昭和二十年 七月二十七日 実方辰顕 暗殺の研究
辰顕は、自分の寝台に、綜と周と三人で腰掛けながら、恐怖に震える周の手を握っていた。
辰顕も、此れから何が起こるのだろうかと考えると、怖くて仕方が無い。
綜は周の肩を抱いて、大丈夫だ、と囁いた。
周は、其れに、ゆっくりと頷いた。
辰顕と綜の目が合った。
綜が頷くので、辰顕も頷いた。
怪我をして運ばれてきたのは、辰顕の母方の遠縁、清水分家の繁雪である。
安幾の父、吉雄が自分の家族と、兄の要一家を連れて里を出た際、安幾の実家を買い取ってくれた人物である。
里の中では坂元家に友好的な人物だった。
繁雪を運んできたのは、繁雪の弟、双子の陶冶と薫陶である。
清水家は、本家以外は通字が無いが、二人には、同じ『陶』の字が名前に使われている。
双子の弟、薫陶は『薫』と呼ばれているが、陶冶は、金属を鋳る、即ち、冶る、という意味の『冶』の字を、『治』と書き間違えられる事が、余りにも多いので、渾名が『治』になってしまった、という、残念な逸話がある。
本来、陶冶という言葉には、陶器や鋳物やを作る様に、人の性質や才能を育成する事、という素晴らしい意味が有るにも拘らず、名付け親の教養が高過ぎたのか、里に住む人間には、あまり理解されなかった様子である。
何を隠そう、綜と周の代わりに双子の実験に借り出された清水家の双子というのは彼等である。
其れだけでも不穏だというのに、今日は更に、長の側近の、瀬原荻平が居る。
頑ななまでの革新派、従軍派の八次とは違い、荻平は、かなり融通の利く人物で、辰顕も昔は、よく遊んでもらった。
荻平は安幾の伯父、喜久の父である要の家を買い取ってくれた人でもあり、此の人も、坂元家に友好的である。
しかし、双子の実験を肩代わりしてくれた二人と、其の兄、そして長の側近、という組み合わせが、何故此処にいるのかが、辰顕には理解出来ない。
オマケに見合い爺の清水利助がいる。
見合い爺というのは、辰顕が心の中で勝手に呼んでいるだけの呼称で、実際は世話好きで、よく御仲人様を遣っている人物、というだけである。
此の人も清水分家の人だが、清水分家は里でも戸数が多く、屋号で呼ばれている。
繁雪達は、分家でも、前の本家当主の従弟にあたり、本家にかなり近い為か屋号では呼ばれていないが、此の清水利助は、外ノ浦という屋号で呼ばれる事が有る。
此の、外ノ浦さんの所の見合い爺まで、何故此処にいるのか、と、辰顕は、俊顕の方をジッと見た。
俊顕は困った様な微笑みをして、辰顕の方を見返した。
良い状況では無さそうだ、と思い、辰顕は、父親に向かって、そっと一礼した。
俊顕と栄五は、顔を見合わせて頷き合った。
栄五が、軍服姿の五人に向かって、兄の誠吉です、と言った。
誠吉は、丁寧に一礼した。
誠吉は、繁雪に向かって、御久し振りです、と言った。
「清水衆の繁雪さんと御見受けします。山梨で一緒に御仕事をさせて頂いた事が有りますね。尤も、あの時貴方は未だ十五歳くらいでいらっしゃいましたか」
声を掛けられた繁雪は、え?と言ってから、寝かされていた半身を起こした。
そして、少し辛そうに顔を顰めて、言った。
「坂元衆の誠吉さんですか?あ、ああ、よく見たら、御父上に瓜二つでいらっしゃる」
誠吉は、其れを聞いて苦笑いした。
似ているものは似ているので、里の関係者に会う間は、そう言われ続けるであろう事は辰顕にも想像がつくが、言われたら複雑な気分になるのも、よく分かる。
「繁雪さん、此方は息子の紘です。父の訃報を聞いて連れて来ました」
誠吉に紹介された、包帯姿の紘が、寝台に腰掛けた儘、ゆっくりと一礼した。
注目が集まると、紘は、少し恥ずかしそうに俯いた。
あまり頭を振らない方が良いのに、と思い、辰顕はハラハラした。
あ、と利助が声を上げた。
「ああ、そうか。こんな綺麗な顔を何処で見たのかと思ったら、お富さんに、そっくりじゃないか」
利助が、懐かしそうに、そう言いながら、紘の方に、少し近付いて、丁寧に一礼した。
「申し遅れました。儂は清水分家の利助と申します。初めて御目に掛かりますな。誠吉殿、御噂は予々。もう儂の様な年の者は、人にもよりますが、集中力も続かない、術を続けて使う体力も無い。殆ど役には立ちませんが、其処の清水の双子を世話するのを買って出ていたのです。若い者だけ、あんな場所に置いておく気にはなれなくて。とは言え、最近では、食事も、そう良い物は出してやれませんでしたが」
此れは如何も、と言って、誠吉は、利助に、丁寧に一礼した。
陶冶と薫陶が、ペコリと一礼した。
繁雪が、手招きをして、二人を自分の近くに寄せた。
「此の双子は、私の弟です。右の口元に小さな黒子が有る方が陶冶。無い方が薫陶です。満で二十歳になります。父の恥かきっ子でして。両親が亡くなったので、私が分家する時、引き取って一緒に住まわせていました」
繁雪の言葉が終わらないうちに、如何して、という声がした。
辰顕が、声のした方を見れば、荻平が震えている。
「誠吉さん、如何して。今まで何方に居らしたのです?貴方が居てくださったら里は」
誠吉が、驚いた様子で荻平の方を見た。
荻平は、ハッとした顔をして、ビシッと敬礼した。
「失礼致しました。瀬原荻平と申します。初めまして。あの、本当に、失礼致しました」
辰顕は驚いたが、其の場にいた全員が驚きの目で荻平を見ていたので、もっと驚いた。荻平は、気不味そうに、もう一度礼をして、言った。
「あの、ただの愚痴です。此の状況を止められなかったのは自分のせいなのに」
荻平が辛そうな顔をすると、顕彦が慌てた様に言った。
「誠吉さん。あの、荻平さんは長の側近です」
長の、と、誠吉は呟いた。
「あの、荻平さん、此の状況、というのは如何いう事でしょうか。何故繁雪さんは御怪我を?」
誠吉が、そう言うと、俊顕が、立ち話も何だから、と言って、全員を、各々の近くの寝台に座らせた。
御茶を御出しする、という時間の来客でもない。
初は目を擦っている。
安幾が間誤付いていると、俊顕が、安幾に声を掛けた。
「安幾ちゃん。朝、また怪我人の包帯を換えるのを手伝ってくれないかな。今は、安幾ちゃんにも話を聞いてほしい」
安幾は、はい、と言った。
場を静寂が包む。
紘の寝台には、顕彦と安幾、初が腰掛けていて、少しギシギシと音がする。
辰顕は、何と無く、寝台の耐荷重について考えた。
繁雪の寝台には清水分家の双子が腰掛けていて、紘の向かいの寝台に、利助と荻平、繁雪の向かいの寝台に、誠吉と俊顕と栄が腰掛けている。
四人も座っているのは紘の寝台だけなのだ。
寝台の足が折れるのではなかろうか、と、そんな埒も無い事を、つい考えてしまうくらい誰も口を開かない。
初が、何とか、という様子で目を擦り開け、辺りを見渡した。其れを見た俊顕が、ああ、悪い、ハナ、と、遂に口を開いた。
俊顕の話すところによると、此の三年の間に、結局、従軍という事で、里の人間を代わる代わる呼び、入れ替えで術の研究をさせていたのだが、主な内容は、目くらましや洗脳から、暗殺へと移り変わっていったらしい。
当然と言えば当然である。
此れだけ続いていれば、戦局が思わしくないのは一学生の辰顕にでも分かってきている。
目くらましや洗脳といった遠回しなものより、直接、即戦果を挙げられそうな研究へと移行していくのは、金を出している方の言い分を全部聞けば、そうなっていくだろうとは思う。
そして、八次は、研究が打ち切られない様に、自分から其れを提案したらしい。
清水の双子は、三年調べても、結局、術と双子である事、遺伝の関連性も何も見付けられなかったのであるが、弟の薫陶の方が、遂に術を利用した暗殺の方法を考案してしまった。
昼の空襲が元で、里の男が集められた際、陶冶からの秘密裏の報告で其れを知った八次が、双子の頭蓋を外し、電極を脳に繋いで、其の実験をする、と、軍に進言しようと、長と繁雪に相談したところ、立腹した繁雪と殴り合いになった。
其の場は長が、何とか収めてくれて、清水の双子と、其の世話係、双子を庇って怪我をした繁雪、其の四人を病院別館に送り届ける様に仰せ付かった荻平と綜が、今の時間になってから、此処に来たというわけである。
俊顕は、其れでな、と言った。
「清水さんのところの双子を暫く匿おうかと思う。そりゃ、頭蓋を外す手術を二人にしたくない、というのは有るが。術を使った暗殺方法なんて、此れが軍、否、里にでも広まってみろ。術を使える者、大人も子供も全員目出度く暗殺者集団だ。祈祷師の集まりっていうだけでも相当だったのに。益々、社会の暗部として秘されてしまう。そして、其の方法が存在すると知られたら、今までの分を取り返すかの様に、徹底して軍事利用されるだろうよ。就学すれば、里の学校では術の使い方を男児にだけは教えているからな。満六歳だろうが何歳だろうが、術が使えれば兵隊だ。何せ証拠も残らない。謎の術で殺されましただなんて、今時誰が信じる。里は、此れが知れたら本当に終わりだ。絶対に秘匿しなければならない」
辰顕は血の気が引いた。
―嘘だ。そんな事は嘘だ。あんな目くらましで?
初と周も震えている。安幾は、よく分からない、という顔をしていた。男だけが習う秘術なので、女性は、其の存在を、よく分かっていないのだ。
他の大人は一様に暗い顔をしていたが、誠吉は、ふむ、と言い、立って、薫陶の傍まで行くと、耳元で何事かを囁いた。
薫陶は、え?と言った。
「何故?何故其れを?俺、分かるまで三年かかったのに」
誠吉は、紘に向かって、自分の胸の辺りを右手の指で指し示してみせた。
紘は、あ、と言った。紘は寝台から這い出ると、薫陶の傍に行き、耳打ちした。
薫陶は震え始めた。
「如何して分かる?君、何者だ?」
紘は、オドオドした様子で後退って、言った。
「如何して、と言われると。遣り方次第では人が死ぬ術だって、分かり切った事でしょう?だから秘術なのだと思っていたのですが」
其の場にいた全員が、そう言う紘の方を、バッと見た。
誠吉が口を開いた。
「荻平さん。如何して里を出たか、という御話ですが、理由は一つではありません。誰にも言いませんでしたが、俺は当時、此の事に対して危惧を抱いていました。要人警護や祈祷師の仕事ばかりで、要人に阿って生計を立てていると、もしもの時には、里の男は全部、軍事に借り出される、と。そして多分、操殿も同じ危惧を抱いていた。だから俺は里を変えたかった。しかし、其れは上手く行かなかった。だから里を出たのです」
荻平は、信じられない、という顔をした。
「大正十五年の時点で、此の事が分かっていた、ですって?一体何者なのです、貴方は」
辰顕も、信じられない気持ちで誠吉を見た。
栄が、やおら立ち上がり、紘を寝台に座らせ、自分も元の様に寝台に座った。
俊顕が、荻平の方を見て、言った。
「こいつが何者か、と言うと。操殿の正統な後継者ですよ。操殿は本来、御自分の御持ちだったものを全て、此の誠吉に譲る心算でいらしたのです。政治の繋がりの方も、長ではなく、こいつにね」
誠吉は首を振った。
「俺は、そんな器ではない」
俊顕は、いいや、と言った。
「俺は、そうは思わない。御前が其れを望まないのも知っていたが、御前になら出来た。きっと、御前なら、里と政治の繋がりを、もっと穏便に終わらせて、里を、ゆっくりと解体していく事が出来たよ。こんな事になる前に。次は、里が暗殺者集団になる前に止めなければ、終わりだ。御前の危惧は全部、本当になったのだ」
其れを聞いて、荻平は、やっぱり、と言った。
「そうだったのか、やっぱり、そうだったのか。長の補佐として本当に必要だったのは、誠吉さんだった。貴方と長が一緒なら、里には一番良かったのに。俺ではなかった。八次でもなかった。長に必要なのは貴方だったのに」
其れは違う、と誠吉は言った。
「荻平さん、俺は長に疎まれたのです」
そんな筈は無い、と、荻平は頭を振った。
「俺は近くに居たから、よく知っています。長に必要だったのは貴方だ。如何して、里を、否、俺達を置いて行ってしまったのですか?教えてください。あの頃、貴方は俺の名前すら知らなかったでしょうが、俺達は貴方を尊敬していましたよ。貴方が居なくなって、本当に困ったのは長です。分かりますか?集団の一番上の者の苦しみは、相談する者が居ない事です。其れは、自分だけで物事を決定しなければならないからだ。其れを支えてくれるのが、側近だ。俺達じゃ駄目だ、補佐が貴方だったら」
誠吉は黙った。
顕彦は、ほらね、と言った。
「長と一度でも話し合いましたか?」
誠吉は首を振った。
「今更だ。二十年も経っている。今言っても何も戻らない。あんな事があっては、俺も富も里には居られなかった。だから里を出た。長は俺を疎んだ。今更俺を必要だったのだ、と言われても、あまりに遅い。俺も尊敬していたよ、長を。あの時までは」
顕彦は黙った。
※御仲人様 仲人の意の方言。
方言の発音として、様は「さま」、「サァ」のどちらの読みでも読まれる事が多いですが、殿を「ドン」と読むケースは、昭和初期以降、かなり減っている印象なので、『様』は両方の読みで使っていますが、『殿』は「ドン」をなるべく使わないで書いています。




