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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第二章 昭和二十年 八月
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昭和二十年 八月二日 実方辰顕 責任

 辰顕も、血の気が引き過ぎて頭痛がしてくるぐらいだったが、自分以上であろうと思われる周の動揺を考えると、暗い廊下の中を追い掛けずにはいられなかった。


「周ちゃん、待って」


 辰顕が廊下で追い付くと、周はボロボロと泣いて、言った。


「酷い、兄上。そんな、其れで、責任取って一緒にならない気なら、女の子を傷物にしただけじゃない。第一、好きでもないのに三日も続けて会うなんて。相手に期待を持たせていたら如何(どう)するの?他人に、そんな酷い事が出来る人だとは思わなかった。あんまり瑠璃さんに酷いよ」


 周の嘆きに、陶冶は、また、うーん、と言った。


「まぁ、理屈は、そうだが。一回体の垣根を越えてしまうと、会えば、そういう事になってしまう事も有ってだな。綜の方から、あの小町娘に手を出したのか、(はた)(また)相手から誘ったのかは分からんが、もう手遅れだよ。一回だろうと三回だろうと、何回だろうと、関係を持った事には変わらない。ちょっと様子を見てやれよ。あいつも、何とか自分で考えるだろう。其れまで放っておこう。馬に蹴られるぞ」


―何か凄い事言っているな、(はる)さん。


 辰顕は、もしかしたら陶冶(とうや)は女性経験が有るのかも、と思ったが、口には出さなかった。


 周は涙を拭いた。


「辰ちゃん、着替えに浴衣、貸してくれない?今日は仮眠室に戻りたくない」

「構わないけど。じゃ、どれでも勝手に着て」


 有難う、と辰顕に礼を言うと、周は、スタスタと病室の方に向かった。


「薫、ついて行こう。辰と紘は、綜を御願い出来ないか」


 辰顕と紘は、はい、と言って、仮眠室に引き返した。


 扉を数回叩いて中に入ると、綜は既に軍服から浴衣に着替えた後で、自分の寝台に腰掛けていた。


 窓は、もう開けられていた。


 涼しい風が、部屋の中に入って来る。


 時折、洋灯(ランプ)の火が揺れる。


 辰顕は、仮眠室の中に入ると、一先ず、帽子を取って上着を脱いだ。

 上半身が露わになって、涼しくなった。


 今更だが、真夏の夜に着ている国民服は、思い出した様に暑かった。


 紘も、辰顕に(なら)って、帽子と上着を脱いだ。

 二人で、上着を椅子に掛けると、椅子を一つずつ持って、綜の傍に座った。


 帽子を弄びながら盗み見た綜の顔が、自己嫌悪を絵に描いた様な表情をしていたので、辰顕は困って、自分の額に右掌(てのひら)を当てた。


如何(どう)しよう。


 最悪の事態の想像が、辰顕の頭を(よぎ)る。

 瑠璃に子供でも出来ていたら、と思うと、自分の仕出かした事でもないのに胃が痛くなる辰顕である。


「こんな人間の味方を御前はするのか?」


 綜が、居た堪れない様な顔をして、紘の顔を見た。

 が、紘は、実にアッサリと、うん、と言った。


 綜と辰顕は、(しばら)く紘の顔を、ジッと見てしまった。


―あ、普通だ。


 紘は、何でも無い事の様な顔をしていた。

 本気で言っているらしい。


 辰顕は、あまりの意外さに、目の前が一瞬、スッと暗くなった様な気がしたが、気力を振り絞って、持ち直した。


―紘は一体、何を言う気だろう。


 綜は眼を(しばた)かせて、もう一度言った。

「こんな人間の味方をするのか?」


「あ、うん。周ちゃんには内緒にしていてほしいのだけど」


 不穏な前置き、と、辰顕は、紘のアッサリとした物言いに、身の縮む様な思いがした。


「御前が、そう言うなら、周には言えない様な事なのだろうなぁ」


 綜は、ふぅ、と、大きな溜め息を一つついて、言ってみろよ、と紘に(うなが)した。


「前にも言ったかもしれないけど、昭和十四年に厚生省が『結婚十訓』を発表したでしょ?産めよ、殖やせよ、だよ。子沢山だと表彰される様な御時世だもの。…まぁ、親に確認を取ったわけでも無いし、(いささ)か盲目的と言えなくは無いけど。人を殺したなら()だしも、殖やす分には、其処まで責められる様な事かなって気もして。相手とは合意の上だろうし」


 アッサリとした紘の語り口に、辰顕は、そうだった、と思った。


 人間に爆弾を落とすのと何方(どちら)が酷いだろうか、という疑問から、人体実験の事実を、事実は事実の(まま)、丸ごと受け入れた様な人間である。


 合意の上での婚前交渉に対しても、空襲に比べたら酷い事だとは思っていない可能性が有る。


 ある意味公平で、全てを大きな一つの基準で見ているのであろう。


 だから時として、其れは其れ、此れは此れ、という見方をしないのだ。


 紘の頭の中、という、大きな壺の中に、全ての事象を突っ込んで、丸ごと受け入れている様な特異さが有る。


 紘の考え方の基準が空襲になっているかもしれない事に思い至って、辰顕は何とも言えない気分になった。


 綜は、(いま)だに、信じられないものを見る様な目をして、紘を見ていた。


 紘は、あ、と言った。

「もしかして、最初は合意じゃなかった…?」

 紘は、青褪めて、口元を、手に持っていた帽子で隠す様にして覆った。


 綜は慌てて首を振った。

「違う、相手から誘われて、あ」


 あ、と辰顕も思った。


 綜の方から、ポロッと口を割ってしまったのである。


 綜は、ガクリと項垂(うなだ)れた。


 やはり、紘と話していると、会話の速度が、紘の進め具合に沿ってしまう。


 そっか、と紘は言った。

「御使いで荻平さんの御宅に届け物をしている時に空襲警報が有ったって事かな?」


 綜は、左手で髪を掻き揚げて、観念した様に言った。

「そうだよ、特に何の説明も無しに、親に風呂敷包み一つ渡されて。荻平さんの所に行ったら六人目が生まれたとかで、人が出払っていて、留守番が瑠璃一人だった」


「え?荻平さん、六人目が生まれたの?」


 奥方(ウッカタ)の妊娠すら知らなかった辰顕は驚いた。


 俺も知らなかったよ、と綜は言った。


「うちの親に持たされた物も、中身は知らんが、如何(どう)やら祝いの品だったらしい。其れならそうと、一言言ってほしかったが、うちの親ときたら、全く。()(かく)、そんなわけで皆、御産が有ったのだという奥方(ウッカタ)の実家に行っていて、瑠璃だけが、一人で、食材を掻き集めて、形ばかり、祝いの膳らしき物を(こしら)えようとしていた。其処で、留守番していた瑠璃に風呂敷包みを渡したところで空襲警報だ」


 其れは怖い、と辰顕は思った。


 自分だって、空襲警報が鳴り響く中、一人で居るのは嫌だ。


 其れが、若い娘が一人で留守番中に、ともなると、さぞ怖かった事だろうと思う。


「取り敢えず瑠璃を防空壕にやって、火の始末をして防空壕に行くと、一人で瑠璃が泣いていた。…其れで其の、せめて家の者が戻るまで帰らないでほしいと言われて」


―帰らなかった、と。


 こういう展開か、と思って、辰顕は、もう一度頭を抱えた。


 多分、産後間もない奥方(ウッカタ)と、生まれたばかりの赤ん坊を抱えている時に空襲警報が来て大騒ぎになり、家の者が荻平宅に戻ったのが、午後過ぎてからになった、という事で、其れが、綜が夕方前まで召集に応じなかった理由になるのであろう。


―いや、確かに、若い娘さんが一人で防空壕の中で泣いていたら、俺も置いて帰れないかもしれないけども。


 其の後一体、如何(どう)いう流れで、そういう事になったのかは流石に聞けない辰顕である。


―…いや、味方になると言ったし、今も、そう思うけど、全然頭が追い付かないよ。如何(どう)して、こうなったの。如何(どう)やって味方したら良いの。


 数学より難しい、と辰顕が思っていると、紘が、そっかぁ、と言った。


―何で、そんな、天気の話みたいに普通に相槌が打てるの?


 辰顕は、紘の態度に混乱したが、()(かく)黙って、紘の話を聞く事にした。


「瑠璃さん妊娠してないと良いね」


 行き成り頭を殴られても、こんなに驚かないかも、と思うくらい辰顕は衝撃を受けた。


 辰顕が危惧していた最悪の事態を、アッサリ紘が口にしたので、辰顕は再び胃に痛みを感じた。


如何(どう)して、そんな事、平然と口に出来るわけ?


 国民服を着ていた時は、暑くて堪らなかった辰顕だが、窓からの風のせいか、夏だというのに、また寒気を覚えた。


―怪談よりも納涼だよ。


 綜は、青い顔をして、紘に何かを言おうとしたが、結局黙ってしまった。


 紘は、それじゃ、と言って椅子から立ち上がった。

「俺、戻って寝るね。明日は、朝から早稲を刈る約束をしているから」


 綜と辰顕は、思わず、声を揃えて、え?と言った。


「此の状況で戻るの?」

 辰顕は、思わず、大きめの声で、そう言ってしまった。


 え?と、紘が聞き返して来た。

「でも、流石に恋路となると、俺が口を出す事でも無いし。其れに、多分綜ちゃんは責任を取ると思うよ。第一、そんなの、今夜、彼是(あれこれ)言ったって仕方が無いもの。決めるのは綜ちゃんだし」


 辰顕は、綜の方を見た。


 綜は青い顔の(まま)、分からない、と言った。

「何も決められない」


 こんなに途方に暮れている綜を見た事が無い辰顕は、やはり、此の儘綜を置いて病室に戻れない、と思った。


「御願い、紘、口出しして」


「へっ?」

紘は、裏返った声を出した。


 辰顕は、自分でも変な事を頼んでいる自覚は有ったが、今、仮眠室という空間に於いて、一番頭が回っている人間である紘に、縋り付きたいくらいの気持ちで頼んだ。


「御願い。綜ちゃんが責任を取るって思う根拠は何?綜ちゃんは如何(どう)したら良いの?何を決めるの?ちょっと、御願い、一回整理して。俺、もう頭が回らないよ」


 今日の事は、如何(どう)やら辰顕の頭の容量を超えてしまったらしいのだ。


 其れでなくても畑仕事と、病院と里の往復で疲れているし、もう限界だ、と辰顕は思った。


 紘は、綜と辰顕の顔を交互に見て、じゃあ、と言って、もう一度椅子に座り直した。


「話の整理っていう事だと、先ず、責任を取るか否か。次に、関係を続けるか否か。此の二点かな?今後の焦点は」


 紘の言葉に、綜は、天井を見上げて、言った。

「…そうかな」


 此れ以外有るかな?と紘は言った。

「此の二つの組み合わせの問題だよね。四通りだよ」


 辰顕は組み合わせ?と言った。

 回らない頭が何やら数学っぽい響きを受け取った。


「そう、組み合わせ。責任は取るし、此の(まま)関係も続ける。責任は取るけど、夜這いみたいな事はせず、相手を御嫁さんにするまで、もう関係は持たない。責任は取らないけど、関係は続ける。責任も取らないし、今日限りで関係を断つ。今後、如何(どう)するかって言うと、概ね、此の四つかな、と思う」


 紘は、指を折って数えながら、そう言った。


 相変わらず淡々と言うな、と呆れながらも、辰顕は礼を言った。


「…有難う。其の四つから選ぶっていう事なら、少し整理出来たかも」

 辰顕は、腕組みし、考えようとした。


 俺はさ、と紘は続けた。

「綜ちゃんが、年回りの合う女の子と上手くいくと良いな、と思っていたから。順番は違ってしまったかもしれないけど、他に目を向けられた、という点では悲観していないよ。まぁ、(おさ)か荻平さんには殴られるかもしれないけど」


 辰顕は、其れを聞いて思わず、ウッと(うめ)いた。


 自分の仕出かした事では無いのに、やはり胃が痛い。


 其れにね、と紘は言った。

「三日続けて会っているだけで、綜ちゃん、あんなに後ろめたそうだもの。責任取らずに居られる性格じゃないと思って。でも、責任を取りたくないって言うなら協力するよ」


 辰顕は、はぁ?と言った。


 思わず椅子から立ち上がり、紘の傍に心持ち寄った。

「紘、如何(どう)する気?」


「逃げちゃうの。俺が此処を出る時、一緒に外に出れば良いよ。うちの父さんには、瑠璃さんの事、黙っておけば良い」

「…そんな酷い事」


 辰顕が、そう言うと、紘は、うん、と言った。


「そんな酷い事、綜ちゃんは、やっぱり、しないと思ってはいるけど。一応、味方する。瑠璃さんには悪いけど、誘った方も、覚悟は有るべきでしょう。妊娠するかも、とか、捨てられるかも、とかね。婚前交渉だから、親の許しを得ていないっていう意味では、責任は半々じゃない?」


「…其れは…」

 辰顕は、何と言ったものかと逡巡(しゅんじゅん)した。


 紘は、綜の方を見ながら続けた。

「そりゃ、妊娠させる様な事をしたという意味では擁護しきれない部分も有るけど。合意だった上に、相手から誘っている場合、女の人の方も、良くなかった部分が有るかもって。其れに、本当に綜ちゃんが其の人を嫌なら、三日も続けて会わないと思う。綜ちゃん自身は、瑠璃さんとの事、全く無しではないのかもって」


 綜が、やっと口を開いて、分からない、と言った。

「全く何とも思っていなかったのに、ずっと好きだったと言われて泣かれて。誰かから、そんな風に言ってもらった事は無かったな、と思って」


 あれ、と辰顕は思った。


―紘の言う通りかも。多分綜ちゃん、瑠璃さんの事、嫌いではないよね。


「安幾さんの事、忘れられそう?」

 紘が、そう言って、綜の目をジッと見た。


 綜は俯いて、言った。

「分からない。不毛な物思いも、十年も続くと、考え癖が付いてしまって。相手の事を考えるのが当たり前になってしまっているから。其れが、()だ相手が好きだから、そうなのか、癖だから、そうなのか、分からない。…忘れる事は、()だ出来ないと思う」


 そっか、と紘は相槌を打った。


 綜は(つら)そうに言った。

「自分の事なのに分からない。こんな事になったのも、頭の何処かで(いま)だに信じていない。こんな、責任問題に発展する様な事、自分が衝動的にするなんて。そんな情熱が自分の何処に、と思う」


 紘は、うーん、と言った。

「いや、情熱家でなければ、六歳で駆け落ちを企てないでしょう。十年計画の求婚なんて、他所(よそ)で俺、聞いた事すら無いし。自分を知らないだけじゃないのかな、綜ちゃんは」


 其れもそうだな、と思ったが、辰顕は黙っていた。


 安幾への十年計画の求婚の話は、今思い返しても、幼馴染の友人ながら、ちょっと怖いな、と思うのである。


 少なくとも、自分が六歳の頃と言えば、蜻蛉を追い掛けて喜んでいた時期で、求婚について考えた事も無いし、今以て自分に其の様な情熱は無いし、有ったとしても十年計画にはしない気がするので、理解が難しいのである。


 成程、其れは確かに、情熱と呼ぶに相応しい気がする。


 執念とも呼べるが、一番美しい言い方だと情熱になるであろう。


 綜は、紘の指摘に、拍子抜けした顔をした。


 辰顕は、綜の、其の顔が可笑しかったが、今だけは笑ってはいけない、と思い、唇を噛んで(こら)えた。


 良いと思うよ?と紘は言った。

「其の人の事、連れて逃げたいくらいじゃないなら、置いて逃げても良いと思うよ?だって、一生の事だよ」


 紘は、綜の目を見て続けた。

「其の人が、綜ちゃんに会えなくて、一人で泣いていても平気なら、置いていっても良いと思う」


 其の通りだな、と綜は言った。

「其れが平気なら、空襲警報の後も、瑠璃を一人で置いて戻れば良かった筈だな」


 綜は、ゆっくりと、深呼吸を一つした。

「これっきりと思うのに、三日通った時点で答えは出ていたのかな。()(かく)明日、親に話してみる。殴られるだろうけど」


 其れを聞いて、紘は、辰顕に、穏やかな笑顔を向けた。


 あ、と辰顕は気付いた。


―怖い。誘導したのか。…成程、一緒に話していると、(そもそも)会話の速度が、紘の進め具合に沿ってしまいがちなのだから、頭の回っていない状態の俺達じゃ、紘には簡単に其れが出来てしまうわけだ。…凄いや。


 (わざ)と瑠璃を少し悪く言って、置いていけば、と、綜に突き付けたのである。


 思いがけない展開に迷っていた綜は、まんまと責任を取る方向に結論を持って行ったのだった。


 俺は嬉しいよ、と紘は言った。


「俺、帰ったら、もう会えなくなっちゃうと思うけど。綜ちゃんが御嫁さん貰うって、凄く御目出度い事だと思うもの。綜ちゃんと瑠璃さんが、此の先、如何(どう)なるのか、俺は見届けられないけど、どういう道を綜ちゃんが選んでも味方するよ。勿論、やっぱり逃げる方を選ぶって、綜ちゃんが後から言い出してもね」


 綜は、微笑む紘を見て、寂しそうな顔をして、言った。


「御前と逃げるのも悪くないって頭の何処かでは思っている。御前は、()だ一週間と少ししか一緒に居ないのに、もう、御前が居ない毎日になる事が想像出来なくなっている。此れは、寂しいという事なのかな」


―寂しいなんて事、綜ちゃんが口にするなんて。


 でも、自分も同じ気持ちだ、と辰顕は思った。


 紘は笑った。

「所帯を持とうって人が、そんな、逃げるのも悪くない、なんて、やっぱり言っちゃ駄目だよ。御父さんになるかもしれないのに」


 綜は、う、父親か、と、言葉を詰まらせた。


 辰顕は、其の単語を聞いて、また胃が痛くなってきた。


 理想としては、と綜が言った。

「誠吉さんの様な親になりたいな。でも、俺は多分、親そっくりになるのさ。残念だが。育てられた様にしか育たんものだな、と、我ながら思う」


「うちの父さんみたいな親?」


「そう、何と無く。…いや、本当の事を言うと、誠吉さんの様な親になりたい、と言うより、俺は、じぃじと一緒に死んでしまいたかったって、ずっと思っていた。親は、あんなだし、気持ちの上では何と無く頼れなくて。先生も、ハナコおばちゃんも居て、やっぱり皆が大好きなのに、じぃじが居なくなってしまったら、何だが、何かが足りなくなってしまった。皆、他の子の親だけど、じぃじの事は、何故か、そう思っていなかった。何故あんなに可愛がってくれたのか、今も分からない。じぃじには、何の得も無かったのに。親は、俺には、やっぱり父上なのだが。でも、じぃじの子供になりたかった様な気がしている」


 幼馴染の告白を聞いて、辰顕は泣いた。


 如何(どう)しても心の中で頼ってしまう人間というのが居るとして、綜には、其れが(ただす)なのだと思うと、辰顕は堪らない気持ちになった。


―そうかもしれない。(ただす)殿が居たら、もしかしたら、綜ちゃん、こんな事をしなかったかもしれない。綜ちゃんは、(ただす)殿も、アッコおばちゃんも、急に失った様な形になって、したくない実験をして、悩んでいて。そうだ、(ただす)殿に叱られる、何て思ったら、何時(いつ)もだったら、こんな事をしなかったかもしれない。だから、綜ちゃんらしくない事を急にしている様に感じるから、俺は、動揺したのかも。本当は、そんなに、何時(いつ)も、死んでしまいたいくらい困って、寂しかったなんて。そんな時、誰かに好きだって言われて、綜ちゃんは、どんな気持ちになっただろう。綜ちゃんは、こんなに寂しかったのに。


 また何も出来なかった、と辰顕は思った。


 此の、簡単に弱音が吐けない幼馴染の事を、自分は何時(いつ)も何も分かっていないから、助けられないのだ、と強く思った。


 辰顕は、立った(まま)、オロオロして、ただ泣いた。


 綜も泣いている。

「俺が責任を取らない様な人間になったら、じぃじは、ガッカリするよな」


 紘も泣いている。

「御祖父様は、ずっと綜ちゃんに御味方くださる筈だよ」


 大丈夫、と言って、紘は、泣き笑いしながら、綜と辰顕の方を見た。


 泣いているばかりだった辰顕は、救われた様な気分になって、紘の美しい、濡れて光る瞳を見詰めた。


 (ただす)と似た目だった。


―誰かが、誠吉さんと紘を、此処に連れて来てくれたのかな。


 辰顕は涙が止まらなかった。


 自分では、綜の事も、周の事も救えないのだった。

 味方になると言いながら、紘にも、双子の味方になってほしいと言いながら、自分は、双子と一緒に困るだけで、具体的な事は何も出来ていない、と思う。


 だが、誠吉と紘なら、何かを変えられて、双子を救ってくれるのではないかという気がするのである。


―誰かって、誰だろう。(ただす)殿かな。


 そう、(ただす)が亡くなったから、二人は此処に来たのだ。


(ただす)殿を、綜ちゃんと周ちゃんに会わせてあげたい。そして、俺も会いたい。


 辰顕は、無性に(ただす)に会いたくなった。


 会いたいね、と、紘が呟いたので、辰顕は自分の心が読まれた様な気分になって、驚いて、涙を拭った。


 紘は、自分の国民服の上着を漁り、財布を取り出すと、一枚の写真を取り出した。


「凄く、会いたくなる事が有るよね。もう会えなくても。また会いたいなって。…皆にも、会わせてあげたいなって」


 綜は、涙を拭きながら、其れは?と、紘に尋ねた。


「記念写真。両親の」

 見る?と言いながら、紘は、綜に写真を手渡した。

「良いのか?大事な物だろうに」


 そう言いつつ、写真を受け取った綜は、首を傾げた。


 そして、紘の顔と写真を、何回も見比べた。


 そして、非常に困惑した様子で、不思議そうに言った。


「いや、何と言うか、違う。此れは、俺の知っている記念写真ではない」


 如何(どう)いう事?と辰顕は尋ねた。


 あまりにも綜が不思議そうな顔をしているので、辰顕は涙が引っ込んでしまった。


 綜は眼を(しばた)かせて、言った。


「此れは、俳優肖像写真(ブロマイド)の類だと思う。(ほとん)ど、売る為の写真だ。ちょっと綺麗過ぎる。何か、違う。記念写真って、こうじゃない」


 紘は、え?と聞き返した。


「いや、もし俳優肖像写真(ブロマイド)だとしたら、俺は他人の記念写真を買ってまでして持ち歩いて、両親の写真だって言い張っている奇特な人になっちゃう。女優さん一人の写真、とかなら分かるけど」


 紘も不思議そうに、そう言った。


「いや、悪い。そうなのだが。ちょっと、美人の母親、っていう段階じゃないぞ、此れ。映画とか、そういうのだろう?ああ、でも、隣は誠吉さんだし、此の女の人も、御前に似ているが。何だろう、済まない。情報が上手く頭に入って来ない写真だな。現実感が無いと言うか。見間違いだろうか、と思い続けてしまう。いや、本当に美人だったのだな。あの、褒めているのだ。気を悪くしないでほしいのだが」


 綜も、涙は引っ込んだ様子で、困った様に、そう言った。


 紘は、ええ?と言った。


「あ、有難う…。でも、母さんが其処までって、やっぱり、俺には分からないなぁ。でも、良い写真でしょ?」


 綜は、良過ぎる、と言いながら、そっと写真を紘に返した。


「見せてくれて有難う、紘。…いやはや、此れが、お(よし)さんか。…成程、ハナコおばちゃんが言っていた意味が、何と無く分かったぞ。一度見たら見忘れん姿だな」


 如何(どう)いう事なの、と辰顕は思ったが、何と無く、向かい合って困惑する綜と紘を前にすると、自分にも見せて、と言いそびれて、黙ってしまった。

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