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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第一章 昭和二十年 七月
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昭和二十年 七月二十九日 実方辰顕 画才

 仮眠室に入るなり、紘は感嘆の声を上げた。


「凄いや、此れ全部、絵?」


 寝台と、小さな机と椅子が二つ入っている仮眠室は、真ん中が衝立(ついたて)で仕切られていて、其々独立して、一人ずつで使われている事が、よく分かる配置になっていた。


 一つは、殺風景な程物が無く、ただ、壁に掛けてある衣文掛(ハンガー)に、白装束と、黒っぽい浴衣が二枚と、陸軍の軍服が掛かっているだけである。

 足元に軍靴(ぐんか)、机の上には軍帽が、キッチリと置かれていて、部屋を使っている人間の、几帳面な性格が(うかが)われた。


 衝立(ついたて)を隔てた反対側は、対照的に、壁という壁が絵の描いてある紙で埋め尽くされていて、部屋を使っている人間の、幼い子供の様な奔放さが(うかが)われた。

 机の上にも、(おびただ)しい量の紙の束が有り、鉛筆立てと(けし)護謨(ゴム)が幾つか、其の紙の束の上に転がっていた。


 辰顕は何時(いつ)も、誰が見ても、軍服が有る方が綜の領域で、壁一面が、其れ自体が何かの作品でもあるかの様に、色とりどりの絵や鉛筆画で埋め尽くされている方が周の領域だ、と、何の説明も無しに分かる、と思う。


 特に綜は昔から、本当は(ただす)の子なのではないかと思う程、物が定位置に戻され、ほぼ動かない。

 双子であろうと、一緒に育とうと、似ないものは似ないらしい。


 此の二人は別個の人間なのだ、という事が、部屋を見るだけで、露骨なまでに分かる。


絵具(えのぐ)も持っているの?」

 紘は、瞳を輝かせながら、周の領域に貼られた絵を眺めた。


「古い物をね。でも、隠しているの、貴が食べちゃうから」

 紘は、あー、と言いながら周の方を見て、眉根を寄せた。


 周は説明を続ける。

「絵具とかって、艶出しの為に糖が入っている事が有るから、甘いらしいの。俺は食べた事無いけど。でも、色によっては毒だから、危ないらしい。こんな時期だもの、甘いから毒でも食べたいって事だと思うけど、其れを貴の目に付く場所に置いておくのも可哀想で。最近は(もっぱ)ら鉛筆画ばかり」


「そうか、其れは隠した方が良いね」

 紘は、うんうん、と頷いた。


「其れにしても周ちゃん、絵が上手いや」

 紘は、そう言いながら、再び瞳を輝かせた。


「本当?有難う」

「凄く写実的だね」


 微笑む周に向かって、紘は、賛辞を述べながら、ほう、と溜息をついた。


 周は、()()だ、うちの父親には敵わないけどね、と言って、ケラケラ笑った。


 辰顕と紘は、え?と言った。


 辰顕は、(おさ)が絵を描くとは初耳だった。


「あれ?辰ちゃんに言わなかったっけ?此れ、俺の母上」


 周は、自分の寝台の枕元に貼られた、古びてはいるが、クッキリとした色付きの絵を指し示した。

 知らなかった、と、辰顕は言った。


(ほとん)ど写真記憶みたいな絵だな。上手過ぎる。


()だ小さくてさ、寂しかった時に、父上が描いてくれたの。俺達、母上の顔を知らなかったから、嬉しかったよ。こういう絵が描きたいなって、昔思ったの」


「そう。でも此れ、(ほとん)ど写真みたいじゃない?」


 辰顕は、紘と一緒に絵に近付くと、信じられない様な気持ちで、絵の中の着物姿の女性をジッと見た。

 

 口元が周に、よく似ている。垂髪の、物凄い美人だった。


―此れが(おさ)の妻か。


 凄いよねぇ、と、周は、言葉に反して、特別でも何でも無い事の様に言った。

「描いてくれたのが、此れきりだから、父上が絵を描くのが好きか如何(どう)かは分からないけどね」


「こんなに上手くて、絵を描くのが好きじゃない、なんて事、ある?」


 辰顕の問いに、周は、そりゃぁ、と言った。


「得意な事と好きな事が一致するとは、限らないもの。父上が内緒で御絵描きするところなんて、大工仕事よりも想像つかないし。父上にしてみれば、こっちから御願いしないと書いてくれないくらいの事なのかもしれないじゃない?」


 周は、ごく自然に、そう言った。

―父親に関する事となると、周ちゃんも、紘に負けず劣らず淡々と話すよな。


「優しそうな人。周ちゃん、案外、御母さん似だね。特に口元が」

 紘は、絵から少し離れ、周の方を見て、言った。


「そうみたい。昔は其処までとは思わなかったけど」

 周は、そう言うと、愛おしそうに微笑んで、絵の中の女性を見た。


「もっと似てくると思うよ。三十過ぎると、親に妙に似てくるって、うちの父さんが言っていたから」


 紘の言葉に、周は瞠目して、言った。

「誠吉さんが言うと、説得力有るねぇ」

 辰顕は、周の驚いた様な言い方が可笑しくて、クスクス笑った。


―確かに、(ただす)殿と誠吉さんの、似ている事といったら。


「あ、本。(さる)()九二五(くにこ)じゃない」


 紘が、周の机の上を見て、喜びの声を上げた。


 辰顕も、周の机の上を見てみた。

 紙の束の下に、見慣れた想定の本が見えた。

 

「其れ?好きだったから、其の何冊かだけ、前の家から持って来ちゃった。里の学校じゃ、図書室にだって入っていたもの。上方限(カミホーギリ)の人達の寄贈だったらしいのだけど、県内出身の作家の本が集めてある棚が有ってさ」


「へぇ、良いね。俺も好き。鹿児島に来たからには、(さる)()九二五(くにこ)先生に会ってみたいな、なんて思っていたけど」


 微笑む紘に、周は、良いね、と言って笑った。


「同じ市内に住んでいたって、こんな隠れ里じゃ、そんな事夢にも思った事が無かったけど。其れなら俺も会ってみたいな。挿絵も自分で描く人らしいじゃない?絵本を描いたりするのも、其れを知って、何と無く憧れ持っちゃって」


 周ちゃんも詳しいじゃない、と言って喜ぶ紘に、周は、微笑みながら言った。


()(かく)ね、俺、絵を描きたくて。でも近頃じゃ、なかなか紙も手に入らないから、此の前も先生が藁半紙をくれて」


 周は、其処まで言ってから、ハッとした顔をした。


 辰顕と紘も、ハッとして、顔を見合わせた。


 綜は、自分の寝台に、浴衣の(まま)、ゴロリと寝そべって、足を組んでいる。

「先生の話題を出すのに、俺の方を気にするなよ。腫れ物扱いも腹が立つ。別に良いよ。俺は、御目出度話(おめでたばなし)自体は喜びたいのだ。紘、其処の椅子に座れよ」


 綜は、窓側に在る枕に肘を突き刺す様にして肘枕をし、顎で、自分の領域に在る椅子を示した。


 紘は、頭の包帯を、そっと掻きながら、躊躇(ためら)いがちに、有難う、と言った。

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