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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第二章 昭和二十年 八月
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昭和二十年 八月二日 坂本紘一 夜這い

 全員一言も口を利かず、揃って病院まで戻って来た。


 風の中、銘々、井戸で水を飲むと、一先ずは、と、仮眠室に集まった。


 何と無く、綜一が椅子に座っているのを囲む様にして、全員で立っていた。


 洋灯(ランプ)の明かりで、放射状に、立っている人間の影が広がる。


 詰問みたい、と紘一は思ってしまった。


 締め切った部屋で軍服と国民服を着ている暑さを全員で忘れたかの様な、常に無く寒々しい光景だった。


 最初に口を開いたのは周二だった。


「あの人誰?」


 周二は躊躇(ためら)いがちに、しかし、ハッキリそう言った。


 綜一は、項垂(うなだ)れた(まま)、周二の目を見ないで答えた。


「…荻平さんの長女だ」


 陶冶が驚きの声を上げた。

「あ、うちの御隣さんの所の、瑠璃(るり)さんか。今度、八月の半ばに満十六になるっていう小町娘だぞ。へぇ、年回りは丁度良いじゃないか」


 御隣さんとはいえ誕生日まで知っているとは妙に詳しくはないか、と思ったが、紘一は黙っていた。

 紘一も既に、陶冶が美人について、かなり強い興味を持っている事は理解し始めていたので、瑠璃が小町娘だという理由で詳しいのなら、流石陶冶、と思った。


 周二は、ゆっくりと深呼吸を一つしてから、言った。


「二人で何していたの?」

 綜一は返事をしない。


 陶冶が、小声で、聞くなよ、と言った。


「大体分かるだろ。此れ以上は野暮ってもんだ。時間帯と瑠璃さんの格好で察しろよ。あの年頃じゃ、こんな時間に男と寝間着では会うまいよ。特別って事だ」


 紘一にも大体分かった。


 少なくとも口付けする間柄だとは言えそうである。


 周二は黙って、困った様な顔をして、陶冶を見た。

 薫陶が、優しげな声で、綜、と声を掛けたが、綜一は返事をしない。


「…沈黙は返答だね、此れは」


 薫陶は、自身の左頬を、左手の人差し指でポリポリと掻いた。


 辰顕が、真っ青な顔をして、何時(いつ)から?と言った。

 綜一が、ボソリと、此の前の空襲の時、と言った。


「あ」

 辰顕と紘一は、思わず、声を揃えて、そう言ってしまった。


 綜一が驚いて、辰顕と紘一の方を見た。


「もしかして、空襲の後、(しばら)く戻らなかったのって、そういう事?」


 紘一の問いに、周二が、如何(どう)いう事?と言ったので、紘一は続けた。


(おさ)の御使いで荻平さんの家に行って、なかなか戻らなくて、空襲の後の召集に遅れたって、反省文書かされた時?」


 綜一は、紘一の言葉に目を丸くして、紘一の顔を見た。

「…何でも知っているな、御前は」


 辰顕が、綜一の言葉を聞いて、両手で頭を抱えた。


 恐らく、空襲の時、(しばら)く戻らなかった理由は瑠璃なのだ。


 周二は、ハッとした顔をした。


「…もしかして、やっぱり、昨日も居なかった?一度仮眠室に戻ったら、もう兄上が寝ていたから、気にしていなかったけど。先刻(さっき)も、国民服を取りに来た時居なくて…」


 綜一は、また俯いて、周二から目を逸らした。


 其れが本当なら、三日続けて会っていた事になる。


 周二は珍しく、キッと(まなじり)を上げた。


「『水配(ミックバイ)』に参加していたら、夜這いは禁止だよ。兄上も、其れは了承済みでしょう?」


―あ、夜這いって。


 ハッキリ、体の関係が有るだろう、と言ってしまったな、と紘一は思った。


 そう、今夜、紘一達が目撃したのは、恐らく逢引(あいびき)の帰りである。

 時間帯から察せる事は、色々と有った。


 薫陶が、気不味そうに、あー、と言った。

「えーっと、如何(どう)するの?荻平さんのところの娘さんと一緒になるの?綜」


 綜一は、ハッとした様子で、薫陶の顔を見た。


 薫陶は、少し慌てた様に、いやほら、と言った。

「瑠璃さんの事が好きなら、外野が口を出す事じゃ無いから。俺は『水配(ミックバイ)』に参加していないから、其の辺の仕組みは分からないけどさ」


 陶冶が、うーん、と唸った。

「でも、夜這い禁止っていうのを、(おさ)の息子が守っていない事が周りに知れると不味くないか?いや、俺も、参加していないから、仕組みは分からんが。婚姻統制だろ?」


「ああ、でも、其の点に関しては、(おさ)に御願いして、内密に『水配(ミックバイ)』の相手を、其の、瑠璃さんという方にして頂けば宜しいのでは?(おさ)が相手を決める制度でしょう?」


 紘一の発言に、清水の双子は、おお、と声を揃えて言った。


「紘、頭良いなぁ。そうだな、(おさ)に相談して、(おさ)が相手を瑠璃さんに決めた、っていう話になれば、誰も文句は言わない。瑠璃さんが好きなら、そうしてもらうと良い。御前、もう満十七だから、所帯を持てるのだし」


 陶冶は明るく、そう言ったが、綜一は返事をしない。


 そして、仮眠室に沈黙が訪れた。


「…好きでもない女の人の所に、三日も通っているの?周りに知れたら如何(どう)する気?其れでも責任を取らない気なの?」


 (やや)あって発された、周二の、声を押さえた必死の追求にも、綜一は返事をしない。


 周二は、青褪めた顔をして溜息をつくと、首を振って、仮眠室を出て行った。


「あ、周」


 陶冶が声を掛けても、周二は戻って来ない。


 綜一以外の全員で、慌てて後を追った。


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