昭和二十年 八月七日 坂本紘一 七夕への疑問
※旧暦の御盆は七月十五日で、一週間前に当たる七月七日から御盆の準備をする地域も在る。七日盆。七夕の笹が先祖の魂の依り代になると考えて飾る、もしくは盆踊りで笹を持つ、という地域も在り、七夕と御盆の行事が繋がっている地域は全国的に多い。
※滝野川区 現在の東京都北区の一部。昭和二十二年に王子区と合併して北区になった。
※七夕の馬の飾り 七夕馬。東日本に多い、稲藁や真菰で七月六日または八月六日に作られる馬の飾り。
※梅雨は物を流して長く降る雨の意の方言。梅雨とも。梅雨。鹿児島は昔から水害の多い地域で、溺死者が出らんな梅雨ゃ明らん、つまり、七夕頃に水害で死者が出なければ梅雨が明けない、と言われていた頃が有った。
※孟宗竹 元文三年に清国から琉球経由で輸入され、島津氏別邸・庭園の仙厳園に献上されたとの説有り。現在も、仙厳園内に、江南竹林として在る。以降植栽され、育成域は増加の一途を辿った。島津家三十代当主忠重の随筆『炉辺南国記』に、孟宗竹に五色の短冊を飾った七夕飾りの記述が残る。
※七夕紙 五色の色付き紙。
不安な紘一の気持ちとは裏腹に、病院の母屋の庭では、子供達が楽しそうに、静吉と、七夕の飾り付けをしている声がしていた。
静吉が、何処からか、笹どころか其れは最早竹でしょう、と言いたくなる程の、立派な笹を切って来て、夕方から庭に飾る、と言うので、今、子供達が大喜びで、雑紙やら何やらを持ち寄って、短冊や飾りを作っているのである。
物資不足で、綺麗な五色ではないところが少し寂しい感じがしたが、母が未だ存命の頃、家族で一緒に軒先に笹を飾った事を思い出し、紘一は懐かしくなった。
今年の七月は七夕どころでは無かったというのも有るが、江戸時代には五節句の一つとして盛んだった七夕は、明治に入って祝日ではなくなってから、東京では一時期廃れてしまっていたそうである。
昭和に入ってから少し遣る家が増えたとかで、赤坂の辺りで笹飾りを見た事は有ったが、昭和四年生まれの紘一自身は、自分の家以外で笹を飾る家を近所で殆ど見掛けなかった。
新三は、梶の葉の飾りを友人同士で送り合っていたし、奈穂子は七夕には何故か毎年素麵を食べさせてくれたが、此処何年かは素麵など手に入らない。
工場の人が、野菜で馬や牛を作ってくれたし、滝野川区では、七夕の馬の飾りを作っていると教えてくれたから、七夕に対する思い出は、バラバラながらも持ち合わせている紘一だった。
―でも、月遅れでも、笹飾りを見る事になったのは意外だったな。
「今日が七夕とは知りませんでした。八月ですよね?今」
紘一の言葉に、辰顕が微笑んで、ああ、と言った。
「旧暦合わせだから。八月七日が七夕なの。因みに、先刻していた誕生日の話だと、今日生まれたのがアッコおばちゃん」
「ああ、だからアキさん、か。綺麗な、良い名前だね」
旧暦の七月は秋の始まりなのである。
其れがね、と言って、辰顕は笑った。
「本人は綺麗な名前だとは思っていないみたい。安直だなんて言うの」
「そう?今となっては、七夕が秋の季語、って思えば、捻っている方だと思うけど。新暦だと、八月七日の印象は盛夏だからね。最近なら夏生まれって思われそう。夏生まれの安幾さん」
辰顕と紘一の会話を聞いて、陶冶が、へぇ、と言った。
「良い話を聞いたな。安幾さんの誕生日か。七夕、好きになれそうだ」
「…七夕、御嫌いでしたか?」
綜一の意外そうな言葉に、陶冶は苦笑いして、まぁね、と言った。
「いや、ああした行事自体は賑やかで好きだよ。ただ、七夕の頃って、台風や水害が多くて、人が死ぬ印象が有るものだから。長梅雨になったら悲惨だよ。うちの親が、七夕の頃には人が死ぬ、とよく言っていてさ。だから、七夕飾りは雨で流れるまで供養の為に置いておく、と、死んだ母が言っていた。七夕って、御盆も近いし、何だか、御別れ、って気がして」
そうでしたか、と、綜一が静かに言った。
「溺死者が出らんな梅雨ゃ明らんとは言いますが。此の辺は水が豊かな分、水害も多いですよね」
紘一には、綜一が何を言っているのか聞き取れなかったが、陶冶は、まぁなぁ、と言って苦笑いしてから、よし、と言って窓を開けた。
「湿っぽい話を続けるのは俺には似合わないから、ちょっと庭に行って、笹を立てるのを手伝って来る。…あれ、笹か?豪い太い(ふとか)な。此の距離で笹が見えるって、変じゃないか?」
陶冶が不思議そうに、窓から見える笹について言うのが可笑しくなって、紘一は笑った。
紘一にも、笹と言うよりは孟宗竹に見えるのだった。
「良いですね。俺、周ちゃんも誘って来ます。飾りを作るの、上手そうだし」
紘一の言葉に、他の三人は、揃って苦笑いした。
其の意外な反応に、紘一は思わず、キョトンとしてしまった。
「え?」
「いや…あいつさ。上手過ぎて、飾りなのか何なのか、よく分からない飾りを作るものだから。学校で作った時は、細か過ぎて埖が笹にへばり付いているのか、みたいな飾りを作っちまって。…近くで見たら織姫と彦星だった時は腰抜かしそうになったな」
陶冶の言葉に、分かります、と綜一が言った。
「既存の型から逸脱した七夕飾りを作る奴ですよね。妙に小さかったり、笹の枝から食み出す程大きかったり。飾り、という枠に捕らわれなさ過ぎると言うか」
苦笑いする綜一に、紘一は思わず、伝統の行事なのに?と聞いてしまった。
そう、伝統の行事なのに、と、三人が声を合わせて言った。
「いや、あれは継承出来ないよね。周ちゃん一代限りの飾りだよ。七夕だけど、七夕じゃない、と言うか。七夕の要点は押さえてある、と言うか。作品?」
辰顕の言葉に、逆に其れを見てみたくなった、と紘一が言うと、皆揃って笑った。
昼寝から薫陶が起きて来たのを契機に、周二も誘って、全員で病院から母屋の庭に向かう途中、紘一は、辰顕に聞いてみた。
「学校で七夕、遣るのね。昔は寺子屋で、和歌なんか書かせたって聞いたけれど」
ああ、と言って、辰顕は微笑んだ。
「瀬原集落じゃ、五つの家毎に七夕で遣る行事が違うものだから、学校でもないと、他所の家の子と一緒に七夕が出来ないから。学校から帰ったら、其々の家で七夕を遣っている筈だよ」
「そうなの?」
紘一は思わず、驚きの声を上げたが、辰顕は、明るく、そうそう、と言った。
「偶々、上方限の土地の整備や管理をしている清水衆が、尋常小学校に笹を提供してくれているから、清水衆の遣る七夕行事を学校で遣るっていうだけ。竹や笹って間引かないといけないから、ついでらしい。里の中には竹林は無いけど、庭に篠やら何やら植える家は有るからさ。…本当に誠吉さん、何処から、あんな立派な笹?竹?を…?」
「え?清水衆って、そうなの?上方限の土地の整備や管理?」
「うん、綺麗だったでしょう?上方限。あと、里の埖収集とかね。堆肥を作ったり、紙塵を集めたり。下方限は瀬原衆が遣っているけど。木が多い場所柄、あんまり荒れない様にしてくれているみたい。以前は吉野衆も遣ってくれていたみたいだけれど、保親殿が当主になってから、寡聞にして聞かないねぇ」
そうだねぇ、と、紘一達の前を歩いていた周二が、此方を振り返って言った。
「昔は坂元家が長の補佐、吉野衆と清水衆が集落の土地の管理。で、実方衆が伶人なのは今もだけど。そんな風にして、家毎に役割が分かれていたみたいなの」
如何いう事だろう、と紘一は思った。
「…家毎の役割が有って、七夕の行事も別…?」
そうそう、と辰顕は言った。
「うちは、小さい舟を木で作って、川に流すの。其れを御精霊さんって言って、其の儘御盆の行事に入るの。瀬原集落の小川に、小さな舟を流してさぁ、懐かしい。後は、野菜で馬や牛を作るの。で、御供物と一緒に飾って。最近じゃ、御盆の為に御供物の食べ物は取っておいて、七夕の御供物は少なめだけど、七夕は芸事の上達の祈願だからね。伶人の家じゃ、欠かすわけにはいかないし」
周二は、そうなの?と言った。
「芸事かぁ。でも、楽を奏する家柄ならねぇ。大事な事か。俺は、御墓参りのついで、っていう印象が強いから、ピンと来ないなぁ。そう、確かに、御墓参りして、其の儘御盆の行事に入るな、って。俺、瀬原衆の七夕は、参加した事無いけど、吉野衆の七夕はね、七夕の日に御墓参りに行って、墓掃除をするの。其の後、餡団子を食べたよ。後は、七夕の笹を物干しにしたりするの。清水衆も、七夕の日に御墓掃除するね。女の子の居る家は、七夕紙で着物を作って笹に飾ったり、短冊を作って飾ったり。あ、短冊の事、ヒロヒロって呼んでいたなぁ」
そう言えばそうだね、と辰顕は言った。
「吉野衆も坂元 衆や清水衆同様笹を飾るけど、実方衆は、そう言うの、聞かないなぁ。川に小舟流すの、割と楽しいよ。そうだ、周ちゃんと一緒に遣った事有るけど、清水衆は、七夕の墓参りの後、御茶請けにソマンカッパヤキを食べる」
「ん?ソマンカッパヤキ?」
紘一の疑問に、美味しいよね、と言って周二が微笑んだ。
「キヌおばちゃんが生きていた頃、食べさせてくれたなぁ。蕎麦粉と細切た薩摩芋と黒砂糖を少し入れて、両面焼いてさ。蕎麦粉を焼いて乾燥させるから蕎麦の乾燥焼きなのかな?何故そんな名前なのかは分からないけど」
「…あ、そうなの?」
結局、周二の説明では、ソマンカッパヤキが食べ物らしいという事しか分からなかった紘一が、目を白黒させていると、辰顕が、丁寧に説明してくれた。
―駄目だ、辰ちゃんが居ないとやっぱり、時々綜ちゃんや周ちゃんが何を言っているか聞き取れなくて分からない。伊達巻きがダテマッの時点で軽い挫折感を覚えたからな。
「…そう、本当に全然違うね。…一緒に七夕が出来ない程だとは思わなかったけど…。教えてくれて有難う」
二人に礼を言いながらも、其れって、もしかして、と紘一は思った。
―同じ集落の五つの家で、一つの行事が、一緒に行えない程違う、というのは、流石に妙だ。…誰も疑問に思わないのかな?
否、此れが東京なら分かるのだ。
渋谷の家も、近所に、関西から出稼ぎで出てきて住み着いたという人が居るのだが、行事が紘一の家と全く違うのである。
―…東京みたいに、住んでいる人が『彼方此方から移住してきた』、という事なら理解出来るけどな。ただ、そうなると、『隠れ里』って、一体何だ?
紘一の家は笹飾りを、ただ軒下に飾る。墓参りには行かない。『御盆と七夕は別』だった。短冊も書かない。
そして、今、他の三家の七夕の行事を知った。
清水 衆、吉野 衆、坂元 衆は笹を飾るが、『大隅に遠縁が居る』という実方衆は『笹を飾らない』し、『野菜で牛や馬を作る』。
此れは、家の違いというよりは、移住前に住んでいた土地の地域差なのではないか、と紘一は考えた。
―東の方では、御盆に野菜で牛や馬を作る地域は有るけど、実方衆は七夕に其れを作っているわけだ。つまり、坂元 衆以外は、七夕と御盆が一続きの地域から来たのかな、なんて…。で、推測だけど、清水 衆と吉野 衆は、御互い、比較的近い地域から移住してきた?いや…此れだけじゃ、考える材料が足りない。
七夕行事というのは、辰顕も言っていたが、本来、字や裁縫、楽器の上達といった、『芸事の上達』を願う行事なのである。
巧みになる事を乞う祭り、という意味の字を書く、中国伝来の宮中行事、乞巧奠が、民間に広がる際に、祖先信仰と結び付いたり、御盆の習慣と結びついたりしたのだと紘一は思う。
笹を飾る、というのも、乞巧奠の行事には見られない。
梶の葉に和歌を綴った、という事は有るらしいが。
笹を飾る時点で、そして乞巧奠が七夕という名になった時点で、かなり変容してしまった行事なのだ。
そして、此の言い方が正しいか分からないが、身分が上の層から下の層に伝播した行事で、伝播の際、様々な要素がくっ付いたが故に、身分や地域が違うと、七夕の行事が違う事が多いのではないか、と紘一は考えた。
瀬原衆の七夕行事が分からないので、比較は出来ないが、此の、七夕行事の違いや、其々の家の役割が違う、という事で、何か分かる事は無いだろうか、と思い、紘一は、更に質問を口にした。
「えーっと、坂元家が長の補佐、実方衆は、伶人の家柄。清水衆と吉野衆は上方限の土地の整備や管理。里での役割が、家毎に其々分かれているのは分かったけど、瀬原衆は?」
紘一の質問に、周二と辰顕は、顔を見合わせた。
「言われて見れば…何だろう?辰ちゃん」
「うーん、猟とか、猟の獲物の解体とか、瀬原衆しか遣らない事は有るけど…役割?考えた事無かったなぁ」
其の時、先を行っていた清水の双子と綜一が、早く来いよ、と、明るい声を掛けて来たので、周二と辰顕と一緒に、はぁい、と返事をした紘一は、其れ以上質問出来なかった。




