昭和二十年 八月三日 実方辰顕 苦参
「くらら、って、何の事だ。紘も言っていたな」
母屋から、傘を差し、二人で病院に向かう途中、綜は、足を止めて、辰顕の方を見た。
仮に晴れていたとしても、昨晩同様、下弦の月の頃であるから、深夜に上り、昼頃沈む月光の恩恵は、どの道今宵は受けられなかった。
提灯でのみ照らされた暗がりの中に、綜の、冠を略した白装束姿が見える。
辰顕同様、泥で汚れない様に、白い指貫をなるべく上の方で括っているから、形式からは外れた姿だが、伯父だという人物を見た後で見る綜は、こんな月の無い雨の宵の中でも、灯の光を、そっと集めて作った拵え物かと思われる程美しかった。
辰顕は、小さく溜め息をついて、観念して言った。
「苦い、に、参るって書いて、苦参。其れで苦参とも読む。苦い人参、みたいな字。人間の背丈くらいまで伸びる草で、豆の花みたいな花が咲く。遠目だと、金魚草に似てない事も無い。根っ子は生薬で、虫下しに使われたりする。後は、利尿作用、解熱作用、消炎作用が有るけど、量を間違えると呼吸困難で死亡する。葉を煎じた物は、殺虫剤に出来るくらい毒性が強い。大脳麻痺と呼吸不全で死ぬよ。…扱うのは、薬の知識が無いと御勧め出来ない」
此の毒草が周囲に自生していた山城が、其の名を取って鞍良城もしくは苦辛城とも呼ばれていた。
其の城に当てられた字の如く、苦しい辛い思いをして死ぬ草である。
黙って辰顕の説明を聞いていた綜が、フゥーッと、長い溜め息をついた。
「個人的には毒薬の方が確実で御勧めだよ、か。…此の事を知っていたのかな、紘は」
綜は、左手で髪を掻き揚げて言った。
「吉野本家の祖父も、もう一人の伯父も、苦参による呼吸困難だったのだろうな、あれは。成る程な。一服盛ったか、あの伯父が。…さては、此れが『伯父さんの秘密』か。周が不安がって当然だ。やっぱり、あいつは、今日殺しておくべきだったのでは無かろうかな」
「本当は賛成しているけど、一応止めるよ。俺から見えない所で死んでほしいと思った。畦で、そうなっていても、そんなに気にしないけど、家の中で蟇蛙を踏み潰してあったら、見たくないな、って気がしない?」
辰顕の発言に、綜は、目を丸くして、口を開いた。
「御前らしくない物言いだな。そんなに、うちの伯父が苦手か?」
「うん、ごめん、綜ちゃんの伯父さんの事悪く言って。でも、一瞬で嫌いになれる人って、なかなか居ないよね。其れに、あのハナ子おばちゃんを、あれ程怒らせるなんて、最早、他人を嫌な気持ちにさせる才能が有るのだとしか思えない」
違いない、と言って、綜は笑った。
「だが、今日は、あれでも普段よりマシだったぞ」
「ええ?」
「普段は、矢鱈と、自分は金持ちだ、などと言う。恵まれている、とかな。いや、言う事自体は何とも思わないが、態々、そんなに言うか?というくらい言う。多分、自分が優れていると他人に言い続けないと、自分を保てないのだろう。親戚の集まりで、何か遊びが始まると、急に混ざって来て、ぶち壊しにする。…もしかしたら、遊びが複雑になると、規則が覚えられないのかもしれないが。規則を無視して進めて、やれ此処は自分の座敷だから有利にしろ、だの、やれ、其れは狡い、だの言い始める。伯父が居るだけで、正月も盆も、何も面白くなくなるのだ。凄いだろう。遂には、自分がやった反則を他人のせいにして、其のせいで負けた、と言って投げ出して、何処かに居なくなる。悉皆まともな大人の態度ではない」
「え?自分の反則を、他人に擦り付けるの?」
「そう。其の上、被害者面するぞ。ろくに挨拶も出来ない癖に」
「…もしかして、普段も、割と、ああいう事する人なの?」
「まぁな。其れで無くても、楽が雅やかに流れている本家の母屋を勝手に覗き見て、侵入。怒鳴り込んできて、女人の腕を掴むとは。押し入り強盗の類だぞ。巻物を出せ、だものな。地が出たのかな」
「ああ、押し入り強盗」
―妙に納得できる表現だな。
綜は、再び溜息をついて言った。
「金持ちだか何だか知らんが、罵声や罵倒から始まって、挨拶も無しに他人の家に入る様では、其の程度の器よ。あれで、自分は間違っていない心算だから質が悪い」
「…まぁ、自分が正しいとでも思ってなきゃ、三年も放っておいた甥に従兄妹婚を迫れないよね、普通。『水配』が何の為に在るのか、っていう話になるよね。…複雑な規則は覚えられないって言われちゃ、其れまでだけどさ」
「御推察の通り、と言うところだ。品性及び知性というものを感じない。…『水配』では従兄妹婚は禁忌、と言っているのになぁ。別に従妹達に悪い感情は無いが、一緒になるのは嫌だよ。『水配』に於ける、血を濃くし過ぎない、という目的に、全く、そぐわない。他所は兎も角、こんな狭い里で従兄妹婚を繰り返してみろ、如何なるか、という話だ。別に、親の全てを肯定する気は無いが、隠れ里という土地の性質を考えると、理に適った制度ではあると思っている。…伯父が如何して此処では従兄妹婚が駄目なのか、理解していない可能性も捨て切れていないのが恐ろしいが」
「…本当に、其れで、よく自分が正しいと思えるよね…」
「客観性というものが欠落しているのだろうな。もしかしたら、あれで悪気は無いのかもしれないと思うと、怖くなる事が有る」
辰顕は、其れを聞いて、また鳥肌が立った。
綜は怖いと言ったが、確かに、周辺に、そういう性質の人間が存在する、という事実は、生理的嫌悪感を越えて、恐怖と言う感情になりそうだった。
綜は、何度目になるか分からない溜息をつきながら、言った。
「まぁ、今回の事も、伯父は、俺が荻平さんの娘と一緒になるのは間違っている、と主張したいわけだ。では如何したら良いのか、という正解は教えてくれない。挙げ句、従兄妹婚をしろ、と言う。其のうち、自分の息の掛かった他所の娘でも勧めてくるのかもしれないが…いや、せめて、其のぐらいの知恵、今日言って来いよ、という気はするが。下衆の後思案とでも言うのかな。毎度毎度…。其れに、普段だと、果ては、此方の人格を貶める事を平気で言い出すぞ。母親が居ないから、そんな事を言い出すのだろう、とか、瀬原衆と懇意にしているから、そんな考えが移ったのだろう、とかな」
「ええ?…亡くなったのは、自分の妹でしょう?そ、そんな事、甥に言うの?大体、長を継ごうっていうのなら、瀬原衆と関わらずにはいられないでしょうに」
「…議論にならんのだよ。正論を言われ続けると、腹立て相手を貶めるし、証拠にもならん事を得意顔で突き付けて来て、御前が間違っている、などと言い始めるし」
ああ、いかんな、と綜は、再び溜息をついて言った。
「やはり、呼吸をする様に伯父の悪口を言ってしまう。自分の口が汚れる様な気分だ。今直ぐ嗽をしたいくらいだよ。心から関わりたくない」
「…そう聞くと、今日は本当に、マシな方だったみたいだね」
「そうだな。もう来ないと良いが」
綜は、溜息をつきながら、月も星も出ていない夜空を見上げた。
稍あって、綜は、其れより、と言った。
「伯父は、如何して俺と瑠璃との話を知っていたのだろうか」
辰顕も、溜息をついて、同意した。
「本当に其れは気になるね。伯父さんという人が、誰から其の話を聞いたのかが分かれば、其の人が、吉野本家当主と密に連絡を取り合う仲、という事だよね。情報を横流ししている、繋がっている、っていう事になるもの」
「…でもまぁ、そんなのは、大体、誰だか当たりはついているけどな」
さ、行こうか、と綜は言った。
「苦参の話、有難う。辰は詳しいな」
※はらかいて 腹を立てて。腹が切り沸く、はらかく、で、立腹する、という意味の方言。




