昭和二十年 八月一日 坂本紘一 命名規則の謎解き
四人が去ると、紘一は、久し振りに父と二人きりになった。
静吉は嬉しそうに、紘一の顔を覗き込んできた。
「すっかり傷が良い様だな。声が出なくなる症状も、其のうち治るであろう」
「あ、そう言えば、何日か、あの症状が出ていませんね」
静吉は、良い傾向だ、と言って、ニコニコした。
あの、と紘一は言った。
「父さん、此処、というか、瀬原集落の上方限って、もしかして」
紘一は静吉に耳打ちした。
静吉は、よく分かったな、と言った。
「そうだよ、気付いたか。里の人でも、若い人は全然知らないが。何せ、嘗て此の薩摩藩という場所は、四人に一人は、そういう身分の人間が居たのだから」
そうなのだ。
紘一の見立てによると、上方限と、瀬原衆の住む下方限は恐らく成り立ちが違う。
支配者層と被支配者層、という出自の違いが、如何しても、上方限の若者の言葉の端々に伺えるのである。
そんな、此の昭和の時代になっても、と思ってしまう、旧態依然とした感覚が残っているのは、恐らく、古い時代に隠れ里になってしまった事で、身分、という用語は抜け落ちても、感覚として其れが残ってしまったのが原因であろう。
其れは、恐らく、差別という感覚すら自覚的には持てない程自然に、身に染み付いた風習なのであろう。
互いの呼称や態度にすら、其れらの残滓が窺える。
兄上、ちぃ兄、と言った、古めかしい呼び方。
目下には男言葉を使う女性達。
目上と目下をハッキリと分けているのだ。
上方限と下方限で言葉が違う、というのも、元々住んでいた場所が違うか、出自を区別する為に敢えて同じ言葉を話さない様に意識している可能性が有る。
そして、実方家の人々の名前。
男性の名に使われる『顕』の字は恐らく、其の家系で代々名前に使われる通字である。
そして、剣術をし、薩摩拵、という刀を所有していた、という事は恐らく、そうなのである。
何も、名字帯刀だけでは其の証にはならない筈だが、栄五の話にしても、実方本家に通ずる物が有る。
先祖代々の品の槍。
家の中に在る、弓矢の的。
そして、栄五の家は武芸を能くする家柄だという薫陶の話。
瀬原衆である周二が、両親が懐剣を所有していた事を示す発言をしていた、というのは、よく分からないが、注目すべきは、やはり、彼が『上方限』出身で、父親は『上方限』の吉野本家の娘を娶る事が可能な立場だった、という事である。
母親の懐剣は吉野本家由来の物だと推察するにしても、上方限、という区切りには、恐らく何かが有る。
「…俺の名前、本名を隠すのも、其れに関係していますか?…気付いたのです、『墓碑銘』。皆、『漢字一文字の名前』になっていたのを。女性は兎も角、男性は、本当は違うのではないですか?俺が本当は『紘』ではないのと同じで」
「其処まで気付いたか。そう、我が家は古くは、真名を隠す風習が有ったのだ。実方本家の様に通字は無いが、一定の命名規則は有る。今も男女とも、戸籍の名前と、通り名は分け、明治を過ぎても、里では、戸籍の名前は教えないのが決まりだ。名字も一字変えてある。特に真名は、他家の者は知らない。自分の家の女性にも教えない。自分の真名は、両親以外には、自分の一族の男性以外は、嫁した女性にのみ教える。其れ以外で他家の人間に真名を名乗る時は、相応の覚悟が有る時だ。今では、外では戸籍の名前を使うから、稍形骸化してきているが。通り名は、家の後継だけは漢字一文字とする命名規則だ。本名は、男性は、長男から順に、男には、数字を名前に入れるのだ。糺一、新三、紘一、彰二、栄五、と。四は死に通ずる、として、四男には数字は入れない決まりだ。俺は四男だから静吉で、数字は入っていない。四男の場合は、縁起を担いで、通り名は、字も変える。四男は、もう一捻りするので、戸籍名が真名にはならない。だから、俺は静、ではなく、誠、という字で誠吉が通り名で、本家後継を継いだら、誠と呼ばれる予定だった。分家の、直さん、というのも本来は四男だったから、分家後継になる前の通り名は直介。本名は字が違う、高尚の『尚』と書いて尚介さん。真名の部分は、『尚』となる。上の兄弟が亡くなったから後継になったもので、通り名が直介だった事から、直と呼ばれる決まりだったのだ。そんな命名規則と秘匿の風習が有る家柄なのだ。御前の御祖父様の操殿も本来は坂本操一。喜久さんの御父上の要さんも、本来は坂本要一。安幾さんの御父上の吉雄さんも坂本吉二。此れは、喜久さんも安幾さんも知らない筈だ。了も、本来は坂本了一。此れも、成子も逸枝も知らない筈だ。俺の上の兄二人も、本来は勇一と玖二だったが、長男は勇と呼ばれていた。次男は、里での通り名は玖吉だったが、長男が亡くなったから玖という通り名になった。まぁ、結局其の人も亡くなったのだが」
「徹底していますね。それでは…俺は長男だから、真名が『坂本紘一』、通り名が『坂元紘』。彰二は、里に居たら、彰、ではなくて、別の通り名が付いていた、という事ですね?命名規則として」
「そうだ。富も、戸籍名は『坂本ヨシ』。本来は片仮名登録してある」
「其れでは、父さんの真名は…」
「そうだ。御前にも初めて教えたが。女性は、富しか知らない。娘であろうと、女性には、例え由里にも教える事は罷りならない」
「…彼是仕来りが、ややこしい場所、ですか」
「そう。尤も此れは、瀬原集落というよりは、我が家の問題だからな。戸籍名云々の話も、何時か、帰ったらしてやろう」
「はい」
但し、と紘一は思った。
此れでは、里の成り立ちは、古くても精々三百年、といったところである。
最初から里が、此の上下二つの地域に分かれた形式だったのかは、紘一には疑問である。
苗の神教と支配者層の繋がり、というのは、紘一には、如何解釈して良いか分からない。
知れば知る程、瀬原集落という場所に対する紘一の疑問は膨らむ一方である。




