昭和二十年 七月二十六日 坂本紘一 忠顕との出会い
「其処までだ」
紘一が、声のした方を振り返ると、ニヤニヤした、五十代後半くらいの、鉄色の浴衣姿の男性が立っていた。
―凄い貫禄。
何と無く、俊顕と顕彦を足して二で割った様な顔をしていた。
―うわぁ、何て変わった白髪。
黒い髪の中に、白髪の束と、殆ど金髪に見える淡い色の髪の束が混ざって生えている。
ああやって、次第に色が抜けて白髪になっていくのだろうか。
髪の束が旋毛から放射状に生えているのであろう様が正面から見ていても分かるくらい、美しくも珍しく、紘一は、相手の髪の色に一瞬見惚れた。
「御祖父様」
「早く戻ってこんか。何時まで喋っとる。まぁ、仲良くなった様で良かったなぁ」
辰顕に御祖父様、と呼ばれた人は、呵々大笑した。
「糺兄の孫だろ。儂は、実方忠顕という。俊顕や顕彦、初の父だ」
「初めまして、紘です」
「うんうん。何だ、了に似ておるな」
あ、言われてみれば少し、と言って、辰顕が納得した顔をした。
「りょう?」
今度は誰だろう、と紘一は思った。
「栄の息子の了、儂の孫に似とる。あー、御前さんの従弟だな。糺兄の孫だ」
「そうなのですか」
会った事は無いが、そう言えば、栄五には子供が三人居た筈である。
―…従弟ねぇ。其れはそうか、叔父さんの子なら、俺には従弟だ。血縁か。
本当に自分の両親は此処の出身なのだな、と、紘一は、しみじみと思った。
―安幾さんという人といい、未だ俺の血縁が、こんなに居たのか。
ついて来い、と言いながら踵を返す忠顕の後に続きながら、紘一は辰顕に囁いた。
「隠れ里って、あれなの?桃源郷みたいな所?」
「え、何?」
「会う人会う人綺麗な人ばっかりだし、御米も食べられるし。夢を見ているのかな、俺」
忠顕の髪がフサフサ揺れるのが見える。身長は成程、横並びと言われた通り、紘一や辰顕くらいである。糺一も六尺と大きかったが、此の人物も、此の世代にしては相当長身である。あんなに俊顕や顕彦に似ているのだから、若い時は、さぞ見目麗しかったであろうと思われた。
辰顕は、紘一の囁きに苦笑した。
「稗の混ざった米が食えただけで桃源郷って。そんな風に見えるのか。其れに、偶々(たまたま)親戚が集まったら、こうだったっていうだけで、別に綺麗な人ばっかりの里って事は無いと思うけど。綺麗って、其れ、俺も含まれているの?」
ふぅん、桃源郷ね、と辰顕は続けた。
「『瓶』みたい、申田九二五の」
「え?申田先生を知っているの?」
将に、一度は会ってみたい作家の名を、思いがけず聞いて驚く紘一に、そりゃあ、と言って、辰顕は微笑んだ。
「郷里の作家だというので、彼方此方の図書館に本が寄贈されていてね。筆名らしいから、何処の誰かは知らないけど。里の学校にだって置いてあるらしいもの。うちにも在るよ。良いよね、子供向けだろうけど、好きだよ。既刊は全部持っているし」
俺も、と言って、紘一は嬉しくなった。
「鹿児島市在住の覆面作家だって聞いていたけど、此処でも、そんなに読まれているなんて。そう、特に、あの青い瓶の話、好きで」
「へぇ、気が合うじゃない。でもまぁ、兎に角、瀬原集落が桃源郷なんて事は…」
辰顕が言い淀むと、未だゴチャゴチャ言っとるな、と言って、忠顕がゲラゲラ笑った。
「すみません、御祖父様」
「来月の十七日で七十にはなるが、耳は未だ遠くない。何でも聞こえると思って居れ」
ん?
「え、七十?」
紘一の問いに、辰顕は律儀に答えてくれた。
「糺殿の二つ下だよ。明治八年生まれ」
―ああ、そうか、顕彦さん達は、此の人に似たから若いのか。最初に此の人に会っていたら、酷く混乱したかもしれないな。背中も曲がっていないし、髪が黒かったら四十路後半くらいに見えたかも。
少し状況に慣れてきた紘一は、再び辰顕に向かって囁いた。
「凄く若い、実方の人って。皆、実年齢より、かなり若い」
「ああ、何か、そういう家系なのかもね。大変らしいよ、童顔だと。うちの叔父なんて、年の割に威厳が出難いって、よく零すもの」
「成程」
俊顕は兎も角、顕彦は、そうかもしれない、と紘一は思った。
栄五より六つくらい上なのに、栄五より年下に見えるのだから、威厳を出すのは難しそうである。辰顕には悪いが、やはり少し不気味な里の様に紘一には思われた。
―其れに、軍が如何したって?やっぱり『妙な事』になっているっていうのは本当の事なのかな。
忠顕が遮ったせいで、紘一は余計気になった。




