幻獣と皇帝 7
眠ればそこまで私と年は違わないだろうとわかるその人は、とにかくまつげが長かった。
加えてまるで、精巧な人形なのだろうかと思えるほどの美貌だ。
何回か、まつげが揺れたあと、その黒い瞳が私をまっすぐ見つめる。
……この状況で、そんな風に微笑むなんて反則です。
全身の血が、逆さまに流れてしまったのかと錯覚するほど、ぐらぐらとして胸が苦しくなる。
そんな私に、きっと陛下は気がついていないのだろう。
「……眠ってしまったか」
「起こしてしまったようですね。でも」
「うなされていたから、様子を見ていたら手を掴まれてな……」
ようやく気がつく。陛下の手首を握りしめたままだったことに。
「あっ、あの……」
「――――はは。俺たちは夫婦なのだろう? 何か問題があるか?」
確かに、夫婦なのだから一緒の寝台で眠っていても、対外的には問題ないのかもしれない。
それに、この場所に私がいることを誰も知らない。
「すまない。余計なことを言ったな……。だから、そんな顔をするな」
「――――どんな顔ですか」
「…………」
チュッと、小さな音がして、口づけられたことを遅れて理解する。
心臓が悲鳴を上げている。ドキドキし過ぎて、限界だ。
「思わず口づけしてしまいたくなるような、そんな顔だ」
「……えっ!?」
「それにしても、鍵もなく、よく入り込めたな」
スッと、漆黒の瞳を細めた陛下は、音もなく起き上がる。
今の今まで、暖炉を塞ぐように丸くなっていたラーティスが、心得たようにその場所から動く。
目を向けたその場所から、黒髪に黒い瞳をした侍女が一人這い出てきた。
「――――ソリア様!!」
真っ黒に汚れたエプロンもそのままに、私に抱きついてきたのは、侍女のビオラだった。
確かに、十三月の離宮とこの場所が繋がっているのなら、ビオラは来ることが出来るかもしれない。
でも、鍵が何重にもかけられていたのに……。
「ザード様が、そろそろ迎えに行くようにと」
「――――はあ。そうだな、二月の離宮で執り行われる茶会は、明日だ。準備が必要だろう」
顔を上げて、陛下に歩み寄る。
少しふらつくけれど、明日がお茶会ということは、眠っていたのは三日間だけ。
なんとか、参加することが出来そうだ。
陛下が、懐から出した小瓶には、少しだけ緑色の液体が入っていた。
その小瓶を手渡されて、まるで大切な宝物みたいに大きな手で包まれた私の手。
口づけが、指先に落ちるのが、妙にゆっくりと流れるように見える。
「これは、君のためのものだ。ソリア……。他の人間に使うな」
「――――陛下。結果的に、無茶なことをさせてしまいましたね」
「……俺はいい。それに、すでに代償は、君に代わりに支払わせてしまった」
「……やっぱり、あの頭痛は」
割れてしまいそうに痛む頭。
いつでも、陛下の体調はよろしくない。
つまり、移動魔法にも代償はある。使う度に、陛下の体には、強い負荷がかかるのだろう。
「――――移動が長距離になればなるほど、体が崩壊してその場で死に至る危険が高い」
「…………」
「幸い、陛下はそのお力を使いこなしているようです。もう少し確率は低いでしょうし、短距離であれば、体の不調くらいで済むのでしょうね?」
その、淡々とした声は、私の後ろから響く。
振り返れば、そこには陛下と同じ髪と瞳の色をしたビオラがいた。
「でも、ソリア様を助けるためにあれだけの距離を往復すれば、四分の一くらいの確率でしょうか」
「……なぜそれを。いや、その髪と瞳の色を見れば聞くまでもない、か」
ビオラがなぜ、そのことを知っているのかよりも、今回のことで陛下が被る可能性があった想像以上の代償に震えながら、私はその袖を掴む。
「皇帝ともあろうお方が、どうして私などのために……?」
「――――皇帝らしくないと、君まで言うのか?」
……皇帝でなかったとしても、私の気持ちは変わらないだろう。
私のために、陛下が命をかけることが、嫌なのだ。
「……だって、陛下の命と引き換えに、助かるなんて、私」
「君は、自分の身を省みずに、他の妃を助けた。この場所では、それは死を意味する」
陛下の表情は、私の知らないものだ。
きっと、いつも陛下は、誰の前でもそうして本心を押し隠しているに違いない。
「わかり、ました……」
「ソリア……。油断するな」
「――――陛下、これは自分で使うことを約束しますね」
「……いや、できれば、こんなものを使わずにすむ安全な状況をだな」
後ろにいるビオラが、小さくため息をついたのが聞こえる。
陛下が私を助けてくれた恩には、報わなければならない。
「大丈夫です! ちゃんとルビア王国とファントン王国について、情報を仕入れてきますね!」
「…………何かあれば、駆けつけるからな!?」
「陛下の出番はないはずです。安全第一にがんばりますから!」
「――――不安で仕方ないのは、なぜだ。普通にお茶会に参加して、無事に帰ってきてはくれまいか」
「善処致します!」
なぜかうなだれる陛下に背中を向けて、暖炉をくぐろうと背中を丸める。
「ソリア……」
軽い力で手を引かれ、振り返った時に、通せんぼするようにラーティスがすり寄ってきて、離れてしまった指先。
冷たい吹雪に囲まれた直後、私は十三月の離宮の、小さな子ども部屋にいたのだった。
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