幻獣と正妃 3
ガディアス帝国の王宮はあまりにも広大だ。
中心に位置する陛下の居城を取り囲む離宮。
隣り合う月の離宮であればまだしも、離宮から離宮までを徒歩で移動するのは難しい。
だから、迎えに来た馬車に乗り、十三月の離宮へ帰る。
「ところで妃殿下」
……その始まりとても嫌です。
怒られる確率が九割を超える始まりの言葉に身構える。
けれど、ザード様はそれ以上何も言わず、ニッコリと微笑んで身振りで私に外を見るよう促した。
「……わぁ! 美しいですね!」
馬車の車窓から見えるのは、淡く白い花。
木々から房のように垂れ下がる白い花は満開で、まるで花が作り上げたトンネルのようだ。
「ええ、本当に。……何か気付かないか」
「えっ?」
美しい以外に気が付くことなんてあるだろうか。
私は時間を巻き戻して考えてみる。
……そう、私はこの花のトンネルを初めて見た。
行きにも同じ道を通ったにもかかわらず。
「あれ? 急に咲きました?」
「……何をやらかしたか、説明していただきましょうか」
「えっ?」
特に何もしていない。
今回は陛下はそばにいなかったし、思い当たることなんて……。
『ニャッ!!』
思い悩んでいると、ドレスの裾からアテーナが顔を出した。
姿を隠しているわけではないから、ザード様にもその姿が見えたようだ。
「その幻獣、やたら大きくなっていませんか」
「……え?」
首をかしげながらアテーナを抱き上げてみる。
幻獣は重みはないけれど、確かに出掛ける前より格段に大きくなっている。
太い足に耳、長い尻尾。
「……猫と言うよりも、中くらいの犬くらいありますね」
「そうですね」
「陛下の幻獣は豹ですね」
「ええ。その通りです」
「本当にそれは猫なのですか?」
『ガウ!』
「「……」」
ザード様と私は顔を見合わせた。
子猫サイズから急に中型犬サイズになってしまったアテーナ。
それが指し示すのは……。
……幻獣は契約者の影響を強く受ける。
「……成長したようには思えないが」
「失礼ですよ」
「ああ、妃殿下に対し不敬を働いた臣をお許しください」
「――思ってもいないことを」
ザード様はグレーの瞳を細めて私を見つめた。
そして、少しだけ意地悪げに歪めていた顔を改め車窓を眺めた。
……あれ、離宮へ向かうのはあちらの道のはず。
馬車は分かれ道で右に向かうところを左に進路を向けた。
そのまま、ガタゴトと進んでいく。
「……ザード様?」
「今日のお茶会を無事に終えた妃殿下に、少しだけ私から贈り物を致します」
「……贈り物って」
馬車はしばらく進んで静かに停まった。
扉に視線を向けた私は驚きのあまり目を見開く。
そして、取っ手をガチャガチャと慌てて回して勢いよく扉を開いた。
「陛下……!!」
拡げられた両手に迷うことなく飛び込む。
強く抱きしめられれば、会えなかった日々の寂しさがはじけて消えていくようだ。
「会いたかったです……!!」
「……ああ、俺もだ。ソリア」
苦しいほど抱きしめられた私のあとから、ぴょんっと勢いよくアテーナが飛び出してきた。
そのままラーティスのそばに走り寄って、お互い体を寄せ合っている。
抱きしめられながら仲良い二匹に視線を向けていると、頬に手を添えられてそっと顔の向きを変えられる。
「ようやく会えたのに、よそ見とは」
「……陛下」
「……ゴホンッ」
わざとらしい咳払いに視線を向けると、ザード様が私たちに恭しく礼をしていた。
ザード様はそのまま私たちに背中を向けて馬車に乗り込み、扉を閉めた。
動き出した馬車。取り残されてしまった私。
「……あれ? ザード様」
十三月の離宮に戻るのだと思っていたのに、陛下と一緒に本宮の前に取り残されてしまった。
馬車が行ってしまったということは、私はどうやって離宮に帰れば良いのだろう。
……陛下の部屋から暖炉を通って帰るしかない? せっかくこんなに美しく着飾ったのに煤まみれになって?
早く行こうとばかりに、連れ添って歩き出したアテーナとラーティス。
「なるほど、正妃としての既成事実を作ろうという訳か。ザードの考えそうなことだ」
「え? それは一体……!?」
「図書室でこの国の慣例を読んでないのか?」
「……正妃は本宮の陛下の部屋に泊まることで」
そう、皇帝陛下に求婚された妃は本宮に一晩泊まることで正妃として正式に認められるのだ。
実際、誰にも知られずに陛下の部屋を訪れたことはある。けれど、馬車で乗り付けてしまった今、私が本宮を訪れたことはすぐに周囲に知れ渡るだろう。
私は周囲に完全に認められていないし、ルビア王国とファントン王国のこともあって政情も不安定なのに……。
「……行くか。ソリア」
「良いのですか? 私は歩いて帰っても……」
「どちらにしても、俺が正妃に選ぶのはソリア、君しかいない。遅かれ早かれだ」
「……」
「それとも、俺のそばで過ごすのを厭うか? ソリア」
勢いよく顔を上げて、しばらく陛下の顔を見つめる。
いつも自信に満ちあふれている陛下の瞳が、微かに揺らいでいる。
「いいえ……おそばにおいてください。陛下」
「もちろんだ」
覚悟を決めた私は、陛下に抱き上げられた。
本宮にいた人々は目を見開くと、私を迎え入れる準備のために慌ただしく駆けずり回り始めたのだった。
――翌朝、帝国の広い範囲で花が咲き乱れ、人々は正妃を祝う宴の準備を始める。
……こんなに周囲に知れ渡って、私はどうすれば良いんだろうか。もう誰とも顔を合わせられない。
文献で読んだのと大分違った正妃が本宮に泊まるいうことの本来の意味。
幻獣に選ばれた二人の運命はここに交わる。
甘く微笑む陛下を呆然と見つめながら、シーツにくるまってベッドから出られなくなった私の心を取り残して……。
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