第二百八話 復讐の炎
炎が、燃えている。
百年以上の歴史を持つ、クォークス国立魔術教導学院。
通称、魔術学院とも呼ばれるその場所は学園であり、研究機関であり、軍事施設であった。
多くの魔術師の卵が在籍し、それを指導する熟練の魔術師が多く務めるその施設は、同時に強固な軍事拠点であり、難攻不落の要塞であった。
仕掛けられた無数の魔術によるトラップが侵入者を逃さず、研究中の様々な軍事兵器が試し打ちの機会を常に待っている。
仮に、ワンダリングモンスターの襲撃があっても、逆に返り討ちにするだけの戦力が、ここには集っていた。
すべて。
過去の話である。
燃え上がる防壁の残骸、破壊されつくした兵器の残骸の間を、一人の魔術師が堂々と闊歩している。真っ白なフードで顔を隠した、白いローブの魔術師。しかし、魔術師であるにも関わらず、その手に杖は握られていない。
生きて動く者は、魔術師の他には存在しない。
時刻は昼。しかしそれにも関わらず、空は黒く染まり、煌々と満月が輝いている。月の輝きと炎の明かりで、学園の廃墟が極端なコントラストで彩られる。まるで悪夢のような光景。
そう、魔術学院は崩壊した。
全ては白昼堂々、正面から行われた事。
魔術学院を襲撃したその魔術師は、嘲笑う学院を定刻通りに襲撃し、その迎撃全てを悉く粉砕した。
あらかじめ避難していた学生達を除き、視界に写る全ては皆殺し。不利を察して逃げ出した者達は、学院を取り囲むあまりにも強固な結界に閉じ込められて絶望のままに死んでいった。
かつ、かつ……かつ。
不意に、魔術師が足を止める。
それとほぼ同時に、崩れた防壁の影から一人の老魔術師が飛び出した。
「死ね、化け物!! “天剣よ、我が敵を穿て”!」
白髪の老魔術師、学院においてそれなりの立場にあったであろう彼は、その肩書に見合った精度と速度で魔術を起動した。振り上げた杖に応じて虚空にいくつもの光が生じ、閃光のような雷鳴が降り注ぐ。
最上級攻撃魔術、ライトニングカリバー。
天から降り注ぐ轟雷に等しき一撃が襲撃者へと放たれる。いかな強固な防御魔術でも防御は不可能であり、そもそも雷速に合わせる事叶わず。
襲撃者の命運はここに尽きるかと思われた。だが……。
『■●★』
襲撃者が、老魔術師の詠唱と同時に何事かを呟く。
杖も伴わぬ、短い詠唱。
それだけで、魔術師の足元の影が、ぶわりと蠢いた。たちまちのうちに吹き上がるのは、銀色に輝く水のような何か。それは間欠泉のように吹き上がると、たちまち硬化。分厚い金属の壁となって、雷撃の一撃をあっさりと受け止めた。直撃した部分にわずかなスパークを残しながら、完全に魔術を受け止める鉄の防壁。
その様を目の当たりにして、老魔術師が目を見開く。
目前の光景が理解できなかった訳ではない。腐っても、彼にはその年齢に見合った経験と、蓄積された知識がある。それが、今しがた起きた常軌を逸した現実から目を逸らす事を許さなかった。
「しゅ、瞬間的に、絶縁性の魔力合金を生成した、だと……!? 先ほどまでの魔術といい、貴様、一体……っ!」
「あら。その程度は、わかりますか」
囁くような、女の声。
女性? 杖を握る指に脂汗を流す老魔術師の前で、ゆっくりと謎の魔術師はフードに手をかけ、素顔を露わにした。
……金色の髪と、虹色の瞳を持つ美少女。人形のような無表情が、取り繕ったような笑顔を浮かべ、老魔術師に視線を向けた。
その途端、異常なまでの圧力を感じ、老魔術師は呻いた。
彼には分る。
この女の持つ魔力量は、人間が耐えられるそれを遥かに超越している。その事実をもって、この女魔術師は人間ではない。
「貴様……悪魔か、女神か……?!」
「あら。もしかして口説かれているのかしら。困ったわ、私、心に決めた殿方がいらっしゃるの」
照れるように笑う女だが、その頬は絶対零度の白亜の如き冷たさのまま。非人間的なまでの美しさで、石膏像のような女が首を傾ける。
「戯けが……! 一体、何のつもりだ?! 何故この学院を襲った!?」
「あら? ……もしかして、冗談じゃなくて気が付いていません? 本当に?」
「何の話だ……?!」
困惑する老魔術師を前に、女はんー、と指を頬にあてて考え込むと、はっとひらめいたように小さく手を叩いた。
「ああ、そうだ。これならば、わかるかしら?」
そういって女が懐から取り出したのは丸眼鏡。それをかちゃり、と鼻にかけて、老魔術師に笑いかける。
「どう? これなら、わかるかしら?」
「…………!」
朗らかにほほ笑みかける女魔術師。それに対し、老魔術師は納得と理解と絶望が、滝のように自分の胸に落ちていくのを感じていた。
震える指先で女を指し示し、どうか勘違いであってくれと語り掛ける。
「お、おまえ……アルテイシア……アルテイシア・ストラ・ヴェーゼ……!?」
「ああ、よかった。わかってくれましたか。これで通じなかったらどうしようかと」
「バカな……貴様、死んだはず……?!」
そう。
老魔術師は、目の前の相手の事をよく知っていた。
魔術学院始まっての天才。魔術の世界を、100年進めうる逸材。
同時に、これまで築き上げられてきたあらゆるシステムを、既得権益を、学院そのものを、全て無に帰しうる災厄そのもの。
ゆえに、彼女は排斥され、迫害され、排除された。
学院上層部の総意をもって、無理難題を押し付けて迷宮に差し向け、邪魔の入らない深層で刺客を送り込んだ。確かに最終的には迷宮の攻略に伴う混乱や、刺客達が迷宮内で魔物に全滅させられるなどのトラブルがあり確実な死こそ確認できなかった。だが彼女と行動を共にしていた学友の死、また一年以上その姿が確認されなかった事で、学院は彼女が死亡したか、あるいは完全に牙を折られたものと判断していた。
それが何故、今になって。
何よりも、目の前で異常な魔力を放つ怪物と、過去の彼女がつながらない。
アルテイシア・ストラ・ヴェーゼは人間であった。
このような、無尽蔵の魔力を放つ怪異の類ではなかった。
「き、貴様……一体、何が……」
「さあ、それは私も詳しく知りたいところなのですが。まあでも、そんな事、どうでもいい事でしょう」
両腕を広げるようにして、アルテイシアが笑う。
白魚のような指先を衣の下から突き出して、まるで羽を広げる白鷺のような佇まい。ここにきて、老魔術師がこの女が、魔力結晶の一つも身に帯びていない事に気が付いた。
魔術師が魔術を使う上で、杖や魔力結晶は必須の存在。にもかかわらず、この女は無手のまま、五大属性に加え未知の魔術を取り扱い、この地を蹂躙した。
怪物のような、ではない。
もはやこの女は、理解の及ばぬ災いそのものだ。
「正直言うとね、貴方達の考えも理解できないではないのです。この世界で異物なのは私の方で……その一点のみで考えれば、復讐なんて不毛で非生産的な行為、する必要がありません。ほら、恨みと喧嘩は買わないに越したことはないでしょう?」
「な、ならば、何故……?!」
思わず問い返す老魔術師。
復讐にしても、アルテイシアの行為は常軌を逸している。学生こそ手にかけていないものの、老魔術師を除く魔術学院上層部は皆殺しにされた。学院の運営者には、今日、学院に居なかったものもいるが、彼らはもともと数日前から連絡が付かなくなっていた。おそらく、目の前の怪物に殺されていたのだ。
それに加え、学院の施設は徹底的に破壊しつくされ跡形もない。貴重な蔵書を収めた倉も、焼かれてこそいないが、奇妙な魔力合金で覆いつくされ、今やだれも触れることができない状態になっている。
それはすなわち、魔術学院という施設の終焉を意味する。
報復というにも、あまりにも苛烈すぎる仕打ちであると言わざるを得ない。
「え? わかんない? そっかあ……残念です」
「? な?」
「簡単ですよ。……私の友達を殺しておいて、何で無事で済むと思ったんです?」
口調は軽く。
だがそこに込められた怨嗟は、もはや物質化するかのようだ。
心臓を鷲掴みにされるような恐怖に、老魔術師は咄嗟に攻撃に移った。
最大級の攻撃魔術、奥の手として誰にも秘匿していた雷撃を解き放つ。
「ラ・モールの火よ!!」
空を焦がすほどの巨大な雷球が、老魔術師の頭上に作り出される。彼の故郷、海で船を照らす自然現象を魔術的に再現したそれは、これまでの戦いでまき散らされた魔力の残滓を吸収しながら急速に膨れ上がる。瞬く間に太陽の如き輝きを得た雷球を、老魔術師は杖と共にアルテイシアへと振り下ろした。
「滅びるがいい! この女怪めが!!」
「あら酷い」
迫る雷球を前に、しかしアルテイシアは薄く微笑んだまま、小さく囁いた。
『● ◆ ★』
右手を掲げ、短く詠唱。途端、彼女の影から湧き上がるように、無数の液体金属が吹き上がる。
それは瞬く間に展張、硬質化。柱のように無数に組み上がり、何かしらの構造物を形成する。太い柱のような構造体に、一か所の駆動部。先端には平たい面と、そこから伸びる五つの細く、幾重にも刻まれて駆動する鉄柱……。
天に向かって屹立するそれが、降り注ぐ雷球を受け止める。そして、細い柱が閉じるようにして、雷撃の塊を握りつぶした。
膨大な魔力がはじけ飛び、周囲が一瞬昼のように照らされる。それが通り過ぎた後には、シンとした闇が戻るのみ。パチパチパチ、と残り香を弾けさせながら、ぐぐぐ、と巨大な柱がうごめき、老魔術師の上に影を落とした。
渾身の大魔術をあっさりと防がれ、そして今から我が身に起きる事を想像し、老魔術師が裂けるように目を見開いた。
「な……あ゙……っ!?」
「はい、さようなら」
「あ……アルテイシア・ストラ・ヴェーゼェエエエエエ!?」
最後の絶叫は、巨大な質量が地に落ちる轟音にかき消された。
土埃が巻き上がり、アルテイシアの頬を汚す。それを無感情に払い、彼女は背を向けた。
燃え盛る学院を後にする。
ぱちり、と指を鳴らすと、全てを包囲していた結界が解除される。
夜の闇が霞みのように消え去り、天球は太陽の輝きを取り戻す。空の帳が取り払われて、世界は夢から目覚めるように、青空が広がっていた。
それを目の当たりにする生者は、一人もいなかったが。
破壊しつくされた学院の後始末は、生き残った生徒たちに任せる。地下に避難していた彼らには手を出さなかったので、じきに地上に戻ってくるだろう。
その後、彼らが学院を再建するのか、新しく別の場所に学院を立て直すのか、全てをあきらめて野に下るか。それはわからないが、アルテイシアにはもう彼らに干渉するつもりも、興味も一切なかった。
かつて自分の人生全てだった場所に微塵の未練も残さず、彼女は学院前の通りをまっすぐ通り抜け、その先の丘で待っていた人物に頭を下げた。
「……お待たせしました、スカーシハ様。全部終わりました」
「そう……お疲れ様でした」
顔をヴェールで隠した半神が、気まずげに小さく頷く。その視線が、つい、と魔術学院が存在した方に向けられる。
「本当によろしかったのですか?」
「ええ。友人の仇も討てましたし、何よりあいつらを残しておくと今後どんな干渉してくるかわかりませんし。ここで皆殺しにしておくのが吉かと」
あっさりとかつての同胞に血も涙もないコメントをする少女に、衣の内側でスカーシハは悲しげに目を細めた。
「貴方は……もう、決めたのですね」
「はい。私の最優先は、もう決まってしまったので。それ以外の全ては、些事です。あ、でも……」
「でも?」
アルテイシアは、かつての純粋な少女だった時のようにはにかみ笑いしながら、こう告げた。
「あんまり割り切りすぎると、きっとヌルスさん、悲しみますからね。ほどほどにしておきます」
「そうです、ね……。ヌルス様は、お優しい方ですから……」
かつての顔見知りを殺しておきながら、アルテイシアはしれっとしている。むしろ、何の縁もないスカーシハの方が、はっきりと悲しそうだった。
それは、スカーシハが心優しいから……だけではないだろう。
「アルテイシア様。貴方は、大丈夫なのですか?」
「……んー。どうなんでしょう。実際のところ、自分でもちょっとびっくりしてるんですよね。もうちょっとこう、心が動くかと思ったんですが……」
スカーシハに問われ、初めてアルテイシアは少し、困ったようにはにかんだ。
「なんかね、どうでもよくなっちゃいました。私、かつてはあそこで出世しようと頑張って勉学に励んでたんですけどねー。あ、クソ教授に関してはもともと恨んでたので、そんなにー」
「だとしても。……殺したい訳では、なかったでしょうに」
ヴェールの下から、スカーシハはアルテイシアを見る。
見た目は、瞳の色以外に変化はないように見える。
だが、今の彼女は三分の一程度しか、人間ではない。彼女の体の大半は損なわれ、世界樹の雫によって回復したが、それはつまりスカーシハと同じ……世界樹の半神、非人間的な存在に置き換えられた、という事でもある。さらに、彼女の体には、ヌルスの……魔物の魔力の残滓が色濃く残っている。長期間ヌルスが彼女と融合していた事に加え、右手の刻印……禁忌の魔術の反動で、アルテイシアとヌルスの魂が不可逆的に入り混じってしまった消えない傷も、また。
人間であり、魔物であり、半神である。それが今のアルテイシアだ。
であるならば、そのパーソナリティが大きく変じてしまうのも、仕方がない事なのかもしれない。
「さ、戻りましょうか、スカーシハ様。変に追っ手とかに追われても困りますし。というかスカーシハ様がこの一件にかかわってるとバレると本当にまずいので」
「そうですね。急ぎましょうか」
スカーシハが頷き、軽く手を振ると隠れていたエンシェントの馬車が姿を現す。馬ではなく鹿が引くこの馬車は、人間のそれに比べてはるかに軽く早く、乗り心地が良い。
いそいそと二人が乗り込むと、精霊魔術で馬車が姿を隠す。
そして、謎の襲撃者は姿を消し……あとには、焼き払われた魔術学院と、謎の金属で覆いつくされ誰も入れなくなった大図書館が残された。
この事件は『魔術学院焼き討ち事件』として知られ、学院の運営にかかわっていた大多数の教員が殺傷された事で大騒ぎとなった。しかし、その後それらが関わっていた後ろ暗い陰謀の事が明らかとなった事で、その責任追及で全てはうやむやになり、結局魔術学院は再建される事なく、その長い歴史に幕を下ろした。
その後、事件を生き延びた一部の魔術師が、初心に立ち返った魔術師養成施設を立ち上げるのだが、それはまた、別の話である。




