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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第二章 昭和二十年 八月
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昭和二十年 八月六日 空襲

昭和二十年 八月六日 月曜日

最低気温22.6℃ 最高気温33.6℃ 曇り


 六日になっちゃったな、と紘一は思った。曇りの日の畑は涼しく、作業は滞りなく進んだ。



昭和二十年 八月六日 午前八時十五分。



 畑仕事と朝餉を終えて、紘一が、国民服を着て、母屋の縁側に居ると、貴顕が、楽しそうに、ひよこちゃんの話をしてきた。


 朝の縁側は涼しく、心地良かった。


 最近、卵は時々、小さな子にまでしか行き渡らない事が有る。

 幼いなりに、貴顕が実は、其れを気にしていて、全員に卵を食べさせたくて、ひよこちゃんの成長と(ひよこ)の誕生を願っている事が、紘一には察せられた。


 栄五と綜一は、今日は(あらかじ)め、軍の方に出向いていた。


 貴顕の話は続く。


 曰く、安幾は、最近は、奥座敷で、針仕事や、乾いた洗濯物を畳むのを担当しているらしい。初は寝ているように言うらしいのだが、米の炊ける匂いさえ嗅がなければ大丈夫、と、割と強情らしい。悪阻(つわり)が落ち着いたら畑に出る、と言うので、暑さが弱まってからにしたら、と、初が取り成していたらしいのである。

 貴顕も、安幾には、ゆっくりしていてほしい様子だった。


 しかし、居候で、仕事も出来ずに寝ていなければならない時の気持ちを、紘一は理解出来る気がした。

 紘一は、自分の怪我が治った事を再び嬉しく思った。

 破傷風は怖い。

 此れで、もう大丈夫、と思うと、ホッとするのである。


 そうこうしていると、国民服姿の周二が、紘一を呼びに来た。

 空襲が有るか無いか分からなくても、折角(せっかく)なので、防空壕周りを掃除しよう、という話になったらしい。


 静吉達は母屋の方の防空壕を掃除するので、辰顕と三人で、病院の方の防空壕を掃除しよう、という次第であった。

 紘一は、縁側に出していた何時(いつ)もの蚊遣り豚を、貴顕に渡した。

 貴顕は、ニッコリ笑って、蚊遣りを母屋の中に片付けてくれた。




 紘一が、周二と二人で、病院の近くの防空壕に行くと、国民服姿の辰顕が、既に、防空壕の中の木の枝等を取り除いている最中だった。

 今日は、なるべく早めに昼餉を食べよう、という事になっていたので、十一時くらいには母屋に戻らなければならない。

 早めに作業を終えよう、と、紘一も、早速防空壕の中に入って、辰顕を手伝い始めた。


(たま)に、こういう風に手入れみたいな事をしているの?」


 周二が、紘一に箒を渡してくれながら、(たま)にね、と言った。

「防空壕の崩壊で生き埋め、とか聞くし。六月十七日の空襲の時も、酷かったからさぁ」


 参った様に、そう言いながら、自身も、葉っぱ等を箒で掃き始めた周二に、枝を捨てに防空壕の外に出て、戻って来た辰顕が、そうだったね、と言った。


「梅雨だったから仕方が無いけど、防空壕の中に雨水が溜まっていてね。しかも夜だったから。空襲警報も鳴らなかったけど、あんまり凄い音で、飛び起きたよ。慌てて着替えてさ。街の方が、爆弾が落ちる度に昼間みたいに明るくなって。だから、皆で、膝まで水に浸かりながら隠れていたの。後で、水を汲み出してさ。こんな手入れしても、そんな時は如何(どう)にもならないけど、掃除しないより良いから。いや、良かったよ、八月頭から四日くらい雨が続いていたから、少し気になっていたけど、水が溜まった様子は無いね」


 箒で防空壕の中を掃きながら、紘一は、へぇ、と言った。


「防空壕に水が溜まるのか。確かに、其れは難儀だね。整えておかないと。うちも、御近所さんと共同の防空壕だから、交代で掃除当番みたいな事もしているけど、水が溜まる様な造りじゃないからなぁ」


何時(いつ)でも入れる様に、空襲に備えて防空壕を整えるっていうのも複雑な気分だけど。


「其れにしても、()(ばる)集落は綺麗だったね。一つも焼けていなくて」


 紘一の言葉に、周二も、そうだね、と言って同意した。

「隠れ里だから空の上からも目立たないのかな?上方限(カミホーギリ)は開けていると思うけど。入り口は、ああやって林になっているし、上方限(カミホーギリ)から下方限(シモホーギリ)にかけては傾斜地で、下方限(シモホーギリ)には森みたいな場所も在るから、人が殆ど住んで居ない様に見えるかも。まぁ、単純に運が良かっただけだろうけど」


 運?と紘一が問うと、そう、と周二が答えた。

「里の外の人だけど、此の辺の森に一人で住んで居た、炭焼き小屋の御爺さんの家、やられちゃったって、先生が言っていたの。隠れて兵器でも作っているって勘違いされたのかもって」


 気の毒に、と思って、紘一は唇を噛んだ。


 そうだよね、と、辰顕が切なそうに言った。

「俺、大隅(おおすみ)の方に親戚が居てさ」

「え?」


 紘一は思わず聞き返した。


 大隅(おおすみ)、と、辰顕が、説明する様に復唱してくれた。


「ひこじぃが、其処の親戚に話を聞いて来たそうで。ほら、此の食糧難だからさ。物々交換で、海岸線に住んで居る、自家塩を作っている知り合いから塩を貰ったりするついでにね。五月十二日の空襲は、かなり海辺がやられたみたいだから、無事だと良いけど。其れで、如何(どう)も、大隅(おおすみ)の何処かに、大正三年の桜島噴火で非難した人が移住して出来た集落が在るって話でさ。其処が、あんまり整っているから、兵舎と間違われて、空襲の被害が酷かったらしい。だから、上方限(カミホーギリ)だって、見付かっていないだけかもしれないから、見付かったら如何(どう)なるか分からないよね。兵舎に間違えられはしないとは思いたいけど」


「そうなの」


―俺が聞き返したのは、そういう意味じゃなかったのだけれど。


 しかし、紘一は、更には聞かず、黙って作業を続ける事にした。


―辰ちゃんは本来、隠れ里の出身なのに、如何(どう)して遠縁の親戚が大隅(おおすみ)に居るのかな?


 一体、何時(いつ)から、どの様にして、()(ばる)集落は隠れ里になったのだろう。知れば知る程、紘一には、()(ばる)集落の事が分からなくなる。



昭和二十年 八月六日 十二時三十分。



--------------------

「あーあー」


 軍服姿の顕彦が、母屋の方の防空壕から、貴顕と了の手を引いて、母屋の庭まで出て来て、曇り空を見上げながら、そう言って、深い溜め息をついた。


 国民服姿の誠吉は、泣いている逸枝(いつえ)を抱きながら、成子(みちこ)の手を引いて、顕彦の後ろからついて来た。


 其の更に後ろから、初に伴われた百姓袴(モンペ)姿の安幾が、防空頭巾を外しながら来た。二人共、動き易い様に、と、地下足袋を履いている。


 病院の防空壕から、母屋の庭に出てきた、軍服姿の清水の双子と、国民服姿の周と辰顕とで、紘の顔を見た。


 辰顕と同じく国民服姿の紘は、少し俯いていて、誰とも目を合わせなかった。


「今日の御昼に空襲って、当たっちゃったね」

 周の呟きに、紘以外の皆で顔を見合わせた。


 辰顕は不安になった。


―無事だって事まで含めて当たっちゃったものね。不気味だ。


 喜びは無く、其処は彼と無い絶望感が空気中を漂っている様にさえ思われた。


 もし当たっているのなら、九日、十五日は何が起きるのであろう、という恐怖感が有る。


 きっと皆同じ気持ちなのだろう。


―後十日で、八月十六日。


 誠吉や周、紘との別れは当然悲しいが、六日、九日、十五日、という数字が、否応(いやおう)無しに迫ってくる様に思われてならない辰顕である。


―六日、九日、十五日。


 知っていると言える程確かでは無いのに、此の、分かっていても防ぎ様の無い感じが、酷く気持ちが悪いのだ。


 加えて、其の内容を御託宣した紘本人が、一番複雑そうな顔をしているのである。


 そう、其れは、紘にも止められはしないのだ。

 益々、避け様も無い災厄がジワジワと迫り来る様に感じられる。


 母屋の庭に、軍服姿の俊顕が駆け込んで来た。

「彦。伊敷(いしき)が、やられたらしいぞ。不味い。そろそろ実験どころじゃないかもしれん」


 顕彦が青くなった。


 辰顕もゾッとした。


―今実験を打ち切られたら?其れに、陸軍病院は如何(どう)なった?無事か?


 俊顕の報告は続く。


「今度は西鹿児島駅付近だ。其れと、伊敷(いしき)村一帯。十八部隊兵舎は焼失だ。詳しい事は()だ分からんが、爆弾投下に機銃掃射。もし陸軍病院がやられていたら」


 俊顕は、其処まで言って、逸枝の顔を見て、言葉を切った。

 逸枝が、誠吉に抱かれた(まま)、泣きながら、不安そうな顔を俊顕に向けていたのだった。


 俊顕は、防空頭巾の上から、逸枝と成子の頭を撫でた。

 此れ以上幼い子供達を不安にさせる事は、父の本意ではなかろう、と辰顕も思った。


 ふと、俊顕と辰顕の目が合った。


 俊顕は、心配するな、とでも言うかの様に微笑んだ。


 そして、顕彦に向かって、行こう、と言った。

 顕彦は、はい、と言って、貴顕と了の手を辰顕に握らせた。


「ちょっと、今日は此処に戻って来られるか分からんが、残った者で家の事を頼むな」

 そう言う顕彦に、はい、と返事をして、辰顕は、貴顕と了の手を、心持ち強く握った。


―西鹿児島駅。伊敷(いしき)村。兵舎焼失…。


 辰顕は、貴顕達の手を握る事で、何とか自身の震えを治めた。


「貴、了、母屋に一度戻ろうね」

 防空頭巾を付けた、小さな頭が二つ、はい、と辰顕に返事をした。


 此の小さな従弟達二人が、健気にも、怖いと口にしないのに、辰顕が、其れを口にするわけにはいかなかった。


 其れから、三々五々散って日常の生活に戻るも、奇妙な空気は残った。


―此れから如何(どう)なるのかな。

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