理解して、ヌルスの体表に脂汗じみた粘液がどろどろと分泌され始めた。
《あわわわ……ど、どうしよう。まずは敵意が無い事を示す為に筆談……日誌捨ててきたじゃん!! え、えっと、そうだ、逃げる時に本性を露にして助けたから、それで私がヌルスと察してもらえれば……それはそれで人間に擬態するヤバヤバモンスターって認識されるじゃん!? あ、あわわ、え、どうしようどうしよう……どうしようもないよ! 詰んでる!!》
ついでに言うと、固く結んだ触手がほどけない。後先考えずに全力で結んだせいである。これではすぐに解放して害意が無いのを示す事が出来ない。
《あっ、そ、そうだ、切り離して……いやどうやってやるんだっけ? あれ? 普段、意識してやってたから、改めてやろうとすると……あれどうやるんだっけ!? 自切!?》
パニックに陥ってあわあわするヌルス。人間でいうと、普段意識せずに書いているそこそこ画数の多い感じが、改めて意識して書こうとするとこれでよかったのか不安になる現象、的なものだが、冷静さを失っているせいで混乱に拍車がかかっている。
理性こそがヌルスの売りなのに、それを失ったらただのポンコツ触手である。
そうこうする内にアルテイシアが身じろぎする気配を感じて、ヌルスはひぃ、と竦み上がった。
《ひぃいい! こ、ころされる! アストラルセイバーでずんばらりされる! こういう時の魔術だもんね、くそう流石天才! 有意義な術を習得しておられる!!》
触手のブツ切りになっちゃう。そう恐怖に震えるヌルスに、しかしアルテイシアは杖を取り出す事もなく、静かに語り掛けた。
「落ち着いてください、ヌルスさん。私に敵意はありません」
《…………え》
「すいません、怖がらせてしまいましたね。……私は、貴方にずっと黙っていた事があります。どうか、その謝罪と説明をさせていただけないでしょうか」
そしてそのまま、アルテイシアは淡々と語った。
ヌルスの正体が触手型モンスターであるという事は、最初の邂逅から知っていた事。
珍しい、知性獲得型モンスターのサンプルとして間近で観察していた事。
その事を友人たちには話していないという事。
そういった事を、手短に。
「……という訳です。申し訳ありません、貴方の人を信じようという気持ちに、私は付け込みました。酷い女です。揚げ句、こうして貴方に命を救われて……ヌルスさん? その、やはりお怒りに……?」
《い、いや……》
完全に固まってぷるぷるしているヌルスの様子に怒っていると判断したのだろう、顔を伏せるアルテイシア。が、実際の所言うまでもなく、ヌルスの心を満たしているのは怒りではなく羞恥だった。
《ア、アババババ……》
正体がバレる前に優雅に去るぜ→しっかり見られていた。
人間の物まねは完璧だぜはっはっはっはー→普通に駄目だった上にそれとなく矯正されていた。
世界で初めての知性あるモンスターだろうな私→類似例が論文つくれるぐらい存在してました。
正体がバレたら殺されてしまうに決まっている→とっくにバレていた上に広まらないよう気を使われていた。
赤っ恥にも程があるというモノである。自らの知性故に、ヌルスを見えない羞恥の刃がザクザクと貫き、もはや虫の息。
ぷるぷると震えていたかと思うと急にシオシオと干乾びはじめたヌルスに、「なんで!?」とアルテイシアは目を白黒させた。
《……シテ……コロ……シテ……》
「ヌ、ヌルスさん? そ、そのなんか、どんどん干乾びてるんですけど……? も、もしかして怒ってるんじゃなくて、呆れてます……?」
《チギャウ……チギャウ……》
そんな風に互いにぐだぐだなやり取りを繰り返す二人だったが、しかし、ここが危険地帯だという事は忘れてはいない。故に、最低限の警戒は怠っていなかった。
先に気が付いたのはヌルスだった。
《……むむっ》
脈動する肉の床を伝って、無数の振動が近づいてくるのを感じる。それはどんどん大きくなり、明らかに危険の予兆だと感じ取れた。
しなしなになっていた触手に一瞬で潤いを取り戻し、ヌルスはアルテイシアを抱えたまま身を起こす。
「わ、わわ……っ!? 急にどうしました……む」
アルテイシアも遅れて気が付く。何か、多数の存在がこちらに接近してきている。
この状況で敵以外はあり得ない。杖を取り出して戦闘準備をするアルテイシアだが、ヌルスの方はどうするか、少し悩んでしまう。
今現在、ヌルスはアルテイシアを触手で結び付けて背負っている状態。戦闘を意識して頭が冷えたおかげで、彼女を縛っている触手をパージするのは容易い事だが、ここで安易に二手に分かれるのはいかがなものか。
見た所、周辺の地形は人間が行動するにはあまりよくない環境だ。アルテイシアの力量を考えると、ここでヌルスも杖を取り出して攻撃に加わるより、彼女を抱えたまま回避や移動に徹した方が効率が良いのではないか、とも考えられる。
恐らくアルテイシアもそう考えたのだろう。ヌルスの結論とほぼ同じタイミングで、彼女から要望が口に出された。
「ヌルスさん、申し訳ありませんが、このまま私を縛り付けたまま戦闘機動を行ってくれませんか? 私の足ではこの環境、足手まといになる恐れがあります。私が攻撃に専念しますので、ヌルスさんの思うように動いてください。本当に、申し訳ないのですが……」
《いや、ちょうど同じことを考えていたよ。それでいこう》
合意を示すために、触手で丸を作るヌルス。それを見て、ずっと訝し気な顔をしていたアルテイシアが、初めて明るい表情を見せた。
「っ、ありがとうございます。……っと、来ましたよ」
ヌルスにも見えている。
肉の回廊の奥から、何か白い蟲のようなモンスターが群れを成してこちらに接近してきている。
一匹一匹の大きさは人間ほど。節に分かれた硬い殻で体が覆われ、全体的に平べったくはあるが、地形に隠れるにはいささか丸っこい。体の裏側には無数の足があり、それで移動しているようだ。
ヌルスはそれに似た生き物を知らなかったが、アルテイシアは心当たりがあるのか、なるほど、と小さく唸った。
「成程。魚の寄生虫によく似た姿……この巨大イレギュラー魔物と共生している訳ですか。丸呑みした獲物を、彼らが仕留める事で魔力として還元している訳ですね」
《ほえー。博識》
迷宮内の事ならともかく、外の知識においてはアルテイシアに叶う道理もない。彼女の言葉に納得しながらも、ヌルスはわざわさと触手を広げて戦闘準備に入った。背中で、アルテイシアも早速呪文の詠唱に入る。
「アストラルレーザー!」
ひゅいん、と青白い光線が魔物の群れを薙ぎ払う。4層の一般的な魔物では一溜まりもない高出力の魔術が、群れの突撃を正面から弾き飛ばした。真っ白な甲殻を煌めかせ、魔物達がクルクルと宙を舞う。それらはひっくり返ったままそこらに転がると、必死に足を蠢かせて元通りに戻ろうとあがいている。
仕留められていない。




