幻獣と皇帝 6
「それにしても、この場所が十三月の離宮と繋がっていたとは……」
煤で黒くなってしまった私の顔を、そっと明らかに高価なお召し物の袖で拭いながら、陛下が呟く。
一緒に来たはずのラーティスと、その上に乗ってご機嫌なアテーナは、真っ白なままだ。
……私も幻獣だったら、汚れないのに。
そんなことを思いつつ、黙って顔を拭われる。
「――――息災だったか?」
「もちろん。陛下はずいぶんお疲れのようでしたね?」
そっと頬に触れようとすると、あからさまに避けられる。
もしかして、手が汚れていたのかと引っ込めて眺めるけれど、すでに綺麗になっている。
「……あの?」
「触ってはいけない」
「ど、どうしてですか……!?」
もしかして、何か粗相をしてしまったのかと、慌てて詰め寄る。
けれど、少し眉を寄せた陛下は、これ以上私を近づけさせてくれる様子がない。
さっきまで、あんなに強く抱きしめてくれていたのに……。
悲しくなって俯いていると、そっと頭が撫でられる。
顔を上げると、やはりお疲れの様子の陛下が、口の端を緩めて私を見つめていた。
「あ……」
ようやく、陛下の心遣いに気がついた私は、そばを離れる。
――――ふりをして、思いっきり抱きついた。
「あ、おい!?」
「――――本当に、疲れているのですね。でも、無理は禁物です」
「こんな時だけ察しがいいのは、困りものだ」
流れ込んできたのは、今日もひどい頭痛と強い眠気だ。
こんな体調で、いつもあんなに忙しく働いている陛下のことが、気の毒になってしまう。
それにしても、眠くて眠くて仕方がない。
ずるずると力が抜けて、寄りかかってしまった私を大事そうに抱き上げた陛下。
そう、お野菜だってお水や栄養をあげなければ、のびのびとその葉を広げることが出来ない。
無理してばかりでは、体を壊してしまいます。
「……少しだけ、代わってあげるだけです。無理してばかりの人は、嫌いです」
「――――ああ。だが、皇帝とは」
その言葉を続けることがないように、そっと指先で唇を押さえる。
もちろん、皇帝としての責務を大切にすることは、尊いことに違いない。
ラーティスの瞳からのぞいたその姿を見て思った。
誰かのために生きていく、陛下の生き方を私は尊敬している。
……でも、寄りかかったっていいんですよ?
そう言いたかったのに、その前に眠ってしまった私。ここが、離宮ではなく、陛下の住む皇居であることなんて、すっかり忘れて。
「――――ラーティス。ソリアを送り届けるぞ?」
『ガウ!』
「……おい」
多分陛下は、私のことを帰したくないと思ってしまったのだろう。
もちろん、私本人がそのことに気がつけるはずもないけれど、幻獣であり陛下の魂そのものであるラーティスは、もちろんそのことを十分理解していた。
『ガウ! ガウガウ!!』
「あっ、おい! 暖炉まで塞ぐのはやめろ! ラーティス!!」
結局のところ、皇居で眠り込んでしまった私が目覚めるのは、二月の離宮でお茶会が開かれる前日のことだった。
あとから陛下に聞いたところによると、その後もラーティスは、移動の魔法を使わせてはくれなかったらしい。しかも、隠し通路もその体で完全に塞いでしまったということだ。
「……こ、これは!?」
目を覚ましたとき、なぜか隣で眠る陛下の寝顔を発見してしまった私が、頬を染めて硬直したのはいうまでもない。
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