昭和二十年 八月六日 実方辰顕 蜥蜴の尻尾切り
其の晩、読書会の始まる前に、綜は、紘の寝台に乗り、寝台に腰掛けている紘に詰め寄った。
未だ清水の双子は病室に来ていないので、綜と周、辰顕と紘の四人しか居ない。
「なぁ、紘。何か気付いたろう?話せよ」
紘は、言い難そうに、憶測の域を出ないよ、と言った。
「俺が話せる様な事は何も無いもの。俺が考えているだけの話で、当たりっこないから」
綜は、ふーん、と言った。
当たりっこない、などという話は信じていない様子である。
―今までが今までだしね。紘の『憶測』って、大体当たるから。
辰顕も、誠吉や紘が何かに気付いた様子なのは分かっていた。
綜は、では、と言った。
「紘が話してくれるまで、付き纏う事にしよう」
周と紘が、えっ?と言った。
辰顕も驚いた。
―綜ちゃんが、そんな事言うなんて。
綜は、淀み無く言った。
「急に実験が無くなったし、付き纏う時間が出来たからな」
―成程、それで、少し機嫌が良いのか。
綜なりに、少し冗談めかして言っている心算らしい。
―表情が何時も通りだから冗談には聞こえないけど、多分そうだろうな。そうだった、綜ちゃんって、冗談が下手くそだった。
表情と機嫌が読み取りにくい幼馴染なのである。
紘は、うう、と唸った。
「責任を取る人と、責任の取り方について、ちょっと考えただけだもの。其れに、日本が勝てば済む話でしょ?」
「日本が勝つなんて言葉を今更、御前から聞くとは思わなかったが」
綜の鋭い指摘に、紘は再び、うう、と言った。
そうなのだ、出会ったその日から、紘は、其れを殆ど信じていなかった。
辰顕も、其の部分だけは少し可笑しかった。
紘は観念した様に言った。
「もしかしたらだけど、病院を建てる話を引っ張ってくるのに、吉野本家当主も一枚噛んだのかなって。八次さんの発想に一枚噛んで甘い汁を吸おうとして、術を使った仕事で、日本は勝つ、って、占い紛いの事をして、軍の人間を其の気にさせた。もしくは、吉野本家当主が、八次さんに、陸軍に取り入れる様に、そんな入れ知恵をしたのかな、って。長を尊敬している人間が、勝手に、宗教の秘術を披露して話を纏めようとしたとは考えにくい。一応秘儀だもの。軍人の誰かが霊障にでも悩んでいて、宗教団体として御祓いを依頼された、みたいな経緯でもない限りね。だって、其れが、祈祷師の仕事でしょう?だから逆に、祈祷師としての、苗の神教の仕事を知っていないと、軍は、其れを実験に利用しようという発想を『持たない』筈なのさ。軍は、何時、苗の神教の術の事を知ったのかな。…いや、知る人ぞ知る、という事で、もしかしたら、御偉いさん方には周知の事、という可能性も有るけど。操という、俺の母方の祖父は、そういう仕事をしていた様だしね。此の時点で、可能性は二つ。一番目は、最初から術の事を知っていて、利用しようとして八次さんの話を飲んだ。二番目は、病院を建てる話をする際に知り、此れは幸いと、術を使った実験による里全体の従軍を条件にする事を軍側が思い付いた。そして、八次さんは飽くまで長の側近。そして、宗教団体の長に忠誠厚いと言われる人の発想にしては、苗の神教の術を使って、戦争に勝つ、と言って軍を鼓舞するなんていうのは、出過ぎた行動、という気がする。そんな人なら、俊顕さんが忠義者、だなんて褒めやしないと思うもの。俊顕さんが言っていた、一応里全体の事を考えてくれている様だ、という見立ても外れていないと思う。そして長が、そういう心算で居たなら未だしも、長は関わっていないというなら、尚更妙だと思って。少なくとも、長は占い紛いの事をして軍に阿る気は無かった筈だ。術を使った実験による里全体の従軍、っていう軍の発想が『一体何処から来たのか』、俺は、ずっと疑問だった。だって、病院の話を引っ張ってくるだけなら、必ずしも必要な事だとは思えない。だから、一番目の可能性なのか、と、ずっと思っていた。そうでないなら、誰かが軍の人に、苗の神教の術を見せて、こうやっている、という説明でもしないと、抑知らない筈だよ、一応秘儀だもの。結局、占い紛いの事で軍を其の気にさせた、っていう話で、二番目の可能性が強まったな、と思っている。占い紛いの事をしたのが八次さんか吉野本家当主の何方かで、発案は吉野本家当主。そして、吉野本家当主の思惑の、甘い汁だけ吸うって事は、やっぱり出来なくて、長が、八次さんの尻拭いをした、って事の顛末が里の実験参加で、黒幕は吉野本家当主。多分…時期としては、うちの御祖父様の風評を流した頃か、其の前から二人が結託していて、今も割と密に遣り取りしていたとしたら、俺の疑問だった部分が埋まる。…憶測だけど」
「…ああ、成程」
辰顕は思わず、紘の言葉に相槌を打った。
荻平の話が本当なら、八次は、病で倒れた亡き友人の様な人間を出さない為に病院を建てようとしていた筈なのだ。
そして当然、其れは、里全体の事を考えての行動だった筈だ。
其れが、蓋を開けたら、術を使った実験による里全体の従軍という条件付きになっていた、というからには、先に、軍が、苗の神教の術の存在を知らなければならない。
―其処から既に吉野本家当主が絡んでいた、と。
「…有り得るな」
綜も、戸惑いながらも、納得した様子で、紘に相槌を打った。
紘は続ける。
「長が一人に、補佐が二人。荻平さんと八次さんって、仲良さそうでも無いけど、里の中に、其々(それぞれ)に派閥が在るって話も聞かないよね。そういう二極化の、簡単な話じゃない。だからといって、長の独裁、という感じもしない。第一、上方限と下方限は抑分かれているのだというし、長の独裁なら、吉野本家当主が暗躍する余地が在るのも妙だもの。…此れまで聞いた話を察するに、上方限の人達は、下方限出身の荻平さんや八次さんの話なんて聞きやしないでしょう?」
言い難そうに言う紘に、周は、そうだろうね、と言った。
紘は、だから、と言った。
「吉野本家当主、上方限出身の本家の人が、八次さんと密かに結託している、というのが重要になってくると思う。八次さんは、荻平さんより抜きんでて何かを成し得たいなら、上方限の有力者の協力を、と考えても、おかしくはない。補佐同士の御互いの意識は分からないけど、少なくとも八次さんは、荻平さんと協力して、軍から病院の話を取り付けよう、という発想は、しなかったわけだ。そして、何かする時、下方限では如何だか分からないけど、八次さんだけだと上方限の大人達に対して、多分求心力が無い。先刻上座敷で聞いた話だと、吉野本家当主が言えば、少なくとも吉野分家の人は動くって事でしょう?其れに、吉野分家は『水配』にも参加している人が多い。俊顕さんが仰っていた話から察するに、保親さんという人は、其の人自体が如何か、というより、上方限の出身で、本家当主、というだけで、下方限のある程度の家と、吉野分家の人を扇動出来るって事だ。ただ、大っぴらに、下方限出身の八次さんと結託していると知られるのは外聞が悪いのではないかな?…上方限の人って、下方限の人の事を低く見ている様に感じるから。だから、八次さんと連絡を密に取り合う仲だという事を隠してきた、というのもあるのだと思う。…襤褸が出ちゃったけど」
確かに、そうだ、と綜が言った。
「特に吉野の伯父は、露骨に下方限を見下す。其れに、そういう、補佐二人の何方かの派閥で里が分かれている、という事は無い。中心は飽くまで長だからな。上方限の者は主に長に従っている。伯父の求心力も、まぁ、其の程度だな。伯父も補佐二人も、長の威光を笠に着ているだけ、というところだ。長は確かに、今の里の最高権力者だが、うちの親は一応、伯父と補佐二人の意見も、各家の本家当主の話も聞くからな」
そうなのか、と紘は言った。
「…長の独裁、っていう方が、此の時期は、纏まり易くて話が早かったのだろうけどね。長の其の度量が裏目に出たのかも。こういう風に言いたくは無いけど、王政の良さ、とでもいうのかな。器の小さい人間が銘々、勝手な事をするよりは、上がガツンと纏める方が上手くいく場合も有るからね。兎に角此れで、三人の関係図は見えたと思って。保親さんっていう人は、八次さんと結託しているから、もう一人の長の補佐である荻平さんを良く思っていない。だから、綜ちゃんと瑠璃さんと一緒にさせたくない、っていう発想が出てくるのだろうと思う。そして、表立っては、八次さんの味方をしたり、八次さんの派閥を作って権力化しようとしたりしていないわけだ」
「…まぁ、そうだな。そして伯父が自分で襤褸を出して散瓦にしたわけだ」
綜は、詰めが甘い、と言った。
美しい甥は、伯父に対して容赦が無かった。
チンガラ?と言って、紘は、綜の言葉の意味が一瞬分からなかった様子だったが、稍あって、まぁ、其れでね、と言った。
「何かあって責任を取らされるのは、八次さんか、吉野本家当主だろうけど。…でも、話を総合すると、吉野の伯父さんっていう人は、責任を取らないかも、と思って。うちの父さんも、扇動者が責任を取るとは限らないって言っていたけど」
綜は、ふむ、と言って頷いた。
周も、あー、と言ってから、納得した様に頷いた。
「責任取らなさそぉ。伯父さん、絶対八次さんのせいにするよ」
そうだよね、と紘は言った。
綜も、そうだな、と言った。
辰顕も、そうだね、と思わず言った。
此の場に居る全員が、吉野本家当主が八次に責任を擦り付ける事を信じている事が察せられた。
其れで、と紘は言った。
「如何やって責任を取るか、っていう事だけど」
「如何やって、って…」
周は、そう言って、ハッとした顔をした。
綜も辰顕も、黙ってしまった。
―昔なら、処刑か自決。
紘は言い難そうに続けた。
「蜥蜴の尻尾切りするなら、御託宣をする役に、別の人を立てておいて、いざとなれば其の人を斬り捨てる、っていう遣り方もあるけど…此の方法は諸刃の剣でね。其の人に弱みを握られるし、甘い汁を吸うなら人数は少ない方が良いからね。分け前が減る。当初、責任を取らないといけなくなるかもしれない、という事まで考えて動いていたか否かも分からないし。誰が如何やって責任を取るか、と考えた時、一波乱有りそうな気がした、ってだけ。…以上が、責任を取る人と、責任の取り方についての憶測だよ」
其の時、扉が叩かれたので、話は其処で終わった。
清水の双子が訪れたのである。
陶冶が、よう、と明るい声を掛けて来た。
※散瓦 台無し、滅茶苦茶、木端微塵、散々、という意味の南九州方言。屋根から落ちてきた瓦が散り散りに割れる様から。ちんぐゎら、とも。




