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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第一章 昭和二十年 七月
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昭和二十年 七月二十九日 実方辰顕 御見合い

 野良着から国民服に着替えた辰顕が、皆と一緒に朝餉を終えて、洗濯でもしようかと、白張姿の双子と、浴衣姿の紘と一緒に病院に向かおうとすると、顕彦と安幾、貴顕と了が付いて来た。


「今日は栄が来られないが、紘の傷の消毒と包帯替えだけなら、安幾ちゃんだけでも出来るからな。俺も手伝うよ」


 顕彦の言葉に紘が礼を言っていると、貴顕は、木製の(ちり)()りを頭に被って、両手を大きく広げ、楽しそうに走って行った。


 了が慌てて貴顕の後を付いて走って行った。


 安幾が、これ、と叫んだ。

「塵取りを被って走らないの」


 貴顕は走りながら、キャッキャッと笑った。

 全く言う事を聞かない。


 やれやれ、と言って顕彦が笑って貴顕を捕まえ、塵取りを取り上げた。

「被って走ったら汚いし、危ないぞ。塵取りは被って走る物では無くて、掃除道具だ」

 貴顕は、ニカッと笑って、はい、と言ったが、多分もう一度遣るな、と思って、辰顕は苦笑した。


「あのね、あれ、疾風(はやて)なの」

 了が辰顕に、そう言った。

「疾風?陸軍(りくぐん)戦闘機(せんとうき)の?」

「そう」


 知覧(ちらん)基地から飛んで来る姿を目撃した事でも有るのであろうか、此のところ何やら、了は飛行機に御執心の様子だったが、如何(どう)やら先刻(さっき)の貴顕の行動は、其の飛行機の形態模写らしい。


 そうだとしたら案外下手だな、と辰顕は思った。


 両腕の広げ方以外に、貴顕の行動に、飛行機を思わせる部分が無かったのだ。


「あ、戦闘機に、なりきっていたのか、貴」

 顕彦も、了の言葉を聞いて、やっと気付いた、という顔をして言った。


 貴顕には、飛行音なりを口で言うのを御薦めしたい気持ちになった辰顕だったが、あまり逸枝の前で上手に遣られても厄介な事になりそうなので、黙って了の頭を撫でた。


 逸枝は此のところ、飛行機の種類に関係無く、其の音を嫌がるのである。


 逸枝にしてみれば、自国の物であろうと敵機であろうと、飛行機は飛行機で、自身に機銃掃射してきた怖い存在と変わらないのだ。


 辰顕の懸念など知らない了は、辰顕の顔を見上げ、クニャリと口の両端を上げて、あの猫の様な口をして笑った。


 朝は比較的涼しい。


 紘の傷も痛まない様だし、実に穏やかで幸福な朝だと辰顕は思った。

 辰顕は、了に微笑み返した。


―今日は此の(まま)、敵機が来ないでくれたら。


 紘について色々と言う父の言葉には、一つは、紘を安全に防空壕に入れなさい、という意味が有る。


 此の前の様に恐慌状態にさせずに、母屋の近くの土手に在る横穴か、病院の庭に在る横穴に誘導しなければならない。

 また転んで頭を打たないとも限らないのだった。


 其れは避けたいと思う辰顕である。


「あれ?繁雪さん?」

 顕彦が、草原の方を見た。


 辰顕が其方(そちら)を見ると、野良着姿で、野菜の入った背負子(しょいこ)を背負った繁雪が、小さな女の子を二人連れて、此方に向かって歩いて来ているのが見えた。


 一人は健気にも背負子を背負って、繁雪の傍らを歩いていたが、もう一人は、ベソをかいて、繁雪に抱かれていた。


 此方(こちら)に気付くと、繁雪は手を振った。

「あ、もしかして瑛子(えいこ)ちゃんと(ゆう)ちゃんじゃない?」

 周は、そう言うと、ハナ子おばちゃん呼んでくる、と言いながら、少し慌てた様子で母屋の方向に引き返した。


 確かに、例え頑是無(がんぜな)い子供にでも、里の関係者に姿を見られるのは得策では無かろう。


 隠遁生活が板に付いている様に思え、辰顕は其れが気の毒だった。


 顕彦も、うちの息子達を捕まえてくる、と言って走って行った。

 残された安幾は、繁雪達に向かって手を振り返した。


―もしかして、あれが貴顕と了の許婚か?繁雪さん、野菜を持ってくるついでに連れて来たわけだ。


 辰顕が、あー、成程、と言って頷くと、紘も、心持ち、綜の陰に隠れる様な仕草をしてから、何かを納得した様に頷いていた。


 綜は、何故か訝しげな顔をして繁雪を見ていた。


 到着した繁雪の紹介によると、やはり、歩いている方が今年六歳の瑛子、里からの遠さに途中歩けなくなって、ベソをかいて繁雪に抱かれているのが今年四歳の夕、という事だった。


 成子(みちこ)や逸枝よりも大分幼い様子の瑛子と夕と目が合うと、辰顕は思わず微笑んだ。


―随分小さい子達だな。


 二人共、おかっぱ頭に百姓袴(モンペ)を着せられていた。瑛子は、何かの絵本にでも出て来そうな、フワッとした雰囲気の、愛くるしい容姿をしており、其れ程繁雪には似ていなかった。


 繁雪に地面に降ろしてもらった夕は、此れまた、利助には全然似ていなかった。

 綺麗に、おかっぱに切り揃えられた髪が、頭の上に美しい艶の輪を形作っている。涙に濡れた黒目勝ちな瞳を、長い睫毛が縁取っていて、薦めるだけあって、孫の中で一番の器量良しだと言う利助の言葉に嘘は無さそうだと辰顕は思った。


「今日は、怪我の手当ての御礼と、弟二人の食い扶持の足しにでもなれば、と、野菜を持って来ました。其れと、うちの娘と、利助さんの御孫さんを連れて来ました」


 おお、御見合い、と、辰顕は、思わず小声で呟いた。

 其れを聞き付けた紘が、え?と言ってから、囁く様に言った。


「…御見合いって、こういうのだっけ?」

「…それじゃ、初顔合わせ、かな?」


 そう言いながら、辰顕も、何と表現したものか、と思う。


 遅れて登場した野良着姿の初は、瑛子と夕を見て、まぁ、と歓喜の声を上げた。


 周の姿は無かった。


「二人とも御人形みたいに可愛いわねぇ」


 初の言葉に、安幾も、穏やかに微笑んで、ねぇ、と言って同意した。

 顕彦が、塵取りを片手に、貴顕と了を連れて戻って来て、瑛子の前に(かが)んだ。


 瑛子は、(かが)んだ顕彦と目が合うと、丁寧に一礼し、初めまして、と言った。

清水(しみず)瑛子(えいこ)です。六歳です」

 安幾は、嬉しそうに、まぁ、と言った。

 顕彦は、実に優しい声で、初めまして、と返し、足元に塵取りを置いて、貴顕を一歩進ませ、瑛子と対峙させてから、言った。


「さ、貴。此の子、了と同い年だそうだ。仲良くすると良い」

 貴顕は、ふぅん、と言った。

「了、同い年だってさ。仲良くしたら」


 貴顕が了に向かって、そう言ったので、顕彦は、違う、そうじゃない、と言った。


「御前が仲良くするのだ。ほら、挨拶して」

 貴顕は、キョトンとした顔をしてから、実方(さねかた)貴顕(たかあき)です、と言った。

「九歳です。それじゃ」

 貴顕は、あまり、よく分かっていない様子で、そう言い残すと、顕彦の傍らに置いてある塵取りを手にして走り去った。


 恐らく、また被る気なのであろう。


 顕彦は、息子の様子を見て、(かが)んだ(まま)頭を抱えて、言った。


「ごめんね、瑛子ちゃん。折角(せっかく)来てくれたのに、うちの(たか)が」

 顕彦の嘆息に、瑛子は、此方(こちら)も、あまり分かっていない様子で、はぁ、と言った。


―此の、御互い、まるで理解していない様子なのが笑いを誘うな。


 九歳と六歳では無理からぬ事、と辰顕は思った。


 顕彦は、諦めずに、瑛子に、自分と安幾を紹介した。

 瑛子は、軍服姿の派手な顔の男と、地味な百姓袴(モンペ)姿なのに妙に色気の有る女を、交互に見ながら、オズオズと、宜しく御願い致します、と言った。


 未来の義父母だとまでは理解していないだろうな、と思い、辰顕は笑いを噛み殺した。


 初は、ほら、了、と言って、了と夕を対面させた。


「あの、外ノ(との)(うら)の、お(ゆう)です。四歳です」


 夕は、小さな声で挨拶した。


 了は目を(しばた)かせながら挨拶を返した。

坂元(さかもと)(りょう)です。六歳です」


 夕は、人見知りしたらしく、其の(まま)シクシクと泣き始めた。


 了は不思議そうな顔をした。


 何もしていないのに泣かれた、という戸惑いが伝わってくる表情だ、と辰顕は思った。


 初は、あらあら、と言って、夕を抱き上げた。

「何て可愛らしいのかしら。遠いところを頑張って歩いて来てくれて有難う。私は坂元(さかもと)(はつ)です。了の御母さんよ」


 夕は、吃逆(しゃっくり)上げながら、初の顔を見て、コクリと頷いた。


 初は、夕の顔を手拭いで拭いてやりながら、可愛いわぁ、と言った。

 初は、未来の義理の娘を大いに気に入ったらしい。


 繁雪も、野菜を背負子ごと置くと、初から夕を抱き取り、満足そうに歩いて帰った。


 瑛子も背負子を置くと、丁寧に一礼し、繁雪の傍らを、一生懸命歩いて付いて行った。


「確か(おとこ)(やもめ)でしたっけ、繁雪さん」

 綜の言葉に、顕彦は頷いて言った。

「軍の仕事に出る時は、亡くなった奥さんの実家に預けているらしいが、瑛子ちゃん、一人娘だそうだ。そんな大事な娘さんを、よく、うちの嫁に、という気になってくれたものだよ。勿体無いくらいの御話だ。自分の娘の様に考えないといけないな」


 優しい声で、そういう顕彦に、安幾も、ええ、と言った。

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