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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第一章 昭和二十年 七月
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昭和二十年 七月二十九日 瀬原周二 屋号

「もしかして俺、綜ちゃんに悪い事言った?」


浴衣姿で寝台に入った紘が、隣の寝台に腰掛けている周二に、そう尋ねてきた。


「俺は羨ましかったけど、綜ちゃんは髪の毛や目の色の事言われるの、嫌だったかな」


 紘の声が少し(しお)れている。


 大丈夫だよ、と周二は言った。


「多分怒っていないよ、兄上。怒ったら()ぐ分かるもの。仏頂面だから誤解されがちだけど、本当は、あんまり怒らない人なの。目の事も有るけど」


 目?と紘が言うと、自分の寝台に腰掛けていた辰顕が、あ、そうだね、と言った。


「目の色素が薄いせいか、綜ちゃん、日光が苦手らしい。曇りだと目を開けていられないくらい眩しく感じるって言っていたよ。曇天は晴天より、しんどいって。だから目を細めてしまうそうだよ。其れで一つは、怒っている様に見えるのさ。本人に自覚は無いかも」


「はぁ、成程、そんな悩みも有るわけだね」

 紘は済まなさそうに、そう言った。


 病室の扉が数回叩かれる音がして、陶冶(とうや)薫陶(くんとう)が来た。


 二人は、今晩は、と言った。

 此方に手を振って歩み寄って来る。


―あ、やっぱり。入室前に戸を叩く習慣が無いわけじゃないのに。初日は、コッソリ入ろうとして、(わざ)と戸を叩かなかったのか。


 周二は、クスリと笑った。


 自分達より年上だが、割合悪戯っぽい事をする陶冶とは、一緒に学校に通っていた頃から気が合う周二である。


 辰顕と紘は、微笑んで、穏やかな声で、今晩は、と言った。


 紘が、どうぞ、と言って自分の寝台を手で指し示すと、陶冶は、ギシリと音を立てて、紘の寝台に腰掛けた。


 薫陶も、どうも、と言って紘に近付いた。

 辰顕が、どうぞ、と言うと、薫陶は、辰顕の寝台に近付いて行って、腰掛けた、


 周二が自分の寝台に、絵を描く紙を広げてしまっていたので、陶冶より幾分控え目な性格の薫陶に遠慮されたらしい。


 周二は、幾ら何でも散らかし過ぎちゃった、と思い、紙を集めて重ね、鉛筆を揃えて紙の上に乗せ、枕元に在る棚の上に置いた。


「何の話をしていた?」


 陶冶が、そう言ったので、紘は、髪の毛の話を、と言った。


「綜ちゃんの髪の毛を褒めてしまったのです。本人が気にしていると思わなくて。他人の容姿の事を言うのは、例え褒めるのでも、止めた方が良いだろうかと反省したところです」


 陶冶は、そうかぁ、と言った。

「綜、怒った?」

 陶冶は、周二に向かって、そう言った。


 周二は、大丈夫、と言った。

「褒められたのは兄上も分かっている筈だもの。相手の言っている事の真意を汲み取らずに腹を立てる様な事、しない人だよ」


 薫陶は少しホッとした様に、へぇ、と言った。

「腹を立てなかったなら、良かった」


 紘は、薫陶の言い方に少し含みを感じたらしく、周二の方を見た。


 紘と目が合った周二は、ああ、あのね、と言った。


「昔は赤毛の双子、って、からかわれていたの。赤毛の人って、うちの父と、俺達くらいしか里に居なかったから」


 紘は悲しそうに言った。


「ごめん、其れじゃ、周ちゃんも、言われるの、嫌だったよね」


「其れが、俺さぁ、何時(いつ)の間にか、あんまり赤毛でなくなっちゃって。だから昔は、もっと似ていたの、俺と兄上。でも、此の三年で、俺の髪が、かなり黒くなったものだから、何だか一人だけ一抜けしたみたいで、ちょっと兄上に悪くて」


 辰顕が、そうか、と言った。

「一つは、外出が減ったから、髪が日に焼けなくなったわけだ。確かに、今の周ちゃんじゃ、赤毛って程では無いものね」


―辰ちゃんって、そういう事の理由を見付けるのが上手いよね。


 周二は感心して、そっかぁ、と言った。

()(かく)、紘、気にしないでやって。言っちゃったものは、もう仕方ないし、兄上も怒ってないし、次から言わなきゃ良いじゃない?」


 周二が、そう言って微笑むと、紘は、小さな声で、うん、と言った。


「アンみたい」

 自身の隣で発された紘の言葉に、陶冶は、ん?と聞き返した。


 紘は説明した。

「ああ、『緑家(みどりや)の好子』の、好子の事です。赤毛が悩みの女の子でして。其れを長い編み下げにしていて、髪は綺麗らしいですが、本人は赤毛を嫌がっているのです」


 其の場に居た、紘以外の全員が、ええっ?と言った。


「好子、赤毛なのか?しかも、髪を御下げにした女の子なのかい?」


 陶冶が、眼を瞬かせて、そう言った。


 紘は、ええ、と言った。

「向こうで赤毛というと、綜ちゃんみたいではなくて、もっと橙色みたいな色ですけどね」


 何か、何処かで聞いた事が有る話だな、と周二は思った。

 遠い記憶で顕彦が、其の様に言って慰めてくれた記憶が有るが、好子の髪が、其の赤毛だとは思わなかった周二である。


 陶冶は、おいおい、と言った。

「今の情報、かなり重要だろう?何で言わない?」


「ああ、マシュー、いえ、賜男(たまお)と好子が馬車で喋っている場面で、好子が自分で赤毛だと言うのです。ザックリ省いてしまいましたけど」


 陶冶は、ええー?と言った。


「其処を省くのは大胆過ぎないか?痩せた小さな女の子って言うから、英子みたいな、おかっぱ頭の小さい子の姿で好子を想像していたのに。髪型さえも違うとは」


「ああ、赤毛を、からかわれる場面が出てくるので、其処で補足すれば良いかな、って」


 薫陶が、驚いた様子で、こらこら、と言った。

「話の筋を先に話すなって」


 紘は、薫陶の方を見て、あ、ごめんなさい、と言った。


 辰顕がクスクス笑った。


―紘って、やっぱり面白(おもしてか)子。


 周二も笑って、言った。

「紘、其れ、急に、想像していた女の子が橙色に髪の毛になるって事だよね?皆、吃驚(びっくり)すると思うよ」


 周二の指摘に、紘は、其れ程気にした様子も無く、あ、そうか、と言った。


 紘以外の全員で、ゲラゲラ笑った。


 紘が、此の本の話自体を、其れ程良いと思っていない様子なのが余計に面白い、と周二は思う。


―俺は人情味溢れる、良い話だと思うけどなぁ。


「紘には、そんなに重要じゃないの?登場人物の外見とか」


 周二が、そう言うと、其処までじゃないけど、と紘は言った。


「最初は訳するのに精一杯だったから、あんまり気にしていなかったかも。でも、じゃあ、なるべく省かない様に頑張るね」


「いや、掻い摘んで良いって言ったの、俺だったものね。良いよ、紘が思う通りで」

 周二は、ふふ、と笑って、言った。

「好子ちゃんは赤毛が悩みなのかぁ」

 周二は親近感を抱いた。


―其れに、長い編み下げだなんて、なかなか良い絵になりそう。


 薫陶は、良いね、と言った。

「登場人物の悩みが分かると親近感が湧くなぁ。川原村っていう名前も何だか瀬原みたいで馴染み易いし、屋号が在るっていうのも、ちょっと物語を身近に感じる」


 明るくて割合サバサバしている陶冶に比べると、薫陶は少し繊細で、口数が少な目だが、其れだけに、話してくれる言葉は時として詩的で優美であり、周二は、清水の双子の其々が、とても好きだった。


 其れだけに、双子の実験を肩代わりさせてしまった罪悪感は大変なものだったが、こうして、会って再び話せるのが嬉しい周二だった。


―紘の御蔭かも。


 本当のところ、ワイワイと一緒に本を読み聞かせてもらう以外、共通の話題には、明るいものが少ない。


 此の閉鎖的な空間で、気詰まりにならずに過ごせる要因は、此の本を共通の秘密にしているという連帯感と、辰顕と紘、という、実は、厳密には里の人間ではない存在に在ると周二は思う。


 紘は、薫陶の言葉に、良かった、と言った。


「親近感が湧くって思ってくださるなら、訳した甲斐が有りました。小さな女の子が主人公でしょう?其れで、花が好きだ、綺麗だ、御菓子を作る、なんて場面も多くて。だから、あまり話に感情移入出来なかったのも有ると思いますけど、もう一度、他の人の感想を聞きながら読むと、新しい発見が有りますね。そうやって面白がって頂けると、本当に嬉しいです」


 薫陶と紘は微笑み合った。


 初日から周二は思っていたが、此の二人は気が合いそうなのである。


 多分、周二が考えているより、紘は繊細な人物なのだ。

 其れを、知力や、何処で培ってきたのかと思う様な判断力で支えているので、何人もの紘が、紘の中に存在する様に周二には思えるだけなのかもしれない。

 どれが本当の紘か、という話では無く、其の、紘の繊細な部分を守る様にして他の部分が在るのかもしれないのだ。

 其の繊細な部分を、薫陶や辰顕は汲んでやれるのではないか、と周二は思う。


 そして、繊細という点では、実は綜一と紘は、よく似ている、とも、周二は感じている。


―本当に従兄弟同士だったりして。なんてね。


 しかし、其の性格の発露の仕方は其々違う。


 綜一は、物事を悪い方に考え過ぎてしまうところが有る。

 其れを無神経に笑い飛ばされると、綜一は、考え過ぎていた、と気付いて、考えを修正してくれる時が有るのだ。


 もしくは、紘の様に、違った見方を与えてくれる人間と一緒に居ると、綜一は、明るい方向を見てくれる事が有る。


 綜一には、そういう、綜一の繊細さを理解した上で、無神経の振りをしてくれる人間か、綜一とは全く発想の違う人間が必要だと周二は思っている。


 だから、そういう意味で、綜一と紘は相性が良いと周二は感じている。


 そして、周二は、時として、綜一に必要だと感じる、其の二つの種類の人間を演じてしまう事が有るのだった。


 しかし、紘は、綜一とは違う、と周二は思う。


 此の一学年下の少年は、他人の無神経さに耐えられないのではないか、と思う事が有るのである。だから紘には、其の繊細さを汲んでくれる人間が必要なのであり、其れは時に誠吉なのかもしれない、と周二は思う。


―本当に、変な子。


 誠吉にしても、紘にしても、たった四日で、此れ程周二の生活に馴染んだ人間が今まで居ただろうか、という思いが、如何(どう)しても消えないのだ。


―本当の従弟みたい?そうかもしれない。


 単調で、ともすれば(ただす)を失った世界への絶望を感じがちな生活が、紘と一緒だと変わっていく。


 紘は其の都度、色々な紘を垣間見せる。


面白(おもして)子。


 其れにしても、紘が、身分が如何(どう)とか言っていたのは何だったのかな、と周二は思った。


 差別、という言葉が、周二の耳には馴染まなかった。


 意味はボンヤリ分かるが、多分、紘が言っている意味を、自分は理解していないのだろうと周二は思う。


―里の外っていうものを、知っている子だし、俺の分からない何かが有るのかなぁ。


 外かぁ、と、其処まで考えると、周二は何時(いつ)も、直()すぐ思考を中断してしまう。


 悪い癖かも、とは思う。

 だが、今考えても分からないかも、と思うと、必要以上に悩まない性格なのだ。

 根が明るいと言えば長所にもなろうが、兄に似ず、我ながら図太い事である。


 ボンヤリする周二を他所(よそ)に、話題は続いていた。


「俺は屋号というものに、其れ程馴染みが無くて。同じ清水さんでも、利助さんの家は『外ノ(とのうら)』という屋号で呼び分けられているのですよね?」


 紘の質問に、そうだね、と陶冶は答えた。


「うちは屋号が無いけど、家が増えたら、其のうち屋号が付くかもね。周、確か()(ばる)()は、明治末くらいに、新しい屋号が増えたのだろう?」


 周二は、ああ、と言った。

「『風呂屋(ふろや)』さんと『糸屋(いとや)』さんね」


「え、そうなの?」

 紘は驚いた声を出した。


 そうだよ、と周二は説明した。

下方限(シモホーギリ)は共同風呂が在ってね。今は、昔とは場所が変わっているけど、前、共同風呂の近くに家が在った人達の家が『風呂屋』って呼ばれているの。よく共同風呂の手入れをしてくれていたからみたい。『糸屋』さんも、下方限(シモホーギリ)(まと)めて蚕を育てている小屋が在って、其の近くに家が在ったから。俺の実家、つまり(おさ)の館に桑畑が在ってさ。其処の桑で、装束なんかに使う糸を作るのに、蚕を育てていたらしいの。此処何年かは(ほとん)ど聞かないけど。其の養蚕小屋の手入れをしてくれていたから『糸屋』さん」


 へぇ、と、紘は不思議そうに言った。

「共同風呂って、銭湯みたいな物?」

「せんとう?」


 周二は、紘が何を言っているのか分からなかった。


 他の三人も、キョトンとしている。


 紘は、あれ?と言った。

「えーと、共同風呂だよね?」

「うん、俺は行った事無いけど」

 周二が、そう言うと、皆口々に、そうだな、俺も、などと言った。


「え、行かないの?」


 紘は、そう言いながら、眼を(しばた)かせた。


 周二は、そりゃそうだよ、と言った。


上方限(カミホーギリ)は皆、家に内風呂(うちぶろ)が在るのに。態々、下方限(シモホーギリ)の共同風呂なんて、来てくれないでしょ、上方限(カミホーギリ)の人達は」


 紘は再び、驚いた顔をした。


 薫陶が、紘の顔を見た後で、少し躊躇(ためら)いがちに、周二に、こら、と言った。


「そんな言い方しなくて良いだろう?昔は上方限(カミホーギリ)の人間も利用していたらしいよ」

「そうなの?」

 周二は、そう答えながらも、何か()(こっ)言ったかな?と思った。


 (そもそも)紘が何に驚いたのか、周二には分からないのである。


上方限(カミホーギリ)下方限(シモホーギリ)は違う、という事が、そんなに驚く事かな。差別、って事?其れは何?


「えーと、…屋号って、他にも有るの?」

 紘は、周を気遣う様に声を掛けてきた。


―あれ?やっぱり俺、何か悪い言い方をしたのかな?


 不思議には思ったものの、周二は、うん、と言って、絵を描いていた紙と鉛筆を手に取ると、紙に屋号を書いた。


「本家には屋号は無いけど…確か、吉野衆が十四、清水衆が十八」


吉野衆 吉野本家

(こおり) 大久保(おおくぼ) (はま)(じり) 竹ノ(たけのうら) 古里(ふるさと) ()(どまり) 永江(ながえ) (たち)(きり) 松山(まつやま) 木屋(こや) 川内(せんだい) ()(づか) (うつ)(づめ)


清水衆 清水本家

伊坐敷(いざしき) (しま)(どまり) 西方(にしかた) 瀬戸山(せどやま) 大中尾(おおなかお) 下岩(さげいわ) 別府(びゅう) ()()() (おお)(どまり) (はま) 田尻(たじり) 外ノ(とのうら) ()(ごめ) (かた)野坂(のざか) (かわ)田代(たしろ) 折山(おりやま) (とう)(やま)(ざき) 岩下(いわした)


 紙を紘に手渡し、こんなものかね、と周二が言うと、陶冶が、うん、そうそう、と言った。


 寄って来て、洋灯(ランプ)の明かりを頼りに紘の手元を見た辰顕は、周ちゃん凄い、と言った。

「よく覚えているね」

「そう?」


―こんなの、一回見れば充分じゃない?全員知らないわけでも無いし。ああ、辰ちゃんは違うか。(ほとん)ど里で育っていないものね。


 しかし、狭い集落だが、上方限(カミホーギリ)の女性は、其れ程家の外を立ち歩かない、という習慣が有るので、周二も多分、里の人間全員に会った事が無い。


「そう、戸数は吉野(よしの)()が多いけど、分家が多いからか、清水(しみず)()の方が屋号は多いよね」


 薫陶も、頷きながら、紘の手元の紙を見て、そう言った。


 紘は、へぇ、と言った。

「思っていたのと、何か違った」


 え?と周二は聞き返した。

 紘は続ける。

「糸屋さん、とかっていうより、名字みたいだね」


 周二は、またも、紘が言っている意味が、よく分からなかった。


 キョトンとする周二の顔を見て、あ、ごめん、と紘は言った。


「もっと、そういう、御店の名前とか、場所の名前かと思ったの。角に在るから(かど)さん、とかさ。でも何か、海辺の名字みたいだね」


 海辺?と言って、周二は、自分の書いた内容を、ジッと見た。


 ほら、と紘は言った。

「浦とか泊とか、江とか、浜とかさ。海、そんなに近いの?此処」


 陶冶は、変な事を言うねぇ、と言った。

「桜島が見える所まで行けば、一応海が見えるよ」


 紘は、成程、と言った。


 しかし周二には、紘が納得している様には見えなかった。


「瀬の原、で、川が近い土地なのに、川が関係する屋号は、其れ程多くないですね」

「そう言えば、そうかなぁ」

 陶冶は、再び、紘の手に握られている紙を見た。

「山も近いけど、言われてみれば、海が関係する字の方が多いな。考えた事も無かったけど。『()(づか)』なんて、家は別に塚の近くには無いし」


「え?塚が在るの?」

 紘が、そう言ったので、在るよ、と周二は言った。


「最近だと、供出したくなくて、塚に刀を隠している人も居るらしいねぇ」

 周二の言葉に、紘は再び、え?と言った。

「家に刀が在るの?」

 そりゃ在るよ、と、陶冶は、()も当然の事の様に言った。


「清水本家なんて、ほら、門が茅葺門(かやぶきもん)だけど、屋根に刀を差して隠しているって話だもの。供出したくなかったという事だろうな」


 紘は、其れを聞いて、包帯の下の大きな眼を(しばた)かせた。


「刀って、そんな、どの家も持っている物ですか?」

「どの家も、そうなのか如何(どう)かは分からないけど。坂元本家も槍を供出した筈だぞ。先祖代々の品だとか。今飾ってあるのは模造品だろ」


 陶冶の言葉に、紘は、ハッとした様子を見せた。


「あ、そう言えば、家の中に弓矢の的が在りますね」


 薫陶は、そうでしょう、と言った。

「栄殿の弓の腕前は素晴らしくていらっしゃったから。あそこは、武芸を能くする御家(おうち)だからね。うちが住んで居る家は、元は坂元分家だから、うちにも射的場(しゃてきば)は在るけど、弓は難しいよね」


「先祖代々?武芸?…初耳です」

 紘は、そう言って、辰顕の方を見た。


 辰顕は、うん、と言った。

「祖父も父も叔父も剣術をするから、実方本家に、薩摩拵(さつまごしらえ)が三本。供出済みだけど」


 紘が周二の方を見たので、周二は思わず、え?うち?と言った。

「父上と母上の懐剣を供出した筈」


「そうなのか。上方限(カミホーギリ)は、家に刀や槍が在るのが普通なの?」


 紘の問いに、考えた事も無かった、と陶冶は言った。


 紘は続けて、周二に尋ねてきた。


「周ちゃん、下方限(シモホーギリ)の家にも刀が在るの?」


「そう言えば、聞いた事無いな。分からないや。猟銃は在るよ。古い村田式散弾銃。猟師さんが居るから。でも、刀は如何(どう)だろうねぇ」


「じゃあ、上方限(カミホーギリ)にも猟師さんは居るの?」

「居ないよ。今は食べ物が無いから、上方限(カミホーギリ)の人も一緒に猟に出るけど」


 へぇ、と紘は言った。

「俺、知らない事ばっかりみたい。皆、教えてくれて有難う」


 陶冶は明るく、如何(どう)(いた)しまして、と言ったが、周二には、紘が抱えている疑問が、皆の話を聞く程に大きくなっていくのが感じられた。


しかし、其の疑問の正体は、周二には分からなかった。

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