十三月の離宮 4
◇◇◇
広い敷地は、どこまで耕しても終わりが見えず、なみなみと水をたたえた井戸からは、絶えず水が流れ出す。
季候のよいガディアス帝国の首都、ティティルト。この地なら、きっとたくさんの作物を作ることが出来るはず。
「……ほら、隠れていないとダメだよ」
姿を現してしまった白い猫、アテーナ。
幻獣である彼女は、普通の人にはただの白猫にしか見えないけれど、魔力の高い人には、ただの猫ではないとすぐに見抜かれてしまうだろう。
レーウィルで虐げられていた私は、アテーナが幻獣であることを知られないように、隠し通した。
(……それが、お母様との約束だから)
母から、受け継いだ幻獣。
お別れの日になって、いつもそばにいてくれた不思議な猫が幻獣であることを初めて知らされた。
その日から、アテーナは、私にとって唯一の家族だった。
「あ、こら!!」
腕の中からすり抜けて走り出したアテーナの白い尻尾を追いかける。
ピタリと止まったそこには、黒い髪と瞳をした背の高い男性がいた。
あの日、軍服を着ていた男性は、今は白いシャツにズボンというシンプルな出で立ちをしている。
なぜなのか、大きく目を見開いて私のことを凝視しているけれど、そんなに見られる覚えがない。
「あの……」
「なぜ、ここにいる」
「うーん? なぜでしょうね」
「……なぜ、自分のことなのにわからない?」
「なぜでしょう、連れられてきたのが、この場所でした。あの、むさ苦しい場所にようこそ?」
「むさ苦しいとは……。この離宮も、城の一部なのだが?」
この場所は、一応お城の中なのだから、きっとこの人は、身分のあるお方なのよね?
そんなことを思って、畑仕事の邪魔になるからとお断りしたのに着せられてしまった、白いヒラヒラした裾のドレスでご挨拶する。
「ソリア・レーウィルです。一応、この十三月離宮の妃のようです」
「そうか……。ザード、奴なら娘がいないから、ここの管理をさせても問題は起きないと思ったのだが。……なぜか、この場所で妃候補が暮らし始めたと聞いて慌てて来てみれば……」
鋭い視線を向けられて、ドキリと飛び跳ねる心臓。
(……顔が整いすぎているせいか、余計に迫力がある気がするわ)
そのときだった。白い猫が、男性のたくましい肩の上に乗ったのは。
「アテーナ!!」
そういえば、あの時出会ったのは、アイスブルーの瞳をした、白い豹に導かれたからだ。
その姿は、今はここにはないけれど、アテーナがあんなに懐いていたことから考えて、もしかすると、幻獣だったのだろうか。
「……そうだな、しかし命の恩人だ」
「恩人……」
あれは、助けようと思ったからではなく……。
そんなことを言いそうになった口から、ひゅっと細い息が漏れる。
アテーナにすり寄られた男性が、さっきまでのしかめっ面が嘘みたいに、微笑んだのだ。
その笑顔は、美貌と相まって殺傷力すらありそうなほどだった。
そう、私の心臓が止まってしまいそうになったから。
「あのっ、よろしければこちらを!」
動揺してしまったのだろう、私は先ほど引き抜いたばかりのニンジンを差し出していた。
「……他人の用意したものは食べないことにしている」
「……なるほど、私と同じですね」
「え……?」
「では、毒味をいたします」
サクリッ、軽やかな食感と少し青臭くて、甘い濃厚な味。
(……これは確かに最高級のニンジンだわ)
かじった食べかけのニンジンを笑顔で差し出してしまった私はまだ知らない。
ニンジンを真顔で受け取り、一口食べて眉を寄せた目の前の人が、どれほど高貴なお方なのかということも、実はニンジンが嫌いだったということも。
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