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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第一章 昭和二十年 七月
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昭和二十年 七月二十九日 瀬原周二

 紘って(わっせ)変な子、と周二は思う。


―でも、とっても面白(おもして)か子。


 紘を見ていると、周二は、紘の中に、何人も紘が居る様な気分になる。


 怖がりの紘。

 泣き虫の紘。

 穏やかな紘。 

 妙に冷静な紘。 

 理路整然と話す紘。

 少し向きになる紘。

 

 何もかもが極端、という気がするが、其の全てが、如何(どう)やら(まと)めて紘であるらしい。

 周二には、綜一や辰顕が紘を気に入っているのが、よく分かるし、周二も紘を気に入っていた。


 其れは、初日こそ、大好きだった(ただす)に似た目をしているせいだと思っていたが、出会って四日目にして、周二は、ずっと前から紘が一緒に居たかの様な感覚を持っていた。


―本当に従弟みたいな感じがする。不思議だな。


 きっと其れは、紘という個人の魅力なのだ。


―こういう子の事を、頭が良い子、とか優しい子、と言うのかも。


 しかし、そうは思うものの、頭が良い、とだけ言うのも、優しい、とだけ言うのも、何かが違う、という気がする。

 今まで周二が出会った色々な人に似ている気もするが、今まで周二が出会った誰にも似ていない。

 本人の人柄は控え目なのに、強烈な何かを内に秘めている気がするのである。

 強烈な事は確かなのに、確かに其処に存在するのに、空気の様でもあるのだ。


(わっぜ)変な子。


 だが、誠吉と紘が来てから、周二も辰顕も、よく笑う様になった。


 滅多に感情を露にしない綜一が、誠吉や紘の前では泣いた。


―そんな人達、他に居る?


 周二は、誠吉の事は無条件で好きになった。

 大好きな(ただす)そっくりだからである。

 見ているだけで幸福な気分になるのだ。

 (ただす)に可愛がられた記憶が蘇り、(ただす)が一緒に居てくれる様な気分になる。

 そして、誠吉自身も、とても優しい人だった。


 周二は薄々気付いていた。


 誠吉と、自身の親である(おさ)との間の確執を、誠吉が、帰る日まで(つまび)らかにしないのは、恐らく綜一と周二、そして、紘の為なのだ。

 三人の間に摩擦が生じない為に、仲良く出来る様に黙っていてくれている、という気がするのである。


 紘も多分、何と無く誠吉の、其の配慮に気付いているのでは、という気がするのだった。


 きっと誠吉の真意は、本当の従兄弟同士の様に仲良く過ごしてほしい、という、初めて会った日の、誠吉の言葉に在るのだろう。

 

 誠吉は本気で、そう思っているのだろう、という気が、周二はしている。


 自分が里を出なければならない様な事を仕出かした男の息子に、そんな言葉を掛けてくれる。そして、事情を知っているらしいのに、坂元家、実方家の人々は、其れを、そっと見守ってくれて居る。


―そんな人達も、きっと他には居ないよね。


 其れを思うと、周二は感謝で満たされるのである。


―此れだけだ。此の里に在るのは、御互いの信頼だけ。


 元々辺鄙な地である。

 何が有るわけでは無い場所だ。

 食料も物資も次第に僅少になってきて、空襲警報に怯えている。


 下男二人を手術したと聞いた日から一週間は、周二は満足に眠れなかった。

 悲しくて、怖くて、今も、二人の顔を描く事が周二には出来ない。


―信頼のみが持ちもの。


 但し、其の信頼こそが、周二の、唯一にして絶対の尊いものだった。


―皆に可愛がってもらったもの。


 父も、其れなりに自分を可愛がって育ててくれようとしたのだろうと考える周二だが、自分は更に、(ただす)にも顕彦にも、(はつ)にも育てられた、という気がするのだ。


 血の繋がりは無いのに、如何(どう)して、と思うくらいの愛情を皆がくれる。


 そして誠吉もまた、そうした大人の一人らしい、と周二は思っている。


―本当に紘が従弟なら嬉しいし、義理でも、誠吉さんが叔父さんなら嬉しいな。


 周二は本気で、そう思う。

 だから余計、周二の父と自身の間の確執を口にしない誠吉を優しいと思ってしまい、少し悲しい気持ちにさえなるのだった。


 里での生活は寂しかった。


 ()(ばる)()の長の息子だが、上方限(カミホーギリ)の人間。

 母は既に鬼籍に入っており、父も忙しい人だった。


 学校に通っていた頃は、友達も少なくはなかったけれど、吉野本家の伯父には疎まれ、色素の薄い容姿が里の他の人間と違う事、そして双子である事で、里の中では何時(いつ)も特別視された。


 優しかった伯母夫婦も結核で世を去った。


 そんな寄る辺ない周二達に優しくしてくれたのは、(ただす)であり、俊顕であり、顕彦であり、栄であり、初であり、坂元家の、そして実方家の人々であった。


―死んだ事にされたのは(つら)い。死亡届を出された事は、今でも悲しい。


 しかし何故か、其れからの周二は寂しくなくなったのだった。


 俊顕に引き取られ、愛する双子の兄と共に、大好きな(ただす)や初と一緒に住んで、大好きな顕彦や栄や安幾に可愛がられる日々が訪れたのだった。


 小さい子達は慕ってくれて、死んだ事になっているから、不要不急時以外に於いては外には(ほとん)ど出られないが、大好きな絵を好きなだけ描かせてもらえる環境が手に入った。


 死んだ事にされたから此処に来られたのだと思うと、皮肉だが、そうだとしたら此処は『瀬原周二にとっての』死後の世界であり、極楽なのだろう。


―やっぱり俺は幸せだ。


 (ただす)が亡くなってしまったら、誠吉が来てくれた、という様な、何だか、助けられた様な気分さえしている周二である。


―じぃじの代わりなんて居ないけど。


 周二は何時(いつ)でも、(ただす)の姿なら思い出せる。


―じぃじ、如何(どう)して、あんなに可愛がってくれたの?


 不思議だな、と周二は思う。

 小さな頃は(ただす)の家に遊びに行き、寒い日に囲炉裏端で眠ってしまうと、(ただす)が必ず、自分の羽織を掛けて抱いた(まま)寝かせてくれていた。


 其の幸福な昼寝から目覚めると、必ず、おやつが用意されていた。


 子供好きだった(ただす)は、どの子にも、其の様に接してくれたが、其れを周二が、どれだけ感謝していたか、(ただす)に伝えきれた気はしない。


 優しい誠吉と栄が(ただす)の子だという事は、周二には納得だった。

※凄く(わっせ) 古語『(わざ)し』の転訛。わっぜ、とも。凄いという意味の方言。

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