第五十五話 アンシェリークと復讐のサイン
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ほぼ、勢いだけでフィルベルトと結婚することになった私なのだけれど、自分の夫がそこまで爵位のことや子供について、必死に考えているとは思いもしなかったのよ。
それどころか私ときたら、フィルベルトはすっかり姉のヘンリエッタに夢中になっているものと思い込んでいたのだもの。私の周りの人間は、いつでも女神のように美しいヘンリエッタお姉様に夢中になってしまうものだから、彼もまた、同じように私なんか放り捨ててお姉様の方に行ってしまったのだと思ってしまったの。
そんなヘンリエッタお姉様なのだけれど、聖なる巫女様という扱いで国王陛下と共に民衆の前で女神様へ祈りを捧げ、戦勝祈願というものを毎日行うようになったのよ。自分の子供や夫を戦艦に乗せて送り出している家族もまた、毎日のように女神様に祈りを捧げに来るため、お姉様の人気たるや鰻登りのように登っていくことになったのよ。
そのうち、私の夫がどれだけ敵を倒したのかなんて話が本島まで流れて来るようになって、フィルベルトの活躍は聖なる巫女であるお姉様の祈りの後押しがあったからこそだと言われるようになったの。
アルンヘム本島は巫女様フィーバーで大騒ぎとなったのだけれど、
「アン様、そろそろお勤めの時間だで、棒っこは用意したか?」
私は奥の神殿の更に奥まった場所にある女神の泉という聖域で、ロッテばあさんと一緒に背丈の二倍の長さはある細長い棒を使って、泉をかき混ぜる作業を行い続けておりました。
神殿には聖域と呼ばれる場所が幾つもあるのだけれど、27の飛び石が置かれたこの泉はエレスヘデン周辺の海域をあらわしているのですって。ここで毎日、朝から晩まで、大神官様と七人の上級神官様がお祈りを捧げるなか、ロッテばあさんと一緒に手に持った棒で泉をぐるぐる掻き回し続けているのよ。
エレスヘデンを巡って戦いが起こるたびに、こうやって棒でぐるぐる、ぐるぐる泉の中をかき回す神事を行うそうなのだけれど、そんな泉を長い間、眺めていた大神官様が、
「この儀式もこれで終わりとなりそうですな」
と、確信を持った様子で言い出したのよ。
途中、途中で休憩を入れながらぐるぐる、棒でかき回す作業を続けていたのだけれど、八日目にしてようやっと、このよく分からない神事は終えて良いという判断をされることになったみたい。
神官様たちも延々と祝詞をあげ続けなければならないから、そりゃあ大変なのだけれど、棒でぐるぐるかき回す役目の私たちだって本当に大変だったわよ。朝から晩までぐるぐる、何故、女神の泉をぐるぐるかき回すのかといえば、海流を変化させるために行っていたっていうのよね。
「おばあさま、今更こんなことを言うのもなんですけど、こんな棒でぐるぐる回しているだけで、本当に島の周囲の海流を変えることが出来たのかしら?」
「もちろん出来たとも。どのタイミングでどういった風に海流を変えるのかということをシュトルベルク家は熟知しているから、だからこそ、その海流の変化を利用して敵を叩くことが出来るんだ」
「おばあさまは森の民と言われているけれど、神殿の神事にも加わらなくちゃいけないだなんて、そのお年でご苦労なことですわよね」
森の民と呼ばれる人は、フィルベルトと同じように魔術師としての才能を持つ人々の集まりらしいのよ。そんな森の民の長をやっているのがロッテばあさんで、大魔術師としての力と共に女神様の加護も持つとされていて、非常に稀有なる存在なのですって。
「ふょっふょっふょっ、いつもはきちんと神事が出来たかどうかと表の方がうるさくて仕方がねえんだが、アン様のお姉様が張り切ってくれているおかげで、こっちは今までにないくらいに静かでええなあ」
いつの間にか聖なる巫女様になっているお姉様は、国王陛下とも親密な間柄になっちゃっているみたいなのよね。お姉様フィーバーが大変なことになっているので、大神官様の住まいがある奥の神殿の方は本当に静かなものなのよ。
「アン様よ、フィルの旦那ももうすぐ帰って来るのだろうし、しばらくの間はうちに来ねえか?」
背丈よりも高い棒をようやっと手放したロッテばあさんが、曲がった腰をうんうん言いながら伸ばして言い出したので、私も凝り固まった筋肉をほぐしながら答えたわ。
「神殿に居た方が安全だと言っていたように思うのだけど、森に帰っても大丈夫そうなのかしら?」
「ああ、大神官様には了承を得ているから大丈夫だ」
私とロッテばあさんは奥の神殿に住まいを移動していたんだけど、神事の間は森に帰っちゃ駄目だって言われていたのよね。
「本来ならこの神事にはエレスヘデンの王様が参加をしなければならなかったんだがな」
前を歩くロッテばあさんの背中は随分と曲がっていて、しわしわの口を窄めながら言い出したのよね。
「今代の王は偽物の巫女を選ぶというんなら、勝手にしたらええという判断が下されることになったのよ」
「まあ、そうなのですか」
祈りを捧げていた上級神官様や大神官様はお片付けとか色々あるみたい。だから、私とロッテばあさんだけがその場を後にすることになったのだけれど、
「アン様よ、一つだけマークを教えておいてやろうな」
と、ロッテばあさんは私の方を振り返りながら言い出したの。
「左手を握りしめた後に人差し指と中指を伸ばして手を横に向けるだろ?その横向きの二つの指を貫くように、右手の人差し指一本を左手の後ろに付けるようにして置くんだわ」
ロッテばあさんはそう言って両手でそのサインを作り出すと言い出したのよ。
「これはな、裏切りにあった時に、そいつに天罰が降るように!と、女神様に祈るためのマークなんだわ。左手二本指を右手の人差し指で貫く姿は落雷を意味しておってなあ、女神リール様は天罰として雷を落とすなんてことは子供でも知っていることだろ?」
「まあ!このサインが雷ですの?」
裏切られたら天罰が降るように祈るのね!
「これから帰って来る夫に向かって出した方が良いサインってことかしら!」
形ばかりの妻は捨てて、女神のように美しいヘンリエッタお姉様に夢中になってしまったフィルベルトだもの。ああ、このサインをもっと前から知っていたならば、藤棚の下で逢引きをする夫に向かってやってやることも出来たのに。
「おばあさまも、旦那様に浮気をされた時にこのサインを出したりしましたの?」
「いいや、やってねえ」
ロッテばあさんは鼻でハンッと笑って言い出したのよ。
「これはとっておきのマークなんだ。あんな奴には勿体なくてやってやるわけがねえわ」
「まあ!まあ!そんなに貴重なサインですのね!」
裏切りに天誅を下すように祈るサインだなんて、なんて洒落ているのでしょう?
姉に奪われるのはいつものことですし、夫が姉の魅力に負けて私から離れてしまっても、それは本当に今まで何度も行われたことだったので、何の問題もなかったのよ。
だけど、フィルベルトは姉が大好きになった後も、私の元へわざわざ戻って来たのよ。心が奪われたのなら姉のところにずっと一緒に居れば良いものを、彼は時間が出来たら必ず私のところへ戻って来たわ。
今まで通り愛しているそぶりなんか見せながら、それでもとっても申し訳なさそうな様子で彼は私を見つめ続けたの。
「挙げ句の果てには子供を作ろうだなんて・・」
確かに、ベルナール殿下が心変わりをした時に、私自身に子供が居た方が、都合が良いだろうとは思っていたわよ。だけど、何で姉と浮気していると状態で私と子供を作るなんて話になるのかしら?私に同情したってこと?本当に腹が立つんだけど!
「男の浮気は病気のようなものだと言うけれど・・」
「わしゃ浮気は絶対に許さないタイプだもんでな」
歯が全部抜けた口でロッテばあさんはひょっひょっひょっと笑うと、
「そもそも、本当に浮気をしたのかどうか、そこからきちんと確認した方がええと思うぞ?」
と、言い出したのだった。
過去編となりまして、裏切りとか、策謀とか、悪い奴とか、どんどん出てくる予定でいますので、懲りずに最後までお付き合い頂ければ幸いです!!
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