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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第一章 昭和二十年 七月
32/135

昭和二十年 七月二十九日 坂本紘一 喜び

昭和二十年 七月二十九日 日曜日

最低気温23.9℃ 最高気温31.5℃ 晴れ


 紘一が目覚めると、何と、紘一の足元で薫陶(くんとう)が丸くなって眠っていた。


 よく見ると、眠る周二の足元でも、陶冶(とうや)が丸まって眠っている。


 昨夜あの(まま)大笑いして、皆で眠ってしまったらしい。


 昨夜は楽しかったな、と思い、紘一が思わず、眠る三人を見て、クスッと笑うと、既に起きていた辰顕が、おはよう、と声を掛けてきた。


「おはよう」


 紘一が、微笑んで、辰顕に挨拶を返すと、清水の双子が、ガバッと同時に起き上った。


「うわ、ごめん、紘。俺、此処で眠ったの?」

 薫陶は、そう言いながら、寝癖の付いた髪を、両手でモシャッと持ち上げた。

「あ、隠れていないと叱られる」

 陶冶は、目を擦り擦り、そう言って、周二の寝台から降りた。

 周二も、ふぇ?と言って起きた。


「あ、朝?畑、畑」

 起き上がった周二が、そう言うと、清水の双子は、じゃあ、また夜に、と言って、病室を去った。


「今日は何か手伝えないかなぁ。土を触らない事だったら駄目かな。あんなに夜中は元気で、朝は畑も手伝わないなんて、やっぱり悪いよ。洗濯まで遣ってもらって…」


 紘一がオズオズと、そう言うと、辰顕が、そうだなぁ、と言った。


「仕事はしなくても、食事は皆と母屋で食べる様にしても良いかもよ。朝餉になったら呼びに来るからさ。先ずは一緒に顔を洗おうか。手伝うよ。包帯は濡らさない様にしよう」


 紘一は、素直に辰顕に従った。


 朝は涼しいね、と言いながら、周二が、そっと洗面所まで紘一の手を引いてくれた。


 手まで引いて引率してくれなくても大丈夫では、と思う紘一だったが、今は素直に甘える事にした。


 やはり、夜、本を読む、という時間を共有するせいか、皆との距離がグッと縮まった様な気がして、紘一は嬉しかった。


―皆が本を喜んでくれた。嘘みたいだ。


 綜一も本の事は秘密にしてくれると言っていたので、有難い、と紘一は思った。


 綜一の、あの自尊心の高そうな様子は、誰かへ告げ口する、などという行為を好まなさそうで、紘一は、信用出来る気がした。


 受け入れられたのは、単なる娯楽の一環としてであって、皆が別に英語を喜んでくれているわけでは無い事は紘一にも分かっていたが、否定される事無く、(むし)ろ、楽しい事として受け入れてもらえた事は、紘一には此の上ない喜びだった。


 やはり紘一には、今まで居た場所での人間関係より、此処での人間関係の方が、違和感が無い。


 何処と無く、他人と自分は違うのだ、という、あの感覚が無い。


 狭い、特殊な、閉ざされた環境で、ともすれば、其れは歪んだ関係なのかもしれなかったが、住む人々は穏やかで、紘一を否定せず、話を聞いてもらえて、年の近い同性の仲間と集まって、秘密を共有している。


 其れを、紘一は素直に、楽しい、と思った。


―悪い予想が、更に悪い形で当たってしまう様な、こんな時だけど。其れでも楽しい。




 洗面所には、先に綜一が居た。


 野良着を着ているところを見ると、今日は軍の仕事はせず、此処に居る日らしい。


 互いに挨拶を交わし合うと、綜一は、あのな、と言った。


「俺は別に…、御前達が大事にしている物を如何(どう)こうしようとは思っていないからな。本を一緒に楽しまないからといって、俺は其れを否定している心算(つもり)は無いし、誰かに告げ口する様な事はしないからな」


 周二は、うん、と言って笑った。

 辰顕も笑って頷いた。

 紘一は、有難う、と言って綜一に微笑みかけた。


 周二に比べて、かなり不器用な性格らしい綜一だが、紘一は、綜一が、そういう性格だからといって、冷たいとか、優しくないとは思えない。


 成り行きだが、一ヶ月、綜一、周二、辰顕と一緒に居られる事を、其の時の紘一は喜びだと感じたし、陶冶(とうや)薫陶(くんとう)という、新しい年上の友達は、紘一に、仲間が増える喜びを感じさせてくれた。

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