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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第二章 昭和二十年 八月
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昭和二十年 八月七日 坂本紘一 戦意

 そして、夜になり、読書会の時間になった。


 今夜の紘一の悩みどころは、Puffed(膨れた) sleeves(袖)を、如何(どう)訳すか、という事だった。


―袖が膨らんでいるって言われても、何の事やら、ってならないかな。


 好子が最初に輝子に、Puffed sleevesが良かったと言った時にはザックリ省いてしまったのである。


 しかし今夜の下りでは、降誕祭(クリスマス)に賜男が好子に、Puffed sleevesの服を贈るのだ。


 其れを省いてしまっては、好子の喜びが伝わるか、紘一には自信が無かった。


―苗の神教信者に言っても、絶対ピンと来ないだろうから、降誕祭(クリスマス)の詳細は省くとしてもねぇ。でも、あんまり拘る意味も無いかなぁ。


 結局、好子の欲しがっていた流行の形の袖、くらいの訳にした紘一だったが、意外にも陶冶が、あの提灯みたいな形の袖な、と言った。

 周囲で、確かに、という声が、次々と起こった。


 昨日紘一は、術で皆に見せたアン・シャーリーやダイアナ・バリーにPuffed sleevesを着せていたので、聴衆には想像してもらい易かったらしい。


 口振りから察するに、陶冶は、かなりPuffed sleevesを気に入ったらしく、ハイカラだな、などと言った。此の敵性語などと言う言葉が罷り通る時期に於いても『ハイカラ』なる言葉は賛辞であるらしかった。


―とは言え、今の加奈陀(カナダ)の流行じゃないかもしれないけどね。


 何故紘一がPuffed sleevesを知っているかというと、以前、伯母の奈穂子(なほこ)の母が所有するジュモーの西洋(ビスク)人形(ドール)が着ていたのを、伯父宅で見たからである。

 其れを見て、成程、袖が膨らんでいるな、などと思ったのである。

 ザッと見ても、五、六十年は前の物であろうから、此の物語の舞台も、自然、其の辺りの時代設定だろうと紘一は推察している。


 其れが今も西洋の女の子の一般的な服だ、とは言い切れないので、紘一にしてみれば、目新しくて西洋風(ハイカラ)とまで言って良いか如何(どう)か、というところである。


 紘一の知り合いの牧師夫人も、地味に装うべき立場ではあったかもしれないが、其れ程華美ではない、簡素な形の服を着ていた。


 作中に在る、無駄に布地を使う様な袖の服、という事は無かったのである。

 見様によってはPuffed sleevesを古臭いと思う人も居るかもしれないのだった。


 だが(そもそも)聴衆は、洋装も西洋人も(ほとん)ど知らないのだ。時代背景よりは、衣装で添えられた異国情緒によって娯楽の価値が高まる事の方が重要であり、気になるのは、流行よりも美醜で、陶冶の想像する月子にPuffed sleevesが似合っているか否かの方が重要であろう。


 結局、袖の形容に関する事は、考察も含めて、紘一だけの拘りで終わった。


 月子が清子に、好子の為に頼んでおいた靴を持って緑家(みどりや)を訪れた場面では、陶冶は、周二の寝台の上で、両目を閉じてから両手で顔を覆い、天井を仰ぎ見て動かなくなった。


 曰く、友人の為に、そういった行動を取る月子が可愛くて堪らなく思えたとの事である。


 他の五人で、笑いを噛み殺しながら、陶冶の気分が落ち着くのを待った。

 如何(どう)にも月子が御気に入りの様子である。


 やがて、好子の妖精役も無事務まったので、皆喜んだ。

 吉雄が、やはり好子に許してもらえていない場面では、遂に紘一も、安幾の父である吉雄の顔が思い浮かんでしまう様になり、全員で笑った。


―こうなると、本当に、十代の男子として想像するのが難しいな。


 皆が如何(どう)して吉雄という名だけで笑うのか、という事が自分にも理解出来て、紘一は何だか嬉しかった。


 紘一自身は全く無意識だったが、改めて考えてみると、自分だけが知らない人物の話で皆が盛り上がるのは、少し寂しい事だったのかもしれない。


 好子が、物語を作る集まりを始めると、陶冶が目を点にした。


 月子が、自作の物語に、殺人事件を多用する、というのである。


 月子の言い分では、登場人物を如何(どう)扱うべきか分からず、彼らを殺して、物語上から取り除いてしまう、というのである。


 物語を作る事が得手ではない月子が、学校の授業の為に努力して、物語を作る練習をしよう、と、そうした集まりの為に作品を作ろうとする事に対して、紘一は(むし)ろ常に無く好感を持ったのだが、陶冶は違ったらしかった。


 殺人事件の話を沢山書く、という月子と、陶冶の頭の中の優しく友人想いの美しい月子との間に溝が有ったらしい。


―そりゃ、片端(かたっぱし)から登場人物を殺すっていう発想は穏便じゃないし、雑って気はするけど。可愛くて美人なだけで無個性、って感じだった月子に、面白味(おもしろみ)っていうか、ちょっと風変わりな(スパイス)が加わる気がするし、俺は、大人しい、優しいだけの月子より好いけどな。だって其れだけじゃ、単に可愛い女の子、っていう記号っていう感じで、如何(いか)にも脇役じゃないか。自分の幻想を投影するには、そんな記号が打って付けだけど、面白くはない。


 優しく友人想いである事と、殺人事件の話を書く行為は、実は別であろう、と紘一は思う。

 何も、殺人事件を書く者が殺人を起こす、という因果は無いし、月子の其の行為だけで、月子の内面を決め付けるのは、可愛い子には善い事だけをしていてほしい、という様な、月子に対する幻想、という気がする。


―でも、俺と辰ちゃん以外には妹は居ない様だから、異性に幻想を抱くな、というのも無理が有る気がするし、(そもそも)架空の人物の月子に幻想を抱いて何が悪いのか、って話だしね。皆、娯楽として気に入ってくれているわけだし。


 そして、紘一は、ある点に気付いた。


 典型的な男前であるギルバートが、典型的な黒髪の美人であるダイアナを好きにならず、美人には育つのであろうが、どちらかと言えば個性的なアンに関心を持つのである。


 主人公が、赤毛に引け目を持っている、というのが、以前は理解出来なかった紘一だったが、最近、読み返した事でCarrotsという言葉に潜む侮蔑に気付き、以降、其れについて何らかの差別意識が文化的に存在するであろう事が推察されたのである。


 其処で今、ギルバートが、赤毛であるアンの方を選び、アンが、刻苦(こっく)勉励(べんれい)して孤児の女の子である事を克服していく事にこそ、何らかの意図が有るのかもしれない、と思うに至った。


 此の話が他の話と違って面白いのであれば、実は其処なのではないか、という気がするのだ。


 そして、もう一つは、ルビー・ギリスの扱い方である。


 ルビーが、典型的な、軽薄そうな金髪美人として描写されているのだ。

 多少男好きと言っても良いくらいである。


 美人のダイアナに其の部分を付与せず、そういう部分を全てルビーに託している、というのも、紘一には面白く感じる。


 だから、陶冶の印象はある意味正しいのだ。


 登場人物の個性として、其の様に個々に純化されたからこそ、ダイアナ、もとい月子の良さが引き立ち、アンもとい好子の親友として相応しい印象になるのだろう。

 

 其れを証拠に、陶冶は、ルビーもとい紅子には、其処まで良い反応をしない。


 紘一の訳し方のせいも有るだろうが、紅子の書かれ方自体が単に好子の友達、程度だからである。

 

 個性、という点では、実は、紘一は月子より紅子の方が面白いと思うのだが。


 そう、仮に、最初に、周二の話から綜一が受け取った様に、好子と吉雄の恋愛話として『緑家(みどりや)の好子』を考えるならば、ある意味下手な話ではあるのだ。


 男前が典型的黒髪美人と結ばれる為の当て馬に金髪美人が出てきて、男前が如何(いか)にもてているかを表現する為に赤毛の個性派美人の男前への思慕の話を持ってきた方が、話としては収まりが良い、と紘一自身は思う。


 だから、此の話が恋愛話ではない事、男前と典型的黒髪美人がくっ付かない事、通常引き立て役の赤毛の孤児の女の子が主人公である事が、此の話の個性で、其れが此の話を面白くしているのではないか、と紘一は考察した。


 其の様に、紘一にしては珍しく、様々な感想を、『緑家(みどりや)の好子』に対して持ったのであるが、陶冶が戸惑った顔をするのが面白くて、紘一は結局、何も言わずに笑ってしまった。


 すると、陶冶以外、綜一も含めて、皆笑った。


 陶冶は、少し納得していない様子だったが、続けてくれ、と言った。


 好子が手違いで髪の毛を青銅色に染めてしまった場面は、結局、好子が自分の赤毛を気にしている事を話題にしなければならなかったので、紘一は多少気が引けたが、綜一に気を遣い過ぎるのも良くない気がして、其の(まま)淡々と語った。


 聴衆のうちの誰かが、好子の失敗を面白がるかと思いきや、女の子が長い髪を不慮の事態で切らなければならなくなった事に対して、皆同情していた。


 皆が物語に感情移入し易い事にも、紘一は慣れてきた。


 辰顕や綜一まで次第に引き込まれてくる、というのは、紘一には興味深い事だった。


 陶冶は、気の毒そうに言った。

「そりゃ、親友の月子が美しい黒髪だ、というのであれば、好子が其れに憧れても責める事は出来ないなぁ、俺には」


「そろそろ容姿の事で悩む年頃だよね」

 薫陶も、神妙な顔をして頷いた。


 周二も切なげに言った。

「表紙の絵を見る限り、こんなに美人に成長するのだから、安心して良いよ、って、教えてあげたい気分。髪の色は其の(まま)でも美人に成長するなら、好子には好子の美点が有る筈だから、きっと髪の色なんて関係無かったと思うのに、其れを悪いって決め付けて変えちゃったら、好子の好いところも無くなっちゃうかもしれない。でも、其れでも好子が黒髪にしたかったのなら、せめて成功させてあげたかったなぁ、髪を染めるの」


「しかし、染めても、伸びてくる毛は前の(まま)なのだから、其の時ばかり美しい黒髪になれたとしても、後が大変だったかもしれんぞ。保つには染め続ける必要が有るし、前の髪の色を知っている者からは、髪を染めただろう、と陰口を叩かれたかもしれん。何とか、短く切る事で流行の髪型だと誤魔化し(おお)せて、本当は一番良い方向に向かったのかもしれんぞ。塞翁が馬だ。此れで好子も、二度と染めようなどという気は起こさん筈だ」

 赤毛を気にしているかと紘一が思っていた綜一は、意外や、建設的な意見を述べた。


 他の者も、そうだねぇ、などと言って、納得した様子で頷いた。


 紘一は、変に気を回さなくて正解だったかも、と思った。


 陶冶は、ふぅ、と溜息をついて、言った。


「国は違っても、長い黒髪に対する憧れ、何てものが在るのかぁ。やっぱり、つい肩入れしちまうよ。気持ちが分かるもの。そりゃ、美しい髪になりたかろう。逆は()ず居ない。加奈陀(カナダ)亜米利加(アメリカ)はまた、違うのかもしれないが、加奈陀(カナダ)とも交戦中なわけで。しかし、鬼畜米英、米鬼などと西洋人に向かって言ってみたところで、妙なもので、こうして読むと共感出来る事が多いな。登場人物も好ましいし。鬼と呼んでも、相手の頭に角が生えていると本当に信じているわけでも無いが、こうして物語を知ると、家族が居て友人が居て、年頃になれば容姿の事で悩みもする、自分と何ら変わらない同じ人間なのかも、という気がしてしまう。名前は日本風にしてもらっていたし、最初は頭の中でも、瑛子みたいな日本の子達を想像していたけど。紘が術で見せてくれた姿から考えても、最近は、同じ人間だと思ってしまうよ。敵を憎まないのは、良くない事なのだろうか」


 士気を保つ、という意味では、そうでしょうね、と、紘一の寝台に腰掛けた綜一が、陶冶の方を見ながら、静かに言った。


「敵性語などと言って、こういうものを読ませない風潮にするのは、そんな側面も存在するのかもしれません。同じ人間だから、と、いちいち共感していては、戦いの邪魔になりましょう。結局俺達は、相手への共感を断つとか、相手を人間ではないと思わなければ、長くは戦えないのかもしれません。やはり嫌です、空襲を受けたからと、例えば、瑛子さんや(いっ)ちゃんくらいの年の彼方(あちら)の女の子に火を点けよう、とは、自分では考えられません。民間人には手を出さない、という話では無く、感情として、嫌です。しかし、其の感情の根幹を見詰めていては、恐らく戦えない。相手にも家族が有ろう、親が有ろう、子が有ろう、知り合いの誰それと同じ年だ、などと考えながら戦い続ける事は、やはり人間には出来無いのでしょう」


 そうだな、と陶冶は言って、俯いた。


 病室に静寂が訪れた。

※『ハイカラ』 明治時代の流行語が定着した言葉。英語の『high collar』が由来。

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