3)遠乗り
屋敷での人質生活はなかなか居心地が良くなっていた。執事を初めとする使用人たちが皆、有能な上に良い者ばかりだからだろう。
次なる望みは「遠乗り」だ。
アレシアは乗馬は得意だった。もしも戦時なら騎兵として活躍できただろう。
ここに来て早三か月が過ぎ、のんびりと良い暮らしをさせて貰っているが、どうしても馬に乗りたくなった。
そこで執事に「遠乗りに行けないか?」と相談をした。
イクシーは「了解が要りますので」と、若干、渋い顔をして答えた。
あまりしつこく言っても不味いだろうと様子見をしながら数日を過ごしていると、朗報は案外早くやってきた。
「許可がおりました」
とイクシーから返答を貰った。
アレシアに付いてきてくれるのは、例の王国騎士団の二人。ジーノ・ネイデンと、ラメル・スワロフ。
ジーノは三十代くらいの厳つい男で、ラメルは二十代半ばと思われるすらりと背の高い男だ。
ジーノは薄茶の髪に緑の目、ラメルは金髪碧眼。ふたりとも容姿は良い。王子妃の護衛に容姿の良い騎士を選んだのかもしれない。
アレシアは、ふたりの「ネイデン」と「スワロフ」という家名に聞き覚えがあったのだが、偶然なのか。そのうち、確かめることにしよう。
さらに屋敷の衛兵二人も加わって総勢五人での遠乗りとなった。
この日、アレシアは国から持ってきた訓練着を着ていた。
アレシアは、ドレスやワンピースなどよりも訓練着は多く持っていた。今日は、お気に入りの少し洒落た騎士服風の訓練着を着ていた。
侍女長に「お似合いですね」と褒められて、「そうだろう。お気に入りなのだ」と機嫌良く答えて微妙な顔をされた。
よく考えてみれば、元王女のくせに訓練着をお気に入りだと嬉しそうに言うのは公爵夫人としていかがか。
(まぁ、言ってしまったものは仕方ない)
侍女長には慣れて貰おう。今更、こういう女であることは止められない。
天気の良い朝だった。厨房から弁当を持たされた。
厳つい男四人と狩人のような王女と五人でピクニックもないと思うのだが、せっかくだから貰っておいた。
「野原と湖と神殿跡地のどれが良いですか」
出る間際にジーノから尋ねられた。
「三か所も候補があるのか」
アレシアはご機嫌で尋ね返した。子供のように昨晩から楽しみにしていたのだ。
「ええ、お好みで選べるようにと思いまして。今日の天気によって変更もあると思ったんです。小雨くらいなら行ける場所と、霧が出そうなら止めておく場所と。快晴なのでどれでも良いです」
ジーノの答えにアレシアは感心した。
ジーノとラメルはふたりとも騎士団の騎士だが、ジーノの方が年上らしく気が利いて、人付き合いの良い印象がある。
ラメルも愛想が悪いわけではなく、話しかければ親身に受け答えをしてくれる。少々無口な性格なのだろう。
騎士団から王子妃の護衛のために僻地に来ているふたりが気の毒な気もするが、ふたりの態度はどちらも良かった。
「そうか。私は意外と乗馬は上手いんだ。だから、少しくらい走り難いところでも大丈夫だ。開放感を感じられるような景色の良いところがいいな」
アレシアが答えると、ジーノとラメルとで相談し、野原になった。
少々遠いということで、五人は最初からスピードを上げた。
アレシアは遠乗りのために公爵邸の馬場で久しぶりの乗馬を練習しておいたので、難なく騎士らについていく。衛兵ふたりも、ぴたりと後に従う。
風が快い。気温は遠出に丁度良いくらいだった。
ランデルエ公爵領は綺麗なところだ。豊かな穀倉地帯らしい。畑は見渡す限りたわわに実り、遙か遠くに青い山並み。風は草の香りを纏う。
通り過ぎた町並みは整っていた。裕福な領だ。
(夏はもうすぐだなぁ)
改めて思い返す。屋敷と庭ばかりで暮らしていると季節などどうでも良くなる。
こちらに来たのは初春のころだ。あれから三か月になるのだ。夫など影も形もいないままの三か月だ。
ときおり、馬を休ませた。途中から川辺の道を走っているので、馬の水飲み場には困らない。
「川の水が綺麗だな」
アレシアは水をすくって顔を洗った。
「街から離れるとやはり綺麗ですね。バルゼー王国ではこういう遠出はなかったのですか」
ジーノに尋ねられてアレシアは思い返した。
「遠乗りは国ではあまりしなかったな。どうせ遠征でさんざん馬に乗る。私は騎士団勤めだったのでね。魔獣討伐が任務の第三騎士団にいた。王都では周辺にある異界の森で警備にあたり、あとは魔獣が生息する普通の森が仕事場なんだ。行き帰りの野営地にはいつも寄る泉や川辺があった。民にとっては憩いの場の綺麗なところでも、のんびり観光するわけじゃないからな」
「第三王女殿下が、ずいぶん過酷な」
思わず、というようにラメルが呟いた。周りの皆もさすがに顔に出ている。王女の仕事とは思えない。
「私は、王妃が産んだ王女たちとはだいぶ違うからね。私の母は側室だから。第一王女と第二王女は正妃の子だし、ふたりとも政略結婚の婚約相手が決まってたから、私で我慢して貰うしかなかったんだが」
アレシアが自嘲気味に笑う。
「いえそれは。側室と仰るが、バルゼー王国では王の周りには正妃と側室殿とふたりだけとうかがっている。つまり、実質、第二妃では?」
ジーノの指摘にアレシアは頷いた。
「実質、第二妃というのは本当だよ。王妃は、妃だらけの後宮など許さなかったからね。王子と王女二人を産んだあと、王妃はそれ以上は子を望めない身体になった。王としては王子も欲しかった。それで、母を側室にしたのだが。生まれたのは王子ではなく王女だったので、それ以上の子は要らないことになった」
「なるほど」
その場に微妙な空気が漂う。
バルゼー王国での王妃の強さというか、王が尻に敷かれているというか、そういう様が浮かんだのだろう。その想像は正しかった。
騎馬での小さな旅は順調に続いた。
騎士団お薦めの草原に到着すると、そこはなだらかな丘陵となっていた。小高い丘に上れば見渡す限りの緑の草原は美しく起伏し、まるで若草色の海原のようだ。確かに絶景だ。
この季節、そこかしこが花畑になっているのだ。あそこは紫色、あそこは紅色、あそこは橙色というように。遙か向こうには小さく町並みが見える。
「これは眺めが良い。そうか、騎馬なのであまり感じなかったが、結構、高台まで来てたんだね」
アレシアは思い切り息を吸い込んだ。
「ここは、真冬以外は花畑を見渡せる隠れた観光地になってるんですよ」
衛兵のひとりがそう教えた。
「本当だ。一見の価値ありだ」
馬を休ませたのち、五人は景色を楽しみながらくつろいだ。アレシアが「もっと気楽にして貰わないとこちらも力が抜けないだろ」と護衛たちに文句を言ったので雰囲気はだいぶ緩い。
空には雉や山鳩が飛んでいる。
「弓があれば獲れるのになぁ」
アレシアが悔しそうに言うと、
「弓もされるのか」
とラメルに尋ねられた。
「私はよく後衛を務めてたからね。特に異界の森では後衛ばかりやらされた。弓と剣は同じくらいに得意だ。魔法では炎撃と雷撃ができるんだが。騎士団の仕事では魔法は使わないので」
「ほぅ? なぜですかね?」
ジーノが尋ねた。
「騎士団勤めだからね。魔導師団ではなく」
「つまり、バルゼー王国では、騎士団の騎士は得物、魔法を使うのは魔導師団だけ、と役割分担されているのか」
「基本はそうだ。前衛が騎士団、後衛が魔導師隊と役割分担がきっぱりしているのもあるけどね」
「剣に炎を纏わせたりは? 身体強化魔法も使わないんですか?」
ラメルが問う。騎士団のふたりはやり方の違いに納得がいかないらしい。
「剣に炎や雷を纏わせたりはするが、人による。得意だったら、やれば? という感じだな。身体強化はもちろん使う」
「アレシア殿下は、炎撃や雷撃を撃てるんですよね? それなりの魔力量がないと使えないでしょう?」
「私は一応、王族なので魔力量はある。それで、十代の半ばまでは魔導士団勤務も可能性としては考えてたが。でも、剣術の腕前がそこそこ良かったし、国の剣術大会で準優勝までいけたので迷いはなかったな」
「なかなかの腕前ですな」
「そこまでいけたのは一回きりだから、なんとも・・。対戦の組み合わせの運も腕に入るならそうだけど」
アレシアは苦笑した。
「いやいや、ご謙遜を。ですが、今、殿下は得物を持っていない。こういうとき雉を獲りたかったら炎撃を使えばよくないですか」
ジーノが若干、意地の悪い笑みをしている。アレシアは反論できなかった。
国では得物を持たずに遠出するなどなかった。言われた通りだ。
「学生のころは魔法の授業は必修科目だから学んではいるんだけど」
アレシアは言い訳をしながら、雉に炎撃を放ってみようと試みた。
人に熱を当てないよう、数歩離れる。
空を飛ぶ雉に狙いを定め、炎撃を飛ばした・・と、ぶわりと炎撃は放たれたが、威力はあっても飛距離がまるで足りなかった。単に、空を焦がしただけで終わった。
雉はあっという間も無く飛び去った。
「あぁ・・まぁ、こんなもんです」
アレシアが苦笑しながら振り返ると、四人は呆気にとられて雉の逃げた空を見詰めていた。
「下手なのは認めるが。そんな顔をしなくても」
アレシアが眉を下げた情けない顔をする。
「いや、威力にびっくりしたんですよ。あれだけ放てるのに、下手ですね」
ジーノが屈託なく、褒めてるのか貶してるのかわからない評をした。
「魔力はあるのでね」
アレシアは肩をすくめる。
「もっと鋭く、魔力を矢のようにして飛ばす感じで。炎の矢を作るんですよ。私の持っている魔法属性は水なんですが」
ラメルが水魔法で手本を見せた。
放たれた水は、鋭い氷の矢のようだった。金髪碧眼ですらりと男前なラメルが水の矢を飛ばす姿は凜々しくも麗しい絵になった。
「おぉ、なるほど。凄い」
アレシアは目を見開いて水の矢を眺め、「よし」と自分も再度試みた。
アレシアの放った炎撃は前のよりは鋭くなったが、ひょろりとしていて矢という感じではない。炎の鞭という風だ。
「ううむ。難しいな」
アレシアは何度も試みた。放った魔法の炎は、鞭のようになったり太った矢になったり、まるで気まぐれな炎の精霊のように色々だ。
アレシアが練習しているうちに時間が過ぎた。
「休憩しましょう」
ジーノが声をかけた。
みなで昼飯を広げた。
「私ばかりが楽しんで悪かった」
アレシアは急に冷静になっていた。
「アハハ。楽しい見物だったから良いですよ」
ジーノが答え、アドバイス役だったラメルも頷く。衛兵ふたりも苦笑している。
雑談しながら昼飯が配られた。
「やはり、食料を持ってきて良かったですな」
ジーノが料理を受け取りながら呟いていると、ふいに草原がざわめく。
「むっ、なにか来るっ。小さめの魔獣だ」
アレシアは魔力波動を感知した。
アレシアが立ち上がり視線を向けた方から、凄まじい勢いで角が近づいて来る。草原なので魔獣の体は草に隠れて見えない。
「角兎かっ」
騎士ふたりと衛兵が剣を構える。
アレシアは草の狭間に見えてきた兎の角に、訓練したばかりの炎撃を放った。
これまでで一番、矢のような炎が放てた。
ギュアッ!
兎が悲鳴を上げて頽れた。
「やったっ!」
アレシアは兎の方へ駆けつけようとするも、また角兎が跳んでくる。
「アレシア様っ」
ラメルがアレシアを守ろうと横に並ぶ。
ジーノは半歩遅れた。ラメルとアレシアの方が足が速い。
アレシアは続けざまに炎撃を放つ。放つほどに炎撃が鋭さを増し、三羽の兎を仕留めた。
護衛と見まもり役の四人はほっと安堵し、アレシアは満面の笑みを浮かべた。
「兎肉のあぶり焼きだ」
アレシアは鼻歌を歌いながらナイフを借りて兎の下越しらえをする。
衛兵ふたりは周囲を警戒し、騎士のふたりはアレシアを囲うようにしながら手元を眺めていた。
「殿下・・。手慣れてますな」
ジーノは褒めてはいるがどことなく「王女殿下が?」という呆れが滲んでいた。
「そりゃ、騎士団の仕事の一部だから」
「魔獣の調理を?」
ラメルが手伝いたくても出来ない様子でうろつきながら尋ねた。
「遠征中はね。食料は現地調達だからさ」
「第三王女でも?」
「もちろん。私は上手いほうだった。手先が器用だと褒められた」
「そ、そうですか」
王女への褒め言葉としてはどうかと思うが、アレシアは楽しそうだ。
アレシアは肉に小枝を挿して塩をふり、炎撃の火でよくあぶって配った。それぞれ、手に取りかじりつく。焼いている間に香ばしい匂いが辺りに漂い、食欲を大いに刺激した。
警戒中の衛兵たちにも「私が魔力探知するから、魔獣に関しては大丈夫だから休憩しなよ」と肉を渡す。
ふたりの衛兵は恐縮ながら受け取ると、それでも辺りを見回しながら肉をかじる。
「ほぉ、これは美味い」
ジーノが思わず声をあげた。
「うーむ、角兎のあぶり焼きがこんなに良い味だとは。煮込みよりもずっと美味いな」
ラメルもうなる。
衛兵のふたりも気に入ったらしく、肉の塊は早々になくなった。
「角兎は狩ってすぐは、あぶり焼きが美味いんだ。日を置いた肉は煮込みの方が良いかもな。時間が経つと肉がすぐにパサつくんだよ。調味料をもらってきて良かった。森に行ったらこういうこともあるだろうと思ったんだ」
アレシアは上機嫌だ。次いで、屋敷から持ってきたサンドイッチにかぶりつく。
「まさか、こんなに魔獣が出るとは思いませんでしたよ」
ラメルが苦い顔をする。
「へぇ? そう? ログリアは魔獣が本当に少ないんだな。バルゼー王国は、街から離れて森があれば魔獣が出るのが当たり前だから。これっぽっちしか出ないなんて平和だけどな」
「そうなんですか。それは、凄いというか、酷いというか」
ラメルが目を剥く。
「魔素の関係とか、様様な人のあずかり知らない原因があるらしいけど」
アレシアが肩をすくめる。
「ランデルエ公爵領はこれで魔獣が多い領地なんですよ。私どもはそう聞いてました。森の中に入ると『結構いる』とね」
ジーノがアレシアに教えた。
「それは、ずいぶん漠然とした情報だな。『結構いる』じゃ、わからないよ」
アレシアが呆れた。
「実態調査をあまりしていないんですよ」
ジーノが「ここだけの話ですがね」と声を潜める。
「第三王子の領地なのに?」
「ディアレフ王子は、領地を賜ったばかりなのです」
「それは知らなかった・・いや、知らないことばかりだけど。不勉強だったな」
「いえ、説明すべきはこちらですが。隣国の王女殿下が妃となられましたので広い領地をもらったわけです。すぐに下賜できる領地の中から選ぶように言われて、最も広い領地を選んだのはディアレフ殿下ですがね。そんなわけで、後手後手で申し訳がありません」
「いや、私自身は申し訳ないも何もないが。魔獣の討伐はこれでも得意な方だし」
アレシアは気軽にそう答えた。
「領民は助かるでしょう。被害が出ているようですから」
と言うラメルは真面目な様子だった。
「魔獣の被害が領民にあるのか? こんな少ししか魔獣が出ないのにか?」
「被害はあると聞いています。そうだろう? カイゼー」
ジーノが衛兵の名を呼んだ。
「被害はずっと出ています。先月も何人か死んでます」
アレシアの問いに衛兵が答えた。
「何人も? 狩人が」
「いえ、違います。町の者がです。狩人は身を守れるから、被害は少ないです」
アレシアの問いに答えたのも衛兵だった。
「なぜそんな? 町の者が」
「バルゼー王国では、町の者は魔獣の被害に遭わないのですか」
衛兵のひとりが、思わずと言うように尋ねた。
会話に護衛が加わるなど普通はできないが、アレシアは気にしなかった。
「もちろん、まったく遭わないわけじゃないが。街は、魔獣がなるべく出ないところに作るだろう。魔獣がさほど出ない地域なら、街に引っ込んでいれば魔獣とは無縁の生活ができるじゃないか」
「ですが、山菜を採ったり、森の幸を採りに行くことはあるでしょう」
「行けば死ぬとわかっているところには、無防備には行かないな。魔獣よけの薬草などを必ず身につけるんだ。狩人や剣を使える者がそばにいないなら行くべきじゃない。魔獣の森に近い村の者たちは、そうやって自衛しながらキノコやらを採ってるから被害に遭う村民はそれほどいないんだ」
「なるほど・・」
男たち四人はアレシアの話に聞き入った。
「もちろん、村にも魔獣が入り込むことのある危険な地域は別だ。魔獣のいるところに行くのは狩人や騎士だ。あるいは、よほど手が足りないときには衛兵もかり出されるが。狩人でもない一般の者は、基本的に守られているものだ。こんなに森のそばにいても角兎が少しばかりしか出ないのなら、よほど魔獣を知らない怖い物知らずくらいしか被害には遭わないだろう」
「町の者が被害に遭う経緯は、どうなっているんだ?」
ジーノはふたりの衛兵に問いかけた。
衛兵たちはしばらく無言で戸惑うように黙っていたが、沈黙に耐えかねたようにローリと呼ばれる若い衛兵が答えた。
「孤児院の子や貧しい家の主婦や子がいつも被害に遭うのです。彼らは、食料を調達したり薬草を採りにいって角兎に突かれて死ぬことが多いです。魔獣避けの薬草は、バルゼー王国では一般的なのかもしれませんが、この辺りでは高価なのです」
「それは・・惨いな」
アレシアはあまりのことに黙り込んだ。
それから間もなく五人は帰路についた。
アレシアは何か考え込んでいる様子で、静かな帰りだった。