10)襲撃
本日、一話目です。今夜はあともう一話、22時に投稿予定です。
明くる日。
アレシアは証拠隠滅とばかりに、寝台を魔法で浄化した。窓を開けて匂いも風魔法で追い出して消した。完璧だ。
身支度を整えて早朝に出る。
計画通りに遠回りに川沿いの道を走り、ランデルエ公爵領に入った。気持ち的には安堵するが、まだ気は抜けない。速度を緩めず行けるだけ進む。
ランデルエ公爵領に入ってしばらく進んだころだった。
「後ろから来てるな」
アレシアが風魔法でラメルに声をかけた。
「敵、でしょうね」
走りながら追手の様子を見る。
「アレシア様、十二分にこちらの領地に引き入れましょう」
「わかった」
ふたりは速度を上げた。
ビスフェル領内でなにかあれば因縁をつけられる。あることないこと、でっち上げられるだろう。ランデルエ公爵領内であれば、あちらも言い訳が苦しくなるはずだ。
ヒュン、と風切り音。
矢だ。
走りながら射るのは難しいだろうと油断していると、思うよりも近くを掠めていく。
アレシアは炎撃でも放ってやろうと考えたが、ラメルが後続しているので放てない。
ラメルに自分の前に出るように合図するのだが、律儀に背を守ってくれている。
敵は弓が得意だったらしく、どんどん射ってくる。
だが、それでも当たらないので、ひた走る。
(これは、もしや?)
アレシアは、結界を張ってはいない。
アレシアの後をラメルが走っているのだ。自分だけ先に張るのを躊躇っていた。
ラメルの方が矢を受けていそうなのに、当たった様子はない。
思い付くのは、ひとつだけだ。
(聖獣様の微結界か)
聖獣の加護でもっとも多いのが微結界だ。
敵は馬上で射りやすいように軽い矢を使っているだろう。まだ距離もある。
当たっても致命傷になるとも思えないが当たり所による。実際、連中は頭辺りを狙っている。だが、威力自体は大したことはないおかげで微結界で防げているのかもしれない。
これなら逃げ切れそうだ。
さらにランデルエ領の領地内へと進む。
もう諦めればよいのに追ってくるのは、ディアレフ王子の許しを得ているからだろう。失敗したときの叱責が怖いのかもしれない。
アレシアは、行く手に魔獣の波動を感知した。
「ラメル。行く手に魔獣の小群れがある。突っ切る」
風魔法を使って声を届ける。
「了解」
ラメルの声を確認すると、アレシアは群れの真ん中を目指した。
こちらは聖獣の微結界を纏っている。突っ切ることは可能だろう。
魔獣の姿が確認できた。
黒い狼。
(闇狼だ)
難敵の魔獣た。体にまとった闇で攻撃を吸収する。剣も通りにくい。闇を滑るように躱してしまう。
アレシアは光魔法を持っているのでそう怖くはない。ただ、群れとなると手強い。
光魔法で払うように避けながら退路を作り、突っ切っていく。
光魔法の苦手な闇狼たちはアレシアとラメルを通した。
(さて、連中は通れるか?)
ラメルが難なくついて来ているのを確認すると、アレシアは魔力波動を確認する。
魔獣の追手はないようだ。
・・と、後方から叫び声が聞こえてきた。
ガウガウと魔獣どものいきり立つ声に男たちの野太い悲鳴が混じり、後ろでなにがあったかは明らかだ。
(敵は十一騎だったな。後で確認しないと)
アレシアとラメルは馬を駆り続けた。
その日のうちには領内の村にたどり着き、村長家で泊めてもらった。通信の魔導具でイクシーに連絡も取っておいた。
明くる日。
領主邸から村までジーノが来た。カイゼーとローリも一緒だ。
ラメルがジーノらにあったことを伝えた。
いつも飄飄としたジーノの表情が強張った。
村の周りに人の味を覚えた狼を放っておけない、とアレシアが言い張り、狼狩りに向かった。
すでに襲撃を躱した明くる日の昼になっていた。
狼をやり過ごした辺りまでもどると、惨劇の跡が残っていた。
狼の群れが食い散らかしたのちに他の魔獣も群がったらしく、ほぼ肉など残っていない。骨だけだ。その骨も細かいものは飲み込まれたらしくなかった。
十人は確認できた。
周辺を捜索した。襲ってくる魔獣がしつこいのは人間の味を覚えたからだろう。徹底的に殲滅しておく。
敵の残りひとりの跡も見つけた。
全滅だ。馬も生き残っていなかった。
アレシアたちは闇狼の群れを見つけた。こちらが狼どもに見つけられた、とも言える。
アレシアは光魔法を狼の顔にぶち当てていく。
戦闘不能になった狼を、ラメルやジーノたちが袋叩きにする。
闇狼は、剣を使うのはもったいない。剣は通りにくいからだ。
丸太のような棒でタコ殴りにすると闇魔法で打撃を吸収しきれなくなり絶命する。
なかなか原始的、かつ、はた目から見ると残酷な戦いだ。ほどなく闇狼は壊滅した。
領主邸にもどり、イクシーとジオンにも詳細を報告した。
「わかりました」
ふたりはなにかを堪えるように表情を抑えて答えた。
領主邸に戻った夜。
そろそろ寝るか、と支度をしていると、アレシアの部屋のドアを誰かがごく控えめにノックした。
アレシアは特に警戒することもなくドアを開けると、立っていたのはラメルだった。
私服の上着を軽く羽織った格好だった。
「どうした?」
アレシアはラメルを部屋に招き入れた。
「まったく、無警戒ですね」
アレシアはラメルの苦笑交じりの言葉に「ん?」と首を傾げた。
アレシアは実際、警戒などしていなかった。する必要などどこにあるだろう。
「約束をすっかり忘れているようですね」
ラメルは後ろ手にガチャリと鍵を閉めると、咎めるように言いながらアレシアを抱きしめた。
背の高いラメルはアレシアよりも頭半分くらいは背が高い。抱きしめられるとすっぽりその胸に収まった。
「ここは防音がしっかりしていますよ」
ラメルが耳元で囁き、アレシアはようやく思い出した。
「わかった」
アレシアは頬が火照るのを感じた。もう生娘でもないのに鼓動が速まるのを抑えられない。
忙しかったために忘れていたのも悪かった。まるで不意打ちだった。
ラメルはアレシアに荒っぽい口づけをした。
口の中を弄るように嘗められる。
アレシアはすぐに息が上がってしまった。
こういう場面に慣れていない。口づけもまだ初心者だ。
熱い視線で見つめられるだけで、どうしたらよいのかわからなくなる。
アレシアはラメルに抱きかかえられるようにしてベッドに押し倒された。
「愛しています」と囁かれながら、今度はねっとりと口づけをされる。
アレシアは、ラメルは本当に自分のことが好きなのかもしれない、と感じた。
ラメルならもっと可愛らしい女を選べるだろうにと思うのだが、好かれて嬉しいと思ってしまう。
ラメルのことを仲間としては好ましいと思っていた。恋愛的な意味では考えたことはなかった。まがりなりにも自分は王子妃なのだから、考えるべきでもなかった。
(私も女だったのだな)
知らなかった。男前の騎士に好かれて胸がときめくのだから。
自分から誘った手前もあるが、拒絶する気がおきない。
二十歳になって初めての色恋なのだ。
(夢中になってしまうかもしれない・・)
嫌な予感だ。どう考えても、暗い未来しかない恋だというのに。
ラメルは優しかった。初めの口づけこそ荒々しかったが、暖かな指で撫でられるのが気持ち良い。
剣を握る手はゴツいけれど、そっと触れてくれるのが嬉しい。
目が熱くなる。
自分のような女騎士を丁寧に愛してくれる。
抱きしめられて耳元にかかる熱い吐息。
アレシアがそっと逞しい背に腕を回し、抱き返すとラメルの腕の力も強まった。
互いに繋がり、幾度も快楽の波に襲われ、何度も一瞬、気が飛び、意識があるのかないのかもわからなくなる。
掠れた声でラメルの名を呼ぶと、ラメルは切なくなるほど優しく微笑んだ。
汗に濡れた髪に色気を漂わせながら。
その夜は明け方まで繰り返し抱かれた。
明くる朝。
アレシアは自らに治癒魔法を使う羽目になった。
ラメルは自分が原因だというのに、治癒を使うアレシアを満足そうに見ている。
「また来ますからね」
と、なんら罪の意識もない様子で、アレシアの耳元で囁いた。
アレシアはラメルに色っぽく囁かれると、どうしても鼓動が速くなる。
つい「わかった」と俯いてしまった。
ラメルは、アレシアを抱きしめて髪に口づけを落とすと帰っていった。
ランデルエ領に日常が戻って来た。
あれ以来、イクシーは、ディアレフ王子に小まめに連絡を入れるのをやめた。
不審に思われないよう定期的に報告はするが、一方的に必要な報告をするだけに留めているようだ。
ディアレフ王子の側近ガロアから不愉快なことを言われそうになると、通信の魔導具が不調になったフリをして切っている。
ログリア王国の王都からランデルエ領までは、馬車で三週間ほどの距離だ。
バルゼー王国からここまでの距離と同じくらいだが、バルゼー王国から国境までは馬車道がさほど整備されていないので余計にかかっている。
ログリア王国の王都からランデルエ領までは、純粋に距離が遠いのだ。そのため、通信の魔導具も中継地に魔導具を設置して使われている。不具合が生じても幾らでも言い訳はできる。
ちなみに不具合のフリは、近衛のジーノたちがよく使っていたという方法だ。ごく軽く雷魔法を当てるのだ。
雷を当てるのはジーノが「得意だから」とやってあげている。
イクシーは何か吹っ切れたようだ、とラメルはいう。
三か月ほどは何事もなく過ごした。なんら変化のない状況が続いている。
魔獣の急激な増減はなかった。もとより、減ることはないだろうとわかっていた。魔獣は緩やかに増えているのかもしれないが、あまりにも微増なのでなんとか対処できている。
国からの助けはとうとう来ないままだ。
「こんなでは、税金を払うのが馬鹿らしい」
真面目なイクシーが愚痴をこぼす。
国に忠実なイクシーでさえこうなのだから、他は推して知るべし。
村長らは皆とっくに国など見限っていた。
イクシーは真面目過ぎた。
国に期待するなど、ジーノやラメルは最初から諦めていた。
ゆえに、「イクシー殿。国なんてそんなものですよ」と呆れ半分でそうイクシーを慰めた。
「もと近衛のジーノ殿にそんな言われるとはね」
イクシーが疲れた様子で答えた。
「近衛だからですよ、王族の近くにいましたからね。娼館と愛人宅と、劇場と別荘と酒場と賭場と。お付きで出かけるところは遊びばかり。気まぐれに殺した侍女の遺体を処理したり。部下たちには、女の王族の誘いに乗るなと言い聞かせたり。誘いに乗ってバレたら消されるのは部下の方ですからね。それで何か月も家に帰れずにいたら妻が浮気していたわけですよ。なにを期待するというんです」
ジーノが肩をすくめた。
「・・近衛の守秘義務違反になりませんか」
イクシーに問われてジーノはにやりと悪い顔になる。ラメルもだ。
「なりませんなぁ。契約魔法は毎年使うことになっていたが、ここに来てからやらずに済んで居る。王都を出たのは一年半以上も前ですよ。私とラメルは、少なくとももう半年以上は過ぎた」
「・・近衛の契約書は?」
近衛ともなると、通常の契約に、さらに契約魔法まで追加されるようだ。
騎士のような「死にやすい職種」の場合、契約魔法は、高価な永年用ではなく一年ごとになるのはどこの国も同じらしい。
「契約魔法が切れてさえいれば、かまいやしませんよ。どうせ、我が国は不敬罪がやたら厳しいんですから、それだけでもう窮屈に縛られている。近衛の守秘義務なんて、不敬罪よりも緩いくらいだ」
ジーノが吐き捨てるように言えば、ラメルも不敵に笑った。
イクシーも「ハハ」と力なく笑い、
「仰る通りですよ」
と同意した。
アレシアは『へぇ、そんな強烈な不敬罪なんだ』と嫌な予感がした。
この国は、外からはわからなかったが、恐怖政治を敷いているのだ。
「ディアレフ王子以外もか」
アレシアがぽつりと問うと、ジーノが気まずそうに頷いた。
「さすがにディアレフ王子ほどはあからさまではないですが。裏では似たようなものですね。私は実家が手広く商っていますので、王宮以外からも色々と情報はもらっています。バルゼー王国から我が国に戻ったスワロフ領は、今では元のバルゼー王国領に戻りたいと、村や町はぼやいていますよ」
「そうなのか。ラメルの実家が」
「いえ、とっくにうちは離れてますので。ジーノ隊長の方が知っています」
「もう私は、分隊長ではないんですけどね。実家の商売上の情報ですよ。バルゼー王国管轄だったころの代官は、有能とは言い難い適当な人物でしたが悪い人ではなかったらしいです。スワロフ領の町や村は、特に不都合もなく昔のままに暮らしていました」
「へぇ」
何とも言えない評価だな、とアレシアは思った。
「ところがログリア王国に戻されて、王族の遠縁の隊長率いる国境警備隊が来てから地獄になったという。娘たちは乱暴されるし、村人たちはカツアゲされる。まるでならず者だった。スワロフ領も魔獣が増えているというのに連中は狩をするでもなく、昼日中、酒を飲み、サウザル共和国の国境を越えてあちらの娼館にまで入り浸っている。おかげで、サウザル共和国にも呆れられている」
「その噂はこちらにも漏れ聞こえていますね。以前からスワロフ領の者たちは、ログリア王国の領地に戻ったらログリア王国軍が来るだろうから不安だ、と言っていた。その不安通りになったわけです」
イクシーは眉間に皺を寄せた。
「ここが辺境伯領だったころは?」
アレシアは心配になり尋ねた。
もうとっくに済んだことで心配しても遅いが、とっさに聞いてしまった。
「ランデルエ領には領兵が多くいましたので、国の兵は寄越さなかったのです。状況からみて、辺境と言っても名ばかりでしたしね。その代わり、国境警備の金だけ寄越していました。前の領主はそれを横領していたわけです。当時の領兵は、今は狩人をやっていますよ」
「そうか」
ここは無事だったのか、と少し安堵できた。しかし、横領していた領主が治めていたのだから、やはりろくでもないのには変わらない。
「サウザル共和国は今では後悔しているようです。彼らなりの善意と都合で、スワロフ領の返還を後押ししたんですよ。スワロフ領を通過してログリア王国と交易するときに、少々不便なこともあったので」
ジーノが忌々しそうに首を振る。
「ですが、スワロフ領の領民にとっては、余計なお世話だったんですよ。ならず者の国境警備隊が牛耳るようになって、前より不便も増えている。サウザル共和国は、こっそりと我が国に『おたくの国境警備隊がならず者ですよ』と告げ口しているみたいですが、うちは王族であれば神と崇めろと言いかねないような国ですからね。そんな非公式に告げ口されたって聞きやしませんよ」
歯に衣着せぬジーノの言葉に、イクシーは辛そうにしている。
アレシアが案じながら様子を見ていると、イクシーはぼそりと吐き出した。
「とんだ神がいたものですよ」
どうやらイクシーは、王家への忠誠を捨てたようだった。




