皇帝陛下と十三月の妃 3
ベッドから起き上がると、少し離れた椅子に足を組んで座る長身の男性。この国の宰相であり、私の後見人のザード様だ。
「ところで、どうしてザード様がいらっしゃるのですか?」
「心配して来た。それ以外に理由がないでしょう」
「ザード様が、私を!?」
「あいかわらず、どこか失礼な姫だ……」
ため息をついて、ザード様が立ち上がる。
私が起きるまでついていてくれたのは、本当のことなのかもしれない。
……ところで、先ほどから妙に騒がしいですね?
そんなことを思い、説明を求めてザード様を見つめていると、あからさまにため息をつかれた。
「どうすれば、陛下に、こんなにも興味を持たれることが可能なのでしょう? あきらめ半分だったのに……」
「えぇ? 私の命を引き合いに、この離宮の妃に据えておいてその言い方はひどいです……」
「――――そうかもしれません。しかし、この場所は陛下にとって特別な場所です。誰でもよかったというわけでもないのですよ」
「特別な……場所?」
そういえば、陛下が庭を眺める視線は、懐かしい思い出を重ねているようだった。
十三月なんて、あるはずもない月の名がついた離宮なのに、陛下が何度も訪れるのには、それなりの理由があるのかもしれない。
「どうして私が選ばれたのですか?」
「……私の娘に、少し似ていたからでしょうか」
「――――どうして、その娘さんを妃に据えないのです」
「もう、永遠に会えない場所にいますから」
「それは……」
グレーの髪と瞳の宰相は、この国の内政を取り仕切っているという。
この国、ガディアスに関する資料に、そう書いてあった。
ザード様が、その宰相だと気がついたときの驚きといったら……。
でも、それとこれとは話が別だ。
「――――辛いお話をさせてしまいましたね」
「いや、昔の話です。まだ、三歳でしたから」
三歳児に似ているとはいったい……。
少しだけ、物申したい。でも、可愛い盛りの娘を亡くしたことは、きっととても辛い思い出だろうと口をつぐむ。
「それで、どういうことです?」
「え……?」
「陛下に、生の、しかも食べかけのニンジンを差し出したそうで……」
「……それは」
「それに、いくら体によいとは言っても、南方の苦みが強い茶を尊きお方に出すやつがあるか!?」
「ぴぇ……」
いつもの丁寧な言葉はどこへ!?
それにしても、こんな風に怒られるのは、子ども時代、まだお母様がいた頃以来かもしれない。
そんなことを思いながら、まだまだ続くお小言を甘んじて受ける。
「――――ふぅ。珍しく熱くなってしまいました。しかし、陛下にとってはよかったのかもしれませんね」
「何が、ですか……」
「幼子のように純真な妃。陛下には、心安らぐ場所が、必要だったのでしょう」
「……んん?」
どうしてここの人たちは、私のことを妙に子ども扱いしたがるのだろう。
果樹をもごうとして、はしごを登ろうとしたときも、侍女のビオラに全力で止められたし、虫を取り除こうとしたときも、猛烈な勢いで怒られた。
「まあよいでしょう。全く期待していなかったわけではありませんから」
「……ザード様」
口の端を歪めて、こちらを見つめる目線が、過去の幸せな時間を思っているということが、なぜか伝わってくる。
きっと、娘さんのことを思い出しているのだろう。
「……たまには、私のことを娘のように構ってもいいですよ?」
「――――家臣ごときが、離宮のお妃様に対して恐れ多いことです」
「こんな時ばかり」
にっこり笑ったザード様は、もう、いかにも仕事が出来そうで、周囲に対して自分の心の内など見せないような表情をしている。
だから、この話はもう終わりに違いない。
「……あの、ところでこの大きな音はいったいなんですか?」
「大改修が行われることになりました」
「――――だいかいしゅう」
起き上がって、廊下に走り出る。
音は、エントランスホールから響き渡っている。
柵から上半身を乗り出して、階下をのぞき見れば、次から次に運ばれる木材。
円形のエントランスホールを囲むように、大きな棚を作っているようだ。
「これはいったい……」
「まったく。こんなにも贅沢を願う妃を見るのは初めてです」
「え……? それはいったい」
「金銀宝石よりも、貴重な文献の方がよほど価値がある。そのことを理解しておられますか?」
「えっ、まさかこの棚は!?」
呆然としながら、次から次に棚が作り上げられるのを見つめる。
……え? 十冊もあったら嬉しいな、という気持ちだったのに。
そう、もちろん私だって、本というものが高価であることは重々承知している。
だから、宝石を頼む代わりに、十冊ほど与えてもらえたなら、大切に読もうと思っていたのだ。
……こ、この棚全部に、本を詰め込むつもりではないよね?
もちろん、このあとぎっしりと貴重な文献から、最新の本まで高い天井まで続く本棚に詰め込まれることになる。
皇帝陛下の本気なんて、野菜の苗を頼んだときの、どこまでも続く荷車ですでに知っていたはずなのに。
「これは、私が冊数を言わなかったことが悪いわ……」
そんなことを呟きながらも、ほんの少し、睡眠時間と、野菜と畑に向き合う時間が減ってしまったのは、言うまでもない。
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