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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第二章 昭和二十年 八月
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昭和二十年 八月四日 坂本紘一 札束

 午前中、やっと国民服を洗濯出来た辰顕と紘一は、初が物凄い勢いで布団の綿を打ち直しているのを尻目に、浴衣姿で母屋の拭き掃除をして、初に大変感謝された。


 逸枝(いつえ)以外は昨晩俊顕の家に泊まっていて、成子(みちこ)や貴顕、了が戻ったのは、初が布団の綿の打ち直しを終えてからだった。




 貴顕は、囲炉裏端に戻るなり、紘一に、ひよこちゃんの話をしてくれた。


 今日は顕彦が、貴顕が戻るまで、ひよこちゃんの世話をしてくれる、という約束で、昨夜俊顕の家に泊まりに行ったのだそうだ。

 貴顕は、相当ひよこちゃんを気に入っているらしい。

 ひよこちゃんを交えて瑛子と遊んだ事で、瑛子との事は、あまり気にならなくなった模様である。


―遊び相手くらいの間柄から始める、というのは、貴には良さそうだな。


 ひよこちゃん、という共通の話題も出来て、繁雪にも懐いたとあれば、そんなに未来は暗くない、という気がする紘一である。


 了が、良いなぁ、と言った。

「了も(ひよこ)が欲しいの?」

 紘一が尋ねると、了は、コクリと頷いた。

 貴顕が、よし、と言った。

「もし(ひよこ)が生まれたら、何匹か了にあげるよ。一緒に世話しよう」

 了は、明るい顔をして、有難う、と言った。


 自分が其の(ひよこ)を見る事は無い、というのが紘一には分かっていたので、紘兄ちゃんにもあげるね、という貴顕の言葉に、紘一は返事をせず、ただ、微笑んで、貴顕と了の頭を撫でた。

 

 貴顕と了は、ニカッと笑い返して来た。


 紘一ですら、たった十日居ただけで、こんなに離れ難いのである。

 周二の胸の内は如何(いか)ばかりであろう、と、紘一は心配になった。

 ただ、静吉が、周二と一緒に此処を出る事を了承してくれた事だけが、紘一の希望だった。


「しかし、今日行き成り布団を打ち直すなんてね。誰か寝小便でもしたの?布団表まで外して洗って。薄手だから、すぐ乾きそうだけど」


 紘一が問うと、辰顕が、ああ、あれね、と言った。


「吉野本家当主を寝かせていた布団だから。其の(まま)にしておくのが、如何(どう)しても生理的に嫌みたいで。昨夜は真夜中に換気もしていたし」


「えっ?」

 紘一は、驚いて、初の方を見た。


 あの、おっとりした優しい初が、来客に使わせた布団を、そんな理由で洗っているとは、(にわ)かには信じ難い話だった。


「そんなに嫌われているの?其の、吉野本家当主って。…無理も無いけど」


「会話したら一瞬で嫌いになれると思うよ。俺も、今日、自主的に母屋の掃除をしたもの。何だか、家に、少しでも、あの人の痕跡を残したくないって気がしてしまって。紘、拭き掃除手伝ってくれて有難う」


「あれって、そんな理由でやっていたの?御清めみたい」


 紘一は瞠目した。

 此の優しい、急に此処に来た自分をも受け入れてくれた少年が、そんなに激しく他人を嫌っている事を理由に掃除をするとは信じられなかったのである。


 紘一は、オズオズと言った。

「俺、何だか、無意識で当て身なんてしちゃって、ちょっと悪いと思っていたのだけど、そんなに嫌な人なのか」


 そんな話をしていると、軍服姿の静吉と、浴衣姿の顕彦が、囲炉裏端に戻って来た。


 辰顕と紘一は、御帰りなさい、と言った。

 子供達四人が喜んで、御帰りなさい、と言いながら、二人の合計四本の脚に、一人ずつ(まと)わり付いてきた。

 二人は、其れを見て笑って居るが、其の(まま)では歩けそうにも無い。


 あら、と初が笑って、御帰りなさいまし、と声を掛けてきた。


「女の子達、御昼御飯の御手伝いを御願い出来るかしら。貴ちゃん、菜っ葉をあげるわ。了、貴ちゃんと土間にいらっしゃい。御野菜屑(おやさいくず)の入った笊を一緒に見てあげて。ひよこちゃんの御世話をするのでしょう?」


 子供達は、きゃー、と笑って、初の方に走って行った。

 炊事場()に向かう初が、何時(いつ)もの様に、おっとりと笑っている様に見えるので、紘一はホッとした。


「何だい、吉野本家当主の噂話かい?」

 紘一が、名前を出した心算(つもり)は無かったのに、顕彦が、そう言い当てたので、紘一は少し極まりが悪かった。


 紘一の気不味さを察したかの様に、顕彦が苦笑いして、言った。

「ああ、事実を箇条書きにしているだけなのに、何故か悪口になっちまう人って、居るよな」


―顕彦さんをしても此の言い様。


 やはり、かなりの人物、と紘一は思った。

 そんな人間に見付かっていたかと思うと、今更ながら薄気味の悪い気持ちになる紘一である。




 上座敷の縁側に、静吉、顕彦、紘一、辰顕、という並びで腰掛けた。


 外は暑いが、此の木造の母屋の縁側は涼しい。


 軍服姿の綜一と、浴衣姿の周二が此方に駆け寄って来た。

「御帰りなさい」

 周二が、笑顔で言った。


 誠吉も顕彦も、笑顔で、ただいま、と返した。

「父さん、俊顕さんと綜ちゃんと一緒に、(おさ)に会いに行かれて、如何(いかが)でしたか?」

「そうだなぁ」

 穏やかに、そう言って微笑む静吉は、目立たぬ様に、栄五の軍服を借りたらしいが、靴等の大きさが微妙に違った、と言って、行きは大変そうにしていた。


―其処は、六尺の兄に服を貸せる、六尺の弟が居るだけ良かったって話だけどね。


 普通は、そんな弟は居ないだろうし、六尺なら、何をしても目立ってしまいそうなものだったが、如何(どう)にか誰にも悟られずに戻って来られた様子である。

 其の辺は、静吉は妙に上手いのだ。


 (おり)()く、浴衣姿の栄五が、蚊遣り豚を手に、縁側に来た。


 静吉と入れ替わりで、軍服を貸す為に、今日は家に居たのだった。


 おお、と言って、静吉は、軍服を栄五に返すと言って、一度母屋に中に引っ込んだ。


 栄五も、縁側に蚊遣りを置いてくれてから、静吉の後について行った。


―父さんは今日、栄五叔父さんの振りをしていたって事だろうけど、片方は居なくて正解かもね。六尺の人間が並んで居たら流石に目立つもの。


「兄上、如何(どう)だった?」

 周二が、恐る恐る綜一に尋ねた。


 綜一は、困った様な、笑いたい様な、何方(どちら)ともつかない、奇妙な表情をした。


「俺からは何とも言えない。ただ、()(かく)、父上が、俺の『水配(ミックバイ)』の相手が決まった事を告げた人物が一人だけ居た、というのは分かった。其の人物が、吉野の伯父上に密告したのだろう。裏で繋がっていた、というわけだ」


 ああ、と言って、顕彦が苦笑した。

「八次さんかい」

「はい」

「まぁ、そうだよな。(おさ)が、自分のもう一人の補佐に、一応一言言っておこう、と思うのは自然だ。もう一人の補佐の娘と自分の息子を娶せるのに、流石に公表まで一言も無いのは不義理と判断したのかもしれない。そして、坂元本家と(ただす)殿を追い込んだのも、あの二人が、バラバラでは無く、結託してやった、という事だろう。(おさ)は、此の事は?」


「流石に今回ばかりは気付いたでしょう。例え今まで知らなかったとしても」

 綜一は、そう言って、深い溜め息をついた。


―…成る程な、此れ、八次さんが陸軍に近付いたの自体、保親という人の入れ知恵の可能性も出て来たな。荻平さんの言い方じゃ、八次さん、そういう事を遣りそうではないって、違和感を持っている様だったし。もしかして…。


 其処に、浴衣姿の静吉と軍服姿の栄五が戻った。


 静吉が、先程座っていた様に顕彦の隣に座ると、栄五は静吉の隣に座った。

「周。(おさ)に御許しを頂いたぞ。さぁ、此れは大事に取っておきなさい」

 静吉は、ニッコリ笑って、白い布の包みを、両手で(うやうや)しく周二に手渡した。


 周二も、よく分からない、という顔をしながらも、はい、と言って、両手で、(うやうや)しく其れを受け取った。そして、そっと、布を開いた。


 札束が三つ、ゴロッと出てきた。


 周二は、眼を(しばた)かせながら、そっと、布を元の通りに包み直した。


 周二は、其の包みを、もう一度、少しだけ布を捲って、中身を見た。

 やはり札束が包まれている。


 周二は、再び、そっと布を元に戻して、首を傾げた。


 そして、眼を(しばた)かせながら、もう一度、同じ動作を繰り返した。


 周二は、あの、と言った。

「何回見ても札束の様に見えるのですが」


「そうだな」


 アッサリ肯定する静吉に、周二は、えっ?と聞き返した。

「此れは一体?」


(おさ)がくださったのだ。俺に借りを作りたくないという御考えなのかもしれんが、受け取らなかったら(ばい)出してきたので、逃亡費用として半分頂く事にした。もう半分が、其れだ。周に渡そう。ちゃんと、当日は、鞄にでも隠して逃げるのだぞ。大事な物だから」


「…此れは、如何(どう)いう御金なのでしょう。何故うちの父は、六つも札束を手元に?」

 そう問う周二の声は震えている。

「…此れ、汚い御金ですか?」


 何を言う、と、静吉は、キョトンとして、周二に言った。

「汚くないぞ。金庫に入っていたのだから衛生的だ」

「…多分、綺麗、汚い、って、衛生の話じゃ無いと思うのですがね」

 顕彦が、思わず、という感じで、静吉に言った。


―あ、金庫に入っていたのか。


 紘一は、其の事実を聞いて、血の気が引いた。


―出所は知らないけど、多分未()だ札束が在るよね。幾ら何でも有り金全部寄越して来ないだろうし。


 其の場に居た全員が、静吉以外押し黙って、硬直していると、軍服姿の俊顕がやって来て、庭から声を掛けてきた。


「あー、居た、居た。おいおい、誠吉、あれ、話し合いかぁ?折角(せっかく)二十年振りくらいに会ったのだから、改革の事、如何(どう)思っていたのか、とかさ。色々聞けよ。よくあれだけの遣り取りで帰れるよな」


「あ、忘れていた」


 顕彦が驚きの声を出した。

「えー?忘れていたのですか?よく、あんな事が有って、忘れられますよね」


「此の子達の命より大事な話は無いよ。会っても思い出さないくらいの話なんて、もう話さなくても構わないであろう。蒸し返す事を(よし)が望むとも思えない」


 静吉は、何でも無い事の様に、そう言った。顕彦は悲しそうな顔をして言った。

「ちゃんと話さないと、って、俺は思いますけどね」


「必要な事は話したよ。薄々は感付いていらした様だよ、(おさ)は。流石に、昨日、吉野本家当主が家に乗り込んで来た話をしたら、呆れていらしたが」


 静吉の説明に、綜一は、はい、と言った。

「父が、ああいう表情をする人だとは思いませんでした」

「ど、どんな?」

 周二は、驚いた様に尋ねたが、綜一は、形容し(がた)い、と言った。

「…父上は…()(かく)、色々な事に呆れたのだろうなぁ」


 (おさ)という人が如何(どう)いう表情をしたのか、紘一には分からなかったが、()(かく)、綜一は、其の表情に驚いたらしい、という事は知れた。


 静吉が、周二に向かって、微笑んで言った。


()(かく)、十六日には此処を発つ。此れで決まりだ。よく準備しなさい。本当に道中は大変だと思うが、出来る限りの備えをしよう」

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