野菜好き妃殿下と宰相 1
「ところで、妃殿下……」
『ギャウッ!?』
「……ザード様!?」
あの後すぐ、私を押し倒したラーティスは、小さな子猫みたいな姿に変わった。
寝転んだままじゃれ合って、視線の先に見える青空。
そこに映り込んだのは、私を見下ろすグレーの髪と瞳をしたイケオジだ。
「何から申し上げたら良いか、それに想定外の出来事に動揺を隠せませんが」
「……えっと、これは」
笑顔のザード様は、きっととても怒っている。
人の顔色を見ながら生きてきた私には、そのことが何となくわかる。
ううん、明らかに重々しい雰囲気のまま笑っているから、誰にでもわかるのかもしれないと思い直す。
「まず、どういうことだ! 妃殿下ともあろうお方が、こんなふうに地面に寝転ぶなんて! 誰かに見られたら、陛下の品格まで疑われるだろう!!」
「ひゃっ、申し訳ありません!」
世の中には、逆らってはいけない人がいるものなのだ。ザード様が、そのうちの一人なのは、間違いない。
「さあ、お手を」
「汚れてしまいますよ」
「……さっさとしなさい」
「はいっ」
汚れたままの手をはたくまもなく掴まれて、強引に引き起こされる。
書類仕事ばかりしているのかと思いきや、ザード様は、思いのほか鍛えているのかもしれない。
いくら私が、小さくて軽いとはいっても、こんな羽根みたいに軽く立ち上がらせるなんて……。
「……軽いですね。野菜以外も、ちゃんと食べていますか?」
「……いただいたお肉、食べてます」
「もっと食べたほうが、良いでしょう」
そう、ザード様は、時々お父さんみたいだ。
私に愛情を傾けてくれた肉親はいないから、いっそザード様のほうが家族みたいに思えてしまう。
「さて、ところで」
「……ぴっ!?」
瞬きするほどの間に、まるで私のことを慈しむみたいだったザード様の表情が、豹変する。
そしてその知的なグレーの瞳は、そのままラーティスへと向かった。
「そちらの子猫には、見覚えがあります。というより、今はラーティスと呼ぶべきですか? それとも、あの頃のようにララーと? ……ほら、逃げるのはおやめなさい」
なぜか逃げだそうとしたラーティスを容易にザード様は抱き上げた。
シュンッとした姿は、まるで飼い主に叱られてしまった子猫のようだ。
「えっと、その……」
「そうですよね。幻獣が召喚した者と一緒に消えたからといって、人のように死ぬはずもなし。なぜそのことに気がつかなかったのか……」
ザード様の大きな手が、自身の額と瞳を覆った。
端だけつり上げた唇は、自嘲しているようにも、悔恨に歪んでいるようにも見える。
「……十三月の離宮の妃」
「はっ、はい!!」
「……あなたのことではありません」
「え?」
「あのお方のそばには、いつも子猫がいた。一緒に消えてしまったのだと思っていたが、幻獣にとっては姿を変えるなんて容易に違いない」
私ではない、十三月の離宮の妃。
そういえば、陛下はこの場所で育てられたと言っていた。ということは、ザード様の言っているお方は……。
「妃殿下の母君は、東方ウェリンズの生まれですね」
「……ええ、ウェリンズの踊り子」
「しかし、幻獣を扱う力は、王族かその地の高位貴族しか持たないものだ」
「……」
「はあ。なるほど、断片的だった情報が、だいぶ繋がりました」
「えっと」
ザード様に、嘘はつけそうにない。
いっそ、全部話してしまったらと考えたとき、私たちの距離は急につめられた。
置かれた手は、痛いほど強い力で、私の肩を掴んでくる。
「……ところで、シルベリア公爵とのやり取りや、周辺諸国と旧三国との関係性の調整、さらに南方のリーンとの情報共有」
「えっと、その……」
「寝る間もなく、大変だったのですよ?」
確かに、いつも完璧なザード様の目元には、うっすらとクマが浮かんでいる。
「っ、管理者であり後見人である私になんの相談もしないで、今、不安定な状況にある三国の姫の一人とさらに併合したとはいえ、南方で一番の発言力を持つリーン王国の姫とのお茶会を勝手に執り行うヤツがあるか!!」
大目玉を食らってしまった私は、さすがにお忙しそうだからと連絡しなかったことについては、心から反省したのだった。
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