昭和二十年 七月三十一日 実方辰顕 御託宣
「また鹿児島駅周りか、くそっ」
清水の双子以外、病院の防空壕に居た者も、母屋の方の防空壕に居た者も、全員で母屋の上座敷に戻ってから、軍服姿の顕彦が、胡坐を掻き、悔しそうに、そう言って唇を噛んだ。
国民服姿の周は、顕彦の傍らで、悲痛な顔をして胡坐を掻いて座っていた。
栄と綜は、今日は彼方に行っているし、俊顕は、今日は来ていない。
顕彦も、此れから軍の方に向かうのだという。
また、かなりやられた様子だが、未だ正確な情報は入って来ていない。
しかし、紘の言った通り、此の病院周辺と瀬原集落は無事だった。
紘の隣に座りながら、辰顕は、信じられない思いで、紘を見詰めた。
「大丈夫か、紘」
国民服姿の誠吉が、心配そうに、紘に近寄って来た。
紘は、はい、と言った。
誠吉は、紘の顔を見て、何かに気付いたらしかった。
誠吉は、紘の傍らに座り、紘の両手を取ると、何事かを呟いた。
紘は、大きな瞳を半眼にした。
「次は何時ですか?」
「八月六日、昼」
紘は、常に無く低い、籠った声で、そう言った。
「そうですか、此処は大丈夫ですか?」
「大丈夫だが、八月六日と九日は、此処から出るな」
「有難うございます、どうぞ御帰りください」
紘は、座敷で胡坐を掻いた儘、崩れる様に意識を失って、倒れた。
紘の両手を取っていた誠吉は、我が子を抱き留めた。
早くも、貴顕と了は遊び始めていた。
逸枝は初に抱かれてシクシク泣いていたが、泣き止んで、驚きの表情で紘を見た。
顕彦も初も安幾も、周も辰顕も成子も、驚いて紘を見た。
初と安幾の間に正座していた成子が、心配そうに、紘兄ちゃん、と言って、駆け寄って来た。
初が、逸枝を抱いて正座した儘、まさか、と言って、隣に居る顕彦の顔を見た。
顕彦も瞠目している。
「彦兄、あれ、御託宣だわ、多分。御義兄様、如何して、紘ちゃんが?」
誠吉は苦笑いして、初に答えた。
「分かりません。ですが、如何も暗示に掛かり易い子の様ですね。此のところ、気持ちに負荷も掛かっていましたし。でも、帰ってほしい旨を伝えると、ああして終わります。四、五年に一度、なるかならないか、というところですが。多分、術と巫女舞を教えた時期が重なってしまったのが良くなかったと思うのですが、本当のところは、専門家に相談しようにも、原因が、怪しげな術と舞ですからね。ただ、男にしか術を教えず、巫女舞は女性が舞ってきた、というのには理由が有るのかもしれません。分けて教えるべき何かが有ったのかもしれませんが、其れももう、本当のところは分かりません」
傍らで其れを聞いていた成子は、理解出来ない様な顔をして、再び初と安幾の傍に戻って正座した。
「暗示…」
思わず、辰顕は、そう呟いていた。
確かに、子供が暗示に掛かった、と言われても、相談された相手も困るだろうし、何と説明したものかと、と、辰顕も思うであろう。
―其れにしても、分かったぞ。こういう事か。
巫女舞を舞っている人間が暗示に掛かっていき、御託宣とやらをし、意識を失って倒れる。目覚めると本人は何も覚えていない。
―舞は添えもの、御託宣こそが重要。
此れは、再現しようとしても出来ない、と辰顕は実感した。
そして恐らく、素人が意図的に、こういう状態を作り出す事は危険である。だから巫女には、術に対する専門的な知識を持つ者が付いての修業が必要だったのであろう。
「紘は大丈夫ですか?」
辰顕は誠吉に、そう尋ねた。
誠吉は、穏やかに微笑んで、大丈夫、と言った。
「起きたら本人は何も覚えていないであろうが。でも、暗示というのは、こういうものだよ。時に危険なのだ。上手く掛かり過ぎると、時には、脳や身体に影響が出る」
辰顕はハッとした。
―暗示で、例えば心臓を。
辰顕にも、如何やって術で人間を殺すか、方法が、朧気ながら分かってしまった。
百姓袴姿の初は、両手を自分の両頬に当て、言った。
「次の空襲は、八月六日?」
安幾と成子と逸枝が、初の顔を見た。
誠吉は、分かりません、と言って笑った。
「ですが、試しに、六日の昼は、防空壕に逃げる準備をして過ごしても良いかもしれません。別に、其の日に何も無くても、其れなら特に損はしませんから。其れよりも、八月六日と九日は此処を出ない様に言われた事の方が気になりますが」
顕彦は、寄って来て、愛しげに、紘の額の包帯を、そっと撫でた。
「怖かったなぁ、紘。よく眠れ。さ、誠吉さん、紘を病院の方へ運びましょう。彼方に向かう前に、手伝いますよ」
あまりにも顕彦の声が悲しげなので、辰顕は泣きそうになった。
周が、俺も、と言って立ち上がったので、辰顕は慌てて立ち上がり、ついて行こうとした。
初が、抱いていた逸枝を膝から降ろして、頭を撫でて、言った。
「さ、逸ちゃん。御母さんは、御昼御飯を作りますからね。安幾ちゃんと、奥座敷に行きましょうね。安幾ちゃん、此の子を暫く御願いしても良いかしら?」
安幾が、はい、と返事をした。




