第二百十一話 アルテイシア起つ
これまでの経緯を説明されたアルテイシアは、ただ小さく「時間をください」とだけスカーシハに伝えた。
彼女はそれに小さく頷く事だけで応じ、ベッドの横に崩れ落ちたままのアルテイシアを置いて部屋を後にした。
と、部屋の外で待っていた侍女が、心配そうに駆け寄ってくる。
彼女は視線でちらちらと部屋を……アルテイシアの事を気にかけながら、声を潜めてスカーシハに訴えかけた。
「よろしいのですか? ……彼女を、今、一人にしては……」
「心配いりません。彼女は、そこまで弱い人間ではありませんよ」
小さく微笑み、スカーシハは侍女の頭を優しく撫でる。慈愛のこもった手つきに、侍女は困惑したようにしつつも、黙ってそれを受け入れた。
「優しいのですね、貴方は。私は嬉しく思いますよ」
「い、いえ……。彼女はヌルス様の大切な人であり、スカーシハ様のご客人ですので……」
「ふふ。私達は自分の事を頑迷だと思っておりましたが、案外そうでもないようですね」
侍女から手を放し、スカーシハは薄く微笑みながら神殿へと戻る。
彼女には周囲の折衝を始めやる事がいくらでもある。それでもアルテイシアの為に時間を割いたが、やはり限界がある。
とはいえ、一時期よりは大分マシである。
神殿に戻ると、待ちかねていたように神官たちがスカーシハの後に続き、歩きながら書類を手渡したり報告してきたりする。それに応えながら、スカーシハは玉座へと向かった。
「そういえば。使者を向かわせたい、と伝えてきていたのは、帝国の方からでしたか。予定ではいつ頃到着を?」
「明日の午後というお話です。王国は、崩壊した王都復興が優先という事でこちらには表向き使者を出していませんが、裏では手紙をよこしてきております。共和国は、相変わらず様子見の様子。まあ、物理的に真反対ですからね」
「全く。人間どもの代わり身の早さには呆れかえるな」
壮年のエンシェントがぼやくと、それに周囲の者達も追従する。
彼らの不満を、スカーシハは言葉ではなく無言で微笑む事で曖昧に肯定した。
当初、エンシェントの里へのあたりは非常に強かった。辺境伯が里の存在を発表してそれほど日が立っていない事もあり、今回の魔城の一件について痛くもない腹をさんざんに探られたのは記憶に新しい。
ともすれば軍を差し向けられかねない窮状に、愛し子達の動向には基本的に干渉しないスカーシハとあっても街に出ているエンシェント達に使いを出したほどである。エンシェント達の中には社会的な身分を得ているものも少なからず存在する為、彼らの助けを借りてスカーシハはなんとかエンシェントの里の独立を守ろうとした。
そのさなかに起きた、連合軍による魔城攻撃と敗北。
この一件で、各国の急進派、過激派が軒並み壊滅した事で、一転して人間の国家は魔城への干渉を委縮した。当然の道理として彼らは報復を恐れたのだ。
何せ宣戦布告もなく攻め入り敗退した国々には魔城と交渉する窓口がない。いつ、あの黒き魔神が自国に攻め入ってくるとも分からない人間達は、魔城との交渉役をエンシェントの里に求めた。
その結果、一転してエンシェントの里は人類の敵として糾弾される立場から、和平につながる唯一の希望、という扱いになったのである。
まあ最も、殺人的な忙しさ、という意味ではエンシェント側の立場はなにも変わらないのだが。
それに実際の所、そんな事を望まれても困る、という話である。
「……鏡への応答は?」
「今の所ありません。それに原理を考えると、恐らく鏡は使えなくなっているものかと……」
「そうですか……。魔城の……ヌルス様からの接触は?」
いくつもの紙の書類……世界樹の葉の繊維を潰してこして作ったエンシェントの名産品でもある……を受け取り目を凝らしながら、玉座に腰かけるスカーシハ。
感情を見せず、堂々たる静謐な佇まいに、神官たちはあらためて感じ入りながら、半神の女神に頭を下げる。
「残念ながら、今の所は。されど、迂闊にこちらに連絡を出せば禍を招くとヌルスどのもご存知のはず。少なくとも、黒き魔神が我らを一瞥もしなかった事が、あの御方の真意を示していると思われます」
「もし我らを信用できないのならば、アルテイシアどのをすぐにでも奪還しに向かってこられるでしょう。それがない、という事は、現状は我らと同胞である、という意は変わらぬと思われます」
「……早計は禁物です。ただ忙しくて、こちらに向かえぬというだけかもしれません。楽観的な判断は避けるように」
内心、自分自身も不安に思う気持ちを押し殺し、スカーシハは上位者として指示を出す。
一人の女としては、思い人の事が気になって仕方がない。一刻も早く、苦境に立たされているであろうヌルスの元に向かいたい。しかし、現状ではあの魔城を攻略する以外にヌルスと会う方法が無い。
そして一人の半神としては、何故ああも暴虐に振舞う必要があったのかを問いただしたい。人の良い面も悪い面も平等に愛したヌルスがあのような振舞いに出たからには、それ相応の理由があるはず。
とにもかくにも、情報が足りない。
人間の国家が強引に軍を動かしたせいで、情報が錯綜、散逸している。一番状況を理解していたであろう者達は、黒き魔神によって跡形もなく消し飛ばされた。
人手が、精鋭が欲しい。それも単体で動けて、人格が保証されており、迷宮内部に踏み込んで最奥までたどり着けるような実力者が。
しかし、そんな都合の良い存在などいるわけがない。
今は出来る事を一つ一つ積み上げていくしかない。
「……魔城に潜った、こちらの冒険者からの報告は?」
「何名かが侵入に成功しましたが、想定よりも遥かに広く、難解な構造に苦戦しております。ただ、少し奇妙な報告が……」
「ふむ?」
報告の続きに耳を傾けようとしたスカーシハ。
その耳朶を、突如、鈴の成るような凛声が遮った。
「スカーシハ様、ご相談があります!」
その場に揃った一同が、きょとんと声の主に振り返る。
玉座の間、その入り口。開け放たれた扉に、一人の少女が立っていた。
毛先にかけて銀色に変ずる、グラデーションのかかった金色の長い髪。煌めきを宿した虹色の瞳。
薄い部屋着と素足のまま、冷たい床に凍えながらも背筋を伸ばして立つ一人の少女。彼女を、この場に居る者達は知っていた。
「アルテイシア様……?」
「どうか、私に……外に出る許可を頂きたいのです!」
困惑するスカーシハを、まっすぐに見つめ、胸に手を当てて訴えるアルテイシア。
「私は、知りたいのです! 自分の目で、自分の耳で! 真実を……ヌルスさんの本当の事を!」
一方、その頃。
魔城の最奥、魔王の間にて。
「魔王様。ご体調は、いかがでしょうか」
『……うむ。悪くはない』
摩天楼の中央部。雲の上まで突き抜ける尖塔の中ほどに、魔王の間はある。これより上は人間の居住を想定していない特殊な区画。迷宮全体から吸い上げた余分な魔素を、魔術によって空の彼方に放出する煙突としての役目をはたしている。
よって、魔城においてはここが最上部。雲より下、とは言うものの、並大抵の山稜よりははるかに高く、空気はキンと冷え切っている。
そんな部屋の中央に、奇怪な物体が置かれていた。
透明の、巨大な円筒形のシリンダー。かつてヌルスが研究室に多数置いていた、触手の生存実験用の設備にそれは似ていないこともない。
最も、用途は全くの別。どこまで生きられるか、を試すのがあの設備であったのならば、これは内部の物を絶対に死なせず、癒す為の物……生命維持装置のようなものだった。
その内部で、ぐねぐねとピンク色の塊が蠢いている。
「それは、良きでございます。どうか、一日も早いご回復の程を」
シリンダーの前で、そのように恭しく語り掛けるのは、金髪碧眼の美青年。真っ黒に染めた軍服に袖を通し、首元に生々しい傷跡が覗くその青年は、かつて辺境伯をつぐ立場にあった者だ。
アトラス・D・ヴァーシス。
今となっては、ただのアトラスを名乗る、魔王軍の最高幹部の一人。
恭しく頭を垂れるアトラスを、シリンダー内部の巨大な瞳が見下ろした。
魔王。
人間達の国家が派遣した合同軍を、一日で滅ぼしつくした恐るべき存在。しかし、その代償としてその存在は、しばしの休養を余儀なくされていた。
『民の様子は?』
「魔城の安全地域に居を構えさせております。御命令通り、冒険者達に協力し、友好な関係を築けているようです。じきにこの話も外に知れ渡るでしょう」
『よろしい。思った通りに事が進んでいるようだ。だが、民に害をもたらすような、粗忽な冒険者については別だ。分かっているな?』
念を押すような“魔王”の言葉に、心得ております、とアトラスは小さく笑みを浮かべる。
「わかっております。そのような者は、内密に処理しております。迷宮内部での事、真相を知る者は誰もおりませぬ」
『我らは……可能な限り、在り続けなければならぬ。誰にも気を許さず、誰にも迎合せず、全ての人間から距離を置き、嫌われ、恐れられなければならない。永遠に、人と争い続け……しかし、決着をつけてはならない。人間を、この世界を守るために』
「心得ております、閣下。貴方の望みは、我らの望み。……お話が長くなりましたな。私はこれにて失礼します。どうか、ごゆっくり養生くださいませ」
一礼して、アトラスが部屋を出ていくと、魔王の間は再び静寂に満たされる。。
ただ一人、魔王は泡立つ液体の中で傷を癒しながら、その瞳をゆっくりと閉ざした。
『……アルテイシア。君は今、どうしているのだろうか。あれだけ君の目覚めを望んでいたのに、今は君が目覚めない事を願っている私を、どうか軽蔑してくれたまえ』
もう随分と遠ざかってしまった黄金の光を想起しつつ、魔王は一時、穏やかな夢の中へと逃避した。
『ああ。それでも、君の目に愚かな私の行いが映るとしても……私は、平和な世界を……君に……』




