4)計画
その日の夜。
ジーノとラメルは執事のイクシーに呼ばれた。アレシアが話があるという。
領主夫人の居間に入ると、執事のイクシーも席に座った。
「相談がある」
とアレシアが切り出した。
「この領地で領民の子や女性に魔獣の被害が出ていると聞いた。私は形ばかりで名だけの公爵夫人だが、一応、領主の伴侶だ。領民の安全には責任がある」
アレシアがそう告げると、執事や騎士たちは何とも言えない顔をする。
アレシアの立場はあまりに複雑で微妙だった。
「お気になさらずとも・・」
執事のイクシーは、ようやく絞り出すように答えた。
「まぁ、そうなんだけどな。気にしなきゃいいんだけど。気になるから考えた。それで、孤児院の慰問に行こうと思う。孤児院の子らが森で被害に遭っているのだろう? だから、孤児院の子が森に行くのなら、私が護衛をすると提案する」
「そ、そんなことをアレシア様がなさるのですか」
「不味いだろうか? 偉そうだとか言われるのか?」
アレシアが首をかしげる。
「慰問くらいでしたら、反対はされないかと思いますが」
「では、慰問するとだけ伝えてくれ。護衛は、散歩のついでだ」
「散歩ですか」
「私の以前の仕事は魔獣だらけの森で間引きをすることだ。この辺の角兎くらいの魔獣は雑魚の中の雑魚だ。群れで襲われても殲滅できる。人の血の味を覚えた魔獣は早く駆除してしまった方が良いんだ。放っておけない。あとは、どういう点が問題なのだ?」
「・・いえ」
「実は、祖国では秘密にしていたのだが、私は治癒魔法が使える」
「ほぉ、稀な魔法ですね」
イクシーが目を見開いた。騎士のふたりも表情を変えた。
「なぜ秘密だったのですか」
ラメルが僅かに声を潜めた。
「なぜなら、私の母が側室だったからだ。王妃の産んだ王女たちよりも優れたところがあるのは不味いのだ」
アレシアは正直に答えた。
「それは・・また」
イクシーは正直過ぎるアレシアに言葉を失った。
「だが、ここで長く暮らすことになるし、領民を救える特技があるのなら話すべきだろう?」
「ありがとうございます」
イクシーはそっと頭を下げた。
「孤児院で怪我をした子がいるのなら治癒してあげようと思うのだ」
「領地で評判になってしまうでしょうけれど、良いのですか」
イクシーが気遣う。
「他領の者までは面倒をみられないと、さりげなく情報を流してくれ。この領地だけならかまわないだろう」
アレシアは鷹揚に答えた。
「イクシー殿。とりあえず、それで試してみたらどうだろう? それくらいなら問題ないのでは?」
ジーノが思いがけずアレシアの味方をしてくれた。
「そうです、ね」
イクシーはなおも考え込んでいる。
「イクシー、私の立場が問題なのか? 領民たちは私のことは理解しているのか? 私はどう思われているのだろう」
「それは・・」
イクシーはしばし迷ったのちに答えた。
「和平のために来られたと思っているはずです。国からの通達はそういうものですから」
「人質とは思われていないのか?」
アレシアが首をかしげると、その場に居た全員が息を呑んだ。
アレシアは皆の態度にさらに首をかしげた。
「・・アレシア様。国王陛下はそうは考えておられないようです」
「そうなのか。我が国の王はそのつもりで私を寄越したと思うが。寛大な国王だな、ログリア王国の王は」
アレシアは感心した。
「ごく穏やかな王であらせられます。ですが、王子殿下も同じ考えとは限りませんで」
イクシーが言いにくそうに告げる。
「ディアレフ王子はそう思っておられないんだな」
アレシアははっきりと尋ねた。
三か月も放置されればわかる。誤魔化しようがない。
「そうです。人質だとお考えです」
「それはそうだろう。本当ならもっと良い妻を娶れる立場なのだから」
アレシアは頷く。
「アレシア様は美しい姫君であらせられます」
「いや、イクシー。はっきり言って良い。魔獣討伐を生業にしていた女騎士を押しつけられたのだ。どう考えても良い縁談ではない」
アレシアは朗らかに、さほど気にもしていない様子で首を振る。
「・・アレシア様、騎士は尊敬すべき職業です」
「イクシーは完璧な執事だな」
アレシアは屈託無く答え、イクシーはそれ以上言えなくなった。
アレシアには決して伝えられないが、ディアレフ王子はアレシアのことを「魔猿」と言っていたのだ。
「あの国境線のことはなんら問題なく決まった。人質は要らない状況だった。それなのに我が父は、私を無理矢理こちらに寄越した。要らないものを貰ってディアレフ王子はさぞ迷惑だっただろう」
アレシアは淡々と告げた。
三代前のバルゼー王国の国王は戦闘狂だった。
その頃、サウザル共和国は分裂気味で内乱を起こし、ログリア王国は愚王の暗黒時代だった。
その隙に乗じて、バルゼー王国は両国から領土を奪った。
奪ったは良かったが、統治など出来ていなかった。
サウザル共和国のものだった領地は、戦闘狂の王が死んだのちに取り返されている。
ログリア王国のものであった領地はバルゼー王国から派遣された代官が治めていたが、代官は怠けていたらしい。ただ、悪者ではなかったので、領民たちに恨まれていなかったのは幸いだった。実際の領地の管理はそれまで通りに町長と村長が細々と営んでいた。
今回、バルゼー王国が、サウザル共和国とログリア王国から経済的に追い込まれ、さらに軍事的に脅しをかけられ手放すことになったのは、かつてのログリア王国の領地だ。
バルゼー王国側は、最初から諦めムードで平身低頭して明け渡した。
それでログリア王国は良いと言ってくれていたのだ。だから、余計なことまでする必要はなかった。
馬鹿な王が、ごり押ししてアレシアを呉れてやった。
アレシアが人質だとしても悲壮感がないのは、バルゼー王国はログリア王国を裏切りようがないからだ。
バルゼー王国とログリア王国は隣国ではあるが、国境のほとんどは魔獣の森だ。
魔獣の森を避けて移動しようとすると、サウザル共和国を通過しなければならない。
距離としては一日にも満たない隔たりだが、それでも軍隊が通過するなどサウザル共和国は許さないだろう。
バルゼー王国は、ログリア王国とは敵対できないのだ。だから、ログリア王国の王は、アレシアを人質ではなく「和平のために来られた」と言ってくれているのだろう。
(だが、息子のディアレフ王子は違う。王と違う考えなのは、愚息だからかな)
口には出さないがアレシアはそう判断した。
「人質と思っているのは、ディアレフ王子殿下だけか?」
アレシアは試しに尋ねてみた。
「第一王子殿下と第二王子殿下は、国王と同じお考えです。人質は要らないのだから、和平のために来られたということで良いだろうと。私が知っている限りでは、人質だと憚らずに仰ったのはディアレフ王子殿下だけです。ディアレフ王子殿下に付いている者は殿下には逆らい難いものです。ただ、国王のお考えと国の方針にも楯突くわけには参りませんで。そういう微妙なところにおります」
イクシーは正直に答えてくれたようだ。
「それは、大変だったんだな」
アレシアは思わず苦い顔をしながら労った。
「いえ。アレシア様が優れた方で安堵しております」
イクシーが頭を下げる。
アレシアはただ返答に困り笑った。本当に優秀なら要らない人質になどされなかっただろう。
だが、イクシーは本音だった。
アレシアは気性は穏やかで贅沢を好むでもなく、ここに来てから子爵や村長への対応は真摯にこなし、日々素振りや鍛錬を怠らず・・それは公爵夫人としてはどうかとも思うが。時間さえあればログリア王国の言葉や領地の歴史などを学んでいる。
完璧ともいえる。おまけに容姿も良い。
「アレシア様。私とラメルの家名で何か思うことはありませんでしたか?」
ふいにジーノが口を挟んだ。
「バルゼー王国から貴国に返還された領地は『スワラヒ』という領だったので、『スワロフ』は少し似ていると思っていた。それから、バルゼー王国の魔獣素材をよく取引していたのがネイデン伯爵家の商う商会だというのは記憶していた。やはり偶然ではなかったのか」
「ご名答。私の実家は商いを通じてバルゼー王国と関わっています。儲けさせてもらってますよ。それから、ラメルの実家はかつて領地を失っていた辺境伯です。バルゼー王国では、『スワラヒ』という発音だったとは知りませんでしたな」
ジーノは朗らかに答え、ラメルも頷いた。
「そうです。ディアレフ王子殿下は、私はアレシア王女を恨んでいるだろうと思っていたようですが、そういう無駄な思考は私はしません」
ラメルははっきりと答えた。
親族には若干、恨み辛みを持っているものもいたが、当時のことは愚王の落ち度もあった。教育を受けた者は知っているし、愚かな恨みで気持ちを乱すこともない。
ラメルは、この場ではそこまでは言わなかったが、アレシアならわかるだろうと思っていた。
「ちなみに、陛下が私を選び、ラメルはディアレフ殿下が選びました。王宮付きだった私たちを騎士団西支部に出向という形にしたのもディアレフ王子です」
ジーノが説明を付け足した。
アレシアは彼の言いたいことがわかった。
国王は、バルゼー王国にゆかりの親しい家の者をアレシアに付けてくれたのだ。
ディアレフ王子はその逆だ。おまけに、ディアレフは「王宮付き」だった彼らの所属を変えた。
「ふたりは近衛だったのか。私のために、騎士団の隊に変えられたということか」
アレシアが眉をひそめた。
「我が国では、近衛は『王国騎士団の中の近衛隊』という形ですので、大きく待遇が変わることはありません。お気になさらず」
ジーノに気にするなと言われても、アレシアは気になった。
ログリア王国ではどうか知らないが、バルゼー王国では近衛と言えば騎士の花形だ。それを変えさせられたら、その原因であるアレシアを恨みかねない。
要は、ディアレフ王子は、それほどに押しつけられた人質を嫌悪していたのだ。
「君らの複雑な立場はわかった。私としては、穏便に暮らしたい。正直に教えてもらって感謝する。だが、領民たちが私を和平のために来たと思ってくれているのなら、私はそれに応えたい。予算などに関しては口出しは出来ないが、私が手伝えることで領民が助かるならやりたいんだ」
アレシアは自分の立場はわかったが計画を変える気はなかった。
「ありがとうございます。微力ながら、アレシア様のお志にお仕えさせていただきます」
イクシーは再度、綺麗なお辞儀をした。
有能な執事イクシーはアレシアの考えを聞いたためか、領内の内政について情報をくれた。
この領地を、国が治めていた理由も教えてもらった。
ランデルエ公爵領は、以前はカーメル辺境伯領だった。けれど、辺境伯領と言っても名ばかりのものだ。隣接するのは、ほったらかしのバルゼー王国領の飛び地だ。
この度、お隣の飛び地はようやくログリア王国に戻され、今は国軍が常駐しているらしい。
そのような、面倒で複雑な国境線だった。
カーメル辺境伯領には、国境警備のための予算が国から出ていた。前カーメル辺境伯は、その予算を私物化していた。
おかげで、お取り潰しになった。
なぜ横領がバレたかというと、今回の領地返還騒ぎだ。そのときに、国の監査が入り露見したという。それで豊かなこの領地が主を失ったので、ディアレフ王子は領地をもらった。領の名前もこの地の古名であるランデルエ公爵領と変えられた。
ランデルエ公爵領は、最近まで横領するような領主の領地だったために領内は荒れていた。
イクシーは、以前は王宮勤めをしていた。
それを、ランデルエ公爵領の屋敷の執事を任されることになり、実質的には領内の統治を担っている。責任者はディアレフ王子だが、実際に仕事をしているのはイクシーだ。
「村長たちも調べが入ったのですが、村を治める村長たちは横領などとは無関係で、むしろ搾取されていた立場でしたのでお咎めなしです。私が調べましたところ、あくどい者はいないようでした。村は平穏に暮らしています。条件の悪い貧しい村もありますので、そちらには支援が必要でした。予算の流せる範囲で、物資を渡したりはしています」
「そうか」
イクシーはやはり有能だな、とアレシアは感心しながら聞いた。
「それから、私の片腕となって領の町を治めている子爵が、ジオン・コレイユ子爵です。挨拶に来たのでご存じとは思いますが。前に町を治めていたダノン・コレイユの弟です。ダノン・コレイユは、横領に関わっていたために外されました。ですが、上が悪だったためのとばっちりという側面が大きかったので、実質的にはお咎めなしです。彼の資産も大した額ではありませんでした。彼の弟のジオンは、王宮の厚生部で働いていたのを引っ張り出されたのです」
「ずいぶん色々とあった領なのだな。立て直すのは大変だっただろう」
「それはもう・・。ただ、当時は、法務部や財政部の腕利きが手伝いに来ていましたので修羅場はくぐり抜けました」
「ディアレフ王子も尽力を?」
「いえ、殿下は、そういうのは得手ではありませんので」
「ディアレフ王子の得手はなんなのだ? というか、今のお仕事はなにをされているのだ?」
「第三王子として、社交を少々・・」
「・・まぁ、わかった。イクシーが権限を渡されているのならそれで良いと思う」
アレシアはディアレフは駄目王子であることを悟った。薄々勘づいてはいたが、思う以上に酷いのかもしれない。
そんな者の伴侶になってしまった己の不運を今更ながら理解した。
今までイクシーは、アレシアに関することは、上手く言葉を濁しながら王子の側近に了解を取り付けていたらしい。
アレシアの遠出なども「アレシア様に町の景色をお見せしました」などといつもの報告に紛れ込ませ、了解させたことにしていたのだ。
人質のアレシアは知らないうちにイクシーに気遣いをさせ、幾らかの自由を得ていた。