傘も差さずに。
春。
外に出ると、雨が降っていた。
見上げた空は白く、吹きつける風が不快な湿気を吹き飛ばしていく。
彼は傘を差さなかった。
決して弱いとは言えない雨の中を、彼は何も持たずに歩き始める。
「どうして傘をささないの。」
私は、雨粒のついた彼の横顔を見て心に浮かんだ疑問を尋ねた。
けれど、彼は答えなかった。
私も何も言わなかった。
彼と私は街を歩き続ける。
すれ違う人はみな、傘に隠れて家路を急いでいる。
「昔。」と、彼は呟いた。
「昔、憧れた人がいたんだ。」
「...それで?」
「その人が、傘を差さなかったから。」
どうやら、彼は質問に答えたようだった。
「...だからあなたも差さないの?」
「うん。」
「ふーん。」
私は、すこし面白くないような気がした。
そして、そんなふうに思う自分をおかしく思った。
「なら、わたしも差すのやーめた。」
そう言って私は傘を閉じる。
冷たい雫が服に落ちた。
「...急にどうして?」
彼は尋ねる。
「さてね。自分で考えてみたら。」
私はそう言いながら軽快なステップで水たまりを飛び、彼を追い越した。
そして振り向いて彼の顔を見る。
彼は、ポカンとした表情をして突っ立っていた。
頭にはてなが浮かんでいるのが見えるような、そんな顔をしていた。
「変な顔。」
私は笑った。
彼もつられて笑った。
春の雨に打たれるのもたまには悪くないかも、と私は思った。
今日。
彼と私は学校を卒業する。
きっと、もう会うことはないだろう。
それでも、この日のことはずっと覚えているような。
そんな気がした。
二人は笑う。
傘も差さずに、春の雨の中で。




