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山行かば 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
第一章 昭和二十年 七月
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昭和二十年 七月二十七日 実方辰顕 従軍の謎解き

 大丈夫じゃないかなぁ、と紘が言ったので、辰顕はギョッとした。


 繁雪も、衝立(ついたて)で顔が見えないが、酷く驚いた様子で、えっ?と言った。


 紘は、淡々と続ける。

「多分、会った事無いけど、八次さんと、其の、(おさ)っていう人は、目的が違うと思う」


如何(どう)して、そう思う?」

 繁雪が、至極(しごく)(もっと)もな質問をしてきた。


「あの…、厳密には、違う部分と同じ部分が有る、っていう事ですけど。多分八次さんは、軍から貰える御金とか、保身の事を考えているのではないかな、と思いました。そうでなければ、他人を手術に差し出そうなんて思わないと思いたいです。仲間なのに。でも、(おさ)っていう人は、もう少し違う事を考えていると思います」


「と言うと?」

 繁雪は、驚いた様に、そう言った。


 辰顕は、淡々と語る、包帯を巻いた頭を弱々し気に横たえている同い年の少年が、洋灯(ランプ)の光に照らされているのを、信じられない気持ちで見詰めた。


 今夜は信じられない事ばかりだった。


 いや、誠吉と紘と出会ってから、辰顕は、しょっちゅう驚いている。


 辰顕の驚きを他所(よそ)に、紘は、例えば、と続けた。

今行(おこな)っている研究が打ち切りになったら、軍からの御金が無くなるより不味い事になると思います」


 紘は、ゆっくりと、言葉を選ぶ様にして、続ける。

「研究で何が分かったかは知りませんけど、宗教の妙な術を使って、目くらましは()(かく)、洗脳しようって本気で思っていて、其れを失敗したら如何(どう)でしょうか。そんな事に御金を使っていたって、軍は外に知られたいでしょうか」


 其れは、と繁雪は言った。


 (そもそも)、と紘は続ける。

「正式な従軍なのですか?此れは」


 繁雪は、衝撃を受けた様に黙った。

 辰顕も、驚いて、何も言えない。


「まぁ、陸軍は陸軍なのでしょう。吉野駐屯地の一部『という事になっている』、という話でしたし。其れに対して里全体が協力しているわけですけど。何か、おかしいです。発端は、誰かが甘い汁を吸えるかも、という事で、軍の上部に正式な報告もしないで始めた事、っていう気がします。里中(さとじゅう)、其れに付き合わされているだけで、正式には従軍していないのではありませんか?実は父は、『其れ』を確認せよと、伯父から申し付けられているのです。御弔いのついでに。此れで粗方(あらかた)確認は取れたと俺は思っているのですが」


 紘達の来訪理由は、辰顕には衝撃だった。


 紘は、更に淡々と続けた。

「其の、軍の人を上手く乗せたのが、八次さんなんじゃないかな、と思っています。(おさ)っていう人は、もう少し先を見ている気がします」


 辰顕は、まさか、と言った。

「従軍していない、だって?」


 辰顕は背筋が寒くなった。


 紘は尚も続けた。

「多分、研究が打ち切られたら里は軍に消されると思います」


 繁雪が、バッと衝立(ついたて)を取り払って、紘の顔を見た。


 紘は、少し驚いた顔を繁雪に向けたが、辰顕は、繁雪と多分同じ気持ちだったので、特に驚きはしなかった。

 ただ、紘は一体何を言い出すのだろう、と思った。


 繁雪は、紘の顔を見ると、ああ、済まない、と言って、衝立(ついたて)は元に戻さず、自分の寝台から這い出て縁に腰掛け、再び紘の顔を見た。


「あの、紘君。こんな時間に悪いが、君の話を聞かせてくれないか」

「でも、あの、ただ俺が、粗方(あらかた)確認が取れたと思うってだけの話なので」


「いや、其れを聞かせてほしい。怪我をしている君を、今夜は休ませてあげるべきなのだろうとは思うが、此の(まま)では、俺が眠れそうにない。君は此の件について如何(どう)考えている?」


「俺も聞きたい」

 辰顕も起き上がり、自分の寝台に腰掛けた。


 紘は、不安そうな目を辰顕に向けたが、ゆっくりと上半身を起こし、コクリと頷いた。

「では、御話します」


 繁雪と辰顕は、紘に礼を言った。


 見開かれた紘の目が、見る見る透き通っていく様に辰顕には見えた。

 やはり、誠吉も紘も、とても不思議だ、と辰顕は思う。

 二人は、辰顕が今まで出会った、どの人間とも、何だか違って見える。


 荻平の言葉が思い出される。里に必要だったのは、自分でも八次でもなく、誠吉だったのだ、と。


「軍事的な事って、俺には、よく分からないですが」

 紘の、其の淡々とした前置きは、ともすれば軍事に興味が無い、という様にも聞こえたが、辰顕には不思議と、熱く語られるよりも信頼が置ける気がした。

「多分、基本的に内容は極秘ですよね。外に漏らさないでしょう」


 繁雪は、そうだね、と言って頷いた。


 紘は続ける。

「きっと今、日本中で、そういう秘密の事が行われています。新しい爆弾を作ろうとか。計画だけならワンサカあるでしょうけど、多分、表には出て来ない」


 繁雪は、少し考える様な仕草を見せて、成程、と言った。


()(ばる)集落が参加しているのも、そういったものの一つ、という事だね」


「多分そうなのでしょう。ただ、秘密の軍事計画って、やっぱり、ちゃんと招集されたり、志願したりして、兵隊として参加するものだと思うのです。今、父が居る所は、軍事品を作る事で、軍需工場っていう名目で経営されていますが、何だか此の里の軍事協力の仕方って、変ですよね」


 紘は、一度、考える様に言葉を区切ってから、続けた。


「日替わりで人を交代させて研究しているし、非常時でなければ全員行かなくても構わない事になっていて、普段は里に居る。研究に参加しているけど、赤紙が来て、前線に行く人が居るのですよね?いえ、今じゃ、軍需工場に所属していても赤紙が来る事も有りますから、軍需工場に所属しているからって従軍している事になっているのか、俺には、よく分からないですけど。()(かく)、知っている限り、俺の周りは、そうです」


 繁雪は、おや?と言った。

 辰顕も、紘が何を言いたいか分かってきた。


 紘は続ける。

「ある意味、里全体が軍需工場という表現は正しいと思っています。俺は、何だか、其れが、工場の当番制に似ている気がするからです」


 つまり、と言いながら、紘は指を折り、数を数える素振りを見せた。


「清水さんの双子が固定で、他の人は交代制。此れって、一日当たり働かせる人数と、上が出す御金が決まっているっていう事ではないのですか?」


 繁雪は、ハッとした顔をした。

「そう言えば、米や軍事品を、少ないが、労働対価の様にして受け取る事が有る。軍からの支給品だと思うが。配給とは別だ。券を出して購入しているわけではない」


 そうでしょうね、と紘は言った。

「石鹸とか、歯磨き粉?御米も。他所よりは、此処には妙に物が有るって気がします。他所(よそ)は、軍に食料供出している筈ですよ。其れを逆に、『貰っている』、という事ですか?…穀物を養蚕部屋だった場所に隠してある、とは言っていましたが、其れにしても妙に多いですよ。もう、何処も、こんなに食料は無い」


「食料供出?」

 繁雪と辰顕は、思わず声を揃えた。


 やはりそうですか、と紘は言った。

「昭和十三年制定の国家総動員法は御存じですよね?」

 ああ、と繁雪は言った。


 其れで、と紘は言った。

「食料は、戦地の兵糧の為に送られたり、供出されたりしているわけです。だから何処も食べる物が無い。今は食料を海外から輸入する事も出来ないし」


 供出?と繁雪は言った。

 はい、と紘は言った。


「昭和十六年から、米の配給が始まった頃、供出制度が実施された筈です。農家は、米や麦を一定量、政府が強制的に買い上げているのです。去年からは、此れまで以上に厳しくなったらしいですよ。作付面積(さくづけめんせき)で供出する米の量が決まっている筈ですから、不作だろうと、前の年と同じくらい持っていかれるとかで、供出した後は、満足に米なんか残っていないと聞きます。もう、配給だけで満足に食事出来る家なんて、聞いた事も無いです。農家でなくても庭を畑にする家は多いですし、そりゃ、地図に記載されていない、という御話なら、其の辺りの扱いも、如何(どう)なっているのか分かりませんが。…病院の本館も、軍から御金を出してもらって、かなり大きい建物が立ったそうですけど。…もしかして、二人とも、食料供出の事、知らない…?」


―知らなかった…。繁雪さんも知らないみたいだな。


 繁雪も辰顕も、二の句が継げなかった。


 辰顕は、先刻(さっき)紘に、里の皆は農家なのか、と聞かれた理由が、今分かった。


 紘は、繁雪の顔をジッと見て、言った。

「繁雪さん、所属は何方(どちら)ですか?名乗る時に、陸軍の、何番部隊の、何処所属、という様な」


 繁雪は、眼を(しばた)かせ、答えない。

 辰顕は、あ、と声が出た。


 紘は、また続ける。

「里が、吉野に在る大日本(だいにほん)帝国(ていこく)陸軍(りくぐん)歩兵(ほへい)第四十五連隊の演習所の一部、っていう扱いを受けている、というのは聞きました。俺には此の辺りの土地勘が無いから、其れが里から近いのか遠いのか分からないけど。多分病院本館は、傷病兵を収容するっていう名目で御金が出たのではないでしょうか」


 そうなのかな、と辰顕は言った。

「元々隠れ里だから地図には無いっていうのも有るけど、軍関係の施設も、軍事機密として、地図には載らないからなぁ。演習場は伊敷(いしき)(むら)に本部が在るし、其処に行く兵が居る伊敷(いしき)兵営(へいえい)も、伊敷村に在る。そっちに、陸軍の病院は別に在るけど」


 いや、と繁雪は言った。

「実験は、ほぼ病院の敷地内で行っている。病院に傷病兵が収容されているのも本当だ。他にも収容する病院は在ると聞いているが詳細は知らない。…其の、手術も病院で」


 繁雪は言い難そうに、そう言った。

 頭蓋、脳、電極。

 口にし易い言葉は、どれ一つとって無かろうから、辰顕は、無理からぬ事、と思った。


 紘は、えーと、と言った。

「洗脳だ、暗殺だ、っていう実験をするわけでしょう?其れって結局、人間相手で実験した方が確実ですよね」

 繁雪は黙った。


 辰顕は、血の気がサッと引いた。

「まさか…逃亡兵を?」


 繁雪が、言い(にく)そうに言った。

「敵前逃亡者、兵役忌避者といった軍紀違反者が、如何(どう)いう扱いを受けるか、という事だな。猛訓練に耐え兼ねる者も出る。…いや、止そう。だからと言って、其の人間を如何(どう)扱っても良いという事にはならない。君に、こんな話は通用しないな」


 繁雪の言い訳染みた言葉は途中で途切れた。


 紘は、淡々とした様子で、はぁ、と言った。

 其の、あまりにもアッサリとした紘の言い方に、辰顕は寒気がした。


 紘は続ける。

「まぁ、そういう事です。多分、里の(ほとん)どの男の人達は、正式な従軍はしていない筈ですよ、書類上。だから赤紙が来る。隠れ里って言ったって戸籍は有るわけでしょう?赤紙が来るわけだから、日本国民として戸籍登録されている事は間違いない。本人達が知っているのか如何(どう)か分かりませんけど、恐らく、正式に従軍しているのは、病院の医師二名と、病院の経理ってところだと思いますよ。…ああ、顕彦さんって郵便係でしたっけ。其れは軍の仕事には在りますけど」


 辰顕は聞いていて震えが止まらなくなった。

「紘。つまり、其の、病院本館は傷病兵用。うちの父や栄さんは軍医で、他は、病院で秘密の実験をさせられているだけ、という事か?」


「違うのかな。だって、そんな、『ちょくちょく自宅に戻れる』兵役の人、知らないもの。此処に来てから下働きを雇うのを止めたって話だったけど、一つは軍事施設に、家族以外の住み込みの女の人を、建前だけでも連れて来られなかったって事でも有るのかなって。此の実方医院別館も含めて敷地で、兵舎(へいしゃ)扱いになっているとか、顕彦さんが此処に通うのも仕事のうちっていう体裁になっている、とかさ。そうやって色々な事のついでに遣っているって考えると自然じゃない?自分の所属が言えない兵隊さんっていう方が何か変だよ。だから、従軍というよりは、研究に協力するから、という条件で、軍事品を支給してもらったり、食料供出を免除してもらったりしているのかな、と。其れが、八次さんの尻拭いをした(おさ)の、軍との落としどころだったのではないかと」


 繁雪は、信じられない、という顔をして紘を見ている。

「君は、君は何者だ?」


 え?と紘は言った。

「いえ、あの。俺が知っている事と、里の話が、あんまり違うから、そう思うだけです。何か、そんな変わった事言った心算(つもり)は無いですけど」


「…何故、こんな事になっているのだろう」

 繁雪は頭を抱えた。


 自分が兵役に就いていないかもしれないのである。

 どんな気持ちになるだろうか、其の気持ちは辰顕には計りかねた。

 繁雪の事が心配になりながらも、辰顕は、夏なのに体の震えが治まらない。


 紘は続ける。

「実方医院本館を作る時に如何(どう)いう話が有ったのかって事だと思いますけど。憶測です。すみません。でも多分、其の話を引っ張って来たのが、其の、八次さんっていう人でしょう。其れで多分、術の研究なんていうのは正式な軍事の話では無かった。傷病兵収容病院の、ついでだったのではないでしょうか。其れで多額の御金が出たのは病院の建物とか、設備っていう事ではないですか?そういう話だと、開戦したくらいの頃から病院本館を建設する話は有ったでしょうね。建物が急に建つ筈も無いですから。軍との関係が上手くいっていたにしては、ちょっと、日替わりで人を代えて、人数が決まっているっていう、人と御金の使い方が吝嗇(ケチ)です」


 紘は、そう言って、少し考える様な仕草をした。


 辰顕は思わず、そんな、と叫ぶ様に言ってしまった。

「俺が食べている米は、そういう出所(でどころ)の米か?親が、そうやって、周りが、そうやって、逃亡兵の人を。そんな、其れで生活させてもらっているのか、俺は。供出と配給で、周りには米が無いのに?」


 何が悪いの?と、紘は不思議そうに言った。


「…何が悪いのって…」

 辰顕は、そう言ってくる紘の方が不思議だった。

 しかし、震えは止まった。


 そりゃ、と紘は言った。

「良い事だとは言えないかもしれないけど。其れに今の話は、俺が、ただ考えた事を言っているだけだから。今、そんな事考えなくても良いと思うよ」

 紘は、相変わらず淡々と、そう言った。


「そうか、ごめん」

 辰顕は深呼吸をした。


 紘は、ううん、大丈夫、と言って続けた。

「最善だったと思うしか無いよ。家族を守る為に、全部自分達で背負い込んで、そんな手術までしているなら、余程の覚悟でしょう。此処はね、本当に綺麗で、建物が焼けてなくて、食べ物が、物資が有る所だよ。本当だよ、今時あんな良い石鹸なんて、俺、本当に吃驚(びっくり)したもの。でも此処では皆、あれが普通だと思って暮らせているでしょう?そうやって、家族を隠して、守って生活させたいって、頑張っている人達だと思う。俺は責められない。だって外は本当に、こんなじゃないよ。あんな思い家族にさせたくないと思う。何も、盗んだ米だっていうわけじゃない。労働の対価だ。大体、軍紀に違反している者を、其の(まま)にはしておけないものだよ。敵前逃亡や脱走は重罪で、逃亡兵は本来、(ほとん)ど銃殺刑だもの。其れが形を変えただけと言えなくも無いし。噂では、敵に捕まって捕虜にされるくらいなら、と、野戦病院で殺されたり、自決を勧められたりする場合も有ると聞くもの」


 今度は紘の方が震え出したので、辰顕は、しまった、と思った。


 紘は()だ黙らない。

「人間が焼ける臭い、嗅いだ事有る?皮が焼けている人の臭い。料理で焼いた肉とは違う。何かが腐った様な、溶けた様な臭いと、焦げた臭いが混ざっている。途中、父さんと荷車に乗せてもらった時、隣に座っていた五十くらいの女の人の腕に、酷い火傷があって。傍に居る間、ずっと其の臭いがするのに、何もしてあげられなかった。清潔な水も布も何も無い」

 紘が、両手で喉を押さえた。


「紘、ごめん。息吸って、吐いて」

 辰顕は、寝台から飛び降りて、紘に駆け寄ると、背中を擦った。

 紘は、ゆっくり頷きながら、深呼吸をした。


「君、如何(どう)した」

 繁雪も、少しオロオロとして、そう言った。


 (やや)あって、紘は有難う、と辰顕に言った。


 辰顕は、再び自分の寝台に戻って、腰掛けた。


 大丈夫です、と紘は言った。

「すみません。最近時々、こうやって声が出なくなるだけです」

「え?大丈夫ではないと思うが」


 繁雪は、相当驚いたらしかったが、しかし、そうか、と言って俯いた。

「今まで酷い物を見てきた君が、そうなってしまったからといって、今俺に、君にしてあげられる事は無いな」


 いいえ、と言って、紘は泣いた。

「そんなの、構いません。皆に此処までしてもらって。こんな清潔な所で、こんな丁寧な手当てを受けられる様な、そんな大した傷じゃないのに。もっと酷い目に遭っていて、治療出来ないで居る人は大勢居て。でも多分、此処を出て破傷風にでもなったら、俺は助からないでしょう。俺みたいな、畑で働いて食い扶持も入れられない様な奴、一ヶ月も置いてもらえるなんて。本当は、申し訳なくて、申し訳なくて、誰に謝って良いかも分からなくて」


「御前こそ、其れの何が悪い」

 辰顕は、また寝台を降りて、紘の傍に行き、手を握った。


 紘は、涙で汚れた顔を上げて、唇を噛んだ。


「御前、俺が御前だったら、外に放り出すか?俺が怪我して働けなかったら、自分の住処(すみか)から追い出すか?」


 辰顕の言葉に、紘は、勢いよく首を振った。

 辰顕には、紘の目から涙が止めどなく溢れるのが、洋灯(ランプ)の明かりの中で光って見えた。


 辰顕は続ける。

「紘こそ、今、そんな事、考えなくていいと思うよ。紘の言う事が本当なら、此処は外より余裕が有る筈だよ。だとしたら、怪我をした紘を受け入れる余裕が有るのも、此処だけだよ。良い出所(でどころ)の米じゃないかもしれないけど、一緒に食おう。本当に御前は危なっかしいな。俺は御前を見張るよ。今は怪我を治す事だけ考えろ。たった一ヶ月だろ?」


 紘は、有難う、と言って頷いた。


「One murder made a villain.Millioms a hero.Princes were privileged.To kill,and numbers sanctified.」


「え?」

「ベイルビー・ポーチェスっていう人がいてね。いや、こっちの話」


 紘は、繁雪の方をチラリと見た。


 繁雪は、不思議そうな顔をしている。

 流石に、三人しか居ないとはいえ、大っぴらに敵性語の話をするのは、紘には得策とは思えないらしい。


 前にも言ったけど、と紘は言った。

「選んで人を手術するのと、爆弾を落として無差別に沢山人を殺すのと、どっちが、どれだけ酷いのか、俺には分からない。俺や家族に爆弾を落としてくる人間の心が、どれだけ清いと言われても、やっぱり、俺は、其の人を良い人だと思えないだもの。でも、其の人も、自分の家族の為に、そういう事をしているのかな」


 紘は、そう言って涙を拭った。


「俺には、何が良くて何が悪いのか、何も分からないけど。辰ちゃんが、隠されて守られている事や、そういう出所(でどころ)の米を食べている事に罪悪感が有るなら、一緒に隠れるし、一緒に食べるよ。食べたら同罪だろ?」


 紘の目が、また澄んでいる。


 辰顕が、自然に出てくる涙を拭ったので、紘は慌てた様に言った。


「いや、そんな、泣かれるなんて。そんな良い話じゃないよ。御腹空いたら俺、何だって食べるから。出所(でどころ)が何だって、米を悪く思えやしないよ」


 紘の慌てた様子を見て、辰顕は少し笑った。


「食べ物には罪が無い、か」

「そうだよ。だから食べないと」

 紘は、少し真面目な顔をした。

「俺には、里の誰が遣っている事も責められないよ。皆死にたくないし、家族が死ぬのも嫌だから」


 紘は、そう言って微笑んだ。


 辰顕は、また、紘から離れて、自分の寝台に腰掛けた。


 紘は、繁雪の方を見て、言った。

「まあ、本当に憶測ですけど、()(かく)、八次さんという人と、(おさ)の考え方は、全く同じというわけでは無いと思います」


 繁雪は、ああ、そうだったね、と言った。

「本来、其の話をしていたのだった。君は如何(どう)して、そう思う?」


(おさ)っていう人が、清水さんのところの双子を逃がしたからです」

 紘は再び、淡々とした口調で、そう言った。


「失礼ですけど、本当は、八次さんの言う通りにした方が、軍との関係を考えると良かったと思います」


 繁雪の喉元が、ゴクリと動くのが、辰顕には見えた。


 紘は続ける。


「でも(おさ)は、そうはしなかった。多分、清水さんの双子の人達が手術されない方向に、なるべく動いてくれようとするでしょう。暗殺方法への転用を思い付いたのが清水の双子の人っていうのも隠してくれると思います。ただ、軍と良い関係を維持していこうと思うなら、暗殺の方法を思い付いた事自体は軍に知らせた方が良いです。用済みだと思われる方が不味い。こんなに色々知っている人達ですよ。俺なら残しておかない。地図に載っていない様な里、軍に如何(どう)されても、周りには分からないですもん。(そもそも)、最悪里ごと消されるって思っておいた方が良い。一度協力したなら、もう、手を切る方が危ないです。例えば(おさ)が、自分が思い付いた事にして、ズルズル研究を続ける方が良いです。暗殺者集団にしたくない、と(おさ)が思うなら、成功率がマチマチの未完成のものだと思わせて、細々(ほそぼそ)とでも物資や御金を引き出せた方が良いです。大丈夫じゃないかな、と俺が言ったのは、そういう意味です」


 辰顕は、聞きながら、頭の芯がボンヤリしてきた。


如何(どう)して、そんな事を、眉一つ動かさずに言えるの?


 しかし、憶測だとは言いながら、紘の様子には、あまりにも落ち着きと説得力が有った。


 繁雪は、感心した様に溜息をついて、言った。

如何(どう)して、そんな風に考えられる?君の御両親と(おさ)との間に何があったかは知らないが、そんなに(おさ)を信頼出来るものかい?」


 繁雪は再び、信じられないものを見る目で紘を見た。


 紘は淡々と言った。

「ああ、そういうのは、分けて考えた方が良いって思っているもので。(おさ)と俺の両親との間に何があったかは知りませんが、今、其れに関して俺の感情を交えると、目が曇ると思います」


 何かを悟り切った様な、紘の其の言い草に、辰顕は、こいつ本当に俺と同い年かな、と訝しんだ。

 此の美しい顔が真ん中からパックリ割れて、中から老爺が出現しても、今夜なら然程(さほど)驚くまい、とまで思った。


 紘は続ける。


「誰が一番得をするか、っていうのを考えるのが一番良いです。何処から入った御金が何処に行くのかな、とか。後は、妬まれて、陥れられ様としていないか如何(どう)か。自分の感情は考慮しなくて良いですが、相手の、自分に向けている感情は想像して、予防線を張ると良い。此の場合、(おさ)と里の得だけを考えたら、清水さんの双子を助けない方が良いわけです。多分、逃がしてくれたっていう事は、八次さんと(おさ)は全く同じ考えってわけではないと思います。俺が思うのは、そういう事です」


 其れに、と紘は付け加えた。

「俺が気付くくらいの事、うちの父が気付いていないとは思えません。もしもの時は父も動くでしょう。だから、最悪の事態は避けられないかな、と」


 辰顕は、え?と言った。


 紘は、辰顕の目をジッと見てきた。

「俺の怪我、本当に一ヶ月も逗留が必要?」

 辰顕は怯んだ。


 紘は続ける。

「俊顕さんは多分、一ヶ月、父さんに此処にいてほしい筈だよ。何とかしてほしいと思っている筈だ。一ヶ月の逗留を言い渡したのには、口実も願望も有るかもよ?」


 繁雪は、再び頭を抱えて、言った。

「そんな。そんな事、出来るのか?其れに、嫌な思いをして里を出た人に、今更そんな事を、里の為に頼んで良いのか?」


 しかし紘は、事も無げに言った。

「其の点は大丈夫ですよ。うちの父は、吃驚(びっくり)するくらい御人好しですから」


 繁雪は、端正な顔を歪めて、え?と言った。

 辰顕も、ほぼ同時に、え?と言った。


 紘は淡々と続ける。

「そういう人です。目の前の事を見過ごして、自分だけ無事な方が(つら)いっていう人も、此の世には存在します。其れが偶々、うちの親だっただけです。多分、父は何か考えますよ。(おさ)が何もしなかったら、の話ですが」


 繁雪は、はぁ、と言った。

「何と言うか、其の。多分だが、君の言う事が正しいのだろうな。此の事について、どの様に考えて良いのか、自分では判断が付かないが」


 紘は、うーん、と考える素振りを見せた。

「今までの話は全部、俺の憶測の域を出ない話ですからね。鎌を掛けてみますか?」


「…鎌を掛ける?」


 辰顕が問うと、紘は、そうだねぇ、と言った。

「誰か大人に、所属とか、病院の話を、()も知っているって風にしてみたら?其れと無く。今の話の裏が取れるかもしれないよ」


 紘が、そう言い終えてから欠伸(あくび)をして右手で口を押さえたので、繁雪は、ああ、済まない、と言った。


「もう寝よう。遅くまで悪かったね。今夜は、如何(どう)も有難う」


 三人は互いに、丁寧に一礼した。


 繁雪が、自分で丁寧に衝立(ついたて)の位置を戻す頃には、紘は枕に頭を付けて、規則的な寝息を立てていた。


 ずっと眠かったのだろう。


 眠気半分で語られていた話だとは、辰顕には信じられなかったが。


 辰顕は洋灯(ランプ)の明かりを消した。

 辰顕も眠れると良いのだが。

 One murder made a villain.Millioms a hero.Princes were privileged.To kill,and numbers sanctified.

一人殺せば犯罪者で百万人殺せば英雄。君主には、その特権を与えられている。そして犯罪を聖別されている。

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