1)プロローグ
ありがとうございます。
(はぁ、人質かぁ)
アレシアは小奇麗な馬車の中、胸のうちで愚痴をこぼした。
後続の馬車には見届けるための文官と、旅の間アレシアの世話をする侍女が乗っている。
早々に殺されたりはしないだろう。生きていないと人質としての意味がない。
側室を母とする第三王女は、今日、隣国との国境がめでたく決まった祝いにログリア王国に嫁ぐ。
こちらも第三王女だが、あちらも第三王子。王太子や第二王子が相手ではないのは小国の王女を国王の隣に並べたくないからだろう。国力が違うのだ。我がバルゼー王国は下位から数えた方が良いくらいの小国。対して隣国ログリア王国は世界第四位の大国。
国境決めもこちらが必死に頭を下げて、彼らが望む土地は取り上げられて、魔獣だらけの森を国境線にして決まった。
そんな中での婚姻。
アレシアは、父から「お前は人質だ。そのように振る舞え」とあからさまに言われた。
署名した婚姻の書類には『なにかあったら嫁いできた姫の命は貰いますよ』とはどこにも書かれていなかったが、暗黙の了解というものだ。
(人質など、要らないだろ)
もう危ない森しかないのだから。魔獣だらけの森を進軍するのは面倒だから国境にしただけだ。なぜ、さらに王女を呉れてやらなければならない。
そう疑問に思ったのはアレシアだけではないはずだ。
小国の国王、つまり口をきいたことも無かった実父は駄目押しのようにアレシアを差し出した。
(クソ親父め)
腹が立ってならない。ため息が止まらない。あまりにも急に言われたので覚悟が出来ていない。なにしろ十日前だ。
関係者やその他中枢の者たちは、当然、ずっと以前から知っていたはずだ。それなのに、アレシアが婚姻しろと告げられ書面に署名させられたのが、なんと十日前。
宰相に淡々と説明されて、生まれて初めて実父に口をきいて貰ったと思ったら「お前は人質だ」。
有無を言わせず、「こちらにご署名を」と王室管理室の室長に婚姻届を指し示されたのがその数分後。呆気にとられたままペンを手に取った。
(馬鹿にしてる)
アレシアは女だてらに剣の腕が良かったので、二年前十八歳のときに学園を卒業してから騎士団で働いていた。
お飾りでも、事務方でもない。騎士として剣を振るっていた。翌週には北部にある魔獣の森へ間引きに行くことになっていた。
アレシアが所属する第三騎士団は、各地にある魔獣の森に赴き魔獣討伐を行う仕事が六割を占める。領地の領兵たちも地元の間引きは行っているが、難易度の高い森は騎士団も定期的に行っている。仕事の残りの四割は王都周辺の異界の森、つまり異界結界で覆われた魔獣の森周辺で見回りを行う。
そんな対魔獣特化の騎士団で働く第三王女がいきなり人質だ。
(せっかく国のために働いていたのに)
バルゼー王国は女でもバリバリ働く国だ。母が男爵家の出である側室生まれの王女は、当たり前のように就職した。
魔力が高く運動神経も良かったので、騎士団で狩人のように魔獣を狩る仕事は天職に思えた。それなりに功績もあった。
騎士団に入って二年目で班長に選ばれたのは、王女の肩書きは関係ない。騎士団長が「真面目によく勤めた」と言ってくれたし、部下たちも付いてきてくれた。
人質も国のためであれば我慢できる。だが、今回の人質はヘタレの国王が隣国に媚びへつらうために言い出し、隣国も「では貰っとくか」くらいの気持ちで受けた。
さらにその裏には、王妃が側室の子で魔力の高いアレシアを疎ましく思ったから、という嫌がらせがあったのだ。
アレシアがこの十日で騎士団繋がりの人伝で得た情報はそんな感じだ。
情けなくて涙も出ない。
王都から東の隣国までは馬車で三週間かかる。その道程の七割は王都から国境までの日数だ。道が整備されていないために馬車だと無駄に日数がかかる。
両国の間に魔獣の森が遮っているので、途中なんの関係もない隣国を通らせて貰う。
騎馬なら半分以下で済むが、今回は文官らと一緒に馬車だ。アレシアとしてもゆっくりで良かった。
もう自国の土を踏むことはないだろう。王都からだいぶ離れた領地など、アレシアは知らないところが多い。もちろん、途中、通らせて貰う隣のサウザル共和国も知らない。
ちなみにサウザル共和国とは、今は友好関係にある。
時間があれば観光したいところだが、丸一日ほどしか滞在しない。滞在というより、単に通過するだけだ。
アレシアは仕事の遠征は別として、旅そのものが初めてだった。魔獣の間引きで遠出はするが、観光などはしないので宿と野宿でその土地を味わうくらいなものだ。
最初のうちは落ち込んでいたアレシアは、数日もすると旅を楽しんでいた。
よく考えてみたら、もう働かなくて良いのだ。アレシアは騎士団で優雅な騎士生活をしていたわけではない。
側室の子でも第三王女だ。周りは気を遣う。一応、王族なので、死んだら困る。
おまけに、アレシアが頑張っても「どうせ王家の七光りで騎士団に入れたんだろ」という目で見られる。
そんな噂を払拭しようとさらに頑張ったが、騎士団ではうっかりアレシアを死なせないよう、魔獣の間引きで遠征しても新入りたちと一緒に安全地帯からほど近いところしか行かせて貰えない。
アレシアが図々しい性格なら良かったのだが、側室の母はびくびくと正妃に気を遣って、アレシアに「周りの方たちから疎まれないように」と言い聞かせて育てた。安全なところで討伐させられるのが色んな意味で精神的にきつく、新入り連中の倍以上の雑魚魔獣を狩ろうと頑張った。
自主訓練も人の倍はした。そんな頑張りを団長と分隊長は見ていてくれた。おかげで班長に選ばれた。最初のうち、「なんでこいつが班長?」という目で見ていた部下たちも、最近はしっかり付いてきてくれるようになったし上手くやっていた。
その結果がこれだ。
人質になった、と伝えたときの部下たちの目が忘れられない。痛ましいような、苛立つような、歯がゆいような。なんとも言えない目で、絞り出すように「ご武運を」と言ってくれた。
ただ副班長のゾイドが去り際に「死ぬくらいなら逃げてください」と怒りを抑えた声でそっと告げたのだ。
(あれは嬉しかったな)
アレシアにその選択肢はないが、それでも嬉しかった。
出発して最初のうちは眠りこけて過ごした。五日ほど経って、ようやく旅を楽しみ始めた。
アレシアは花嫁の衣装としてそれなりのドレスとおしゃれ着を王宮から支給された。王女のくせして騎士服と少々の普段着しか持っていなかったため、さすがに国の恥だと思われたらしい。
貰ったドレスはログリア王国に到着する頃に宿で着替えるとして、今は訓練着の格好だ。馬車の中でかしこまっているのは疲れるので、座席で寝転がれる楽な服を着ている。
お付きの者たちが見るからに呆れていたが、文句を言ってくることはなかった。連中にどう思われようとかまわない。王宮から派遣された者など、アレシアにとっては人質に貶めた奴らの一味みたいなものだ。
(結構、疲れてたのかもな。ログリア王国でものんびり過ごすか)
人質の仕事は逃げずに生きていることだろう。
いつか、故郷の国が約束を違え、殺されることがあるかもしれない。まず無いとは思うが、そんなのはわからない。
だが、それまではなるたけ平穏に生きたい。少しでも快適に暮らせるよう試みてみよう。
アレシアはいつしか前向きに考え始めていた。
◇◇
当たり前だが、関所は簡単に通れた。
国境での出迎えなどはなかった。王族同士のふつうの婚姻なら国境まで迎えが来るという話は聞いたことがある。出迎えを省略されたのは人質だからだろう。
人質であることを国境で再確認した、というわけだ。
(わかっていても、気落ちすることってあるんだな)
お相手の第三王子に関して、アレシアはディアレフという名しか知らない。名を呼ぶ機会もないかもしれない。
人質として、ディアレフ王子の領地の屋敷、ランデルエ公爵領領主邸にいれば良い。そういうものだろう。
今日はいよいよ領主邸に到着する。
アレシアは国から貰ったドレスを着ていた。宿で着替えをしたときは付いてきた侍女が支度を手伝ってくれた。侍女に「お肌のお手入れが足りないようです」と残念そうに言われたが、なんとか化粧で誤魔化した。
アレシアの体格に関しては、侍女は気を遣ったのか口には出さなかったが、騎士団で鍛えたアレシアは貴族令嬢にあるまじき筋肉をまとっている。女なのでさすがにムキムキではないし、「身体強化」という筋力を上げる魔法で底上げしていたため、一般的な女の狩人や女性騎士に比べると控えめな筋肉量ではあるが。
それでも、華奢とはほど遠い身体だ。ゆえに肩や二の腕を丸出しにするドレスは似合わない。夫となる第三王子が女の筋肉が好きだというのなら良いが、そんなことは万が一にもないだろう。幸い、今日のドレスは肌の露出を抑えたデザインだ。
髪も侍女が結い上げてくれた。アレシアは母と同じ金茶色の髪に菫色の瞳をしている。
王宮が選んだドレスは夫であるディアレフ王子の瞳の色らしい。灰色がかった水色で「年寄り臭い色だな」と、アレシアはうっかり思った。
アレシアにドレスを着せた侍女は「殿下によくお似合いです」とにこりともしないで言っていた。本気で言っているのか世辞かはわからない。正直なところ、似合いたくもない。
領主邸に到着すると品の良い執事らしき男性が出迎えてくれた。
「ようこそおいでくださいました。私はランデルエ公爵家の執事、イクシーでございます」
「そうか。私はアレシア・ランデルエだ」
すでに婚姻の証を交わしていることを思い出して名乗った。
「伺っております。誠に申し訳ございません。主は王都での職務が抜けられず留守にしております。長旅でお疲れでございましょう。どうぞ、こちらへいらしてください」
恭しく声をかけてはもらったが、所詮、執事だ。主はどうやら人質と会う気はないらしい。
アレシアは何も言うことはない。何か言っても不愉快な返しがあるだけだろう。人質の扱いは酷いものになるかもしれないとアレシアは覚悟していたのだ。
少なくとも、執事は丁寧だ。苦労人を思わせる白髪交じりの茶髪をきっちり撫で付けた彼は見るからに生真面目で有能そうだ。
腹でなにを思っているかは知らないが、表向きは友好的に見えるよう気遣いはしてくれるらしい。それで良しとしよう。
その後。
アレシアは執事にあれこれ世話をやかれ、屋敷の侍従長や侍女長など色々と紹介された。
「なんでもお申し付けください」
と傅かれ、それなりに居心地よく過ごした。
国から共に来ていた文官や侍女や護衛たちは帰るというので、王女らしく労っておいた。長旅ではあったが、アレシアは手の掛かる王女ではなかったのでさほど大変な任務ではなかっただろう。
アレシアがログリア王国の公爵家に到着して一週間が過ぎた。
その間、町を治める子爵や近隣の村長たちが挨拶のために訪れた。遠い村長は、挨拶状を携えた代理の遣いを寄越していた。
アレシアは丁寧に彼らに応対し、村の特産を差し入れてもらった時などは添えられた挨拶の手紙を読み、それぞれに礼状を書いた。
不慣れで戸惑っているうちに一週間などあっという間だ。
屋敷の探検もほぼ終わった。中庭だの、裏庭だのも見終わった。厨房にまでのぞきに行った。
執事にしてみれば大人しくしていて欲しかったかもしれないが、アレシアとしてはどこまで許されるのかわからないので、少しずつ様子をみながら動いた。
未だに主は見ていない。つまり、夫の顔を見ていない。なんなら、一生、見なくてもかまわないのだが、ちょっと興味がある。
相手は大国の第三王子だ。せっかくだから顔を拝んでみたい。
夫婦となるのだから婚姻の式はやるかもしれない。ひっそりと地味にやるとしても、両人が揃わないとできないのではないか。
(隣国の結婚事情なんか知らないけどな)
さらに日は過ぎ、そのうちにアレシアは夫の顔を知らないことをあまり気にしなくなった。人質らしく呑気に暮らせばそれで良い。
何かと気遣ってくれる執事に我が儘を言うことを覚え、本を読んだり素振りをしたり、領主邸の護衛と木刀で打ち合いの稽古をしたり、好きなことをした。
侍女長は少々面倒な人で、公爵夫人を少しでも見栄え良くしようと頑張ってくれている。髪や肌の手入れに香りの良い美容液を用意してくれた。
彼女はアレシアが持ってきたドレスを見てしばし考え込んだ。
「公爵閣下の瞳の色でドレスを仕立てたのでしょうけれどデザインが大人し過ぎるようですわ。奥方様はお若いのですから、胸元にビーズの刺繍とレースの飾りをあしらいましょう」
侍女長の言うことはもっともだ。色が貧相なのにデザインが殺風景なドレスは、まるで修道院の制服のようだった。
「私にレースが似合うか自信はないが」
「レースの似合わない若い女はいませんわ」
私が例外だったらどうする、とアレシアは思いながらも反論する言葉も思いつかなかったので頷いた。
「お任せする」
侍女長の腕が良かったのか、侍女たちに縫い物の達人でもいたのか、アレシアの灰色のドレスは若々しく生まれ変わった。他のドレスやおしゃれ着もいつの間にか可愛らしくなっていた。
アレシアは自国よりもよほど大事にされているような気がした。
半月も過ぎるころ、アレシアは言葉を習い始めた。
学園ではサウザル共和国とログリア王国の言語は必修だった。ゆえに、こちらに来ても困ることはなかったが、それは相手がゆっくりとわかりやすく話してくれたからにすぎない。
日常会話程度の語学力だったので、ぺらぺら喋れるようになりたいと執事のイクシーに頼んだ。
読解力も初等科レベルだったので、これも習い始めた。習うと読める本が増えた。今までは童話や子供向けくらいしか読めなかったのが、だんだん難しい本も読めるようになった。
アレシアは、学生時代は騎士団に入ったときに侮られないよう、剣術の訓練ばかりをやっていた。そのせいか座学は中の上だった。
あまり勉強しないで中の上なのだから、地頭はそこまで馬鹿じゃない。学べば延びる子だった。
そんなこんなで、想像していたよりも楽しく過ごした。アレシアはいつしか人質であることなど忘れた。二十歳のアレシアは、心身ともに柔軟だったらしい。
ランデルエ公爵の領主邸には、ログリア王国騎士団の騎士がいた。
アレシアは初見では迂闊なことに、そのことに気付いていなかった。自己紹介はされたのだが、着いた当初は言葉の聞き取りがそれほど堪能ではなかったので聞き漏らしていた。
剣の打ち合いの相手をしてもらう付き合いを始めてから、公爵家の護衛たちの中で二人だけ制服が違うのは王国騎士団からの派遣であろうと知った。よく見ると肩の徽章も違うので明らかだった。
アレシアを見張るためだろう。やはり人質なのだ。
わかりきったことだというのに、平穏な生活の中で忘れがちだった。
アレシアは、それでも人生を楽しむことを求めた。