十三月の離宮 1
領土を広げ続けるガディアス帝国、そして二つの王国。
その三つの国の狭間にある小国レーウィルは、その終わりを迎えようとしていた。
「……これは逃げられそうにないね、アテーナ」
普段は表に出さずに隠している白い猫の幻獣を肩に乗せ、私はため息をついた。
小国とはいえレーウィルは豊かな国だった。
でも、着ている服から見ても、使用人みたいに荒れている手を見ても、私が姫だと信じてくれる人はいないに違いない。
それでも、細々受けていた教育が、私にこの後の展開を容易に予想させてしまう。
三国の間にある小国レーウィルは、徐々に領土を狭めながらも中立を保っていたけれど、帝国に寝返った重臣が城に兵を招き入れ、あっという間に王都は陥落してしまった。
すでに、建国記念の祝賀に集まっていた王族の首は、はねられて城壁につるされている。
まだ、私が生きているのは、今は帝国に統合された北東から流れてきた踊り子を母に持つがゆえに、建国記念の祝賀会に招待されず王城の床を冷たい水で磨いていたからだ。
虐げられ、使用人以上にこき使われ、贅や権利を享受したことなどない。
つまり、贅をこらして国民を苦しめていた王族たちのようなよい思いをしたことがない。
それでも城門はすでに閉め切られ、逃げることは出来そうにない。
(……残念だわ。最期にお腹いっぱいご飯が食べたかった)
王族に一応名を連ねている私も、もうすぐ捕まってしまうに違いない。
そして、私を虐げ続けていた人たちを家族と呼べるかどうかはともかく、彼らと同じ運命をたどるのだろう。
「あっ、アテーナ!?」
その時、長い尻尾を揺らめかせていた幻獣、アテーナが肩から飛び降りた。
アテーナは、姿を隠していても、いつもそばを離れることがない。
それなのにいつもと違う行動を不思議に思いつつ、慌ててアテーナを追いかける。
走れば、はらりと髪を包んでいた布が落ちて、虐げられていてボロボロのお仕着せを着ていても隠すことなど出来ない、この国の王族を象徴する白銀の美しい髪がなびく。
「え? どうしてこんなところに。白い……豹?」
息を切らせて走った先には、白い豹がいた。
私以外の生き物には懐かないはずのアテーナが、当然のようにその背中に飛び乗って毛繕いを始める。
「……信じられない」
まるで、白い猫と豹は、長年連れ添った番に見えるほど仲睦まじい。
神話の中みたいな不思議さ、置かれた状況も忘れ、私はしばしその光景に見惚れた。
「……ああ、でも一緒にいてくれる相手がいるのなら」
私の命が、ここで潰えた場合、幻獣であるアテーナは、どうなるのかということが心配だった。
物心ついたときには既にそばにいたアテーナは、私にとってたった一人の味方であり、家族だったから。
(思い残すことは、もうないのかもしれない)
「え?」
神秘的なアイスブルーの瞳をした白い豹は、白い猫を今は頭に乗せたまま、ただ美しくその毛並みを輝かせて、こちらを見つめていた。
ついてこい、とでもいうようにユラユラ揺れる尻尾に誘われて、私はフラフラと白い豹の後をついていく。
「怪我人?」
その先には、腕を押さえた黒い髪と瞳の男性がいた。
明らかに帝国の軍服を着ている。つまりこの人は私の敵で、見つかってしまえばすぐに殺されてしまうかもしれない。
(でも、怪我をしている人を放っておくのも忍びないわ……)
再びアテーナが私の肩に飛び乗る。幻獣だから重みはない。
「あ、あれ……!?」
まだ、悩んでいる私の思いなんて無視して発動してしまった治癒魔法。
あっという間に、とても深く見えた男性の傷が塞がっていく。
その様子をじっと見ていた白い豹は、その男性にすり寄った。
男性が薄く目を開け、その直後に目を見開いた。
「まさか、幻獣?」
鼓膜にとどまって消えてくれなくなりそうな、低くて甘い声。
一瞬だけ見つめ合った、私のすみれ色の瞳と、真夜中のように黒い瞳。
不思議なことに、その人のことがずっと前から知っている、とても大事な人のような気がした。
「……そうね。最後に人助けというのも素敵なのかも」
相当深かったのだろうその傷を治したせいで魔力が枯渇した。間違いない。
歪んでしまった世界。その後の記憶はない。
戸惑ったように歩み寄った男性に抱き上げられたなんて、私は知らない。
「幻獣のように軽いな……」
草を食んで生きてきた体は軽く、血の気が少ない白い肌、サラサラと流れ落ちる白銀の髪、閉じたまぶたを縁取る同じ色のまつげが相まって、私の姿はすみれ色の瞳以外真っ白だ。
「……色合いまで、まるで幻獣みたいだ」
そして、私を守るようにアテーナが男性の肩に乗る。
「……こちらは全く重さがないな。やはり幻獣か……。だが、この髪色は確かにこの国の王族を象徴する白銀。まさか、王族が幻獣を扱える血を継いでいるはずが……」
その時、白い豹がまるで愛しい存在を見つけたように、抱き上げられた私の足に頭を擦り付けた。
皇帝であるカイル・ガディアス以外の人間には、懐くはずのない幻獣。
予想外の幻獣の行動に、彼は驚き、目を見開く。
「不思議なこともあるものだ。殺すには、惜しいな……。それに、借りた恩は返さねばなるまい」
皇帝陛下は、私を抱き上げたままその場をあとにする。
素性を隠し、逃がすこと程度、皇帝である彼には容易い。
しかし、戦局を読むことにおいては大陸一番とも言われる皇帝陛下にすら、予想できなかったことがこの後に起きる。
その名を運命というのかもしれない。
つまり運命の歯車は、私たちが出会ったことで動き出してしまったのだった。
◇◇◇
「あの、むさ苦しい場所にようこそ?」
「むさ苦しいとは……。この離宮も、城の一部なのだが?」
この次に会ったときの二人の会話は、あまりに色気がない。
「あのっ、よろしければこちらを!」
動揺してしまったのだろう、私は先ほど引き抜いたばかりのニンジンを差し出していた。
「……他人の用意したものは食べないことにしている」
「……なるほど、私と同じですね」
「え……?」
「では、毒味をいたします」
サクリッ、軽やかな食感と少し青臭くて、甘い濃厚な味。
……これは確かに最高級のニンジンだわ。
少しだけ、眉を寄せたまま、それでも皇帝陛下は差し出されたニンジンをかじった。
そして、今度こそ分かりやすく眉間に皺を寄せる。
皇帝陛下は、ニンジンがお嫌いらしい。
◇◇◇
これらの出来事により、私は命を繋ぐ。
皇帝陛下の妃になってしまうという、まさかのおまけ付きで。
そして、皇帝から寵愛を受ける数奇な運命が始まるのだった。
まだ、そのことは、未来を視る力を持つといわれる幻獣たちしか知らないにしても。
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