幻獣と皇帝 2
◇◇◇
それから、一週間。
本ばかり読んでいる私は、ビオラに怒られては、食事や運動をして、ようやく元の体調を取り戻しつつあった。もちろん、厨房にお邪魔することも出来るようになったから、ニンジンケーキも改良を重ねて作り続けている。
……そう。よく考えれば、生の食べかけニンジンをお出しするなんて失礼にもほどがあったわ。せめて加工したものをお出しするべきだったのに……。
焼き上がったケーキは、アイシングをかけて甘く仕上げる。
私は、このケーキが大好きなのだけれど、もしかすると人それぞれなのかもしれない。
……残念なことに、それは今まで多くの人と一緒に過ごしたことがない私が、知らなかったことだ。
お見舞いに来てくれたレイラン様にも味見してもらったところ「……間違いなく、ニンジンケーキの中ではとてもおいしい部類に入るでしょうけど、私、お野菜苦手なの」というご意見をいただいた。
……つまり、陛下はもしかして、無理して食べていたのかもしれない。
そんなことを思っては、陛下に会いたくてたまらなくなる。
困ったことに、庭を見ては陛下に会いたくなり、本を読んでいても陛下に会いたくなる。
こんなことは初めての経験で、私は自分のままならぬ気持ちに戸惑うばかりだった。
◇◇◇
そして、それからさらに三日ほどして、珍しく意気消沈したデライト卿が面会に来た。
デライト卿は、私の前に来るなり、膝をつけて頭を下げる。
「――――姫様。お暇をいただき、大陸中から解毒作用のあるものを集めて参ります」
「……えっと。気持ちは嬉しいけれど、離宮の警備はデライト卿がいないと……」
解毒作用があるもの、というのには、もちろん薬草や樹木も含まれるのだろうか。
もちろん含まれるのだろう、とほんの少しウキウキしてしまったのは言うまでもない。
けれど、デライト卿が出て行ってしまっては困るし、寂しい。
「今回も、姫様をお守りできませんでした」
「デライト卿……」
武人としての誇りを何よりも大切にしていたデライト卿は、失ったとはいえ祖国に背を向けてまで、ここにいてくれている。
そんな彼に私がしてあげられることなんて、ほとんどないけれど。
「――――では、命じます。生き延びて、私のそばで、ずっと守ってください」
「……姫様!!」
珍しいことに泣かせてしまったことに困惑しつつ、お詫びと感謝の気持ちを込めてニンジンケーキを差し出そうとしたその時だった。
急に真顔から笑顔になったデライト卿が、私から距離を取り、一礼して退室してしまう。
……あ、あれ? やっぱりニンジンケーキというのは、一般的に好まれないものなの!?
手にしたニンジンケーキは、今日も美しいオレンジ色で、試作を重ねてしっとり、さっくりとしたアイシングがかかって、個人的には絶品だと思っているのに……。
「――――俺にくれずに、他の者に渡すのか?」
「……陛下!?」
後ろから聞こえてきた、ずっと聞きたくて仕方がなかったその声。
それは、威厳があって怖い気もするのに、私にとってはお砂糖みたいに甘い。
背中側から手が伸びて、持っていたニンジンケーキの包みがそっと奪われる。
包みが開かれるカサカサとした音がして、小さなニンジンケーキを口に放り込んだ気配がした。
そのまま、ギュッと抱きしめられたから、胸の前で交差したその腕にそっと手を添える。
「また、無茶をして……」
長期の遠征で、お疲れのはずなのに、魔法を使って移動してきたらしい陛下のことが心配で、つい文句を言ってしまう。
今回は、少し急いだように飲み込んだらしい陛下が、口を開く。
「――――城門をくぐり、城に入ったところで移動したから、問題ない」
「……先日も、魔法を使って長距離を移動して、私のことを助けてくださったのですよね?」
「……君が、あの薬を他の者に与えてしまうからいけない」
「――――なぜ、分かったのですか」
まるで、一月の離宮で起こった出来事を見ていたように言う陛下。
抱きしめてくる力が、不意に緩んで、クルリと向きを変えさせられる。
「……アテーナと、ラーティスが揃うと、君の様子が分かるようになるようだ」
「――――え?」
「……惹かれ合う幻獣は、きっと二つで一つの片割れだから」
「それはいったい……」
距離が近い。陛下の瞳はあいかわらず、真夜中に月明かりを浴びて輝く漆黒の宝石みたいだ。
いつも少しだけ寄せられている眉が、しわを深くした。
けれど、その瞳は、まっすぐに私を見つめたまま弧を描く。
「それに、無茶をするなと言いたいのは、俺の方だ」
「……」
「自覚はないし、すぐに自分のことを後回しにしてしまう」
「陛下、そんな顔しないでください」
「――――どんな顔だ」
……まるで、今にも泣き出しそうです。
それを伝えていいのか迷っているうちに、私の頬が大きな手の平に包まれた。
そっと上を向くように促される。
陛下が私を見下ろしている瞳が、なぜか不安に揺れているように思える。
だから私は正直に言うことにした。
「……泣かないでください」
「泣いてなどいない。……だが、君まで俺を置いていくのは、やめてくれ」
頭をそっと撫でようとした手は、触れることが出来ないまま、代わりに唇に触れた柔らかい感触。
それが何かを少し遅れて理解した瞬間、全身の血液が沸騰したようになる。
たくさん考えなくてはいけないし、聞かなければいけないのに、陛下のことしか考えられなくなって、すがりつくように首筋に手を回す。
一筋だけこぼれた涙が、私の頬を濡らした。
それは、もしかすると、陛下ではなく、私の涙だったのかもしれない。
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