大陸の縮図 2
◇◇◇
陛下は、慣例によりその月の離宮から出立した。
一月の離宮の妃、シャーリス様の艶やかな装いは、帝都の流行を塗り替えるだろうと言われているらしい。
一方私といえば……。
「行かなくてよろしかったのですか?」
「私が行っても、陛下を困らせるだけよ」
今日も鍬を持ち、麻のドレスに身を包んで、畑を耕していた。
一月の離宮の妃とは比べようもない流行とはほど遠いだろう姿は、けれど動きやすく軽やかで機能的だ。
……この方が、私らしい。
ザード様は、少々口うるさく、日々着飾るように、というけれど、それでは畑仕事が出来ないもの。
そっと鍬を置いて、かごを手にする。
しゃがみ込んで、野菜の生育状況を確認し、もいでは、かごに詰めていく。
これくらいにしようかと最後の野菜を収穫したとき、なぜか、ビオラが差し出していた日傘がどけられて、急に顔を照らした冬の日差しのまぶしさに目を細める。
でも、それは一瞬のことで、すぐまた私は影に覆われた。
「ビオラ?」
いつでも、完璧な仕事をするビオラにしては珍しいと顔を上げ、思わず目を見開く。
そこには、先ほど出立したと聞いたばかりの陛下がいた。
「……どうしてここに?」
「……」
目の前にあるのは、いたずらに成功したような笑顔だ。
差し出された手を握ろうとして、手が泥だらけなことに気がつき、引っ込めようとするけれど、強引に掴まれる。
「……出立したのでは、なかったのですか?」
「……ソリア、君に見送ってほしい」
「陛下」
もう、泥だらけなことなんて、気にしている余裕はなかった。
バラバラとこぼれ落ちる野菜。
いつも大事に慈しみ育てている野菜をそんな風にしてしまうなんて、よほどのことだ。
「おい、泣くな。時間があまりないのに、離れがたくなる」
「泣いてません……」
「そうか。では、雨でも降ったか」
空は、どこまでも青い。
強がりとは裏腹に、こぼれてしまった一筋の涙が、長い指に拭われる。
「さて、抜け出してきているから、戻らねばな」
「ご武運を……」
「ああ……。そうそう、これを渡しておく」
「これは?」
「今月は、一月の離宮で茶会だろう? もしどうしても何かを飲食しなければならず、異変を感じたときには、これを飲むように」
私の手に載せられたのは、小さな丸薬だった。
毒消しのようなものだろうと、私は理解する。
「距離があまり離れると、合流に魔力を使いすぎるから」
私から離れた陛下の横に、白い豹が現れる。
「……移動が出来る魔法をお持ちなのですね」
「ああ、この力のおかげで命拾いした数は、三桁を超えるだろう」
「死にかけすぎでは……」
「そうでなければ、後ろ盾もなかった俺が皇帝になれるはずもない」
「……ご無事でいて下さいね」
「行ってくる」
次の瞬間、周囲が急に雪景色になったように錯覚する。
それは、凍えてしまいそうなのに、すがりたくなってしまうほど愛しい陛下の魔力だ。
そして、絡みつくようにほのかに輝いたのは、スミレ色の魔力。
それは、意図せずに漏れ出してしまった、私の魔力だった。
その魔力に引き寄せられるように現れた、白い子猫は、ひと声『ニャア!!』と鳴いた。
頭の上から、その豹の背中に白い子猫が飛び乗る。
「アテーナ!?」
「あっ、ラーティス、待て!!」
焦った陛下の声は、アテーナとラーティスとともに、まるでなかったかのように掻き消えた。
「えっ、アテーナまでついて行ってしまったの!?」
その場に残されたのは、私ひとりと吹雪のような、その魔力だけだった。
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