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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第二章 昭和二十年 八月
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昭和二十年 八月五日 手合わせ

昭和二十年 八月五日 日曜日

最低気温22.4℃ 最高気温31.8℃ 晴れ


 紘一が目を覚ますと、腹の辺りが重かった。


 見れば、陶冶の腕が乗っている。

 (やや)あって、隣の寝台から、あー、またやった、という、薫陶の声がした。


 結局あの(まま)、六人で、一緒に病室で寝入ってしまったらしい。


 陶冶は、薫陶の声に目を覚まし、上半身を起こすと、(ほとん)ど目の開いていない状態で、しまったぁ、と言った。


 綜一は、上半身を起こしてはいるが、眠そうに、ボンヤリと虚空を眺めている。


 周二は、うう、と(うな)って、這う様にして寝台を出た。


 辰顕は既に起きて着替えている。


 朝が来た、と紘一は思った。


―明日は六日だな。




 晴れていたので、今日こそは、という事で、午前中、畑仕事と朝餉を終えたら、昼餉までの自由時間に、体術を静吉と顕彦に見てもらう事になった。


 清水の双子、周二と辰顕、綜一と紘一、という組み合わせで、手合わせをして、其の様子を見てもらうのである。


 紘一は、諦めの気持ちで以て其の場に(のぞ)んだ。

 既に御腹が空きそうで、面倒である。


―綜ちゃん強そうだなぁ。いや、誰との組み合わせでも、俺が一番細いか。


 全員、烏帽子を略した白張(しらはり)姿(すがた)だった。

 紘一も、辰顕の物を借りた。


 紘一としては、幾ら短めの袴だといっても、動き易いか如何(どう)かは(はなは)だ疑問であるが、体術を行う時の正装、といったところである。


 観客として、浴衣姿の貴顕と了も居た。


 手合わせに挑む者達の気合を感じ、真面目にやらなければ、と、紘一は腹を括った。

 全員、縁側の近くに立って、体術を見学する事になった。




 清水の双子は、意外にも体術が好きらしかった。


 白張(しらはり)姿の二人が、楽しそうに遣り合っている。


 清水の双子の動きには無駄が無く、手合わせをしている様子は、ある種の舞の様に美しい、と、紘一には思えた。


 傍らで見ている貴顕と了も、おおー、とか、うわー、とか言って、楽しそうである。

 紘一には、思い切り遣り合う事が、此の二人の仲の良さなのかもしれない、とまで思えた。


 此れが二人の対話であり、此れが二人の戯れなのであろう。


 薫陶が側転すると、静吉が、おお、と歓喜の声を上げた。

 紘一も見惚れた。


 決着が付かなかったので、薫陶が側転から、臨戦態勢に体の向きを戻した辺りで、顕彦が、其処まで、と言った。


 静吉は、清水の双子に有難う、と言った。

「特に何も教える事は無いなぁ。久しぶりに良いものを見たよ」


 荒事は苦手と言いながら、身体を動かすという事を論理的に考えるのが好きな静吉は、時々新三や紘一、彰二とも手合わせを行うが、他人の手合わせを見るのも好きなのである。


 其の場に居る全員で、惜しみない拍手を送ると、清水の双子は、誇らしそうな、眩しい笑顔を見せた。


 伯父や父、弟と学ぶ体術を、楽しいと思った事は(ほとん)ど無かった紘一だが、此の様に、力の拮抗する者同士の遣り取りなら、遣る側も見る側も楽しく美しく行えるものなのかもしれない、という、新しい知見を得た。


―伯父さんも父さんも強いし、彰に負けた日なんて、気分最悪だしね。でも、ああやって、対等に遣り合う、って、そんなに悪いものでも無さそう。そうか、此処では、同じ事を、年の近い仲間で一緒に遣って育つわけだ。其れなら、ちょっと楽しそう。




 周二と辰顕の手合わせも、かなり()(ごた)えが有った。


 気性の優しい者同士の組み合わせなので、如何(どう)なるのだろう、と、違う意味での興味が湧いた紘一だったが、腕前としては、二人共素晴らしかったのである。


 特に、周二は腕の力が強い。


―そう言えば、綜ちゃんと俺が二人乗っていた寝台を、一人で動かした事が有ったな。


 そして、辰顕も、大人しそうに見えて足腰が強く、見たところ互角、という感じがした。


 貴顕と了が、再び歓声を上げた。


 二人の手合わせも、結局決着はつかなかった。


 其処まで、と声を掛けてから、顕彦が、良いねぇ、と嬉しそうに言った。

 静吉も、ニコニコしている。


 再び拍手が沸き起こった。


「周、右ばかり使い過ぎると、悪くしたら絵が描けなくなるぞ。聞き手に頼り過ぎている。でも、見た目より力が強いな。凄いぞ。辰は全体の均衡が取れているな。腰の落とし方も良い。でも、辰は、体術嫌いだろう」


 静吉が、そう言って、クスクス笑った。


 辰顕は、少し赤くなって俯くと、はい、と呟いた。

 気持ちは分かる、と紘一は思った。

 第一、辰顕の、あの穏やかな気性で、他人と遣り合うのが好きだとは考え(にく)い。


―あ、そうか。得意な事と好きな事が一致するとは限らないって、周ちゃんが言っていたな。こういう場合も有るのか。


「次、綜と紘」


 笑顔の父の声を、嫌だなぁと思いながら聞いた紘一は、はい、と言って、一歩前に進み出た。



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 辰顕は、思わず、ポカンと口を開けて、紘の動きを見ていた。


―ええー?こんなに強いの?紘。


 顕彦も、あれぇ?と言った。


 清水の双子も、綜も、貴顕も了も、全員、唖然として、紘を見詰めている。


 辰顕は、目前で何が起きているのか理解するまでに少し時間を要した。


 綜は実は周より強い。

 辰顕は、綜と手合わせが当たらなくて良かった、と思っていたくらいだったのだが、もしかしたら、此の三つの組み合わせは、実力が拮抗する様に分けられた組み合わせなのかもしれなかった。


―いや、此れ…綜ちゃんが紘に少し圧されている?


 紘は、何せ、動きが早かった。

 打撃の力は綜の方が強い様だが、紘に避けられ続けて、綜が疲れを見せ始めた。


―そんな事有るの?綜ちゃんが?


 紘の体付きや丈夫さから、弱いと思った事は無いが、紘の強さは、此れまた特殊、と辰顕は思った。


 多分、綜の動きの少し先を読んで動いているのである。


 綜が珍しく、手合わせ中に苛立った顔を見せた時、顕彦が、其処まで、と言った。


 一先ず引き分けだった。


「綜、良いね。言う事無いよ。教科書や御手本にしたいくらいの動きだ。紘は、少し腰が決まっていないな。辰を見習って、もう少し腰を落とした方が良い。でも、久しぶりにしては上出来だ」


 誠吉は、そう言って、二人共頑張ったな、と言って微笑んだ。


 綜は、有難うございます、と言って、肩で息をしながら、凄いな、と言って、紘を讃えた。

 本心だろうと辰顕には思われた。

 綜ちゃんこそ、という紘も、本心から言っている様子だったが、綜よりは見た目に余裕が有った。


 貴顕が、ひゃー、と感心した声を上げた。


 顕彦が、へぇ、と言った。

「もしかして、紘、両利きか?」


「ああ、あの。父から言われて、時々利き手では無い方で生活しています」


 紘の返答に、其の場が、ざわついた。


 ええっ?と顕彦が驚きの声を出した。

「誠吉さん、如何(どう)いう教え方していらっしゃるのです?術といい、体術といい、紘、ちょっと出来過ぎですよ」


「ちょっとしたコツだよ。紘は身長の割に体重が軽い。必然的に突きも軽くなる。体の使い方を均等にすれば、動きが良くなって、其処が補える」


―俺には、とても、紘の突きが軽い様には思えなかったけど。


 紘は、両手で腹部を押さえて、うう、と言った。

「御腹空いた…」


―あれだけ動けば、そりゃね。


「おや、紘。そろそろ着替えに戻ろうか?」

 顕彦は気遣わしげに、紘に向かって、そう言ったが、誠吉はニッコリと爽やかに笑って、顕彦に手招きした。


 白張(しらはり)姿の顕彦は、ひぃっ、と言った。

「嫌です」

「そう言わずに」


―ひこじぃも強いけど、何方(どちら)かと言えば剣術の方が上手いからなぁ。


 しかも顕彦は、其れこそ、紘では無いが、五尺八寸の身長の割には体重が軽い。

 決して華奢では無いのだが、六尺の誠吉相手では不利、という気がする。


 其処へ、栄が、逸枝(いつえ)を抱いて、やって来た。

「そろそろ食事ですよ。皆で軽く行水でもしてから、着替えていらしたら如何(いかが)ですか?」


 助かった、と言って、顕彦は逃げようとしたが、誠吉が、まぁまぁ、と言って、顕彦の右手首を掴んだ。

「俺は剣術でも良いよ」


 顕彦は、嫌ですって、と、悲鳴に近い声を出して言った。

「もう供出(きょうしゅつ)したから、刀も無いですし」


「何も本物でやる必要は無いだろ。木の棒で充分だから」

「いや、誠吉さん、其の棒で、三人倒すとか言っていませんでした?…嗚呼…はい、分かりました」

 顕彦が渋々了承すると、貴顕と了が、何処からか、チャンバラに使っている竹の棒を持って来てくれた。


 はい、と言って、笑顔で棒を手渡してくれる貴顕に、顕彦は、引き攣った笑みを浮かべて、有難う、と言った。


 栄は、逸枝が怖がるかもしれないから、と言って、逸枝を抱いた(まま)、母屋に引っ込んだ。


 了から竹の棒を受け取った誠吉は、了に礼を言うと、頑是無(がんぜな)い子供の様な表情で微笑むと、好奇心に輝く瞳を顕彦に向けた。


―あ、英語の話をしている時の紘そっくりの目。


 顕彦には気の毒だが、辰顕は何だか、誠吉の表情が可笑しくて、クスッと笑ってしまった。

 誠吉は今、純粋に楽しいらしいのである。


 しかし、二人が対峙して、構えると、勝負は一瞬だった。


 何度やっても、顕彦が、誠吉の喉元に、寸止めで棒を突き立てるのである。


 何度目かの手合わせが終わった後、誠吉が、ぱぁっ、と顔を輝かせて、凄いなぁ、と言った。

 そして、本当に嬉しそうに、顕彦に向かって言った。

「やはり経験者には敵わないな」

 そう言われた顕彦の方は、怖かったぁ、と言って、竹の棒を握った(まま)、両手を両膝に置いた。


 全員で、惜しみない拍手を送った。


 もう一回、と言った誠吉に、紘が虚ろな目をして言った。

「父さん、料理が冷めるかもしれませんよ」

「其れもそうか」

 実に空腹そうな顔をしている紘に向かって、誠吉は、子供の様に笑った。


 其の遣り取りを見て、皆で笑った。


 其れ程好きではない体術の時間が、辰顕には、今日は面白く思えた。


 天気も良く、此処数日の、ぐずついた天気が嘘の様な、良い日だった。

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