第五十六話 窮地のアンシェリーク
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夫が本当に浮気をしたかどうかですって?
そんなもの、きっぱり、はっきり浮気をしたのに違いないじゃない!
奥の神殿の手前にある藤棚はこっそりと逢引きする場所として有名だというし、黒髪の男が姉のヘンリエッタと抱きしめあっている姿をしっかり、ハッキリ目撃しているのですもの。
聖なる巫女として民衆から崇め奉られるヘンリエッタお姉様と、ファルマの海戦で英雄となったフィルベルト。強欲なお姉様は、右手にコルネリス国王陛下、左手に英雄フィルベルトをぶら下げるつもりでいるわけよ。
おかげさまで王太子だったベルナール王子の影が物凄〜く薄くなっちゃっているの。なにしろ、敵の海軍と衝突することもなく、後ろの後ろの方の船に乗っているらしいし、夜ともなると陸にあがって娼館に遊びに行っているらしいのよ。
神殿からロッテばあさんの家に戻って薬草茶を淹れて飲んでいたわけだけれど、若い衆が船に乗って海に出掛けてしまっている関係で、森の中はシンと静まり返っているようにも思えたの。
ロッテばあさんの家にはお嫁さんとか娘さんとかがいつでも居るのだけれど、今は戦時ということで外に出かけているみたい。久しぶりに帰った家に誰も居なくて、ロッテばあさんは少しだけ寂しそうにしていたのだけれど、大きなため息を吐き出して、
「大神官様もな、いよいよ諦めの境地に入ったんだな」
と、言い出したのよ。言っている意味がよく分からないわね。
宝石やら真珠やらが採れなくなったことでヘンリエッタお姉様が、
「今までの人々の女神様に対する不信心さが女神様の怒りを買うことになったのです!」
と、宣言したことで、貴族だけでなく多くの庶民まで神殿を訪れるようになったのよ。だからこそ、女神信仰自体はここ最近では一番と言って良いほどの盛り上がりを見せているのに、大神官様が諦めるって、何を諦めると言うのかしら?
「おばあさま、これだけ女神信仰が盛んになっているというのに、大神官様が何を諦めてしまうと言うのでしょうか?」
「何をじゃなくてな、ぜ〜んぶ諦めちまってんの」
「ぜ〜んぶ?」
「わかんねえのか?」
ロッテばあさんはしわしわの口を窄めてズイッと人差し指を私に向けて来た。
「民衆どもが崇め奉っているのは、コルネリス王の隣でいやらしい笑みを浮かべながら女神様もどきの格好をしているアン様のお姉様ってことになるだろう?アン様のお姉様がお祈りを捧げているからこそ、フィルの旦那は英雄になっちまったんだしな?」
本来なら平民のフィルはいくら活躍しても本島にまで轟くほどの名声を獲得することなど出来なかったのよ。それを可能にしたのはヘンリエッタお姉様のお力あってこそ。フィルの活躍が本島に届くたびに、お姉様が囃し立てられるという現象が起こっているの。
こうしてヘンリエッタお姉様は右手に王様、左手に英雄様をぶら下げるつもりなのでしょうけれど、結局、ベルナール殿下はお姉様に捨てられてしまったのよね。
「ベルナール王子が全く活躍をしなかったということも問題ですけれど、本当に殿下が廃嫡されるのでしょうか?」
フィルベルトの活躍が届くと同時に、ベルナール殿下の不甲斐なさが喧伝されているので、未だに神殿に滞在している巫女候補たちは立場がなくなっちゃっているみたいなのよ。
彼女たちは求められるままにベルナール王子に体を開いてしまっているし、最終的には側妃とか妾妃になれればそれで良いと考えていたの。実際に、コルネリス王は巫女候補となった令嬢を何人か妃として迎え入れているし、親としても正妃にならずとも後宮に送り込めればそれで良いと考えていたのでしょう。
だというのに、ベルナール王子が王太子から外されることになってしまっては、目算は大きく外れることになるわよね。ベルナール王子のために八人もの令嬢たちが集められたというのに、結局、ヘンリエッタお姉様の一人勝ち状態なのですもの。今頃、ハンカチを噛み締めてギリギリ言っているのじゃないかしら?
「国王陛下は今まで後宮で侍らしていた女たちを全て追い出してしまったからな。ベルナール王子の母親も同様に宿下りさせたもんだから、周りは大騒ぎになってるんだとよ」
「私、心の奥底から今の王家が大嫌いなのですけれど、女神様は何故、エレスヘデンの王家を見捨てることが出来ないのでしょうか?」
「ダメな男ほど情が残って捨てられねえんだろう」
「捨てて良いと思うのですけれど?」
「ほんじゃあよ、アン様は自分の夫のことを、浮気をするクソクズ男だと思っているんだろ?だったら、あっさりと捨ててしまえば良いと思うんだがね?」
「フィルとは離婚しようと思っていますのよ〜!」
ただ、王国では結婚して一年は離婚できないと言うのだもの。それにこちらの都合で結婚を強行したようなものだし、あんまり強いことは言えない状況だとも言えるのよ。
「いいや、クソでクズで嫌だと思えば、どんな困難であっても一年を待たずに家を出て行ってしまうものなんだ。森の中の一軒家に住んでいる二人だが、それが嫌ならわしの家に来たらええっちゅうに、アン様ときたら旦那との生活を選んだだろ?」
えーっと・・
「嫌だったらいくらでも逃げ出せるっちゅうのに、逃げ出さねえのは情があるからに他ならねえ」
えーっと・・
「女っていうのは情が勝っちまうとなかなか別れられねえ生き物なんだよ。どれだけ相手がろくでなしだろうが、ズブズブと末長く付き合っちまう。そんなこんなで女神様もエレスヘデンの王家を庇護したままの状態でぐずぐずしているというわけさ」
「私はダメ男で、ろくでなしのクズ男だと分かったら即座にキッパリ切りますよ!」
「アン様がそう言ってキッパリ切っちまったらフイルの旦那が哀れよな。フィルの旦那ときたら爵位だけでもアン様にプレゼントしてやりてえと言い出して、遮二無二戦い続けていたわけなんだから。そうは言っても、コルネリス王は帰国後すぐにフィルの旦那を処刑処分にするつもりみたいだけどな」
「はい?」
「いくら英雄だっつっても、公爵様の子分だというのが問題みてえなのだわ。ほら、王様は公爵様が大嫌いだから親が憎けりゃ子までも憎いって言う通り、排除してやろうっていう発想になっちまったんだわ。そんでもって、コルネリス王はアン様のお姉様を自分の正妃として迎えた後に、アン様をもとっ捕まえて子を孕ませようと考えているらしいのだわ」
あら、何かしら、恐ろしい話がロッテばあさんの口から出て来ているのだけれど。
「王様も馬鹿じゃないから、アン様のお姉様が本物の巫女ではねえことは分かっているし、女神の加護を受けているのはアン様の方だっていうことにも気が付いているんだ。だから、見栄えのする娘を正妃に据えて、本物の巫女は大事に後ろで囲い込んで、アン様が産んだ子供を姉様が産んだ子として育てるつもりみてえなんだわ」
「気持ち悪くて吐きそうなお話ですわね?それ、本当の話なんですの?」
「コルネリス王は巫女アルベルティナ様との間に子供が出来なかったし、側妃からお生まれになったベルナール殿下は巫女の血を引かねえ王子様だからな。女神様の加護を復活させるにゃ、女神の血を引く王族の子供が必要だと判断したんだろ」
いやいやいやいやいや。
「ベルナール王子だって鳥肌が立つほど嫌だっていうのに、その父親と子供を作るだなんて!死んでも嫌ですよ!」
「そうだよな、死んでも嫌だよな〜。ハハハッ、大神官様よ、アン様は死んでも嫌だって言っているぞ!」
ロッテばあさんがシワだらけの顔をくちゃくちゃにしながら笑って後ろの方を振り返ると、裏口の方から白髪で白髭の大神官様が恭しく辞儀をしながら現れたのよ。
過去編となりまして、裏切りとか、策謀とか、悪い奴とか、どんどん出てくる予定でいますので、懲りずに最後までお付き合い頂ければ幸いです!!
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