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「狐のお宿にようこそ」神様御用達のお宿で最強の神様に溺愛されました(全年齢版)

作者: 西野和歌

※他サイトにも公開しています。

こちらは短編(全年齢)です。

 神様が疲れを癒すその場所は、九尾の狐とその娘たちが営む狐のお宿。

 三匹の子狐達は、それはそれはそっくりで仲も良く、常にコロコロと三匹でたわむれては客の目を楽しませていたのは昔の話。

 大きくなった娘たちは、それぞれに花開き、それぞれの個性も色濃く出てくるお年頃。


「さあ、早く出迎えの準備をしなさいな」

「はい母様」


 三匹の娘たちは、せっせと次に宿泊する客の準備に大わらわ。

 なぜなら、次の客はこの宿でも特別に大切な得意客。

 娘たちが幼い頃から通い続け、そして神としても格上である最上様。

 最高級のおもてなしをと、てんやわんやで準備する。


「ああ、久しぶりの最上様。また、あの麗しいお姿が拝見できるなんて」

「あれだけ龍を束ねてお忙しい方ですもの、それはそれはお疲れのはず」

「なら、頑張ってここで癒して頂かないと」


 最後の末妹の言葉に、姉たちはキッと目をつりあげる。


「いい事サクラ、あんたはドジなんだから余計な事はしなくていいの」

「そうよサクラ、出迎えの挨拶が終わったら、とっとと湯屋の掃除を済ませて頂戴」

「……はい、アヤメ姉さま、スミレ姉さま」


 同じように生まれ、見た目は同じ三つ子でも、私一人はなぜか違う。

 長姉のアヤメ姉様のように賢くもなければ、次姉のスミレ姉様のように気立ても良くない。

 つい最近も、配膳前の食事を廊下にぶちまけて、食事抜きになったばかりだ。

 それでもめげるわけにいかない。皆がしない事、面倒な事を率先して頑張って、このお宿の為に尽くさなくては。


 まもなく訪れる最上様は、私たちが幼い頃より良くして頂いている。

 あの頃は私も姉たちと共に、よく無邪気に輪になって遊んでいたものだ。

 あれから年月が立ち、どうして自分だけこうも差が出てしまったのだろうか。


「ほらグズグズしないで、早く行くわよ」


 せかされて私は急いで後を追う。

 玄関では、既に並ぶ他の従業員たちと共に、私たちも整列して出迎えの準備は整った。

 私たちの宿は全て狐、人型をとれるのは母様と私たちだけ。

 この宿屋は三階建ての茅葺屋根の木造建築、ウリは質の良い露天風呂と山菜や魚を使った料理。

 いつからあるのかわからない古い歴史ある建物で、大昔から神様たちを癒してきたそうだ。

 皆はこの宿屋を「狐のお宿」と呼んでいた。


 人間たちが決して訪れる事のできない妖の領域。

 ひそかに人の為に、妖の為に働く神様たちの疲れをいやす、そんな隠れ家的な存在。

 色々な神様が、このお宿を訪れては帰って行く。

 そんな神様の中でも、特別な本日の来客「最上様」が間もなく到着する。


 この瞬間が一番緊張するのだ。

 色々な容姿の神様もいれば、性格も性質もまったく違う。

 神気のみを蓄える人の姿ならざる神様もいらっしゃれば、気の荒い獣の姿の肉を喰らう神様だっていらっしゃる。

 粗相のないように、私たちは必死に精神をすり減らしてお仕えするのだ。

 それが、この狐のお宿の宿命なのだから。


 正門を過ぎて正面玄関に続く道。来るは迎橋、帰るは戻り橋という橋がかかり、そこに待ちに待った姿が現れる。

 牛車や火車に乗るでもなく、トコトコと自らの足で訪れたるその方こそ、今宵から七日間のご宿泊のお客様。


 あまねく天地の龍の長であり、神格も高い最高神の一人。

 その名も最上様、神の名は真名は魂と結びつくゆえに、通名として皆からそう呼ばれているお方。

 その長い銀の髪は、月に風を絡ませて紡いだ如くキラキラと輝き、高き空と同じ蒼き瞳は、万物の上に立つ気品を漂わせる。


 神々しい顔は人の目すら焼き尽くす美しさで、妖ですら魅入られ全てを差し出してしまう程。

 静かに訪れたその方は、切れ長の瞳でチラリとこちらを見たあとに、誰しもが痺れる心地よい声で挨拶をしてくれた。


「今日からまた世話になるよ。宜しく頼む」


 私たちは腰が折れるほどに頭を下げて礼をする。

 本来なら口を利く事すらままならない存在なのだ。

 最上様は気安くお声をかけて下さるが、それでも礼節は守らなければならない。


 母様が代表して挨拶を交わして、部屋に案内して行く。

 頭を垂れた私の前を通過する一瞬、最上様が私を見た気がするが、あくまで気のせいだろうと私はジッと自分の足を見続けた。


「ほらサクラ、いつまでボーッとしてるのよ。とっとと湯屋の掃除に行きなさい」

「はいっ姉様」


 私はハッと我に返って、急いで湯屋に向かって走った。

 まだ辿り着いたばかりの最上様は、そうそうに湯に浸かる事はないだろうが、それでもいつでも楽しめるように準備しておかなければ。

 昨日までお泊りしていた別の神様は、湯の中に獣の毛を浮かべる方だったので、掃除が追い付かなかったのだ。

 なんとか湯は入れ替えて、露天だけなら使えない事はないのだが、周りの洗い場はまだ手付かずのまま。


 大きなブラシを抱えて私はゴシゴシと洗い場をこすり始める。

 最上様は意外と派手な物ではなく、質の良い抑え目な物がお好きだ。

 なので香りも常に香る白檀ではなく、ほのかに香る伽羅であるなど、薬湯も最上様のお好みを浮かべていた。


「いたっ」


 ズテンと滑って尻もちを打ってしまった。

 濡れた床に裸足で、仕事用の着物の裾を巻き上げて働いていたのだが、滑ったせいで体中が濡れてしまった。

 自分のドジ加減に落ち込んでしまったが、ともかく作業を終わらせようとブラシを抱えてブンと後ろを振り返る。

 そして、私は停止する。


「え?」

「ん?」


 わいた湯気が見せた幻だろうか?

 私の目の前で、優雅に突き出されたブラシに手をかけるその方は……え? 


「……最上様?」

「働き者で感心だな、この子狐は」

「……ひぃっ!」


 驚き過ぎた私は、その場で大きく飛び上がり、そして再びスッテンと床に転んだ。

 そして、転んだ拍子に勢いよく頭を打って、目の前に星を散らしながら、私は意識を失った。



 ◇◇◇◇◇


 ほこほこと温かさに包まれて、私は心地よさで目を覚ます。

 チャプチャプと聞こえる水の音。

 そして、何かに抱きしめられて私は……。


「きゃああああっ!」

「こら、落ち着け子狐」


 私は裸で誰かに抱きしめられて湯の中に浸かっていた。

 そう、私を抱きしめるその人が、とっさに暴れた私を軽々と抑え込む。


「ほら大人しくしていなさい。ケガは治してやったから、もう少しこのままで」

「ひぃぃっ! 最上様!」

「よしよし、お前は本当に昔から元気だね」


 クスクスと私の頭の上で声がする。

 濡れた服は、遥かかなたの洗い場にまとめられていた。

 やはり、どう考えても今の私は裸体のまま、最上様に背後から抱きすくめられていた。

 薬湯の色が濃く、湯の中までは見えなくても、互いの裸が触れあっている感触に顔が赤面する。

 ましてや最上様は、私をギュッと抱きしめて離さない。


「あっ、あの離して下さいまし」

「おや、以前はよく姿を見せてくれたのに、最近は隠れてばかりで寂しかったのだが」


 それは私が粗相ばかりするからと、姉様たちに裏方に回されていたから。

 そんな事も知らず、私にまでお優しい最上様は耳元で甘く鈴の音の様に囁いてくる。


「昔はよく膝の上に乗ってくれたものだが」

「そっ、それは子狐の頃でございます」

「可愛いお前は、私に金平糖を分けてくれた」

「子供の戯れでございます……お許しを」

「許す? 私は嬉しかったんだよ? あれからここに来るのは、子狐の元気な姿を見る為なんだが」


 せめて肌の密着を逃そうと、あがいて藻掻いて引き離そうとしても、ガッシリとした腕はビクリともしない。


「せっかく昔の様に抱っこしてあげているのに、どうしてこの子は暴れるのだろうね」


 私はもう恥ずかしさの限界で、無礼を承知で叫びをあげた。


「もう年頃でございます! このようなご無体はおやめくださいまし!」

「あはははっ」


 なんとか身を離して貰えたものの、素肌のままでは湯から出る事はかなわず。

 緑の湯で肌を隠して距離をとる。けれど湯けむりに浮かぶ麗しき顔はこちらを見つめて逸らさない。


「赤くなって湯あたりでもしたか? どうれ私が抱いて運んでやろう」


 伸びてくる手から逃げるように、ザブリと後ろに後ずさり必死で私は懇願した。


「後生でございます。どうか後ろを向いて下さるか、せめて目を瞑って下さいまし」

「おやおや、気にせずとも良いものを」

「私は気にします。どうかこのまま狐汁に茹で上がる前に、乙女としてここを去らせて頂きたいのです」

「ふふっ、わかったよ。私が虐め過ぎたようだ……さあ、お行き」


 スッと長いまつ毛を伏せて目を閉じた最上様に手を合わせ、私は急いで洗い場にある服の元まで走り込む。

 素早く服を手に取って、もう一度だけ振り返ると、最上様が湯の中から肩を出したまま、こちらを向いて目を瞑っている姿が見えた。

 改めて私はペコリと頭を下げて、体を隠して外に飛び出した。

 だから私は気づかなかった。


「あの子狐は本当に可愛いなぁ……。神である私が目を瞑ったとて見通す事は簡単なのに」


 さも嬉し気に今度こそ肩までつかり、ホウッと寛ぐ最上様の言葉など耳に入る事もなく。

 ともかく私は今起こった事をなかったかのように、必死で私室に飛び込み、早鐘を打つ心の音を止めようと深呼吸した。


 幼き頃より私たちがお慕いしていた最上様。

 今も変わらぬお姿は、幼子の目にも眩しくて。

 童の私たちは子狐のままに、庭で姉様たちと遊び惚けては最上様に笑われた。

 その笑顔が嬉しくて、私たちは最上様が来るたびに懐いたものだ。


 頭を撫でてくれて、膝の上に乗せてくれた。

 たかが妖の狐にそんな事をしてくれたのは、最上様だけ。

 上等の着物から香る伽羅の香りに私たちは酔いしれ、最上様の優しい音色の声にフラフラと魅了される。


 夕暮れの庭園は紅葉で赤く染まり、遊び疲れた私たちは赤い葉っぱに埋もれて眠る。

 それを優しげに見ていた最上様が、私たちの寝姿をジッと眺めていらっしゃった。

 ふと、私は感じたのだ。

 いつもの優し気な目に、少し陰りが見えた気がした。

 のそのそと姉様たちの体をおしのけ、私はトコトコと長石に座る最上様の前に出た。


「おや、お前は眠れなかったのかい? 心配しなくても起きるまで私が番をしてやるから安心してお眠り」

「ちょっと待って下さいましね」


 もそもそと私は着物の懐をまさぐり、目当ての品を取り出した。

 小さな紅葉の手のひらに乗るのは、三粒の色鮮やかな金平糖。

 最上様が土産にとくれた菓子を、私だけは食べずに大事にとっていた。


「これ、お食べ下さいまし」

「それは私がお前に与えたものだが? 不要だったのか?」

「違います。最上様は何だか悲しそうです。そういう時は甘い物を食べると元気になります」

「……寂しそう?」


 目を細めユラリと最上様の背後の気が揺れるが、幼子の私は気づかない。

 だって、いつも優しい最上様に元気になって欲しいから。

 いつも静かに微笑んで、でも今日は何やら違う事がわかるから。

 それが何かはわからないけど、ともかく最上様は元気になるべきなのだ。


「どうして私が元気がないと思った?」

「だってサクラはずーっと、ずーっと最上様を見てたから」


 紅葉の山に姉様たちと飛び込んで、ケラケラと絡まっていても、私はずっと最上様を見てた。

 だって私に優しくしてくれる、とても素敵な神様だから。

 私は突き出した金平糖を一粒つまんで、最上様の口元に差し出した。


「辛い時は甘い物を食べればいいと母様が言いました、さあどうぞ」


 真剣な私の顔に、一瞬キョトンとした最上様は、これでもかと破顔した。

 これ程に、花開くような華麗な顔は見た事がない、同時に空から祝福するように光射し最上様を明るく照らす。


「きゃあっ!」

「ああ、ああ、なんと愉快な。これ程までに愉快で心地よいのは久方ぶりだ」


 キラキラと金粉がどこからか舞い落ちて、私や最上様に降りかかる。

 神がかりな光景に固まる私の手からヒョイと金平糖をつまみ上げ、牡丹のごとき唇にポイと放り込む最上様。


「ああ、染みわたる。確かに癒されたよ」

「よ……良かったです」


 そのままヒョイと抱き上げられて、膝の上に乗せられた。

 頭を撫でられ、私はその手の心地よさにうっとりと目を細める。


「私に悲しみを訴えるものは多くとも、私の悲しみに気づくものはいなかった。お前は凄いね子狐サクラ」

「元気になれて……よか、た」


 うとうと、眠気が急に押し寄せる。

 私はそのまま最上様に包まれて、深い眠りについてしまった。


 ◇◇◇◇◇



「サクラ、一体何してたのよ」

「本当にどん臭いわね! ともかく夕餉の支度はもう終わったわよ」


 遅れた私は、姉様たちに叱られてしまった。

 手伝うはずの夕餉は整い、あとは運ぶだけ。

 けれど、それは姉様たちの仕事。


「あんたは皿洗いでもしてなさい」

「ヘタに運んで、また料理をダメにされたらかなわないもの」

「はい姉様」


 既に何度も前科のある私は文句が言えるはずもない。言われたとおりに配膳は姉様たち、洗い物は私の仕事。

 うきうきと化粧も施し、いつもより艶ある着物に着替えて姉様たちは最上様の配膳と給仕に向かう。

 同じ顔なのに、今ではまったく違う雰囲気で、姉様たちは女狐としても一流だ。

 狐の間でも人気の美女で、どうして同じ造りなのにお前は野暮ったいのかと母様がため息をつくのはいつもの事。


 賢いアヤメ姉さまが話術で楽しませ、踊りの得意なスミレ姉さまが色気で最上様を楽しませる。

 今宵の宴は、その通りに事済むはずであったのだ。


 洗い物を終えて、一人遅く夕餉を食べる。

 姉様たちは最上様の接待の為に、先に食事は済ませていた。

 本当なら、この食事の準備も私であったはずなのに申し訳ない。


「私は必要な子なのかしらね」


 つい独り言を言ってしまうが、言ったところで何も解決するはずもなく。

 せっかく美味しく食事を食べたのだし、後片付けと掃除を終えて、残り湯に浸かって寝ようかと思案する。

 ……いや、もう風呂はいい。

 思い出すのも恥ずかしい、何より相手が最上様。

 なんという粗相をしでかしたのか、ましてや助けて頂いたのに、ロクに礼もせず恥ずかしさのあまり逃げてしまった。

 私のような狐など、最上様の指先一本で消し去る事も可能だろう。

 その慈悲ゆえに見逃して貰えたとて、いつまでも甘えるわけにはいかないのだ。


「やっぱり私は、あの方の前に出る資格すらありゃしない」


 あえて自分の心に言い聞かせ、エイヤと腕をまくって掃除と片付けに取り掛かった。

 既に周囲の他の狐も、終いの支度に取り掛かり、終わったものから私室に帰る。

 さて、私もとっとと寝ようと台所を出て私室に向かう。

 だが、母様が私を呼んでいるとの事でそちらに向かった。


 女主人の母様の部屋は大きな和室連なる最奥部にあり、娘の私ですら入室するのに緊張する。

 一声かけると、即座に返事があり、戸を開いて中に入ると姉様たちも待っていた。


「さあ、これで皆が揃ったね。ともかくサクラ、お前に聞きたい事がある」


 いきなり名指しで、背筋に緊張の汗が流れる。姉様たちの視線もことの他厳しく私に突き刺さる。

 おそるおそる、私は伏せていた顔をあげて母様を見つめた。


「お前、今日は湯屋で最上様と何があった?」

「っあ……あの、私、その……」

「母様、この子は最上様を肌で誘惑したそうです」

「違うわよ、最上様が戯れにこの子を共に風呂に入れたと聞きました」

「あのっ、私、気づいたら勝手に……」

「何が勝手によ! 抜け駆けしてズルイ!」

「おやめスミレ」

「母様、でも」

「いいからおやめ。それからアヤメ、お前も黙っておいで」

「はい母様」


 興奮するスミレ姉様と何か言いたげなアヤメ姉さま、そしてどもる私はブルブルと震えるばかり。

 母様は、九尾の狐らしく毅然とした態度で私に伝えた。


「この子たちが夕餉の接待で話を聞いたんだよ。お前はなぜ最上様が共に風呂に入れたかわかるかえ?」

「ふっ……服が濡れていたからかと……」

「……本当にお前は、愚かだねぇ」


 優美な仕草で手にもつキセルをコーンと叩き灰を落とす母様。

 母様にまで愚かと言われ、私は立つ瀬もなければ居場所もない。ただ小さく縮こまっているだけ。

 両脇に座る姉様たちの視線が、より厳しく私に振り注ぐ。


「いいかいよくお聞き、つまりお前は女として所望されたという事だ」

「……はい?」

「夜伽としてお前はその身を差し出さなくてはいけないよ」

「えっ? ええっ?」

「うちはそんな宿ではないのだけれど、すでに湯屋にて粗相をしたこちらの不手際だ」


 一度言葉を切り、スィーッと深くキセルを吸い込み、そして私に向かって煙を吹きかけた。

 煙のせいだろうか、私の眼が滲んでくるのは。

 そもそも、夜伽とは何だろう?

 少なくとも、私は詫びねばならないようだ。


「相手は最上様……まったく逆らう事もできやしない。ならば女狐としてお前は相手を満足させて篭絡させてやるしかないよ」

「篭絡……そんな、私」

「そうです母様、サクラじゃ無理です。ならば私が行きます」


 横に座るスミレ姉様が手を挙げて訴える。ついでアヤメ姉様も続く。


「夜の共寝が必要ならば、同じ顔、同じ体の私たちでも事足りるはず。むしろサクラで失礼をして不敬をかうより私たちが適任です母様」


 ああ夜伽とは、寝付けぬ相手と共に床について眠ること事なのか。

 なんとなく理解した私は、それなら何とかなりそうだと小さく息をつく。

 けれど、少し小首を傾げて私たちの顔を見比べた母様。ニヤリと口元をゆがめて私たちに告げた。


「ともかく上から順に寝床に向かうといいさね。ただし、断られたら素直にお引き、わかったね」

「はい」

「はい!」

「……はい?」


 まだ今一よくわからないままに、私は姉様たちに手を引かれて、最上様の寝所に向かう。

 最上階の特別室で宿泊される最上様。

 姉様たちはともかく、私はめったにその場所に来ることもない。

 バクバクと緊張する胸を押さえて、重い足を動かして階段を上っていく。

 静かな宿屋に本日の宿泊客は最上様ただ一人。


「いい事、あんたは別に何もしなくていから、私が対応するから引っ込んでいて」


 スミレ姉さまが尖った声で私に告げた。


「あんたには無理よ。いいから私たちに任せてなさい」


 アヤメ姉さまが諭すように告げる。

 やがて、一番豪華な客室の前に辿り着く。

 先に入るは長女のアヤメ姉様。


「じゃ、行ってくる」


 静かに入り口にある呼び鈴の紐を引っ張り、チリンチリンと合図したのちに襖を開けて入っていった。

 私とスミレ姉様はその場で待つ。

 五分待ち戻らなければ、受け入れられたとして私たちはお役御免だ。


「あんたは昔から最上様に懐き過ぎよ」


 スミレ姉様が腕を組みつつ小声で言う。


「ごめんなさい」

「相手が誰だかわかっているの? あんただけでなく私たちまで影響があるってわかってる?」

「そんなつもりじゃ……」


 暗闇の板張りの廊下には、ロウソクの灯のみがユラユラと私たちの影をつくる。

 季節は冬の今、建物の中とはいえ寒さで手足が震えてしまう。

 やがて襖が静かに開き、アヤメ姉様が姿を現した。


「私ではダメだそうよ。そもそも夜伽なんて求めてないって」

「なら、もう帰って皆で寝ましょう」


 私の提案に反対したのはスミレ姉さんだ。


「ここまで来て、そういう訳にもいかないわよ」

「でも最上様は不要だって」

「でも、あんたが迷惑かけたお詫びは済んでいない」

「うっ……」


 髪をサラリとかきあげ、スミレ姉様は唇を舐めて目を細める。


「次は私よ、行ってきます」

「ちゃんと引き際は弁えなさいねスミレ」


 アヤメ姉様の声に手をヒラヒラとさせ、スミレ姉様は鈴を鳴らして中に入っていった。


「まあ、答えはわかってるんだけどね」


 小さくため息をついて、アヤメ姉様は私の頭をポンポンと叩いた。


「いい事、母様は三人順番でと言ったのよ。つまり、次はあんた」

「ええっ、でも最上様は別に不要だと言ったんでしょ?」

「……私・た・ち・はね。サクラよく聞きなさい。もし求められたら、全てを任せて一切の口答えと抵抗はやめる事」

「な……何されるの」

「やっぱり、愚図だからって女狐教育を疎かにした結果がコレよ。情けない」

「ご……ごめんなさい」


 母様の女狐教育は、年頃になった姉様たちは嬉々として学んでいたが、なぜか私はまだ早いと一人除け者だったのだ。

 女として開花していく姉様たちを見ながらも、私は何度も母様にお願いしたけれど答えは一緒。


「お前はあえて、そのままの方が良い気がする」


 そう言われて、何一つ教えて貰えていないのだ。

 それなのに、今更私に言われても困ってしまう。

 一体中で何が行われるのか? 夜伽って何? 女として求められるって事は……お酌をして歌を歌えばいいのだろうか?

 歌はこっそり練習してるから、姉様たち程上手じゃなくとも、歌える事は歌えるはず。

 三味線は苦手だけれど、踊りは動きが大きいと言われても好きな方だし。

 なんとか最上様を喜ばせてあげられるかも! 頑張って楽しませて、湯屋で迷惑をかけた事を謝罪すればいいのだ。


「うん、いけそう!」


 拳をにぎって、うんうんと頷く私を呆れた顔で見るアヤメ姉様。


「なんとなく、あんたの馬鹿な考えはわかるんだけど、忠告として余計なことはせず、朝まで頑張れば終わると思い歯を食いしばって耐えなさいな」

「えーっ、怖いなぁ」

「皆が通る道なのよ」

「皆が?」

「そうよ、相手を楽しませ満足させてこそ一人前の女狐よ」

「なら、もし私の出番があるのなら頑張るから、だから……」

「だから?」


 私は少し照れながら姉様にお願いした。


「また昔みたいに、三人で一緒にゴロゴロしたい」

「……もう子狐じゃないのよ、まったく」


 バタンと勢いよく戸が開き、スミレ姉様が泣きながら飛び出して来た。


「うわぁーん!」

「ちょっとスミレ!」

「スミレ姉様!」


 私たちは泣くスミレ姉様に駆け寄り、背中をさする。

 えぐえぐと泣くスミレ姉様は、しばらくして落ち着いたのか、ギッと私を睨みつけた。


「いい事サクラ、あんたも狐の端くれなら負けるんじゃないわよ!」

「何が?」

「神様といえども男神なんだから、女に弱いはずなのよ! わかったわね!」

「いいから、とにかく行きなさいサクラ。スミレは任せて」

「……はいアヤメ姉様」


 うながされて、私はおずおずと後ろ髪ひかれながらも鈴を鳴らす。

 耳をすませば小さく最上様の声が聞こえて、中に入っていった。

 三枚もの襖をくぐり抜け、座敷に上がり最上様を探す。

 部屋は広く畳敷きで、四方に行燈の光がボウッと浮かぶ。

 気配を辿れば、寝室に足を向け戸を開ける前に正座して頭を下げる。


「夜分恐れ入ります。最上様におかれましては、寝夜の共がご所望との事で……」


「なんの事だい? いいからおはいり」


 いつもの優し気な声に、少し安堵して戸を開ける。

 豪華な羽毛布団の上に、寝間着で寛ぐ最上様。

 部屋は薄暗く、月の灯が窓より入るのみ。行燈の光すら消えており、妖と神でなければ暗闇に包まれていただろう。


「あっ、虫の音」


 耳をすませば聞こえた音に、つい反応してしまう。


「くくっ、お前は本当に呑気で可愛いね」

「う、申し訳ありません。つい冬なのに、この寒さの中で逞しく生きる虫が気になってしまいました」

「あれは、夏越して妖になりかけのセミの仕業だよ。この冬を乗り越えれば、立派な妖になれるだろう」

「それは、幸せな事なんでしょうか?」


 つい、疑問に思って聞いてしまう。

 すると最上様は、面白そうに私の顔を見た。


「お前は本当に興味深いね、どう思う?」

「その虫が、自らそれを望むなら幸せだと思います」

「虫にも心があると思えるお前が、愛しくてたまらないな」


 愛しいという言葉は聞き間違いか?

 いきなり男女の睦言を聞かされても、どうしていいのかわからない。

 きっとこの辺りが、私が姉様たちと違って出来損ないの証なのだろう。


「ところでさっき、お前の姉たちがきた」

「はい」

「上のは迷子かと追い出した。次のは冗談だなと部屋から出した。それでお前は何をしに?」

「はい、母様に夜伽をするようにと言われました」

「……まったく困ったものだ」

「やっぱり、私では迷惑ですよね」


 そりゃそうだ。姉様たちですらダメだったのだ。私では、最上様を楽しくさせるなんて無理に違いない。

 ましてや、女狐のイロハも学んでいない未熟者。どうして女として、喜ばせる事ができようか。

 悔しさと情けなさで涙が出そうになるが、ここは最上様の前。グッと気合で耐えきった。


「お前は、夜伽の意味を理解しているのか?」

「殿方を、女として楽しませたらいいと言われました」

「それで?」

「お酒を飲むのだと思います。そして私は歌います、踊りも踊ります」

「そうかそうか、流石にもう少し育ってからにしようと思ったが、なるほどなるほど」


 怪しげに胡坐をかいて、小首をかしげて納得した様子。どういう事だろうか?

 やはり、満足にお相手できないと思われているのだろう、きっと。

 それでも姉様たちはダメだったのだ。


「どうか、私にお詫びをさせて下さいまし」

「お詫び?」

「はい、湯屋でご迷惑をおかけしました」

「むしろ僥倖であったが、まあ良い。流石にここまで用意されて、喰わぬは男の恥だろう」

「ごはん食べますか?」


 なら私は急いでお夜食を用意しなければと、勢い込んで喰いつくと、一瞬ポカンとした最上様が腹を抱えて笑い出した。


「あはははーっ、はぁ、本当に、おっ、お前は最高に愉快で可愛い子狐だ、ぷっ、ははっ」

「わっ、私は子狐じゃありません!」

「そうだったな、年頃で夜伽に来たのだったな。確かお詫びだとか?」

「そうです、そうです」

「酔わせて、歌って、踊って、女として私を楽しませてくれるのだな?」

「はい、頑張ります! ところで何食べたいですか?」


 私は手招きされて、ノシノシと最上様に四つん這いで近づいた。

 伸びた手が私の身体を掴むと同時に、なぜかコロンと布団に転がされる。


「ひぇっ!」

「では食べよう、今夜の御馳走は狐にしよう」

「いっ、痛くしないで下さいましぃ」


 語尾が震えて小さくすぼむ。まさか、ここで私が食べられてしまうとは。

 神様によっては肉を喰らう方も確かにいらっしゃる、まさか最上様もそうだとは思わなかった。


 このお宿において、神であれ宿のルールは絶対だ。

 宿の運営の邪魔するべからず、従業員を傷つけるべからずが客のきまり。

 だけど、今回に限ってはこちらが迷惑をかけたという負い目がある。

 最上様ほどの神に迷惑をかけたのだ。


 本来なら、一人ゆったりと寛げる湯屋において、私の準備が間に合わずモップで攻撃をしかけてしまった。あげくに、倒れた私を介抱させる始末。

 これは由々しき事態であり、全ては私の責任だ。

 そうだ、最初から姉様たち頼りでなく、私が犠牲になれば良かったのだ。

 グッと覚悟を決めてハタと気づく。どうして私は着物を脱がされているんだろう?


「ええっ、どうして? どうして服を」


 食べやすくする為だろうか?

 必死に手で制止しようとしてアヤメ姉様の言葉が浮かぶ。


『全てを任せて一切の口答えと抵抗はやめる事』


 確かにこれ以上のご不興をかうわけにはいかない。最初は痛いかも知れないが、我慢すればきっと魂は極楽浄土にて、痛みのない幸せが来るに違いない。

 ブルブルと両手を組んで耐える私の体を覆うように、大きな体が圧し掛かってくる。

 つぶされる寸前で、その重みは停止して、ただ互いの体の温もりが肌で交わるばかり。

 仰向けになった私の首元に、温かい息といつも香っている最上様の匂いが鼻につく。


「できるだけ痛くしないから、そのままジッとしておいで」

「お……美味しくお召し上がり下さいまし」

「ふふっ、お前は本当に喰われると思っているんだね、こんな風に」


 首元にカプリと軽く歯を立てられて、私は反射的に大きくビクついてしまう。

 けれど上から体で抑えられているので、逃げ場もなし。

 咬まれた跡を、舌で丹念に味を確かめ舐められる。


「心配しなくてもお前は殺さないよ。食べるというのは比喩であり、男女の言葉遊びみたいなものだ」

「比喩……遊び?」

「今なら止めてあげてもよい。お前はただ母親に言われただけで、私に対して何か想いがあるわけではないね?」


 想い? それは何だろう?


「私が嫌ならそう言いなさい。今なら許す、我が名において」

「……私は最上様が嫌じゃないです」

「お前は私が好きではないだろう? 最近は私を避けていた」

「私はドジで失敗ばかりするので、邪魔をしないように裏方にいただけで、私は最上様が大好きですよ?」


 そうか、誤解されていたんだ。なのに私を助けてくれた。

 最上様はやっぱり良い神様かも知れない。

 みんなは凄く強くて怖い神様だって言うけれど、私にはとても優しい特別な神様だ。


「私が姉たちに一言いってやろうか?」

「いいえ、私がドジなのが悪いんです。もっと頑張らないと」


 ほら、こんなに私を気遣ってくれる。でも、どうして私の体をナデナデするの?

 時々指でなぞられると、くすぐったくて仕方ない。


「私は頑張り屋のお前をずっとみていたよ。ならば私が嫌いではないんだね?」


 私は必死にコクコクと頷いた。これで誤解も解けたはず。

 では早速起き上がって、私は最上様に食事と酒を用意して……って、あれ?


「本当にお前は私を喜ばせてくれるね。決めたよ、お前を私の愛しい番にする」

「姉様や母様が言ってました。布団の上の男の言葉は信じるなって」

「そういうところだけは、きちんと学んでいるんだなぁ……参った」


 体を少し浮かせてくれた。いつの間にか最上様の寝間着もはだけて肌もあらわになっている。

 男性の身体をきちんと見た事なんてないけれど、それでも極上に美しい事だけはわかる。

 神様っていうのは本当に凄いんだなぁと感心していたら、この世で最高の美顔が私の顔に近づいてきた。


「お前に信じて貰えるように頑張ろう」


 深く口と口を重ねられ、私の息が奪われる。

 何が起こっているのかわからない、私はホロリと涙を流すと、熱い唇がゆっくりと離れた。


「怖いか?」

「なっ、何ですかこれ? や、やっぱり食べるの?」

「いいや、私は今お前に酔っている。だからこれから楽しませてもらう」

「おっ、お酒じゃないです私」

「いいや、最高の美酒だよ。ともかく男女の交わりだから私に任せなさい」

「交わり……」

「すべての万物の生き物であれば、子孫繁栄の為に愛し合う行為だ」

「でっ、できるかなあ……私」

 何も知らなくても大丈夫だろうか? 交わりで赤子を作る行為はそれとなくは知っている程度。

 男と女が抱き合って、互いに口づけを交わしたあとに子が欲しいと願えばいいのだ。

 ふと言ってしまった。


「私は赤子を産むんですか?」

「嫌か?」

「まだ早いかと」

「そうだね、お前はまだ幼い。だからこれから私が、大人にしてあげるから信じて任せなさい。私が好きなんだろう?」


 そうだ、私は最上様を信じてる。だからともかく任せればいいのだろう。

 お詫びだけでなく、私は最上様が好き。もし赤子ができても、きっと最上様の子なら皆が可愛がってくれるに違いない。


「さあ言って、私を愛していると」

「愛? 好きです最上様」

「うーん、まだ難しいかな」


 羞恥心で爆発しそうな私の鼓動だけが、激しくドクドクと音を鳴らす。


「恥ずかしいです、私はもう口から何かが出そうです」

「お前の口から出るのは、可愛い歌声だけだよサクラ」


 初めて名を呼ばれた事に、心が跳ねて目をしばたいた。

 私を見つめる最上様。月の光に煌めいて色づく銀の髪色と、深く蒼い空色の瞳には色とは違う熱が灯る。

 私を抱きしめ、そのまま私は愛されて、やっと夜伽の意味を知る。


 理性は既に放り捨て、喜びに意識は飲み込まれて、己の全てが消えていく。

 世界も同じく白く染まり、そのまま私の意識はいつしか落ちた。


「おや、おやすみサクラ、私の可愛い狐」


 遠くで聞こえる最上様。どうかこれで満足されたらいいのだけれど……ああ、それより。

 それより早く、体を起こして食事とお酒をご用意せねば。

 夢のうつつでフラフラと、私はそれだけを考えていた。



 ◇◇◇◇◇



 優しい光が眼に当たり、否が応でも朝が来たのを私は知った。

 目覚めて気づく腕の中。

 ほこほこ温かいのは羽毛布団のせいだけでなく、私を抱擁する大きな体。


「おや、おはよう」

「おっ、おはようございます!」


 あまりにビックリして飛び起きた私は、急いでスルリと抜け出した。


「おや、逃げられた」

「さっ、昨晩は……ええっと、お楽しみでしたね?」

「ぷはっ!」


 焦った私の言葉に、朝から目を細めて笑う最上様。

 前から思うが、最上様の笑いの器が広すぎる。

 笑い上戸も良いけれど、どうも私のドジな部分に露骨に反応していらっしゃる。


 私は急いで衣服を身に着けた。


「そんなに慌てるものではないよ。男女の朝というものは、もっと情緒にあふれるものだ」

「ともかく朝餉の支度をして参ります。どうか最上様は、ごゆるりとお寛ぎ下さいまし」

「ほら、私から言ってやるから、ここに戻って休むといい」


 腕を広げてこちらに来いと言われても、私は顔を横に振る。

 顔が赤面するのを誤魔化すために、私はさっと立ち上がる。


「姉様たちだけに任せるわけにはいきませんから、失礼します」


 止める声が聞こえぬとばかりに、急いで部屋を飛び出した。

 後ろで笑う声が聞こえたが、最上様は優しいけれど少し意地悪なのかも知れない。

 私はともかく私室に飛び込み、濡れた布巾で体を清めた。

 なぜか不思議な活力に満ちているのは、昨夜愛され一つになったゆえに与えられた最上様の神気のせい。

 神が持つ命の気が、確実に私の中にある証拠に、疲れではなく冴え冴えとした気力に満ち溢れる。


 いつもの朝、少し遅れて台所に向かうと、既に朝の戦のごとく支度の準備に皆が取り掛かっていた。

 私はいつも仕込みと調理を担当している。他の狐に指示を出し、急いで朝餉をこしらえる。

 山の幸から、小魚の佃煮、卵を使っただし巻きも、簀巻きを使って型を取る。

 要領も手際も良くない私だけれど、こと調理に限っては好きな物こそ上手なれ。

 なんとか小鉢も用意して、あとはアヤメ姉様が皿に整え、スミレ姉様が配膳する。


 昨夜はきっと体力をお使いになられてお疲れなはず、ならば少しは精のつく物をと一品増やす。

 肉も食べられる様子なので、あえてヤモリの焼き物を添えてみた。喜んで頂けるだろうか?

 ふぅと一息ついて、次は私たちの賄の支度に取り掛かっていると、狐の一匹に声をかけられた。


「あんれ、またサクラ様は今日はいつも違って、何やら輝く気配がするコンコン」

「そうれそうれ、あっしもそう思ってたんでし、何かありましたかいサクラ様」

「コーン、匂いがするコン、どこかで嗅いだ覚えがあるような……」


 何匹もの狐に群がられ、私は急に恥ずかしくなり台所を飛び出した。

 そうだ、私は昨日の私と違うのだ。

 とうとう女狐になってしまった。

 恥ずかしさで顔を覆って、私は身もだえ茹で上がる。

 この身を捧げた事により、私のお詫びは済んだはず。

 今朝の食事で腹も満ち、きっと最上様のご機嫌は上々だろう。

 飛び跳ね踊るように私は次の仕事に向かおうとしていると、母様が私を呼んでいると伝えられた。

 姉様たちは別の仕事。なので私のみで母様の部屋に向かう。


「サクラでございます」

「おはいりサクラ」


 ペコリと緊張しながら母様の部屋に入る。

 優雅に座る母様の本日の衣装も豪華絢爛だ。

 九尾の狐として、その美しさで惑わし滅ぼした人の国も数知れず。

 ましてや賢い母様は、人に化けつつ沢山の知恵を授けて幾千年。

 人の世では稲荷として祭られる事もあり、狐にまつわる人の世の全ては母様に遡る。

 そんな偉大な母様を私は心から尊敬しているのだ。


「ところで昨夜は最上様に愛されたのかえ?」

「……っ、はいっ」

「そうかえ、そうかえ」


 コーンとキセルを叩いて深く吸い、再び吐いて煙らせる。

 煙に隠れて母様の顔が隠れた。


「最上様は今朝早々に御立ちになったよ」

「え?」


 先ほどまでの浮かれた気持ちが霧散する。予定では七日間のご宿泊だったはず。

 朝餉は食べたのだろうか? まずは浮かぶはご飯の心配。

 呑気な娘と大違い、九尾の狐は目をつりあげる。


「愚図でノロマであろうとも、私の子だから甘く見た。だけどお気に召されないばかりか、突然の出立に私も思うところがあるもんさ」

「わ、私が何か……したんでしょうか」


 ガクガクと私の震えが止まらない。

 どうしてどうして、何が起こったのか。

 あんなに優しく笑ってくれてたけれど、不満があって早々に、この宿から旅立ったのか。


「なんにせよお前が原因であるのは明白だ。この宿は神の癒しの場所である。なのにお前は迷惑をかけたばかりか、ご不興をかったあげくに宿の宿泊すら切り上げられた」

「ひっ」

「これが何を意味するかわかるかい?」


 この宿の掟は絶対だ。

 神すら守る規則があれば、狐が守る規則はより重い。

 つまり、神に害なす存在は不要である。

 客をもてなせないばかりか、私はどうやら最上様にここにおれないとばかりに、何か不興をかったらしい。


「もう庇いだてはできないよ。最後に抱かれ貰った神気があれば、当分は狐を喰う妖も近づけないさ。お前を野に放つ」

「そんな母様! 私はここを追い出されるのですか!」

「それが掟さね、私の子なら野狐になっても生きていけるさ」

「嫌だ嫌だ!」


 考えた事もなかった、私がここを出るなんて。

 大好きな母様や姉様たちと別れるなんて。

 どれだけ懇願し涙をしても、他の手前があるのだから掟は絶対だと許しを得る事はかなわず。

 私はトボトボと風呂敷に荷物をまとめて勝手口から外に出た。

 姉様たちが見送りに、私に向かって助言をくれる。


「この宿は神様ですらきまりは守る、神が守るのに狐が守らないわけにはいかないの。母様だって苦しいのよ」

「……はい、アヤメ姉様」

「いいこと、ヘタに生き物をくらうのではなく果物をみつけなさい。あんたドジだからそれが一番効率がいいわ」

「……はい、スミレ姉様」


 二人はいつもの調子でやいのやいのと言い放つ。けど、それがあえての演技だと私にはわかる。

 互いに、これが最後の別れになるのやもと、涙を堪えて姉様たちの言葉に頷いた。


「どうしても無理なら、こっそりここに夕刻の時にきて戸を三度叩きなさい。食べ物くらいは分けてあげるから」

「はい、姉様たち……お元気で」


 優しさに甘えそうになる。厳しくも決して私を見捨てない、本当は優しい姉様たちなのだ。

 だからこそ、私だけがわがままを言うわけにはいかない。

 自らの責任をもって、私は宿を去るしかなかった。

 お宿の皆に迷惑をかけぬ為にも。



 後ろを振り返らず、私は深い森を目指す。

 人里に降りる事も考えたが、なにぶん私は世間知らず。

 うまく生きていくにために、まずは森で体を慣らしてからだ。

 背負う荷物は小さくて、着物と少しの日用品。

 路銀も母様が入れてくれたが、そもそも使い方すら私は知らぬ。

 他の妖とも交流もなく、本当に私は狭い世界で守られて生きてきた。


 鉛のように重い足取りで、ひたすら道なき木々の間を歩いて進む。

 雪こそないが足先からしんしんと冷える寒さすら、悲しみ深く感覚すらニブって感じない。

 トボトボと進んでいくと、深い森の奥では日の光さえ糸のように細い。

 大きな切り株をみつけ、腰を下ろしてため息をついた。


「さて、これからどうしようか」


 まずは水と食料だ。

 果物をみつけろと姉様は言ったけれど、こんな真冬にあるわけもなし。

 水に関しては、雨露でしのぎ、食べ物に関しては木の皮でも剥ぐか、川の魚をとるしかない。

 生き抜くにはそれしか今は思いつかない。


「そもそも、私は生きるべきなのかしら」


 暗い気持ちが心に闇を落としてくるが、必死にそれを振り払う。

 ともかく頑張る事しかできない己を奮い立たせ、再び奥を目指して歩いていく。

 森を抜ければ妖の町があると聞いたことがある。

 上級妖怪の母様を恐れて、他の妖たちが離れた場所に住まうという。

 当の狐も群れるのを嫌い、あえて奥地で昔から隠れ宿を営んでいるのだ。


「なんとか町に行って仕事を探して、そうすれば生きていけるかも」


 どう行けばいいのか道も知らない、他の妖がどんなものかも知らない。

 だけど、行くべき道が決まったならば、あとは気合を入れて進むだけ。


 手足は草で擦り傷だらけ、顔は泥で汚れても、ひたすら私は三日三晩歩き続けた。

 森というのは案外広く、そしてどこまでも果てが見えない。

 こっそり姉様たちが持たせてくれた食料も尽きて、そろそろ限界が見えてきた。

 まだかまだかと気だけが焦り、必死で歩いてきたけれど、景色は全て同じに見えて心に不安が立ち込める。


 やかで大木の大きな洞を見つけると、誘われるように体を中に横たえた。

 丸く収まる穴倉で、やっと私はひと心地。

 そのまま疲れが押し寄せて、瞼が勝手に沈んでいった。


 哀れに汚れた狐が一匹。洞で眠りについた頃、空から雪がチラホラと降り始めた。

 そして、その雪は当然娘がいた狐のお宿にも降り注ぐ。

 いや、降り注ぐのは雪だけではなかった。

 宿が始まって以来の、神の逆鱗が宿の主やその娘に降り注いだ。


「どうしてアレを追い出したのか!」


 全ての龍すらひれ伏す威圧。荒々しい怒鳴り声が宿の全てを揺るがした。

 恐ろしい剣幕で激怒するのは最上神。

 対して狐の母娘は地に頭をつけて震えるばかり。


「私は確かに一度帰ると伝えたが、それはアレを迎え入れる準備の為だ」

「そ……そのような事とは知らず、我が娘がご不興をかったとばかり……」

「確かに不満だったな。いつからか私の前に来るのは上二人の娘ばかり、私が見たい末の狐は姿を見せず」


 幼き狐に癒されて、いつしか私を気遣い金平糖を差し出した子狐の成長を楽しみに通い、なのに来るのは姉狐。

 愛しき月の夜に聞けば、あれは不器用ゆえに裏方ばかりであったという。

 だから表にだせとは告げたのだが、それが表ではなく外になろうとは。

 箱入りの、生きる術すらロクに知らぬ私の子狐。


「私どもも精一杯おもてなしをさせて頂きましたが、ご満足頂けなかったのですね」


 上の娘が震える声で私に告げた。続いて次の娘も私に語る。


「私どもと末の妹は三つ子でございますれば、同じ顔、同じ体でございます。妹の不手際は私たちが代わりますゆえ」

「あれでなくてはならんのだ」


 私は深くため息をつく。


「幼き頃はお前たちもコロコロと三匹まとめて転がって、それは私の目を楽しませてくれたものを……女狐となり果てたゆえに、その愚かさは仕方なしというべきか」

「どうも行き違いで、我が娘に辛い仕打ちをしたのは事実、急いで探して連れ戻しましょう」


 九尾の言葉に、やっと私は頷いた。


「お前たちでは時間がかかる、ゆえに私が連れ戻そう」


 曇天の雪降る空を軽く見上げ、私が大きく咆哮すると、空気が裂けて雲が割れる。

 途端に天空を埋め尽くす沢山の龍が空を染め、その隙間から射す後光が私を照らす。


「聞け我が眷属よ、狐のサクラを探すのだ。まだそう遠くには行っておるまい。私の神気もまだ残っているはず、それを探せ」


 指示を下すとともに、一斉に散った龍たちの目に映る全てが私の脳裏に映される。

 眷属は私の目であり、私の分身でもあるのだ。

 風のごとく空を飛び、まもなく目当ての気配を探し出す。

 日の当たらぬ深き森の奥、洞の中からする気配。

 迷うことなく私の狐。


「見つけた」

「無事ですか!」


 姉たち二人の声が揃う。

 やれやれ狐というものは、歳を取るたびに狡猾になっていく。ゆえに素直になれぬとは。

 それは生まれた性質のせい。仕方ないのか、変わらぬアレが特別なのか。


 少し顔をあげて、私はわが身に落ちた大きな稲妻と共に空を走る。

 光は音を超えて、即座に眠る狐の元に辿り着く。

 洞の中から救い出せば、いつしか狐は積もった雪の寒さで深い眠りに落ちていた。


「ともかく温めてやらんとな。仕方ない、宿に戻って湯に浸かろう」


 抱きしめ冷たい頬に口づけしてやると、小さく「ん」と狐が鳴いた。

 なんと可憐で可愛いものか、三つ子といってもコレだけだ。

 純粋で不器用で、必死で頑張るひたむきさ。その素朴でまっすぐな気性はさぞかし狐として生き辛かろう。


「だから私の元においで」


 大事な大事な私の狐。

 抱きしめて宿に戻ってみれば、ほらお前の家族が泣いている。

 ならば野狐などにせねばよいものを、宿には宿の、狐には狐の掟があると言われても、納得し難いものがある。

 だが反省はしている様子と、何よりお前が悲しむだろうと、私は今回に限っては情けをかけてやる事にした。


 風呂に入れて温めてやると、ふわふわと幼子のように笑う姿に、つられて私も笑みを浮かべた。

 それでも起きぬものだから、ともかく狐は狐に聞くのが一番と尋ねてみれば


「冬眠に半分入っておりますゆえ、あと数日は必要かと」

「ならば、このまま連れ帰る」

「連れ帰ってどうなさるのか?」

「私の番として、花嫁として愛でると決めた」

「慰み者ではなく、狐を花嫁とは!」


 私の言葉に宿の全てが大騒ぎ。

 狐が神に嫁ぐのかと、上へ下への祭りのような騒がしさの中ですら、私の花嫁はスヤスヤと眠っていた。


「最上様のお言葉、もし嫁に出すのであればこちらにも準備がございます」

「これ以上はお前たちに任せる気はない、なにせ今回の前科があるでな」

「せめて、家族として最後の時を過ごさせて戴けませんか?」


 懇願する九尾の顔は、確かに母親の目をしていたゆえに、無碍にする事もできず受け入れた。

 そのまま眠る私の狐を預け、目覚めたら即座に連絡するようにと告げ一旦私は帰ることにする。


 すでに急ぎで最低限の迎え入れる準備はしていたが、目覚める時まで時間があれば、より一層の手入れが可能。

 部屋と着物だけでなく、小物も増やして庭も整えてやればいい。

 きっと喜び駆け回れるように、庭は広めに敷地を拡げ、あれの名の桜も植えてやればいい。


 ああ楽しい、こんなに楽しいのはいつぶりなのか。

 愛しい狐を愛でるため、あれやこれやと考えて、喜ぶ笑顔が見たいから。

 そうさな、家具も全て揃えるのではなく、あれが来てから共に選ぶのも楽しかろう。

 浮かぶ笑みのお陰だろうか、人の世の空は晴れ渡り、作物は豊作となり人々は空に向かって手を合わせた。



 ◇◇◇◇◇



 長い夢を見ていたようだ。

 目を覚ますと、いつもの部屋。

 ここで育ち暮らしてきた私の私室、違和感もなく私は身を起こす。


「あれ? 私はここを出たはずじゃ?」


 森をさまよったのは夢だったのか?

 小首をかしげつつ、それでも急いで寝間着を脱いで仕事の着物を身にまとう。

 太陽の位置からして、既に昼になっている。

 寝坊してしまった、これはしまった。

 せめて昼の支度の手伝いをしなければと、大慌てで廊下を走る私を呼び止めたのはアヤメ姉様。


「あんた何してんのよ!」

「ごめんなさい姉様、急いで昼の仕事をしますので、何かする事ありますか?」


 なければ湯屋の掃除をしようと思っていたが、どこか優し気なアヤメ姉様が私に用事を言いつけた。


「あるわよ、ともかく母様の部屋に行って頂戴」

「母様の?」

「いいから、とっとと行く! はいっ!」


 パンパンと手を叩かれて、慌てて私は駆け出した。

 けれど、また途中で今度はスミレ姉様と出くわした。

 なぜか口をあんぐり開けて私を見ている。


「あんた……起きたのいいけど、元気そうね」

「はい寝坊してごめんなさい姉様」

「本当よ、どれだけ寝るのよ! 心配したんだから! っと」


 口を閉じて、シマッタという顔をするスミレ姉様。

 私はそんな姉様にペコリと頭を下げて、母様の部屋に向かった。


「母様、サクラです」

「おや、いい所に。おはいりサクラ」


 声をかけられ、戸を開ける。

 目の前に並ぶは、見た事もない白無垢の花嫁衣裳。


「うわぁ……母様、結婚するんですか?」

「お前は本当にお馬鹿で毛色が違うねぇ。まあ、そういう所がお気に召したみたいだけれど」

「ところで母様、私は変な夢を見たんです」

「夢?」

「はい。私がここを追い出されて、森にいる夢でした」

「そうかえ、そうかえ」


 少し思案した母様は、おいでおいでと私を手招きした。

 そして、私の両目にそっと手を当て呟いた。


「悪い夢なら忘れておしまい。ほら、お前はこの衣装を着てみるんだよ」

「私が?」

「狐として、嫁入りにはプライドがあるでね」

「どうして私が?」

「そりゃあ、お前は花嫁になるからさ」

「え――――っ!!」


 あまりの衝撃に、私が叫ぶと母様の優しい手がソッと離れた。

 あぐあぐと言葉にできぬ私に母様が打掛を羽織らせる。


「ほら、お前も私に似て器量だけは良いのだから、まあ見れたもんに化けれるもんさ」

「ど、どうして……私、誰と……」

「最上様がお前を花嫁にしたいそうだよ」

「うそだー」

「ならお前は嫌いなのかい?」

「……いえ、でも」

「好きか嫌いかはっきりお言い、嫌なら私が断ってやろうじゃないか」

「でも、相手は神様ですよ母様……」

「関係ないよ、他にも神はいるんだから」


 好きか嫌いかで言えば、そりゃあ好きだ。

 だけど花嫁とは、番になるという事。

 番なれば共に住み、いつしか赤子を産む……ん?

 浮かぶは月夜のあの日に囁かれた、戯れの言葉。


「確かに、番にするって……言われた」

「それはいつの話だい?」

「夜伽で布団の上だから、信じちゃダメだと思ったの」

「布団の上での男の言葉は信じちゃいけないが、神は嘘はつかないよ」

「じゃ本当だったんだ」


 途端に私の頬に紅がさす。

 母様は安心したように、ゆっくりと頷いて、咥えていたキセルを置いた。

 そして昔のように、私を後ろから抱きしめてくれた。


「その様子じゃ、お前も満更ではなさそうだし、幸せにおなりサクラ」

「でも、でも母様。私は狐なのに、出来損ないの狐なのに、神様と結婚してもいいのでしょうか?」

「ふふっ、相手はあの最上様だ。何があろうとなんとかしてくれるさ」

「そ、そうですか」

「惚れた男を信じるのも女の器の一つだよ、さあ準備をお急ぎ。お前が目覚めたらすぐに迎えにくる勢いだ」

「ひぇっ」

「勘違いしてお前に辛い思いをさせたお詫びと、狐の嫁入りは親として立派に準備してやらないと」

「私は気にしておりません、きっと悪い夢だったのです」


 目覚めて何か世界が一変した様子、もしかしてまだ私は夢のうつつか幻か。

 姉様たちも訪れて、綺麗だいいなと大騒ぎ。

 だけど私の顔に白粉をはたき、口に紅して整えるのも姉様たちだ。

 皆が皆して私の世話して心配してくれる。

 私を愛してくれているのは知っていたけれど、再び皆でこうして団らんできるとは。


 ――ああそうか、これが愛なんだ――


 最上様が私に言わせたかった『愛』とは、きっとこれなのだ。

 何よりもかけがえのない、好きよりもっともっと大きいもの。

 私の胸に小さな花が咲いたように、最上様への想いが花開く。

 この芽生えた愛を育てていけたらいいのにな。


「私、いい花嫁になれるかな?」

「そりゃ私の妹だもの、私みたいに賢くなりなさい」

「そうよ私みたいに愛想と要領を良くすればいいの」

「何よりお前は、この九尾の狐の娘だよ。胸を張ってシャンとおし」


 嬉しくて涙がにじむと、途端に三人がかりで化粧が落ちると怒られた。

 やがて、迎えが来たとの知らせに、花嫁衣裳に整えられた私はしずしずと玄関に向かう。


 いつもはお客様を迎えるその場所で、今度は私が最上様に迎えられる。

 沢山の狐が列をなして勢ぞろい、共に並ぶは山ほどの花嫁道具の一式と、沢山の衣装が入った箪笥や葛籠。

 しとしとと小雨は降るのに、空は晴天で晴れ渡るばかり。

 立派な狐の嫁入り支度は整った。

 迎えるあちらは、沢山の龍が祝いに空を舞い、七色の虹が空一面に橋を架ける。

 この世の天地の龍を束ねるその方は、橋のふもとで待っていた。


「やあ、起きたのかい寝坊助さん」

「おはようございます」


 私と最上様の会話を聞いて、後ろの皆が頭を抱える。

 だけど最上様は、わっはっはと腹を抱えてまた笑う。


「やはり私の狐は良い狐。しかも今日は素晴らしい花嫁姿だ」

「最上様も素敵です……その衣装は一張羅?」


 いつもの服もお綺麗だけど、今日着る服は紺地に銀の縁取りの、目にも鮮やかな特別なもの。

 長い髪も後ろに結び、目元に赤い化粧がされて、より凛々しくも神々しい美しさ。

 その美顔で、少し照れた最上様が笑う。


「やあ、こんな素晴らしい狐の嫁入りだ。私も負けてはいられない」

「最上様は素敵です、でも本当に私でいいんですか?」


 つい不安になって確認してしまう。

 私を傍に抱き寄せて、私の耳元で小さくボソボソと呟かれ、その言葉に私は目を大きく見開いた。


「その名をお前にだけは許す、さあ言ってごらん。教えたままに……」

「あのっ……」

「私の真の名を呼べるのはお前だけ、さあサクラ愛しているよ」


 ついと顎をつかまれ、顔をあげさせられ、互いの視線が絡み合う。

 震える唇で、恐れ多いながらも言われた通りに言葉を紡ぐ。


「わ、私は……最上、『葉王』……様の妻として、共に愛し生きる事を誓います」

「ああ、なんと嬉しや……我が名を呼ぶは我が番、我妻である愛しきサクラ。私も永久にお前を愛する事を誓おうぞ!」


 重なる口づけに溶けていく私の心。

 初めて私は愛って伝えられたかな?

 喜ぶこの方のためならば、私の全てを捧げてもおしくない。抱き上げられて私は降り立つ龍の背に乗せられた。


「母様、姉様、またすぐ里帰りしますからねっ」

「何言ってるの馬鹿じゃないの!」

「嫁いですぐに実家帰るとか言うんじゃないの!」

「最上様、どうか不肖の娘ですが返品は受け付けますので、どうぞ宜しくお願い致します」


 母様たちに最上様は片手を挙げて意気揚々と返事した。


「心配するな、返す気もなければ、幸せに包んで離さぬつもりだ。まあ、また夫婦で泊まりにくるぞ」


 その言葉に皆が頭を下げて礼をした。


「またのお越しをお待ち申し上げます」


 私と最上様を乗せた龍はグングンと空を登り、私は宿の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。


 こうしてドジな狐は龍の神と結ばれて幸せに暮らしましたとさ。




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