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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第二章 昭和二十年 八月
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昭和二十年 八月七日 実方辰顕 色恋沙汰

 陶冶が、明るい声で、ところで、と言ったので、調子が戻って来たな、と、辰顕は嬉しくなったが、続く言葉に、思わず吹き出した。


「色んな事は一回脇に置いておいてさ。紘は、金髪が()いのか?」


―治さん、調子を戻し過ぎじゃない?此の流れで紘の好みを聞く?


 しかし紘は、淡々と、藪から棒ですねぇ、と言ってから、更に辰顕の度肝を抜く様な事を(つづ)(ざま)に言った。

「でも、其の発想は無かったですね。良いですね、英語の勉強になりそうで」


 紘は、うんうん、と、納得した様に頷いたが、周は、えー?と言った。


 陶冶も、うーん、と言った。

 辰顕の寝台に腰掛けた薫陶は、目を丸くして、勉強?と紘に問うた。


 紘はアッサリ、ええ、と言った。

「実践に勝るものは無いでしょうね。相手と英語で会話を続けると、とても勉強になりそうです。其の交際は()さそうですね」


 紘の言葉に、周は首を振って言った。

「紘、一回勉強から離れてみようよ。恋愛の話をしているのに」


 薫陶も、そうだね、と、紘の顔を見て言った。

「紘は、如何(どう)いう人が好いの?」


 しかし、紘が考え込んだ様子で黙り込んだので、病室には再び静寂が訪れてしまった。


 (やや)あって、陶冶が、えーと、と言った。


「今まで何も無かったのか?此の里の外だと、尋常小学校は完全に共学らしいじゃないか。噂になったりとか、良いな、と思う子に出会ったり、とかさ。いや、無いなら無いで構わないけど」


 紘は、はぁ、と言った。

「そういう話だと、何回か噂になった事は」


 おお、と、陶冶は嬉しそうに言った。

「そうそう、そういう話を聞かせておくれ」


「まぁ、では、詳細は省きますが」

 紘は淡々と、そう言った。

 陶冶の顔から喜色が消え、戸惑った様に紘を促した。

「いや、詳細を聞かせておくれ?」

 紘は、そうですねぇ、と言って、再び考え込む様な素振りを見せたが、(しばら)くすると、詳細は省きますが、と、また言った。

 さては詳細を忘れたか、と辰顕は思ったが、黙って、続く言葉を待った。


 しかし其れは、辰顕には、何か計画的な臭いを感じさせる内容だった。

「何と言うか、会話が苦痛で。避けているうちに疎遠になりました」


「く、苦痛って?如何(どう)いう事?」


 周の問いに、紘は、訥々と語り始めた。


「例えば、伯父の家に行きましたが、雨で大変で、結局大した事は出来ませんでした、という話をしたとすると」


「うん」

 陶冶と周は、真剣な顔をして相槌を打ったが、薫陶と綜と辰顕は、顔を見合わせた。


 此処から『会話が苦痛』という展開になる、というのが、よく分からないくらいの、よく有る世間話だったからである。


―あんまり良い予感はしない導入だな、相変わらず。


 紘は続けた。


「そして、相手から、伯父様の御宅は如何(いかが)でしたか、という様な事を言われる。其れが苦痛で」


 陶冶と周は、声を合わせて、ん?と言った。

 辰顕も、おや、と思った。


 紘は続ける。


「そうなると、話を広げ様が無いのです。俺にしたら、もう言った心算(つもり)の事を聞かれているもので。もう、次に何と言って良いか分からないのですよ。はぁ、羊羹が出ました、とか、何とか合わせて、中身の無い会話を続けるわけです。其れが苦痛で」


 苦痛で、を珍しく数回言う紘を見て、陶冶が気不味そうに、そうなのか、と言った。


 紘は、そうなのです、と、更に、訥々と語った。


「一度、上手くいかなかった試験の話をしていて、受けるのは時期尚早だったようです、という話をしていたところ、二度目の挑戦を御考えの様で良かったです、と返されまして。俺は受けるとは言っていないのですが。単に、時期尚早だった、と言っただけです。もう、何て言って良いか分からなくなって。何で決め付けるのかな、と思って。時期尚早だったと俺が思う事と俺が再挑戦する事は別では無いですか?俺が、再挑戦します、と言ったなら()(かく)、ですよ」


 黙って聞いていた周が、酷く困った顔をした。


 紘は俯き加減になって、淡々と続けた。


「そういうのが、個人的に、苦痛なのです、そういう遣り取りが。決め付けられる会話、というのも(つら)いし。此方(こちら)が大人しいと思ってか、自分の意見を押し付けてくる、話を聞いてくれない人も居ましたね。結局、相手が頻繁に話しかけて来ていたので噂になった、というくらいで、何か世間話以上の話をする間柄になった人は居ないです」


 陶冶は、そうかぁ、と相槌を打った。


 如何(どう)したら良かったのでしょう、と紘は言った。


「伯父の家に行ってきました、で、一度言葉を止めて、相手の反応を待てば、上手く会話出来たのでしょうか?其れとも、もう一度、雨で、結局大した事は出来なかったと繰り言を言えば良かったのでしょうか」


 陶冶が取り成す様に言った。


「いや、真面目に考え過ぎかもしれないぞ。相手も辻褄の合う中身を期待して会話に臨んでいるわけでは無くて、単に御前と話したいだけだったのかもしれない。相手が緊張していた可能性も有るし。いや、偉い。羊羹の話だって、気を遣った方だよ。もっと適当でも良かったかもしれんぞ、会話は」


 そうなのでしょうか、と。紘は、心持ち顔を上げて言った。


 こんな事を言い出した手前か、陶冶が相当気を遣って言っている事を、辰顕は察した。


 紘は尚も続けた。


()(かく)自分としては、そんな、中身の無い会話が続くのが苦痛で。其れなら、こうして話しているうちに、本の一冊でも読めるのに、と思ってしまって、苛々すると言うか」


―苦痛、苦痛、って、何回言うのかな。しかも、紘が苛々するなんて、よっぽどだよね。


「其れは仕方が無いよ」

 辰顕は、心から、そう言った。


―紘に自覚が有るか分からないけど、其れって、相手の頭の回転の遅さに苛々して、話しているのが苦痛、って事だよね。中身が無い会話って、違う表現をすると、相手の頭の出来に対しての称賛を含まない内容になりそうだし。…此れが紘の弱点なのかも。


 多分、紘本人に其の心算(つもり)は無いのだろうが、頭の回転が早過ぎて、自分の会話の速度についてこられない者に対して、話を聞いてくれていないのではないかという疑念を抱きがちなのだろう、と辰顕は思うのだ。


 そして恐らくは、苛々する、というのは、相手の頭の回転の遅さに対する苛立ちであり、ついてこられないなら置いていきたくなってしまうのであろう、と辰顕は推察した。


 其れと、向学心と知的好奇心旺盛な紘にとっては、自分に刺激を全く与えない会話を長々されるくらいなら、恐らくは、英語の勉強になる会話か、いっそ読書をする方が良いのだ。


 其れは、紘の気性が優しい事とは別の、紘の頭の出来の良さによる性質なのであろう。


 辰顕はハッキリと言った。

「紘が、偶々、其の人達と合わなかっただけだと思う。幾ら何でも、もう少し話が合う人が居るよ。頭の回転が速くて気の利いた人だって、何処かには居るよ。中身が有る会話が出来る人だって」


―紘より頭の回転が速くて、紘を出し抜く様な、緊張感の在る会話が出来る、中身たっぷりで、紘の理解が追い付かない様な話をする人、とまでは期待しない方が良いと思うけどさ。頭の良い人、くらいだったら多分居るし、苛々しないで会話出来る人も居る筈。紘って、小さい子なんかには、凄く優しくて、話も聞いてやれているのだから。同い年くらいの人間に期待し過ぎっていうのもあるよな。


 陶冶が、そうだな、と言って、辰顕に同意した。


 しかし、紘は何時(いつ)も通り、淡々と、そうですね、と言った。


―興味が無さそうだなぁ。こりゃ駄目だ。でも、何だかんだ言って、紘が、全く人気が無いとは思っていなかったけど、そりゃ、相手の方は紘に興味を持つよね。


 辰顕は、何となく納得した。


―でも、本人は、自分が、そういう感じで興味を持たれているとは思っていなさそうだし、此れは、紘と相手が同時に御互いに興味を持たないと、治さんが聞きたい様な話の展開には、残念ながら、ならなさそう。


 其の日は、其れで御開きになった。


 色恋の話は不発に終わったが、現実逃避としては成功した、と辰顕は思った。


 七夕も楽しくて、辰顕は、良い日だった、と思った。

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