第二百十三話 馬車の上の白魔術師
彼女にとって因縁の地、魔術学院を焼き払い、学友の報復を果たしたアルテイシア。
これで、賢しい連中に妙な暗躍をされる心配はない。ようやく表立って行動できると言わんばかりに、アルテイシアは辺境伯領……今となっては魔王城と化した、ヴァーシス領へと向かう事にした。
しかし、それにまったをかけた人物がいる。
他ならぬ、スカーシハからの提案であった。
「その前に、貴方が向かうべき場所があります。……実は、ヴァーシス領の重要な関係者でありながら、当時、諸事情によって辺境伯領を離れ、別の貴族の元に身を寄せていた者がいます。まずは、そちらと接触するべきでしょう」
「? そんな人がいるんですか? でも、それだったらその人も大した事情を知らないんじゃ……」
「だとしても、彼女に接触しておくのは必要な事です。何故なら、彼女はヌルス様の親しい友の一人であり、本来ならば次期ヴァーシス領当主の正妻であったはずの人物なのですから」
その人物の名は、シオン・ペトナイン。今は、ヴァンダイン伯爵の養子となった事で、シオン・P・ヴァンダインと名乗り……本来ならば今頃、シオン・P・ヴァーシスになっていたはずの人物である。
まずは彼女の現状を知るべく、アルテイシアはスカーシハの言葉に従い、まずは一路、ヴァンダイン領へと向かった。
「それにしても、あのシオンさんがそんな事になってたなんて……ビックリです」
旅路の最中、馬車で揺られながらアルテイシアは小さく呟く。その隣には、スカーシハの姿は無い。彼女とて暇ではないので、エンシェントの里へと戻ったのだ。本人は付き添いたがったが、今の里の微妙な立場を考えると、迂闊に貴族と接するのは危険である。本来ならば、魔術学院への襲撃につきそうのもかなりのリスクを伴う案件だったのだ。
まあ、目撃者は鏖にしたから問題ないだろうけど、と物騒な考えがアルテイシアの頭を掠める。どうにも、無自覚なのか自覚的なのか、人間に対する共感性が薄くなってきている彼女である。
「貴族の当主に見初められて告白かあ……女の子なら憧れるエピソードですねっ。まあ私にはヌルスさんがいるので無縁な話ですが」
そしてシオンは、アルテイシアにとって知らぬ仲ではない。
そもそもシオンが加入する前からアトラス率いるハーベストとはアルテイシアはある程度の繋がりがあった。故に新メンバーとしてシオンが加入した時は、アルテイシアはそれを新人を使い潰す新手の詐欺ではないかとアトラスを疑った事もある。実際は、才能を見込んでの青田買いだったようで、その後メキメキと頭角を現していったシオンの話を、アルテイシアも耳にしていた。
意識を失った後の事は知らないが、合流したヌルスの篤い信頼、という形で彼女の人格・能力については保障されている。アトラスの人を見る目は確かだったという事だ。
まあ、あっちがアルテイシアを覚えているかは微妙だが……ヌルスがヴィヴィアンとして活動していた間、面倒を見てくれたのはもっぱら彼女だった。そういう意味では、アルテイシアの事を相手もまたよく知っているのかもしれない。
ちょっと会うのが楽しみですね、と思いつつ、しかし、アルテイシアは馬車の中の雰囲気に眉を潜めた。
アルテイシアが乗っているのは、公共の乗り合い馬車だ。大きな幌の中に、何人かの利用者が居心地悪そうに身を小さくしている。最後尾、幌の外を油断なく見張っているのは乗客ではなく、警護の者だろう。こういう馬車は、山賊などに襲われる事が多い。多数の人間が乗り込んでいる馬車は、ならず者からすれば宝の山だ。
そう、領地を行き来する馬車など、多数の人であふれているのが普通だ。商人であったり、出稼ぎであったり、皆何かしらの目的をもって新天地を目指す。
しかし、この馬車には驚くほど人が少ない。片田舎の小さな迷宮(と思われていただけであるのだが)に過ぎない巣窟迷宮エトヴァゼルに向かう馬車だって、たくさんの人でひしめき合っていて友人同士小さく固まってやり過したものだ。いくらなんでも、栄えている筈の領地に向かう馬車としては寂れすぎている。
まるで、向かう先で疫病でも流行っているような、そんな寂れ切った雰囲気がする。
「おい、あんた……」
「……!」
訝しんでいると、対面に座っている老人の興味を引いてしまったらしい。じっとこちらを見つめてくる視線に、アルテイシアはフードを強く引っ張って顔を隠した。
「……何か?」
「あんた、魔術師だろう? もしかして、伯爵様の所に、売り込みにでもいくのかい……? やめておいた方がいいぜ、少なくとも、今はな……」
「どういう事です?」
訝しむような顔をしながらも、アルテイシアは内心でしめた、と舌なめずりした。思わぬところで事情通に巡り合えた。これを僥倖と言わずしてなんという。
「聞いた限りでは、伯爵様は武闘派ながら領内の治安もよく、商売にも明るく栄えていると聞いております。魔術師からすれば、よい売り込み相手のように見えますが」
「情報が古いよ。今じゃ、伯爵領は王都から反乱を疑われるような胡乱な扱いさ。大きな商店も揃って店じまいしちまって、今じゃ通りも素寒貧だ。領民の信頼が篤いからまだなんとかなってるが、余所者がやっていくのは厳しいと思うぜ?」
「……何故、そんな事に?」
思っていたよりも酷い状態らしい。あんなことになった辺境伯領に隣接しており、さらにはその辺境伯本人とも親しい中だったというのだから、それなりに余波は受けているだろうと思ったが、まさか反乱の疑いまでかけられているとは。
というか、ヌルスにあれだけ軍をメタクソにされて、間違いなく反乱の意図など無い忠臣を冷遇するなど、そんな余裕がよくあるものである。あるいは、余裕がないからとりあえず敵をでっちあげて国内を纏めようとしているのか?
「確かに、伯爵領は辺境伯と関係が近かったようですが……」
「それもあるが、一番不味かったのはあれだ。次期当主の婚約者を庇ったのが不味かった。王都への出頭命令を拒否したんだよ、伯爵様自らな」
「……まあ!」
思わず驚愕の声が出るが、それはとても肯定的なそれだった。アルテイシアの中で、伯爵への評価が数段階一気に上がる。
「まあ、まあ、まあ。この状況で、辺境伯次期当主の婚約者を、お庇いになられたと! どうなるか予想できなかった訳ではあるまいに……まあ!」
「なんでそんなに嬉しそうなんだ……?」
「ええ、ええ。だってとっても人情のある話じゃあないですか!」
アルテイシアの率直な感想を受けて、目を丸くする老人。ややあって、彼もまた、いささか愉快そうにくっくっと笑った。
「ああ、そりゃあそうだ。確かに、良い話だ。最近の胸糞悪い話の中じゃ、胸がすっとするな」
「でしょう? ああ、でもそうなると、今、伯爵領はなかなか大変なのですね……む」
思わぬ形で伯爵領の情報を手に入れられたアルテイシアだが、不意に会話を打ち切って顔を上げた。
「これは……」
「どうした? 嬢ちゃん……ん?」
遅れて、会話していた老人もざわりとした空気を感じ取り、顔を上げる。
馬車の後部で備えていた傭兵が、ショートボウを手にして半身を起こした。運転席に届くように大声を張り上げる。
「敵襲だ!!」
身を乗り出して矢をつがえる護衛。その横から、アルテイシアはフードを押さえながら顔を出した。
馬車は、草原を通る街道を走っている。見渡す限りの生い茂る草木……その向こう、丘の陰にちらちらと人影のようなものが見えた。馬に乗って馬車と並走している。
愉快な相手ではない事は明確だった。
「盗賊ですか。……助力させていただいても? 私は魔術師です」
「……すまん、助かる!」
ローブの裾から小さな杖を見せると、護衛は一瞬ためらったものの素直にうなずいた。おそらく、客であり得体のしれない人物を戦列に加えるリスクと、アルテイシアを加える事で盗賊を撃退できる事のメリットを考えたのだろう。護衛はほかにもいるが、どう見ても襲撃者の方が数が多い。
「柔軟な判断、感謝します」
本当を言うと、アルテイシアにはもう杖は必要ないのだが。まあ、杖を使わずに魔術を使えば別の問題が出る。彼女は護衛が矢を放つ直後のタイミングを見計らって、身を乗り出した。
襲撃者に向けて、馬車の後部だけでなく、御者の方からも弓矢が放たれている。護衛は二人、それに対し襲撃者は10人以上いるようだ。
短弓をものともせずに接近してくる。
その黒い影が、陽光にきらりと銀色に輝くのを見てとって、アルテイシアは顔をしかめた。
「……なるほど。脱走兵ですか」
走ってくる馬の上にまたがる一団は、盗賊や山賊の類にしては妙に武装が整っていた。
おそらくは、先の戦いで敗走した軍からの脱走者なのだろう。人知を超えた戦略級魔術の破壊は圧倒的だが、何万といる兵士を皆殺しにしたわけではない。それなりの落伍者が出るのも当然の事だろう。本来ならばそういった者達に対応するのは国や軍の仕事なのだが、あまりにもヌルスが暴れすぎたせいでその余力もないようだ。
結果、それらが辺境領近隣の問題になっている。いや、あるいは、迷惑するのは疑わしき者達、あるいは辺境領の関係者だから、いいと思っているのだろうか。
やれやれ、とアルテイシアは首を振った。
ただの暴徒の類ならさっさと殺して終わりにするところだったが、そういう事とあっては、多少手心をかけぬわけにはいかない。
「これ以上、ヌルスさんの罪を増やす訳にもいかないですからね……『ライトニングバインド』!!」
呪文詠唱と共に、雷の輪が杖から放たれた。それはぐるぐるまわりながら盗賊たちの元へ飛来すると、4頭の馬を包み込むように上から覆いかぶさった。輪の内部に激しく電流がスパークし、山賊たちをからめとる。たちまち電撃によって全身を麻痺させられた馬と盗賊が、もんどりうって草地に転がった。
「まあ、多少乱暴ですが鎧を着ているならあの程度では死なないでしょう。お馬さんには気の毒ですが」
「す、すげえ! この調子で頼む」
「まかせてください」
護衛の賞賛を浴びながら、次の狙いを定める。
だが、アルテイシアが呪文を唱えるよりも早く、状況は次の変化を見せた。
遠くから聞こえてくる雄たけび、地を揺るがす馬蹄の響き。
敵の増援か、と目を向けたアルテイシアの目に入ったのは、反対方向から突進してくる騎馬の一団。
盗賊と比べても明らかに身なりの良い彼らは、たかだかと刺繍の入った旗を掲げている。
それに刻まれている紋章には見覚えがる。伯爵の紋章だ。
そして、騎馬隊の先頭に立ち剣を掲げている緑の髪の女性騎士。その顔に、アルテイシアはよくしっている。
「突撃!! ヴァンダインの地を荒らす不心得者どもを捕縛せよ!」
「はっ! ペトナイン様に続け!!」
10を超える騎馬隊が、土煙を上げながら盗賊の横原へ突撃する。アルテイシアの魔術に浮足立ったところに、騎馬隊の横撃を受けた盗賊達は、抵抗もままならぬまま散り散りになり、次々と打ち倒され捕縛されていく。
状況は圧倒的に騎馬隊が有利。瞬く間に盗賊をひっとらえた彼らの雄姿を後に、馬車は悠々とその場を後にする。
ふぅ、と護衛が安堵に座り込み、乗客たちが歓声を凛々しき騎馬隊へと送る。
それを受けて、遠ざかる緑髪の少女が、馬車へと手を振り返した。
「ありがとう! 旅のご無事を願っております!!」
「……ふぅん?」
いかにも立派な、伯爵家の重鎮といったふるまいを見せるシオンの様子に、アルテイシアは小さく鼻を鳴らしながら、何事もなかったようにしれっと馬車の座席へと戻った。
フードの下で、虹色の瞳が小さく細められる。
……半神と化した彼女の視力は、人間のそれを超越している。
そんな彼女の目には、この距離でもシオンの顔が、近くで覗き込むようにはっきりと見えた。
痩せこけた頬、瞳の下にくっきり浮いた隈。そしてそれを隠す分厚い化粧。
周囲の兵士達も、いやに疲れた様子だった。
「……これは、なかなか愉快な事になっているようですね」
形だけの笑みを浮かべてアルテイシアが嗤う。
それを、人は、冷笑と呼ぶ。




