2)ランデルエ公爵領領主邸にて、執事の憂鬱
ランデルエ公爵領は訳ありの領地だ。前の領主が横領で捕まり、国が管理している領地だった。
イクシーは国が派遣した領主邸の執事だ。町を治める子爵の補佐も仕事のうちだ。実質、領地運営の仕事全般に携わっている。
この領主邸で執事として働くのは心情的に重苦しいものがあった。仕事や給料などの条件的には良いのだが、イクシーの憂鬱はそういうものではない。
それを言うとログリア王国では暮らせないので淡々と日を過ごす。
この度、ログリア王国第三王子ディアレフ殿下が、バルゼー王国から姫を娶ることとなった。同時に、ディアレフ王子はランデルエ公爵となり、この領地を治めることが決まった。
ディアレフ殿下は領地に来る気配もないが、花嫁が訪れる日は知らされた。
(せめて人柄の良い方であったら助かるのだが)
イクシーはそう願っていた。
アレシア王女が到着する日。
第一印象は大切だ。ここでしくじると悪しき印象が後々まで響く。挽回するのは大変だ。
屋敷の使用人たちにもよくよく注意しておいた。
バルゼー王国からの馬車は思うよりも質素だった。馬車の質でバルゼー王国がこの婚姻をどう思っているかがおおよそ窺えるというものだ。
(まぁ、あの国の国王は評判がよろしくないですからね。こちらとしては、王女ご本人がまっとうな方であればかまいません)
イクシーは気を取り直した。
馬車から軽やかに現れた王女は、さすが元女性騎士だけあって身のこなしは淑女よりも少年を思わせるしなやかさ。
子鹿のような身軽さでひらりと舞い降りて、お付きの者がエスコートする隙も与えない。
赤みのある艶やかな金茶の髪を結い上げて、ディアレフ王子の瞳の色をしたドレスを纏っている。
イクシーは主の側近から聞いていた。
『騎士団で魔獣を狩っていた女狩人がくる。ゴツい魔猿のような女だ』
魔猿は全身に岩のごとき筋肉のついた怪力を武器とする巨大な猿の魔獣だ。
側近からそう聞いて覚悟していたというのに、とんでもない。目を奪うほどの美女だ。
王女が地味な馬車から姿を現した姿はまるで女神の降臨だった。なにしろ迎えに出たイクシーたちは、頭の中では「魔猿が出てくる」と思い込んでいた。
凜としてそこに立つ姿に屋敷の騎士や衛兵たちも見惚れた。立ち姿が美しい。体幹がしっかりとされているのだろう。それに所作を見れば身体の柔軟性もある。
皆、この王女は騎士団で本当に働いていたのだと理解した。ただの名目だけの騎士ではない。
ことに騎士たちは、彼女が王女という地位ゆえに騎士団の班長を務めていたのではなく、努力の賜であろうことを察した。
一瞬、挨拶が出遅れたが、イクシーはすぐに王女の元へ歩を進めた。
「ようこそおいでくださいました。私はランデルエ公爵家の執事、イクシーでございます」
「そうか。私はアレシア・ランデルエだ」
ランデルエ公爵家の家名を名乗る王女は、なんら気負いもない。淡々とこの婚姻を受け入れられたのだろう。
「伺っております。誠に申し訳ございません。主は王都での職務が抜けられず留守にしております。長旅でお疲れでございましょう。どうぞ、こちらへいらしてください」
王女は頷いてイクシーの招きに応じた。
それからの一週間は多忙だった。
アレシア王女は優秀な方だとすぐにわかった。
町を治める子爵や近隣の村長たちや、遠方からは村長代理の者が挨拶に訪れたが、王女は誰にもそつなく応対した。
村長たちも魔猿の花嫁という話は聞いていたために、可憐なアレシア王女を見て目を剥いた。
イクシーは一癖ありげな村長たちが一様に驚愕するため、胸の内で苦笑しながら王女の補佐に努めた。
そのうちに、王女はログリア王国の言葉をさらに堪能とするために習い始めた。元々基本は習得済みだったこともあり、聡明な王女はめきめきと上達していった。
お人柄も気さくで親しげで、イクシーたちは王族ゆえに傲慢な方ではと危惧していたが、良い意味で裏切られた。
(それにしても魔猿などと。勘違いも甚だしい)
釣書くらい届いていたはずなのに、なぜだ? と、イクシーたちは首を傾げた。
のちに、釣書の謎は慣習の違いであろうと推測された。
アレシアからの情報だ。
ログリア王国では釣書の肖像は魔導具で写すが、バルゼー王国では由緒正しき家の釣書ほど著名な画家に描かせる。ゆえにバルゼー王国王室管理室は御用達の画家に描かせ用意していたという。
ログリア王国の第三王子は、隣国の慣習など知ったことではない。そういう王子であることをイクシーは知っている。釣書の肖像が画家の絵と知った途端、魔導具で写せないようなご面相かと勝手に決めつけたのだろう。