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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第一章 昭和二十年 七月
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昭和二十年 七月二十九日 実方辰顕 悪阻

「え?今日、利助さんの御孫さんも来たの?」


 夕方戻って来た栄は、軍服姿の(まま)、庭で綜からの報告を受けて、ギョッとしていた。


 一緒に来ていた俊顕は、庭で浴衣を諸肌(もろはだ)脱ぎにして網戸の修繕をする誠吉と一緒に、ゲラゲラ笑った。


 暑かったと見えて、白張から浴衣に着替えた綜と周は誠吉の手伝いをしていたが、同じく、国民服から浴衣に着替えた辰顕と紘は、其の様子を見ながら、誠吉が網戸を修繕している場所の、()ぐ傍に在る下座敷の縁側に座って、隠元(いんげん)(まめ)の筋取りをしていた。


 辰顕は、縁側に蚊遣り豚を出してやって、紘が蚊に刺されない様に気遣った。


 土を触るなと言われている人間と、其れを見張れを言われている人間は庭に降りるな、と俊顕に言われたので、結局こういう形に落ち着いたのである。


 何か仕事を与えるという事は、紘には良さそうだ、と、辰顕は学んだ。


 如何(どう)も、自分を穀潰し(ごくつぶし)と思う気持ちが強いらしい。こんな小さな仕事でも、何か見付けて、遣らせてやるのも思い遣りの様である。


「俺は隠れていなければならない身だし、流石に会っていないが、可愛いらしい娘さん達だったそうだな」


 誠吉の言葉に、辰顕は、はい、と言った。


 栄は額に右手を当てて言った。

「まぁ、容姿の事は良いとして。利助さんは本当に其れで良いのでしょうか。お夕ちゃんという子の御両親も」


 俊顕は、良いだろ、と言って笑った。

「利助さん、ああいう性格だもの。周りも了承済みだろ。常に月下(げっか)氷人(ひょうじん)の立場を狙っている人、というのも、時と場合によっては有難いものだろ」


 月下氷人とは、此処では仲人や媒酌人を意味する言葉であるが、狙う、とは、物凄い表現だな、と思い、辰顕は思わず俊顕の言葉に吹き出した。


 誠吉は網戸の修繕を終えて、道具の片付けをしながら、また笑った。


 栄が、申し訳ございません、と誠吉に言って、道具を仕舞おうと近寄った。

「ちぃ兄に此の様な事までして頂いて。如何(どう)にも家の手入れが行き届きませんで」


「何、此の時期、下働きが居らぬときては男手も足りぬ筈であろう。俺は居候なのだから、此のくらいは構わん。此の双子にも遣り方は教えておいたから、次は皆も修繕すると良い」


 誠吉が、そう言って微笑むと、白張から浴衣に着替えた双子は、はい、と返事をした。


 周が、紘に向かって、嬉しそうに言った。

「御父さんが網戸の修繕するのね」


 紘は、キョトンとした顔をして、うん、と言った。


 良いな、と周は言った。

 本当だな、と言って、綜が周に同意した。


「うちなんて、父親の大工仕事姿が想像出来ないからな」

 綜が浴衣の袖を捲って腕組みしながら、そう言ったので、大人三人はククク、と笑った。


「其れは確かになぁ」

 俊顕は、右の手の甲で笑いを隠す様に口を押えた。


 大工仕事する(おさ)、と呟くと、栄は、左手で顔を覆いながらククク、と笑った。


 誠吉は、ははは、と明るく笑って、言った。

「俺なんか、(おさ)が何か物を食べているのすら拝見した事が無いからなぁ。確かに、こういう普通の、俗っぽい事を、なさりそうにも無い御方だなぁ」


 凄く、よく分かる、と辰顕は思った。


 (おさ)は、其の秀でた容貌と立場とが相俟(あいま)って、如何(いか)にも浮世離れした存在に思えるのだ。

 そして双子は、美しい父親より、大工仕事をする様な普通の父親に憧れているらしかった。


 其の点は、人によって意見が分かれるところだろうな、と辰顕は思った。


 自分も、下男や下働きが居る環境で育ったから、実のところ、父の俊顕も、畑仕事は()(かく)、細かい家周りの修繕をするところが想像出来ないのだ。


 案外下手だったりして、と、可笑しくなった辰顕だったが、綜の表情が何時(いつ)もより暗いので、何となく、笑うのは止めておいた。


「其れにしたって、貴や了の方が先とはなぁ。うちの息子の方が先ではないのは何故だ」

 俊顕が、からかう様に、そう言って笑いながら辰顕の方を見てきた。


 急に御鉢が回って来たので、辰顕は思わず、え?と言った。

「でも、六歳の女の子を急に、どうぞ、と言われても、困りませんか?」


 辰顕の言葉に、俊顕は、ははは、と笑ってから、言った。

「十歳下くらい何だ。安幾ちゃんだって、彦より十一歳年下だろ」


 でも分かるよ、と誠吉が助け舟を出してくれた。

「若い時の年の差は気になるものであろう。例えば、九十歳と八十歳では、そう変わらないであろうが、二十歳(はたち)(とお)では、大人と子供だ」


 誠吉が、そう言うと、栄も、そうですね、と言った。


 其の例えは、よく分かる、と辰顕は思った。


 其れですけど、と綜は言った。

「何だか妙な感じがしませんか、此の話。俺の考え過ぎですかね?」


 周は、え、何が?と言って、キョトンとした顔をした。


 綜は周に対しては返事をせずに続けた。

「利助さんは、ああいう(かた)ですから、まぁ分かるとして。繁雪さんの(ほう)は、如何(どう)して急に、こんな事を言い出したのでしょう。九歳と六歳ですから、其れは、年回りは合うでしょうけど、話が早過ぎませんか?」


 俊顕は、ふむ、と言って右掌(てのひら)を顎に当てた。

「生まれた時から許婚の決まっている人も居るから、何とも言えないが。確かに繁雪さんって、こういう事を急に言い出しそうな人では無いよな。あの品の有る人にしては妙に押しが強かったとは思うな」


 綜は、渋い顔をして言った。

「吉雄さんの家を買い取ってくださったのを親切と受け取るのは理解出来ます。実際親切な人ですが。ただ、一人娘まで嫁に、となると、何だか、助けてくれる、というよりは、坂元家と縁を繋ぐ方が目的、という風に思えてしまって。穿(うが)ち過ぎでしょうか?ハッキリ言いますと、繁雪さんって」


 綜が言い掛けた言葉を受けて、栄が、あ、と言った。

「いや、そんな、まさか」


 栄は、自身の頭に浮かんだ考えを振り払うかの様に、そう言ったが、綜は、やっぱり、と言った。


 いや、あの人は、そんな、と栄は庇う様に言った。


「何だ、何だ」

 俊顕が、驚いた様に、そう言うと、紘が、あ、と言った。


 誠吉が、え?と言った。

如何(どう)した、紘」


「あ、あの」

 誠吉に問い質された紘は、チラリと綜を見た。


 言ってみろよ、と綜は言った。


「あの、(おとこ)(やもめ)でいらっしゃる、との事でしたよね、繁雪さんは。其れで、一人娘に御婿を取らないという事は、老後、如何(どう)なさる御心算(おつもり)なのでしょう」

 紘の言葉に、其れもそうだな、と俊顕が言った。


「家は、清水の双子の何方(どちら)かに継がせても良いだろうが。老後か。双子の何方かに見てもらうか、娘の嫁ぎ先で、舅や姑と一緒に見てもらうとか?里には養老院なんぞ無いからな」


 そう、老人福祉の為の施設など、里には存在しない。


 病院すら満足に自分達で建設出来なかったのに、そんな気の利いた福祉建設が課題になる程、住民達の気持ちにも懐にも余裕は無い。


 老いては子に従って、面倒を見てもらう他には無いのだ。

 だから、家を継がせた人間に、結果的に老後を見てもらうのである。

 土地屋敷が老後の世話の担保、とまで言うと口が悪い様に思えるが、跡取りを当主より先に亡くして絶える事が決まった家は悲惨である。


 上方限(カミホーギリ)の者であろうとも、下働きも雇えない財力の者も居る上に、他家からの世話など(ほとん)ど期待は出来ない。

 他所は他所で手一杯なのだ。

 嘗ての本家当主達の様に、私財を投げ打って学校を作ろう、病院を作ろう、というのは珍しい話なのである。

 だから、老後は一人になったら首でも括るしかない。

 苗の神教信者としての繋がりによる(ユイ)(集落に於ける共同作業の助け合い)が無くなれば田畑も維持出来ず、終わりである。

 だから親戚付き合いも近所付き合いも欠かせないのだ。


「そうですよね」

 紘は、言い難そうに続けた。


「そして此の場合、顕彦さんが安幾さんより先に亡くなると、如何(どう)なのかなって」


 俊顕は、あ、と言った。

 栄は、う、と言った。

 綜は、ほら、と言った。


 誠吉はキョトンとして、言った。

 「別に、皆で住んだら良いのではないか?」


 其の言い方に、おっとりした人だなぁ、と辰顕は改めて思った。

 季節に例えるなら春である。


 周は、えー?と言った。

「繁雪さんがアッコおばちゃんと一緒に住みたがっているって紘は思うの?」


「其れは分からないけど、一人娘に御婿さん貰わないのかなって思っただけ。だから、治さんとかに見てもらうのかな?見てもらわないなら、瑛子ちゃんが見るのかな?って」


 誠吉は()だキョトンとしていたが、紘と誠吉以外の人間は、うーん、と唸った。


「現状、清水の双子は此処で匿っていて、此の先如何(どう)なるか分からないからな」

 俊顕が、首を傾げながら、そう言った。


「もしかして繁雪さんってアッコおばちゃんの事、好きだったの?」

 周が、そう言って栄の方を見た。

 いやー、と、栄は小さな声で言った。


 綜は、ほら、と言った。

「あの時の騒ぎの中に繁雪さんは加わっていらしたのでは?」


 綜が、怒った様に言う言葉を、栄は(たしな)めた。

「これ、綜。口を慎みなさい。繁雪さんは、そんな人ではないからな」


 俊顕が、おいおい、と言った。

「何故そんな事が分かる。栄、何か知っているのか?」


 栄は、其れは其の、と言い淀んだ。


 誠吉は目をパチクリさせて俊顕と栄の顔を見比べた。

「話が見えんのだが」


 誠吉の視線を受けて、俊顕は、な、と栄に言った。

「栄。十年前なら、もう時効だろ?教えろよ」


 栄は、うーん、と言ってから、不承不承口を開いた。

「分かりました。実方本家夫妻には黙っていてくださいよ」


 分かった、と俊顕は請け負った。

 其の場に居た人間も其々頷いて、栄の言葉を待った。


「昭和十年の正月の四日の話ですが、繁雪さんは、正式に利助さんに仲人を頼んで、安幾ちゃんに求婚しようとしていらしたのです。折しも年始の忙しい頃の事、三が日を避けようという、思慮深い御判断をなさったのでしょう。ところが、正月の二日には、既に顕彦さんと安幾ちゃんの話が(まと)まってしまっていたので、四日に話を持って行った繁雪さんは、気の毒にも吉雄さんに断られてしまったのですよ。だから、繁雪さんは、ああいう馬鹿騒ぎに参加する様な、品性の欠ける人ではありません。筋の通った人ですよ。如何(どう)いう心算(つもり)で繁雪さんが色々と御親切にしてくださるのかは、俺には分かり得ない事ですが、理由はともあれ、土地屋敷を買う御金だって、そんな、安いものではありません。畑も付いておりましたからね。生半可な気持ちで出せる額ではありませんよ」


 馬鹿騒ぎって?と紘は言った。

 誠吉も、キョトンとした顔をして、同意するかの様に紘を見た。


 俊顕が、其れがさぁ、と言った。


「安幾ちゃんは当時、小町娘ってやつでさ。病院で受付をしてもらっていたら、凄い人気が出ちまって。正月に、一目安幾ちゃんを見ようって、()()が家の周りを囲んでしまって、其れを怖がった安幾ちゃんが、家から逃げ出してしまったのさ。其れを、綜と周、辰の三人で手助けして、里から、此の実方医院、当時は本館が無かったから、将に此処だな。此処まで逃げ出して、大騒ぎになったのさ。子供三人と、振袖着た娘が、一度に里から居なくなったものでな」


 誠吉は、感心した様に、ほー、と言った。


 紘は、話をしながらも、全ての隠元豆の筋を取り終えて、(ざる)の中に身を入れ、取り除いた隠元豆の筋を入れた雑紙を小さく畳みながら、納得した様に言った。

「成程、人気が有ったでしょうね、安幾さん」


 栄が、ね、と言った。

「そんなわけで、繁雪さんは、ああした騒ぎに参加しないで、正式に申し込もうとしていらしたのさ。吉雄さんと利助さんは、其れを御存知の筈だよ」


 周は、眼を(しばた)かせて言った。

「其れ、俺が思っていたより、繁雪さんってアッコおばちゃんに本気だったって話に聞こえますけど」


 栄は、うっ、と言った。

 庇う心算(つもり)が、より疑惑を深めてしまったわけである。


「其れでは、やはり、繁雪さんは坂元家と縁を繋ごうとして、態々、家を買って、一人娘を嫁に出すって事ですか?利助さんも其れを知っていて協力したという事ですか?繁雪さん、再婚する様子も無いし」

 綜が、酷く不機嫌な顔で、そういうのを聞いて、紘が、おや、という顔をした。


 栄は再び、綜を(たしな)める様な口調で言った。

「再婚する、しないは本人の勝手だよ。うちの父も結局再婚せずに亡くなったのだから。亡くなった奥さんの為かもしれないだろう?其れに、家を買い取ってくださったり、娘を許婚に、と言い出してくださったりするのは、本当に有難い話だよ。安幾ちゃんだって喜んでいただろう?」


 綜は、栄の言葉に黙ったが、珍しく栄に反抗的な目を向けていた。


何時(いつ)もの綜ちゃんらしくないな。


 綜は、顕彦や栄が大好きなのである。

 普段なら、此の様な態度は取らない。


 栄は、綜の説得に失敗した事を悟ったらしく、やれやれ、と呟いた。


 実際、栄が庇えば庇う程、繁雪は、そんなにまでして安幾を喜ばせたかったのか、という風に、辰顕にも思えてしまったのである。

 客観的に見ても、綜は納得しないであろうと思われた。


 栄は、うーん、と(うな)った。


 誠吉は、ははは、と笑った。


 此の状況で、よく笑えるな、と辰顕は目を剥いた。


「そんなのは十年前の話であろう。御互い、もう子供も居るのだから、時効にして忘れてあげなさい。何、顕彦が長生きすれば済む話なのだ。そりゃ、年が十一歳も上なら、顕彦の方が安幾さんより先に亡くなるかも分からんが、確か繁雪さんだって、顕彦の二つ下くらいであろう?そんなに変わらんさ。誰が先に死ぬか、俺が先か、御前が先かって。誰にも分からん。今日明日にでも焼夷弾が降ってきてみろ。そんな年功序列、考えても無駄だ」


 誠吉は穏やかな笑みで、そう言ったが、表情と口調に反して内容は重かったので、俊顕と周は、うっ、と言って青褪めた。


 確かに、此れだけ空襲が酷いのである。

 此処とて何時(いつ)焼けぬとも限らない。

 しかし、よく、そんな事を、そんなに優しげに言えるものだ、と辰顕は思った。


 紘は、小さな声で誠吉に反論した。

「顕彦さんが長生きすれば済む話、っていう結論は、如何(いかが)なものでしょう」


 しかし、誠吉は、聞こえていなかったらしく、浴衣の袖と襟を直すと、さぁ、片付け、片付け、と言って、網戸を運び始めた。


 代わりに、俊顕と周は、紘の顔を見て、困惑した様に眉根を寄せた。


 其処に、顕彦が駆け込んできた。


「ああ、兄上、此方にいらっしゃいましたか」


 息せき切って走ってきた弟の両肩を掴んで、俊顕は、御前、長生きしろよ、と言った。顕彦は、へぇっ?と言った。

 周も、顕彦に詰め寄った。

「そうだよ、先生、絶対長生きしてね」


「え?俺死ぬの?何か病気でも見付かった?」

 顕彦はドギマギした様子で、栄の方を見た。

 栄は、いいえ、と気不味そうに言った。

「…ですが、長生きしてくださいね、顕彦さん」


 辰顕は、はぁ?と言って驚く顕彦を見て、思わず吹き出した。


 顕彦に遅れて、走って来た初が、キャッ、と言った。

(ひこ)(にい)、死んじゃ嫌よ」


 誠吉が、おやおや、と言った。

「ハナさん、栄は顕彦に、長生きしてくれって言っているだけですよ」

 初は、えっ?と言った。


「物凄い勢いで話が、ややこしくなったねぇ」

 紘が感心した様に、そう言うので、辰顕は再び吹き出してしまった。


 顕彦は、もう、と言って、自分の両肩を掴んでいる俊顕の両肩を掴み返した。

「死にませんよ、俺。此れから子供が生まれようっていうのに」


 俊顕は、其の(まま)の姿勢で、ん?と言った。


 初も、そうよぉ、と言った。

「安幾ちゃん、多分悪阻(つわり)よ。御二人共、診てくださらなくちゃ」


 其の時の綜の顔を、辰顕は、何時(いつ)までも忘れないだろう、と思った。


 辰顕は其れを実際に見た事は無いが、首を絞められる寸前の人間とは、こういう顔をするのではないか、というくらいの、見開かれた目と、蒼白を通り越して茶黒く、地面の土と同化してしまうのではないか、と思う程血の気を失った顔色だったのである。


 大人達が大いに喜び合って、安幾の居る母屋に駆けて行くのを、綜と周、辰顕と紘の四人は、ただ只管(ひたすら)其の場に居て見ていた。


 四人の間に沈黙が流れた。


 母屋の方向から、トタトタと、子供の足音がした。

 キャッキャッと喜ぶ子供達の声がする。


 御目出度いね、と紘が言った。

「うん、俺は嬉しいよ」

 そう言ってしまってから、辰顕は、しまった、と思った。


 辰顕『は』嬉しい。


―俺『も』嬉しいって言えば良かった。


 辰顕は、綜の顔を見ない事にした。

 周も、俺も嬉しい、と言った。

 紘も、うん、俺も嬉しい、と言った。


 辰顕は、そうだね、と言った。

「叔父さん、子供好きなのに、自分の家には貴が生まれたきりだったから。十一も若い御嫁さん貰ったから、叔父さんは諦めてなかったと思う。本当に久し振りに、実方本家に御目出度だよ」


 良い事だね、と紘は言った。

 周も、うん、と言った。


「あんまりさ、此のところ栄養が良くないせいか、駄目な時は駄目なの。ハナコおばちゃんのところも、本当は、もう一人」


 其処まで言って、周は、ハッとして、ごめん、と言った。


 辰顕は、紘が、ハッとした顔をしたのに気付いて、慌てて口を開いた。


「ほら、えっと、此処何年かね、色々有ったし」


 周も、慌てた様に、うん、と言った。


「アッコおばちゃん、物凄く細いもの。着物で見えないけど、此の一年は特に酷くて、二の腕が手首ぐらいの細さになっちゃったの。でも、えっと、大丈夫だと思うよ」


 初が四人目の子を流産したのは、坂元家が此処に移り住んだ頃である。

 辰顕の母、景も、里から、病院の近くの此の家に移り住んだ頃、身体を壊した。

 其れまで、兄妹三人年子で生まれていたものが、パタリと子供が生まれなくなった。

 理由は一つでは無かろうが、辰顕が思うに、単純に、とても体に負担なのであろう。

 深窓の令嬢だった景や初が、行き成り里を出て、病院経営と家事炊事と子育てをしなければならなくなったのである。


 成り行きとはいえ、そんな事情の(もと)に今の生活は成り立っている。


 生まれなかった子供の話は何となく禁忌になっていて、人々の口の端に上らない。


 紘は、何か察したかの様に、そう、と言った。

 四人の間に再び沈黙が流れた。


 (やや)あって、綜が口を開いた。

「御前達、何か言えよ」


―ずっと黙っていたのは綜ちゃんの方だけどね。


 綜に促された三人は、何と無く、御互いの顔をチラチラと、気不味そうに見た。


―もう、皆分かっているな。


 紘が、囁く様に言った。

「綜ちゃんってさ。安幾さんの事、如何(どう)思っているの?」


 周と辰顕は、綜の顔を見ない様にして、御互いの目を見詰め合った。


 綜は、何も、と言った。

「尊敬している、大好きな先生の(ウッ)(カタ)だよ。俺は別に、ただ」


 周は、待って、と言った。


「えっと、皆で俺達の部屋に来ない?此処じゃ何だし」


 周が、そう言ってから、背後を振り返る。


 辰顕も其方(そちら)を見ると、初が母屋から走って来るのが見えた。

 成子(みちこ)逸枝(いつえ)を連れている。


「ごめんなさいね、夕餉は少し遅くなるわ」

 そう言う初に、四人は口々に、はい、と言った。


 紘が、縁側から降りて、下駄を履き、筋取りの終わった隠元豆が入った笊を初に差し出すと、まぁ、有難うと言って、初は、息を少し切らしながら微笑んだ。

 辰顕も、蚊遣り豚を上座敷に移すと、縁側から降りて、下駄を履いた。


「あの、其れでね、男の子達。少しだけ、病院の方に居てくれないかしら。ちょっと、その、安幾ちゃんの事が有るから。あの、御飯が出来たら呼びに行かせるから」


 初は、少し言い(にく)そうに、そう言うと、頬を染めた。


―成程。


 此れから何か、俊顕達によって、健康診断だか検診だか、医療的な何やらがあるらしい、と辰顕は察した。


 恐らく其れは、安幾に対して行われるものであり、年頃の辰顕達は母屋に居ない方が良いと判断される様な事が、此れから()されるのであろう。


 辰顕は、初につられて頬を染めながら、はい、と言った。


 紘も、隠元豆の筋の入った雑紙を手にしながら、はい、と言った。


 初が、其の雑紙に気付き、紘から其れを受け取った。


 周は、まるで綜を初から隠すかの様にして前に出て、はい、と言った。


 初は、さぁ、と言って成子と逸枝に向かって言った。

「誠吉伯父様と、貴ちゃんと了と一緒に、御外で遊んでいてくれないかしら。今日は御飯の御手伝いは必要無いわ。特に、貴ちゃんと了は、チョロチョロしてしまうから、母屋に入れない様に見ていてね」


 成子と逸枝は、はい、と言った。


 周は、よし、行こう、と言った。


「病院の仮眠室に来て。俺の使っている場所」


 初は、四人に向かって、まぁ、仲良しね、と言って微笑んだ。


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