昭和二十年 八月三日 実方辰顕 消去法
辰顕が、綜と一緒に、一通りの報告を終えると、誠吉と紘の親子は、あー、と言って、コクリと頷いた。
そんな、当たり前の様な反応をされるとは思っていなかったので、辰顕を含めて、周囲は驚いて、目を剥いた。
其れは剣呑、と誠吉は言った。
「此の儘だと、殺されるのは綜かねぇ。うーん…」
明日晴れるかなぁ、とでも言っているくらいの軽さで、誠吉が、そんな事を言うので、辰顕は更に驚いたが、紘が、そうですね、などと言って軽く肯定したので、辰顕は、もう一度驚いた。
―そうですね、じゃないよねぇ?何?綜ちゃん殺されちゃうの?あの人に?
しかし、辰顕達の驚きを他所に、紘は、何時もの様に淡々と言った。
「戦争が終わって、仮に周ちゃんが生きて里に戻ったら、多分、其の伯父さんという人は、自分で周ちゃんの御嫁さんを決めるのでしょうね。其れで、綜ちゃんを殺して、周ちゃんを擁立。戸籍は…ああ、綜ちゃんを殺して、周ちゃんに、綜ちゃんの戸籍を使わせるという手もあるのか」
―殺す、殺す、って、しれっと、二回も言うなよ。
辰顕は、紘の言葉に酷く驚いたが、誠吉は、おっとりと、そうだなぁ、と言った。
「其の線は有りそうだな。だから、こうなると、周が生きているのを知られると、今度は綜が危険という事だな」
綜は、え?と言った。
「俺が従兄妹婚を断ったからですか?荻平さんの意見が通り易くなれば、自分の思い通りに出来なくなるからって?無茶苦茶だ」
憤る綜は、誠吉が、そりゃそうだよ、とアッサリ言ったので、拍子抜けした顔をした。
「二十年も経ったのに、未だ巻物が如何とか言っている手合いだぞ?丁寧に相手に説明しても無駄だよ。抑相手に正論を聞く気が有るかも疑問だし、時間の無駄だ。其れよりは最悪の事態を考えて自衛策を講じた方が余程建設的だよ。第一、其の流れだと周に後継が出来たら、周も殺されかねん」
そうなのだ。伯父の邪魔になったら、そうなる、と周は言っていた。
綜と周は、椅子に座って手を取り合った儘、怯えた目で、話を続ける誠吉を見ていた。
「長が居る時は良い。君達の伯父だという事で、かなり良い思いをしてきた筈だからな、其の人は。問題は、代が綜に変わる時だ。綜が自分の思い通りにならないと思っているのなら、如何いう行動に出る手合いか分からん。其の、苦参の話は憶測に過ぎんのだろうが、証拠が無い以上、白でも黒でもあると言える。黒だった時、如何なるか、だな…其れこそ、長が、生涯現役でいらしたり、保親殿より長生きしたりしてくだされば良いが、世の中、何が起こるか分からないからな」
誠吉の言葉に、長の暗殺の可能性を感じ取った辰顕は、背筋が凍る様な気分になった。
そうなのだ。
綜か周の後継の後見人になれれば、其の人物を擁立して、今より保親は、里で動き易くなるかも知れないのだ。
単純な話で、消去法である。
自分より力の有るものを消していけば、自分に順番が回ってくるのだ。
短絡的で安直だが、成功出来れば、思い付くのに其れ程知恵は要らない案だった。
実際、そうして、次男だった保親は、吉野本家当主になったのだろう。
―…そうなったら、里は、如何なっちゃうの?重要な人は皆、殺される…?綜ちゃんも、周ちゃんも?…怖い。
保親という人物の為人を知った後だと、辰顕には、其の疑念は恐怖としてしか頭の中で像を結ばなかった。
綜は、弟の手を、そっと放して、やはり今日あいつを殺しておくべきだった、と呟くと、椅子から立ち上がり、誠吉の目を真っ直ぐに見詰めて、言った。
「誠吉さん。御願いです。殺されるかもしれないと分かっていて、むざむざ弟を里に帰したくない。俺は長の後継ですから、如何あれ、里を出るわけにはいきませんが、弟は逃がしてやりたい。弟を、貴男方が里を出る時に、一緒に連れて行ってください」
周も、慌てて立ち上がった。
紘も、あ、と言って、椅子から立ち上がった。
「父さん、俺からも御願いします。俺も、周ちゃんを助けたい。周ちゃんに、絵の仕事をさせてあげたい。其れが駄目でも、此処から出してあげたいです。何時か殺されるかもしれない、なんて思い、戦争が終わってまでさせたくないです」
誠吉は、割とアッサリ、分かった、と言った。
「知り合いの所も、広報の人間が徴兵されて人手が足りない筈だ。そういう事なら、使い走りからでも、絵の関係で採用してもらえるかもしれない。うちが遠縁の孤児を引き取った事にすれば何とかなるだろう。道中の安全は全く保証致しかねるが、其れで良ければ。此処に来る時も、特高撒いてきたからなぁ」
―何か今、特別高等警察とか、怖い事言わなかった?
辰顕は、誠吉の言葉に、何に驚いて良いか分からないくらい驚いた。
綜と周は、アッサリと請け負う誠吉に、揃って拍子抜けした顔をしたが、稍あって、声を揃えて、有難うございます、と言った。
他の者は唖然としていて、全く口が利けないで居た。
誠吉は、よし、と言った。
「そうと決まれば一度、長と話をしよう」
栄が、え?と言い、顕彦が、はぁ?と言った。
其の時、扉が数回叩かれ、病室からの返事を待たずに、浴衣姿の俊顕が顔を出した。
「おいおい、何の騒ぎだ。一応隠れているのであろうに、御前達」
俊顕は、自宅に泊めようとした逸枝が初を恋しがって泣くので、忠顕と入れ替わりで、逸枝を背負って戻って来て、此方にも顔を出したのだという。
此れまでの経緯を聞いた俊顕は、ほほー、と、呆れた声を出した。
「其れで何かね。誠吉、御前、御宅の息子さんを御預かりしますとか長に言う心算かね」
「そうだよ。ついでに、何か話もしようかと」
「奇想天外だな。御前と居ると活劇観ているより面白いわ」
俊顕は、クスッと笑った。
笑い事かなぁ?と辰顕は思ったが、自分を含めて、周囲が、口を挟むのを諦めて押し黙っている光景は、こんな時だが、確かに少し可笑しかった。
「そんなわけで、長に渡りを付けてもらえないか?」
誠吉の依頼に、俊顕は、分かった、と言った。
「綜。明日、俺と一緒に、長に話を付けに行こう」
俊顕が、そう言うと、綜は、はい、と返事をした。
俊顕は、周に歩み寄ると、そっと抱き締めた。
周は、驚いた顔をした。
俊顕は、ゆっくりと周から離れて、言った。
「頼まれて、御前を死んだ事にしたのは俺だ。恨んでくれて構わんが、此処を出て上手くやっていけるなら、全力で応援しよう」
辰顕は、父の言葉に、泣いた。
分かってはいたが、父が、周の死亡診断書を書いた自分自身を責めている事を、辰顕は再認識したのである。
顕彦も栄も、俊顕を見て泣いていた。
周も泣きながら言った。
「恨むだなんて。周りから愛されて、幸福な三年でした。十七年生きて来て、今までで一番寂しくなかった三年でした。本当は、殺されなくて、此処で絵の仕事が出来たら良いなって。本当は此処から出たくない気持ちも有ります。此処が本当に好きだから。此処に住まわせてもらえて、どれだけ感謝しているか。伯父とではなく、貴男方の方と血が繋がっていたら、どんなに良かったでしょう」
繋がっているよ、と俊顕は言った。
「血が如何だとか、詰まらない事を言うな。もう御前が戻って来られなくても、俺達は、ずっと此処に居るよ。ハナも居る。あいつは、二度と御前達に寂しい思いをさせない様に相当な努力をしたのだ。あいつの愛情は本物だ。あいつは何時でも御前達の事を思っている。思い合うと、繋がる事が有る。繋がっていないなんて言って、あいつを傷付けるな。御前達は、大事にされていた。三年も住んだら此処が家で、御前達は此処の子だろう?」
周は、溢れる涙を拭う事もせずに、俊顕の顔を見詰め、はい、と言った。
誠吉も、顕彦も、栄五も、清水の双子も、綜も、紘も、そして辰顕も、其の場に居る者は残らず泣いた。
俊顕だけは、泣かずに、静かに微笑んで、周の顔を見ていた。
涙を拭った誠吉は、全員の顔を見てから、言った。
「やはり十六日に此処を出よう。他の者には言わないでおきなさい。小さい子供達は誰かに漏らしてしまうかもしれないし、保親殿が、綜と瑠璃さんとやらの事を知っていた理由も未だ分からないからな」
きな臭いな、と誠吉は言った。




