第三十五話 何かがたりない男 ②
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金に困って見ず知らずの誰かから金を奪うことになっても、悪いことをしたなとか、自分は何ということをしてしまったのだろうかとか、そんな感情は一切浮かぶことがないフィルベルトは、
「悪そうな奴だったら何をやっても良いのだろう」
という価値観だけで動いている。
村に居る年も近い子供を痛めつけるのは間違っているが、子供たちを誘拐しようとしていた余所者を痛めつけるのは問題ないと父親に言われていたし、悪者を痛めつける分には多少過激になったとしても問題ない。だからこそ、
「やめてくれ!やめてくれよ!俺が悪かった!悪かったから助けてくれ!ギャーーッ!」
拷問のため、指の爪の下に竹串を何本も突き入れても、皮膚を一枚、一枚剥いでいったとしても心が動くことがない。
「もう殺してくれ!殺してくれーっ!」
森に移動してからというもの、次から次へと暗殺者を送り込まれてくるため、出所を探るために強かに痛めつけていたのだが、
「アンの姉だけでなく、ベルナール殿下まで人を送り込んでいたんだな・・一体何を考えているんだろうな〜」
フィルベルトは、今、指を切り落とした男が王宮の本宮に勤める近衛の兵士だということを突き止めて、大きなため息を吐き出したのだった。
ヘンリエッタが依頼をしたのはアルンヘム本島にある暗殺者ギルドであるし、ベルナール王子が動かしたのは、自分の手駒として動かすことが出来た本宮の兵士たち。暗殺は失敗に終わったと分からせるために、フィルベルトは暗殺者ギルドとベルナール王子の元にプレゼントを贈ることにした。
人間には耳がふたつも付いているので、こいつをナイフで切り落として針と糸で繋げていく。八人も殺せば十八枚の耳が連なるし、なかなか見栄えは良いようにも見えるだろう。
最初は人間の舌でそれをやろうとしたのだが、生きたまま二枚切ったところでやる気がなくなった。ぬるぬるとした人間の舌は意外と掴みづらくて、労力の割には成果が少ないように感じたから。
殺した人間は放置すると悪臭を放つようになるため、普段であれば燃えカスが残らないほど燃やしてしまうのだが、神殿内では女神の加護が強すぎて炎を使うことが出来ない。
炎は貴重な戦術の一つではあるが、別に炎が使えなくてもフィルベルトは最強だった。何かが足りないフィルベルトは、人を殺したところで心が動くことがないし、邪魔になる人間を肉片にしたところで、後悔や懺悔の心が起きることはない。
山積みにした人間の死体の上に腰を下ろしたフィルベルトは、新妻として頑張ろうとしているアンシェリークが用意してくれたサンドイッチを食べようとして、自分の血まみれの手を見下ろした。今までであれば手に血が付いていようが構うことなどなかったのだが、アンシェリークと暮らすようになってからは手を洗うための水筒を持ち歩くようになった。
人を傷つけることに躊躇しないフィルベルトは、自分を傷つけることにも躊躇しない。死体の山の上に座り込んでいたフィルベルトは、小刀を取り出すと、自分の左腕を躊躇なく傷つけた。
森に移動して数日すると暗殺者が現れるようになったのだが、一回だけヘマをやらかして腕に傷を負うことになってしまったのだ。その日は運良く捕まえた猪を担いで持って行ったのだが、世間知らずなアンシェリークはフィルベルトの怪我は猪を捕まえるときに出来た傷なのだと思い込んだ。
「ごめんなさい!私、傷の処置が上手く出来ていないわよね!」
王子から逃れるために勢いで結婚したようなものだったけれど、妻としてアンシェリークは必死になって傷の処置をしてくれたのだ。半泣きとなって手を震わせながら処置する姿があまりにも可愛かった。その姿を見ているだけで、フィルベルトの中の何かが満たされたような気がしたため、次の日は自分で怪我を作って帰ることにした。
暗殺者が全員凄腕なら良かったのだが、フィルベルトに傷を付けたのは後にも先にも一人だけ。アンシェリークに怪我の処置をしてもらうためには、自分で傷を付けるしか方法がなかったのだ。
女神のように美しい姉を持つハズレくじの妹、変わり者で迷惑ばかりかけるシャリエール伯爵家の問題児。そんな風に噂をされるアンシェリークは、ただ、ただ、家族から関心を向けられることなく放置されたまま成長した子供であり、彼女の人生はほぼ十割方が諦めで出来上がっているし、冷めた価値観を持ち合わせた人だった。
フィルベルトが生まれながらに何かが欠落していると言うのなら、アンシェリークは成長過程で何かを失い続けたのだろう。何かが欠けたアンシェリークを満たすのなら、ないものだらけの自分のような男を選ぶよりももっとふさわしい男が世の中には居るだろう。だというのに彼女の手を取ったのは、心の奥底から彼女を捕まえたくて仕方がなかったから。
専属の護衛騎士となり、巫女候補たちのお茶会とやらで水をかけられた時に、アンシェリークは巫女候補を辞退することになった。彼女は王子の妃候補を辞退したということになるけれど、フィルベルトは彼女の専属護衛の座から外れるつもりは全くなかった。
ないものだらけのフィルベルトは、家族を死なせることになった原因となる王家への復讐を誓うことで自分の心の中を埋めることにしていたのだが、そんなフィルベルトの中にアンシェリークという存在が現れた。
王子に近付くために巫女候補に近付いたはずなのに、その王子からアンシェリークを逃すために自ら彼女の夫として名乗り出た。
「ええ〜、この専属護衛なにを言っているの〜?意味が分からないんだけど〜」
と、言われることもあったかもしれないのに、アンシェリークはフィルベルトの嘘に全力で乗っかると、あっという間にその嘘を真実のものに変えてしまったのだ。
復讐のために神殿騎士となったはずなのに、肝心の神殿から出て森の中に隠れ住む。暗殺者として送り込まれて来る王子の手駒を細切れにしていることが復讐の一つになるのかもしれないけれど、いつの間にか家族の復讐よりも、アンシェリークの方が重要になってしまったのだ。
女とのキスなんて、欲望を発散するために前もって行われるお遊びのようなもののはずなのに、
「フィルベルト!嫌でも私と寝てくださいませ!」
と言って、必死の形相でアンシェリークからキスをされた時には、歯が当たって唇から血が出たからなのか、まるで頭突きでもされたような衝撃を受けることになったのだ。
なにかがすっかりたりなくなっているフィルベルトでも、この結婚は形ばかりのものであり、決して本物にはならないだろうと思っていた。いや、本物になってはいけないと思っていた。
思っていたはずなのに、蕩けるような快楽に逆らうことも出来ず、まるで麻薬を吸い込んだかのように彼女に依存したくなる。大分減ってしまった空間に何かが注ぎ込まれるようで、渇望する気持ちだけが膨れ上がる。全くたりない、たりない、たりない、たりない。今まで多くの人からろくでなしと言われたフィルベルトだけれど、ここで我慢が出来るほど人間が出来ているわけがないのだ。
アンシェリークを幸せにするには金がたりないようにも感じるし、地位もたりないのは間違いない。王子と実の姉に命を狙われている彼女の安全を確保することは出来るが、これから彼女が憂なく幸せに暮らすためには何をすれば良いのだろう?
「フィルベルトさーん!」
死体の山の上に座り込んでいたフィルベルトに声をかけて来たのが神官見習いのマルクであり、やたらと人懐っこいマルクが声を掛けてきたということは、気が付かない間に森の浅い部分にまで来ていたということになるのだろう。
「うわっ!すごい数の死体ですね!また暗殺者ですか〜!」
妙に肝が座った幼い神官見習いは死体の山に驚いた様子を見せながらも、
「騎士団長のラウレンスさんから伝言を預かって来たんですけど、大変な現場に出会しちゃったな〜」
と言って乾いた笑い声を上げる。
「それで?伝言ってなんだ?」
フィルベルトが剣を鞘に戻すながら問いかけると、
「大陸にあるメヘレン王国と戦争になりそうなんですよ!フィルベルトさん、爵位を貰うチャンスかもしれないですよ!」
マルクは弾けるような笑みを浮かべながらフィルベルトを見上げたのだった。
過去編となりまして、裏切りとか、策謀とか、悪い奴とか、どんどん出てくる予定でいますので、懲りずに最後までお付き合い頂ければ幸いです!!
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