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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第二章 昭和二十年 八月
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昭和二十年 八月六日 坂本紘一 巫女の復興

 紘一は本を開く。


 皆聞き入っている。


 好子が、小岩牧師夫人に身の上話をする場面では、綜一ですら悲しげな顔をした。


 好子の学校の先生が、(うまや)海子(うみこ)という女性教員に代わるという噂を聞いていると、辰顕の寝台に座る陶冶が、手を打って喜んだ。


 そして、命令ごっこ、という危険な遊びで足を挫いた好子は、六、七週間歩けなくなる。


 皆が、ハラハラドキドキして話を聞いているのが、紘一にも伝わってくる。


 輝子が好子を心配する場面では、綜一も含め、全員が涙した。


 好子の見舞いに訪れた厩先生が、金髪碧眼の若い女性と知り、陶冶は、おお、と喜びの声を上げた。

 辰顕が、少し喜び過ぎでは無いですか?と言って笑った。

 陶冶が、洋の東西を問わず美人が好きだという事は、紘一の中で、最早疑い様も無い事実と化していた。


 其の、陶冶の御気に入りの月子が病気かもしれない、という情報が入り、皆の顔が曇った。


 脚の怪我のせいで月子に会いに行けない好子の苦しみは、またも聴衆全員を泣かせた。


 其れが誤報で、好子が歩けるようになると、皆ホッとした顔をした。


 好子が作文で、将来の夢を書く場面では、皆微笑ましく思ってくれたらしかった。


 紘一は、月子が、好子が赤毛なので劇の主役である、女王役にはなれないかも、という危惧を口にした箇所を、上手く飛ばした。

 結局好子は、主役の女王ではなく、女王の御付きの妖精役の一人に決定した。


 今日は、其処で終わった。


「良い先生じゃない、厩先生」

 周二が笑顔で拍手を送ってくれた。


 周二の寝台に座る薫陶も、周二が無邪気に喜ぶ様子を見て微笑み、一緒に拍手をした。


 紘一は、毎度そんなに気に入ってもらえて恐縮だな、と思った。


 綜一は、泣いたのが恥ずかしかったらしく、紘一の寝台の上に腰掛けた(まま)、黙っている。


 紘一も、綜一が読書会で泣くとは思っていなかったので、内心驚いたのだが、黙っていた。


「演劇は()(かく)、妖精の役、というのが、あまり、よく分からないけど。綺麗なものなのかね、女王の御付きっていうのは」

 陶冶が、そう言って首を傾げた。


 そうですね、と紘一は言った。

「妖精っていうと、西洋では大体は美人の絵ですよ。そうでないものも居ますが。其の場合は、魔物、みたいに訳そうかと思います」


 美人と聞いて、陶冶は案の定喜んだ。

「表紙の絵を見る限り、好子も美人だしな。明日も楽しみだな」


 陶冶の声が明るい。やはり、美人は受けが良い様である。


―…今なら、聞けるかな。


 あの、と紘一は言った。

「ちょっと、全然違う話をしても良いですか?」


 如何(どう)した、と、陶冶が言った。


 紘一は続けた。

「今日の事なのですが。空襲、結局俺、言い当てたみたいになっちゃって。皆、如何(どう)思いました?」


 如何(どう)って、と、陶冶は戸惑った様に言った。

「驚いたけど。紘は、自分が巫女舞の後、何を言ったか覚えていないって?」

「はい、全く覚えていないです」


 ちょっと似ている、と薫陶は言った。

「術を使い過ぎた後の感じに似ている、と思った。自分が自分でない感じがして、ちょっと記憶が無くなる」


 皆、バッと薫陶を見た。


「薫ちゃん、そんな事になっていたの?」

 周二は、寝台の上で、オタオタしながら薫陶に詰め寄った。


 陶冶も、泣きそうな声で、薫、と言った。

「そんな事になっていたなら俺に言えよ。大丈夫なのか?」


 辰顕も慌てて言った。

「幾ら何でも遣り過ぎですよ、薫さん」


「あれ?皆、そうならないの?」

 薫陶の疑問に、綜一が首を振って言った。

「幾ら何でも、其処までなった事は無いですよ。体力が無い頃は疲れて眠ってしまっていた事は有りますが」

 そうなの?と薫が言った。


 紘一は、分かります、と言った。

「術を使い過ぎると、此の辺りに、もう一人誰か居るかな、って感じがしてきて。気が付くと半日経っていたり、何分か前くらいの記憶が曖昧だったりします」


 紘一が、そう言いながら、自身の左耳の辺りに触れると、薫陶が、分かる、と言った。


「いやいやいや、駄目だろ、其れ」

 陶冶は、ブンブンと首を振った。


 見れば、薫陶と紘一以外の全員が色を失っていた。


「ええ、俺も駄目なのだろうと思います」

 紘一が、そう言うと、薫陶も、俺も、そう思う、と言った。

「何回か、あ、死ぬかな?と思った。遣り過ぎは良くないと思う」


 薫陶の言葉に、周二が、真っ青になった(まま)、えー?と言った。

「そんな、遣り過ぎると死んじゃうかも、みたいな、危険な事していたの?俺達」


 そうだね、と薫陶が答えた。

「周も、大人達に、習いたての頃、使い過ぎるなって言われなかった?」


 薫陶の言葉に、周二は、納得いかない様子で、言われたけどぉ、と言った。

「俺、結局、祈祷師(ウセンシ)の仕事もした事無いし、使い過ぎる程遣った事無いもの」


 薫陶は、うん、と頷いて言った。

「其のくらいが良いと思う」


 紘一も、頷いて、薫陶に同意して言った。

「俺、弟が居るって、薫さん達に言いましたっけ?其の弟ですが、術も巫女舞も出来ないのです。其れは、親が真剣に教えなかったせいも有ると思います。俺が五、六歳で出来る様になって、危なかったから、下には敢えて教えなかったのかも、って」


 紘一が、そう言うと、其の場に居た全員が、ええ?と声を揃えて言って、紘一の方を見てきた。


「幾ら何でも早過ぎるだろう?」

 綜一が目を剥いている。


 此れには紘一の方が驚いて、そうなの?と、思わず聞き返してしまった。


「就学前に出来る様になった奴の話なんて、聞いた事が無いぞ。大体は、学校で習うのだ。七つで出来る様になった俺ですら、早いと言われていたのに」


 綜一の言葉を、紘一は意外に思った。


 紘一は、物心がついた時には、何となく遣り方が分かっていたのである。


 陶冶が困った様に言った。

「御前、本当に()(ばる)集落の外で育ったのだよな?凄いぞ、紘。色んな事が出来過ぎだ。巫女舞も凄かったし」


―あれ?困られた。


 陶冶は、ハッキリと言った。

「巫女舞は危険だ」


 病室が一瞬、沈黙に包まれた。


 (やや)あってから、陶冶が続けた。


「双子の実験を綜や周にさせたくないと思ったのは本心だよ。相手が何歳だ、とか、関係無い。例え、綜と周が何歳でも、自分より年が下の者に遣らせるくらいなら自分が遣るって思った。でも、そんなに薫が危ない状態だったとは、今の今まで知らなかった。でも見たところ、巫女舞は、もっと危ない」


 其れでも、と紘一は言った。

如何(どう)ですか?復活させたいですか、巫女舞」


 病室が再び、水を打った様に静まり返った。


 紘一は、少し間を開けてから、続けた。


「多分、出来ると思います。あの…俊顕さんから御説明されたかとは思いますけど、秘伝の巻物なんて無いのです。でも、そんな物が無くても、多分俺は、巫女舞の復活が、ある程度出来ます。舞は添え物らしいですが、母が舞っていたくらいの舞なら出来ますし、御託宣みたいな事も、如何(どう)やら出来ました。此処を去ってしまうけど、遣り方の考案くらいだったら出来るし、其の知識を残りの日数で伝えていける事も出来ると思います。何回か、俺が、あの状態になってみる必要は有りますが。見てみて、如何(いかが)でした?皆、如何(どう)思った?」


 綜一は、復活させたくない、と、ハッキリ言った。


 でも、と紘一は言った。

「苗の神教の、大事な儀式でしょう?復活させたい人が居るから巻物なんて話になるし。巻物が無い事の証明は出来ないけど、要は、巫女舞が復活すれば文句は無い筈だもの。其処に権威も生まれて、里が(まと)まるかもしれない」


「俺は復活させたくない」


 もう一度、ハッキリと綜一は言った。


「紘。俺は実際に巫女舞を見てハッキリ分かった。行われなくなった、(すた)れたからには意味が有る、と。あの状態を意図的に作り出すのは危険だ。巫女の修業とは、要は、あの状態を比較的安全に意図的に作り出す為のものなのだろう。御託宣が当たったのだって、偶々かも分からん。次、御託宣が出来ても、当たるか如何(どう)か分からん御託宣を得る為に、そんな危険を冒して良いのか?御前だって、あの状態を繰り返したら危ない。修業して、安全な状態で、あの状態になる方法は既に失われている。偶々、あの状態になる方法が分かっただけだ。非常に危険な行為だ」


 危険だけど、と紘一は念押しした。


「でも、復活する事が出来るし、御託宣も得られるなら、俺は、出来るのに、其れを遣らなくても良いのかな。結局、巫女舞が残っていたら、坂元本家だって、こんな、追い遣られた立場に居なくても」


 そうかな、と言って、周二が泣いた。

「大事な事かもしれないけど、俺には紘より大事じゃないよ」


 紘一は、驚いて、周二の顔を見詰めた。


 周二は続けた。


「第一、坂元の人の為になるのかも、本当のところ、分からないじゃない。栄さんも言っていたじゃない、巫女は孤独だって。修業で失うものも有ったって。友達が居なくなったら、ハナ子おばちゃん、虚しいだけの、死んじゃいたい様な娘時代だったって。巫女舞を復活させて、巫女さんを復活させて、また、そんな思いを女の子達にさせるの?…きっと、親が巫女だったから、とか何とか言われて、(みっ)ちゃん達が遣る様な状況に追い遣られるよ。そんなの、坂元本家の人達は喜ばないと思う。紘も、あの状態になるのは危ないのに」


「あ…(みっ)ちゃん達が巫女に?」


 紘一がハッとして、そう言うと、そういう事になると思う、と辰顕が言った。


「危険が有る、という話を込みで知られたら、尚更押し付けられるよ、御前達のせいで巻物が無くなったから、復活出来るなら協力しろ、とか言われる。遣らせるからには、危険の説明をしないわけにもいかないし。人間って、そんなに簡単に本質は変わらない。きっと、坂元本家を追い遣った人間は、坂元本家に負担を強いてくる。だから、此の(まま)(すた)れさせた方が良いよ、きっと。秘伝の巻物なんて存在しないのだから、巫女舞が出来る人間も、居ない事にしてしまおうよ」


 そう言う辰顕は、真剣な目をしていた。


 俺はね、と薫陶が言った。


「怖かったよ、御託宣。当たっていたから、余計怖くて、全部当たっているか如何(どう)か、確かめる為に、此処に残らずには居られなかった。避けられない事を知ってしまうって、怖いよね?何とかして避けられるなら良いけど。空襲が起きても此処は焼けない、って。そりゃ、此処は焼けなかったけど、他所(よそ)は焼けたわけだよ。大勢死んだ。空襲自体は避けられなかった。俺は、其れが怖かった。昔だって、豊作とか、そんな内容くらいしか御託宣に対して期待していなかった筈だよ。其れだって大事な事だもの。もう、天気予報とかに頼るべき時代なんじゃないかな。そりゃ、今は天気予報自体、軍事機密だけど。御託宣を必要としない時代に、此れからは、なっていく、って、信じたい」


―そうか、昔から、そうだったのかも。


 静吉も言っていた。

 戦争に勝つか負けるかも、正しい予言は期待されていない。

 負けると言ったら相手にされない。

 聞く者を安心させ、士気を上げる為に、勝つと言って鼓舞し続けなければならない。


―其れで、勝てなかったら、責任を取って、処刑か自決。そうか、昔から、当たるか如何(どう)かを期待されて行われるものじゃなかったわけだ、御託宣は。


 巫覡(ふげき)とは、権威を持つ代わりに、もしもの時には生け贄、人身御供になる存在の事でもあったのかもしれない。

 否、其れ故に、其の存在には権威を(まと)わせてあったのかもしれない。


 生け贄になる価値の有る美しい者が、其れを遣る様に。


 薫陶が、俺さ、と言った。


「人間を殺しかけた、術で。凄く嫌だったよ。あの時の事、想像しただけで、自分の心臓が止まってしまうのではないかって思うくらい」


 やはりそうか、と紘一は思った。

 薫陶は他人を術で殺めたわけではなかったらしい。


 薫陶は、悲しそうに言った。


「俺、(おさ)に泣きついてね。大事な術で人を殺したくないって。そしたら、此処に逃がしてくれた。俺、(ただす)殿の御意志の通り、宗教の奥義を、あんな実験に使うべきじゃなかった、って思った。俺、(ナエ)(ンカン)(サァ)は、そんな事は望んでおられない、と思ったよ。此処に逃がしてもらえて、本当に良かった。(おさ)には感謝しても、し足りない。きっと本当に、単に、術は術だ。幻影を他人に見せて、苗の神教の奇跡の演出以上の事は期待されていない。今、術が使えない人間も里に増えて来ているけど、其れは、必要が無くなってきたせいも有るからじゃないかな。もう、そういう時代じゃない。だから巫女舞も無くして構わないと思う。術が使えなくても、巫女舞は舞えなくても、信仰は出来る。きっと本当は、何かを信じ敬う事の方が、信仰の方が、大事なのに。術や巫女舞だけが大事だと思うと、多分俺達は何処かで間違う。紘も、自分の方を大事にして。紘よりも大事な事じゃ無いって、俺も、思うよ」


 そうだな、と陶冶が言った。


「俺は、秘伝の巻物自体は、何処かに在ると面白いな、と思っていた。誰かが持って逃げた、って話は信じていなかったけど、塚にでも埋まっていたりして、なんて。でも、巫女舞を見せてもらう前に、俊顕さんに説明して頂いて、質問したら、秘伝の巻物なんか無いって言われて、少しガッカリした。そしたら、巫女舞の途中で、巻物を出せ、とか言い出す人が行き成り出て来てさ。自分の心を読まれた様な気分になった。でも、やっぱり、無くて良かった。もし在ったのだとしても、誰かが燃したのかもって、今は思っている。無い方が良い物だから」


 紘一は、ふと、母が探していたのだという、冊子本(さっしぼん)の事を思い出した。


―でも、そうかもしれない。無い方が良い物なのかも。


 忘れよう、と綜一が言った。


「無くしてしまおう。御託宣の為に虚しい娘時代を送る人間も、術で殺人を犯すかもと怯える人間も無くそう。忘れよう」


 周二が、うん、と言って、涙を拭った。


 他の者達も頷いている。

 紘一も、分かった、と言って頷いた。


―…そうか、成ちゃん達の事、俺、考えられていなかった。其れに、巫女舞より、俺の方が大事だと言ってくれる人達が居る。…嬉しい事だな。


 其れは、やはり強い味方なのだ、と紘一は思う。


「あ、でも」

 周二が、そう切り出した。

「ねぇ、紘、一回だけ、術、遣ってみてくれない?凄いよね、あれ。紘のだけは。俺、如何(どう)やっているのか、本当に分からないの。だって、呪文無しだよ?」


「え?」

 驚く紘一に、皆も、そうだな、などと言う。


 辰顕は笑顔で、でもなぁ、と言った。

「本人が説明出来ないくらいだもの。俺達が何回見ても理解出来ないと思うよ」


 そうかなぁ、と言って、周二が少し唇を尖らせた。




 紘一が、じゃあ遣ってみる、と言うと、術を掛けた。

 全員、ワッ、と驚いて言った。


 術を掛けている側の紘一には見えないが、皆には何か見えているらしい。

 要は暗示なのだから当たり前だが、遣っている紘一の方が、実は不思議に思っている。


 他人には、どんなものが見えているのであろうか、と。


「だからぁ。如何(どう)して、此れだけで、こんな事が出来るの?呪文を唱えないなんて」

 周二は眉根を寄せて、そう言った。

 綜一も、こりゃ分からんな、と、同じ表情で言った。


 はい、終わり、と紘一は言った。

「短いでしょ?俺、あんまり長く出来ないの」


 清水の双子は首を傾げた。

「凄いな…。目くらまし、っていう実験、此れだと完成しそうな気がする。幻術を見せる前に呪文を唱えなくて良いのだものね。他人を術に賭けるまでの時間が短い。目くらまし、っていうだけなら、短時間で構わないもの」


 薫陶が、そう言うと、陶冶も、そうだよな、と言った。

「三年近く遣っていると職業病みたいになるよな。こうしたら、こう出来るかも、とか」


 辰顕は、ええっ?と言った。

「止めましょ?其の職業病」


 紘一は、ふふっ、と笑った。


―そうか、今の(まま)でも良いのか。何が出来ても、出来なくても、俺には味方が居る。


 外に居る自分に違和感が有っても良いと、紘一は初めて思えた。


―俺には味方が居る。


 紘一は、味方が居る様な自分を、誇らしくも嬉しく思い、受け入れた。

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