第三十一話 道の外れの泉の底は
《さて。これでよし、と》
繁みの奥。魔術師の一同からも遠く距離を置いた、人間も魔物も目の届かない場所で、ヌルスはいそいそと早速手に入れた外套を広げてみた。
確認したように、消化液によって腐食した事で大分色あせてはいる。だが、あくまで色素が抜けたのと表面がほつれているぐらいで、使用そのものには問題は無いようだ。多少手荒な脱色を行った後、のようにも見える。裏地を見る限り、こちら側は生地が駄目になっている感じはしない。
表面がボロボロなのは消化液による腐食ではなく、捕獲された袋の中で着用者が暴れていたので表面を強く擦ったのが原因だろう。
ローブの表面に縫い付けられていた飾りなども取れてしまっているので、ある意味逆に都合がいい。ここまで脱色して装飾もないと、かつての着用者であっても元が自分のローブだと気が付かないのではないか?
それでいて、元がかなり高級品なのか、厚みがあって柔らかく、寒さを防ぐのは勿論、ある程度の防御力もありそうである。魔術師の使っていた一品なのだから、当然魔術的防御もあるはずだろう。
今まで使っていた、元が何だったか分からないほど劣化したボロボロの外套より、よっぽど良い物な気がする。
トンガリ帽子も同様だ。先端が腐食して穴が空いてしまっているが、ツバは多少草臥れた感じになっているぐらいで十分実用に耐えうる強度を残している。今の胴鎧に加え、この帽子とローブを羽織れば割と人っぽく振舞えるのではないだろうか。
《ふむ。正直我ながら気の迷いにも程があると思っていたが、これは案外良い拾い物ではないか?》
内心ニコニコしながら、早速身に纏ってみる。ローブを体にひっかけ、尖がり帽子を乗せて触手を中に入れて固定する。観測用の触手を伸ばして客観的に観察しつつ、ヌルスはよしよし、と満足感を堪能した。
《ふむ、悪くない。悪くないが……ちょっと整いすぎているかな。激しく動くと中身が見えてしまう。籠手を着けたぐらいじゃどうにもならないな……部屋にしまい込んである鎖帷子とかの出番か? まあ、得体の知れないボロボロの布の塊よりはマシには違いない》
基本的に冒険者の格好というのは実用性本意だから、本来の使い方を無視してる事も珍しくはない。本職の騎士であれば甲冑の上から羽織るのはサーコートと相場が決まっているが、冒険者はあくまで手に入った物でやりくりをする。貴重品である金属の防具を長持ちさせるために、上から何でもいいから布の上着を羽織っている、なんて事はごくごく当たり前の事だと、モンスターであるヌルスでも知っている。だからこそ、襤褸切れ同然の外套に鉄の兜、籠手に杖、などというトンチキな装備でも訝しまれる事はあっても疑われはしなかったのだ。とはいえ、限度というものもある。下の層に潜れば潜るほど装備に余裕が出てくるのは当然の話なので、それを考えるとここであのボロ布から装備を更新できたのは幸先が良いといえるだろう。
《とはいえ、さっきの事でまだ3層の転移陣周りは人がいるだろうからなあ。他の装備を探すついでにもう少しこの場に留まった方が……うん?》
違和感を感じて、ヌルスは動きを止める。なんだか、肌がチクチクする……ロープの裏地が肌に合わなかったのか、と一瞬考えるが、しかしそういう感じではない。戸惑っているとあきらかに違和感が痛みに代わり、ヌルスは慌ててローブと帽子を脱ぎ捨てた。
《アチチチチ……こ、これはっ! 消化液!!》
脱ぎ捨てても肌の痛みは引かず、むしろ増すばかり。本能的な防衛反応で体内から粘液がわっと分泌されるのを、触手を使って丹念に伸ばして刷り込んでいく。粘液によって消化液の苛性が中和されたのか、徐々に痛みが引いていくのを感じ取って、ヌルスはふぅ、と安堵に体を弛緩させた。
地面に投げ捨てたローブを見ると、染み出した消化液が下草を白く変色させている。
どうやら、大分強力な消化液だったようだ。
ちなみに一般的なウツボカズラの消化液というのはそんなに酸性は強くなく、溺死した獲物を長時間かけてじわじわ栄養を吸収するものである。中には消化液ではなくただの水がたまっているだけ、という場合もある。
あくまで見た目が似ているだけでモンスター、生態は別物、というのを示す例であるといえよう。
《捕まっていた少女が無事だったのでそんな強い消化液だとは思わなかったのだが……時間が経過したからか、それとも酸素に触れたからか? どっちにしろ早く水ですすがないとこのローブや帽子も駄目になってしまうな》
やれやれ、とヌルスは体を震わせて身を起こした。
どうにも4層についてから、忙しく動き回りっぱなしである。まあ、時間つぶしにちょうどいい、というのもまた事実ではあるのだが。
とはいえのんびりしてもいられない。あまり長時間放置していれば、いくら頑丈な生地で出来ていると言っても完全に駄目になってしまうだろう。今の所、他に体を隠す衣が見つかっていない以上、このローブが駄目になってしまうとまた探し回る羽目になる。それは避けたい。
《水、水……。まあ、森っぽい階層だし、そんなに珍しいものではないはずだ。これだけの植物が生い茂っているのだからな。……まあ、水が無くても育つ迷宮特有の異常植物だったらそれまでだが》
植物が育つには水が必要だ。そして、植物は水を吸い上げる一方で排出もする。見た所、木々の葉は瑞々しく生い茂っており、生命の循環の産物としての泉があってもおかしくはないはずだ。
そしてこういう一時を争う時ほど、我武者羅に動いては事を仕損じる。
魔物や冒険者の存在に注意を払いつつ、ヌルスは四方に感覚触手を伸ばして周囲を探った。
《……こっちか》
水は特有の気配がする。不思議な話だが、そうとしかいいようがないのだ。触手がその気配を捕らえたのを確認して、ヌルスは体からちょっと遠ざけてローブと帽子を一抱えにして触手で持ち上げた。触手の先端がピリピリするのに不快な思いをしつつ、探り当てた水の気配の元に急ぐ。
ガサガサと藪をかき分け葉っぱ塗れになって向かった先。
そこには予想通り、小さな泉があった。大木の根元、根っこの間に水が溜まっているようで、木の幹を伝って水が滴り落ちているようだ。
野生の獣が水飲み場にしていそうな気配の場所なので、少し警戒するが周辺に冒険者や魔物の姿はない。
水は冒険者にとって重要な物資の筈だが、すぐ見つかった事を考えてもこの階層には他にもたくさん水場があると考えてもよいだろう。そうなると、冒険者からの需要も分散していそうだし、道から遠いここはそもそも冒険者が認識していない可能性がある。ならば、道理でいえばモンスターもここに居る可能性は低い。魔物はあくまで疑似的な生命体であり、その活動に水は必要ではないからだ。彼らが水場にいるとしたら、それは水場にやってくる冒険者が狙いだ。
そこまで考えて、実はここ、そうとうややこしい階層だな? とヌルスは思った。
森の木々や繁みで視界を塞がれている上に、そこかしこにモンスターの密集地点や危険な自然の要害がある階層を、冒険者が屍を積み上げて安全な道を確保すれば今度はそこを冒険者が通ると学習した魔物がよってくる。その結果、本来危険だった藪の奥が逆に魔物も冒険者も見向きもしなくなり、結果的に安全だったはずの道の近くが危険地帯となり、危険地帯だった場所が安全地帯となる。つまり、危険地帯が流動的に変化しうる階層という事だ。
恐らく一部の冒険者はその事に気が付いていて、敢えて藪の中を進んでいる節がある、最初に遭遇した二人組も、今思うと道を通ったにしては妙に葉っぱ塗れだった。恐らくあの二人は“分かってる側”で、若い魔術師の集団は“分かってない”側だ。
3層が、凶悪な地形とそれを利用するモンスターに悩まされるが故に定石を守らなければならない階層だったとしたら4層はその逆、敢えて定石を破らなければ危険度が上昇する手合いの階層なのだろう。
《とと、有意義ではあるが考え事はここまでだ。早くローブと帽子を洗わなくては》
思わず思索にふけりかけたヌルスだが、はっと我に返って作業を急ぐ。丸めた布地を、じゃぶじゃぶと水たまりに付け込んで洗う。すると小さな水たまりから、シュワアア……と音を立てて白い煙が立ち昇りはじめた。
《わっ、わわっ。なんだこれ……有害なガスじゃないよな??》
思わず触手を引くヌルス。見ている前で白い煙はますます勢いを増し、水面を覆ったかと思うと、唐突に消えてしまった。あとには静かに波打つ水面だけが残される。
その水中に、沈めたはずのローブと帽子の姿が見えない。
《え!? と、溶けちゃった!?》
慌てて水面を覗き込む。そんなはずはないんだが、と確認していたヌルスは、ふとある事に気が付いた。
《あれ。……この水場、思っていたより深い?》




