白の皇帝・黒の皇帝 ~side白の皇帝 世界創世期編~ 遊んで、遊んで
「《火》神! 《火》神!」
――えへへ!
――遊んで、遊んで!
「ねぇ、《火》神! ここのお部屋に入ってもいい?」
ここの廊下は、どこまでつながっているの?
あのお部屋には、何があるの?
こっちのお部屋には、何があるの?
あなたの居宮はとっても広いから、毎日冒険ができて、とっても楽しいの。
でもね、でもね。
廊下も回廊もいっぱいあるから、気をつけないと迷っちゃうの。
あれ? 俺、どこから来たんだろう?
でも、迷っても怖くはないよ。あなたの居宮は迷路みたいで楽しいし、
「俺ね、《火》神と手をつないで歩くの、とっても好き」
こうやって大きな手をにぎって一緒に歩いているのはとっても嬉しいから、迷ったっていいの。
迷っても、いっぱいお話ししながら行きたいお部屋を一緒に探せるから、お散歩みたいで楽しいの。
どのお部屋に行っても、不思議がいっぱいなのはどうして?
あの飾りは、誰が作ったの? とってもきれいだから、俺、好き。
俺とあなたとでは背丈が全然ちがうから、あなたが使う家具はみんな、俺には大きくて不思議に見えるから、おもしろいの。
全部が全部、楽しいの。
「《火》神! 《火》神!」
――えへへ。
――遊んで、遊んで!
「ねぇ、《火》神! かくれんぼをして遊ぼう!」
□ □
「《火》神、俺がいいよって言うまでは、絶対に俺を捜しちゃだめだからね」
白の皇帝は念を押すように言って、
「そうだ、ちゃんと目も閉じていてね。絶対に見ちゃいけないんだから」
さらに付け加えて、彼が苦笑しながらゆっくりと目を閉じるのを確認すると、くすくす、と小さく笑いながらそっと部屋を出て、軽やかな足どりで廊下を駆けていく。
ぱたぱた、と素足で走る音が聞こえてきそうだが、ハイエルフ族の少年は身のこなしが軽い。肩から先は肌が見える、丈の短いチュニックを腰帯で簡単にまとめただけの軽装の少年は、細くしなやかな脚を極限まで露わにしながら、まるで舞うようにあちらこちらと駆けていく。
――さて、と。
今度はどこに隠れようか。
さきほどは、小柄な自分が身を屈めれば充分に入れる机の下に潜んでみた。
その前は柱の陰に隠れたり、ソファーの背の裏に腰を下ろして隠れてみたり。
白の皇帝は空の色とも水の色ともとれるまばらに長い水色の髪を揺らしながら、あたりをきょろきょろと見まわす。
「《火》神の居宮はとっても大きいから、隠れる場所を探すのにもひと苦労だよね」
今度はこの部屋に入って隠れようと思い、白の皇帝はこっそり入ってみたものの、自分にとっては大きく感じられる家具を隙間や背面に隠れるのは楽しいが、それはもう何度も使った手なので、そろそろ新しい隠れ場を見つけたい。
けれども、では、どこがいいのだろうかと考えると存外難しい。
白の皇帝はその場で腕組みをしてしまい、はて、と首をかしげてしまう。
そのまま、ちらり、と天井を見やると、彼ら竜族の身の丈に合わせた天井はやっぱり高いなぁと思えるものがあった。
部屋の造りは壁や扉で整然と仕切られてはいるが、ひと部屋の大きさは広く、どこに行っても狭さを感じることはない。
天井が高ければ外に面した窓もかなりの背丈があるので、採光が端々まで届いて室内も居城も昼光のおかげで気持ちのいい明りに包まれている。
部屋によってはカーテンが付けられていたり、そうではなかったりしたが、ちょうど白の皇帝が入った部屋には、まるで垂れ幕のように感じてしまうほど長いカーテンが窓のわきでまとめられていた。
それをじっと見るなり、白の皇帝は何かをひらめかせる。
ハイエルフ族の最たる特徴である、長く先端が尖った耳をぴくりと動かした。
「ふむ、カーテンか……」
□ □
――世界はいま、誕生したばかりの世界創世期。
世界の《祖》であり、最初の種族である竜族の《祖》である一匹の竜――《原始》の咆哮からそれは誕生した。
《原始》にはそれだけの力を持つ自然エネルギーを有していたが、ひとりで久遠永久コントロールするには困難だったため、《空》、《水》、《風》、《火》、《地》の五つに自然元素を分けて、最初にそれを司った竜に「神」の号を与えて「竜の五神」とし、絶対的な権力を与えた。
彼ら「竜の五神」はそれぞれ司る領域で部族を率い、一族からは族長とも呼ばれている。
そのうちのひとり、大地神に分類される《火》神はある日、朽ち果てていく砂漠の大陸でほとんど虫の息だったひとりの少年を見つけ、保護した。
――その少年の名は、白の皇帝。
ヒトの感覚でいえば一三かそこらの少年だが、彼は本来、この世界創世期の時代には存在しない種族で、この太古の時代よりはるか久遠永久の果てにある「久遠の明日」からひょんなことから迷い込んだハイエルフ族だという。
ただ、彼はただのハイエルフ族の少年ではなくて、彼らが住まう静寂な世界を統治するハイエルフ族の長であり、妖精や精霊、神獣が住まう世界を守護する世界最高峰に座し、冠を頂く唯一だという。
けれども少年にその地位の自覚はまだなく、何もかもに興味が向く好奇心旺盛で、日々、明るく楽しく過ごしている。
世界創世期の時代で保護されてからしばらくは不遇もつづいたが、それももう過ぎ去ったこと。
最初は互いに言語が異なり、言葉が通じず、意思の疎通ができず、想いも通じなかったが、理解し合えるようになったいまは、誰も彼もが白の皇帝が好ましくて愛らしくて、たまらない。
「竜の五神」たちは永遠の忠誠と愛を誓い、そのなかでも彼を保護した《火》神は白の皇帝に並みならぬ寵愛を向けて、手もとから離そうとはしなかった。
――当初。
言葉がわからず泣いてばかりいた白の皇帝にうんざりし、疎ましく感じて冷遇さえ強いた《火》神が族長として率いる《火》族の雌たち――族長の一切合財の世話をするためだけに存在する女官たちも、すっかり改心して、部族特有の苛烈な性格もすっかり穏やかになった。
白の皇帝にとって《火》神の居宮は、けっして最初からいい印象ではなかった。彼にとっては牢獄のようにも感じていたはずなのに、いまではすっかり意思の疎通がとれるようになった《火》神に、「遊んで」とせがむようになって、彼の手を取り、居宮中を駆け回っている。
それがどれほど微笑ましいことか。
彼女たち女官の唯一主である《火》神は、性格的になかなかの難物で、いまのように少年が遊びをせがんで表情やわらかに相手をするなど、誰も想像さえしなかった。
竜族は総じて上背があり、竜騎兵や竜騎士である半人半獣の雄は二〇〇センチを平均とし、雌で完全な人化をしている女官たちも一八〇センチをそうとしている。
なかでも「竜の五神」たちは二二〇センチを平均とするので、一五〇センチにも満たない白の皇帝にとって彼らは相当に大きい。
それを理由に女官たちは少年を軽んじて、「小人」などと称して呼んでいた。
「――もういいよぉ」
と、軽やかな声がひびく。
族長とかくれんぼなるものをして遊んでいる、白の皇帝の声だ。
それを合図に、族長が部屋を巡りながら歩いている。
女官にとってこれはほんとうに奇妙であり、ずいぶんと物腰も落ち着かれたと思えるほど不思議な光景であった。
「白の皇帝は隠れるのが上手い。いったい、どこへ行ったんだ?」
「えへへ、簡単には見つからないんだからね~」
「なるほど、それは手こずるな」
ずいぶんと演技がかった声で返答するのは、族長である《火》神。
上背があって体躯もよく、容姿は端正に整っているが、眉根が太く、厳しそうな表情は彼の性格をよく表している。
炎のように逆立つ髪は硬質そうで、紅蓮の目は鋭い。けれども「火」の本性は苛烈ばかりではなく慈愛もあり、彼の目元はまさに優しさに溢れている。
ただし、その優しさは寵愛の相手である白の皇帝にしか向けられてはいないが。
女官たちはふたりを見て微笑む。
「――まさか、このような日が来るとは」
「最初は我らも含んで、どうなることかと思われたけど……」
白の皇帝のすることは、何もかもが愛らしい。
とくに彼は竜族にはまだない音楽の文化に造詣が深く、《地》族の族長に作ってもらったというハープを奏でながら歌うその声は、まさに世界最高峰。初めてそれに触れたとき、誰も彼もが魅了されてしまった。
彼は身体を動かす遊びも好むが、そのように淑やかなようすで歌い、楽器を奏でることも好む。
それは見ていて安堵するが、彼の興味の持ちかた次第では、ときには見ているほうが肝を冷やすこともあるのだ――。
□ □
ある日、白の皇帝は侍る女官たちに手足の爪を切らせている《火》神を見て、
「俺も《火》神の爪を切ってみたい!」
と、言い出したことがある。
それを聞いた族長は、彼の好きにさせろ、と言ったが、爪を切るというのは仕える立場の女官たちの務めであり、いくら興味を持たれても族長が寵愛する相手に下位の務めの真似事をさせるのには意識として相当抵抗があった。
「恐れながら、これは我らが女官の務め。族長のお手入れはすぐに整えますので、少々お待ちを」
そう差しさわりがないよう、やんわりと断る方向へ持っていきたかったのだが、
「じゃあ、一本だけならいいでしょ?」
パチン、パチン、って爪を切るって、何だかおもしろそう!
などと無垢に問うてくるので、さて、どうしたらその一本もあきらめさせることができるのか、と女官たちは目配せしたが、白の皇帝に爪切りの道具を差し出さない女官たちを族長が不機嫌に凝視しはじめる。
――好きにさせろと言ったのが、聞こえなかったのか?
などと、さらに咎める口調でものを言わなくなっただけ族長も温和になったが、こちらを凝視する視線は獰猛な獣のそれだ。
早くしろ、と訴える眼光が凄まじい。
肝を冷やした女官たちは、仕方がなく白の皇帝に爪切りの道具を渡し、とにかく丁寧に、と教え込む。
「すぐに深く切ろうとしてはいけませんよ。すこしずつ、すこしずつ丁寧に切って、かたちを整えていくのです」
「すこしずつ、か。なるほど」
白の皇帝は理解したようにうなずいてみせたが、実際は爪のどこの部分まで切ったらいいのかがわからず、勢い余って族長の指の先の皮膚まで切ってしまうという惨事を起こしたことがある。
「!」
「わッ?」
さすがに刃物の一部である道具に皮膚を切られ、族長も、びくり、と身体を揺らしたが、彼はそれだけで声ひとつあげない。
かわりに、見る見るうちに指先から激しい出血がはじまり、それを目の当たりにした白の皇帝は神秘的な白い肌を蒼白にさせながら、
「どッ、どうしようッ? 《火》神ッ、ごめんなさい! 痛いよね!」
怪我をさせてしまった、その事実と、ハイエルフ族は血を好めない性質もあって、白の皇帝はパニックを起こして、わぁわぁ、と泣いてしまう始末。
傍らに侍っていた女官たちがすぐに族長の手当てをはじめるが、族長の流血と白の皇帝の泣き叫ぶ姿に動揺してしまい、
「お前たちが動揺してどうする? 白の皇帝に不安を見せるな」
と、結局は叱咤される始末になった。
「《火》神、《火》神……ッ、わぁあああん! ごめんなさい!」
「きみが気にすることはない。初めての物事にはいろいろ付きまとう。――きみに怪我がなければ、それでいい」
泣きじゃくる白の皇帝の腰に手を伸ばし、抱き寄せて族長は宥めたが、それは女官たちにとっては相当のトラウマになった。
とにかく白の皇帝が興味を持とうと、自分たちの務めをかわりにさせることだけは絶対に避けること。
何をどれだけ叱責されようと、白の皇帝に対しての族長の甘やかしに屈してはならない、と。
これは族長に対して絶対服従の僕である女官たちにとって不可思議な覚悟であったが、族長を護り、白の皇帝を護ることにつながる。けっして反意などではない。
そのような経緯もあって、《火》族族長の居宮もずいぶんと賑やかになった。
□ □
白の皇帝はその日、ずいぶんと長い時間をかけて《火》神とかくれんぼをして遊んでいた。
《火》神は最初、それがどのような遊びなのかが理解できなかったが、
「そうじゃないよ、こうするんだよ」
と、白の皇帝に何度も教わってようやく学び、少年がどこにいようと気配は察するが、あえてそれを知らぬふりをして探すというやり方を覚え、白の皇帝を楽しませることができた。
白の皇帝を抱き上げながら、《火》神は満足そうに微笑する。
「白の皇帝、きみといると何もかもが楽しい。きみはいろんなことを教えてくれる」
「ほんとう? 俺も《火》神と一緒にいると全部楽しい。今日は遊んでくれて、ありがとう!」
えへへ、と言って、白の皇帝は《火》神の首元に腕を回して抱きつく。
こんなふうに幸せだけを感じる時間が訪れようとは……。
少年と出会った当初、それは夢見ていたことだったが、現実は過酷で、ずいぶんと惨い時間を与えていていた。その負い目があるだけに、《火》神の寵愛は日を増して甘くなる。
ふたりは何度も唇を重ねながら、《火》神の寝所がある寝宮へと入る。
《火》神はそのまま寝台に腰を下ろし、膝の上に座る白の皇帝の顎を丁寧に持ち上げて、さらに深い口づけを交わす。
「ん……」
「愛している。――俺の愛しい人」
愛している。
愛している。
何度も、何度もささやいて、華奢な身体の少年を優しく抱きしめる。
もう白の皇帝はそれをされても、泣きわめいたり、逃げようとしたりはしない。向けられる愛情のすべてを理解したので、それを嬉しそうに受け入れる。
そのとき、ふと、寝台そばの棚に髪を梳かす櫛と、髪を結いあげるのに使うのだろうリボンのようなのもが目についた。
「あれ? これって……」
一瞬、女官たちが片付け忘れたものだろうか、と首をかしげて見せたが、すぐに何かを思い出す。
「そう言えば俺、《火》神の髪を梳かしてみたいって……」
昨晩、湯浴み上がりに髪を女官たちに整えられていた《火》神を見て、彼女たちに、自分もやってみたい、と言ったことがある。
だが《火》神の髪はすでに整え終わるころ合いだったし、爪きりの件があってからは、女官たちは何かと族長の世話の真似事をさせないよう遠回しに阻止してくるので、昨晩は叶わなかった。けれども、櫛で髪を梳くなら不安はないと判じたのだろうか。
白の皇帝は棚に手を伸ばし、櫛を手にする。
それは上質なつくりをしていて、少々重みがある。
「ねぇ、《火》神。これであなたの髪を整えてもいい?」
問うと、《火》神は穏やかに、
「かまわない。きみの好きなようにしなさい」
と言って、頭髪部を少年に向けてくる。
白の皇帝は嬉しそうに、さっそく《火》神の髪を櫛で梳き、前々からの疑問を口にしてみせる。
「あなたの髪って、どうしていつも逆立っているの? くせっ毛? 寝ぐせ?」
「さあ、どうだろう? 気にしたことがないからな」
《火》神の髪は硬質で、とくに後ろ髪は炎を体現しているようにつねに逆立っている。彼の髪は火焔のように赤いので、そうだと思えばまさに火の神さまだなぁと思えるものがあって、白の皇帝はくすくすと笑ってしまう。
ただ、どうしたらそれが下を向くのだろうかと思い、白の皇帝は何度も丁寧に櫛で髪を梳くが、これがなかなかうまくいかない。だから慣らすために櫛に重みがあるのだろうか。
いろいろなことを考えながら、白の皇帝は《火》神の髪を梳く。
彼と過ごす時間は楽しい。全部が全部楽しくて、しかたがない。
最初はあまりにも環境がちがいすぎた、世界創世期のこの時代。
けれどもたくさんのことを理解して、学ぶうちに、迷い込んでしまってよかったなぁ、と心底思えるようになった。
自分のそばには優しい「竜の五神」たちがいて、《火》神がいて……。
髪は何度も丁寧に梳いてはみたが、やはり逆立つ髪が下を向くことはなかった。むむむ、と思ったが、彼の髪形はこれでいいのかもしれない。
「ねぇ、《火》神」
「ん?」
「明日は何をして遊ぼうか?」