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84kmの8ヶ月  作者: 夏の残響
1/1

84kmの8ヶ月 〜始まりの冬〜

僕には君が早過ぎた

君には僕が遅過ぎた


2021年10月

仕事終わり

覇気を失った七三分けを頭に抱えながら

車のウインドウとサンルーフを全開で

いつものように電子タバコの

スイッチを入れて

午後8:00の田舎道に車を走らせていた

ヴヴ、と電子タバコが鳴る

それを手にした右手にふと

視線をやると車の液晶画面に表示された

走行距離はあと一回、北海道から沖縄まで

弾丸日本縦断旅行をすれば

20万キロだった。

最愛の彼女と

冬に出会って

夏に別れて

そんなどこにでも転がってる出来事から

一年が経って

僕は5番目の季節を彷徨っていた。


2019年 秋

父親の知り合いの

建設会社の社長から譲り受けた

タバコ臭い灰色セダンが

僕の愛車になった時は

14万キロくらいだったはずだとか

あやふやな記憶を

乱れた七三分けの頭から

引きずり出す。

2年近くで六万キロも走るとはその時は

思いもしなかった。



2020年 夏

小学生からの悪友と

いつものように目的地もなく

黒いセダンで真っ暗な夜と現実から

逃げるように走っていた時だった

「20万キロ行くまでには彼女作るわ」

なんて、すぐに忘れそうな

誓いを立てていた

その頃の自分に

20万キロ行く前に

恋人が出来て別れることになるから

「彼女を作る」

という誓いは達成できるから安心しろと

言ってやりたい。

その人を愛し続けることが

出来なくなるということは

伏せておきたいが。


その20万キロに到達する前に

出来た恋人と会った当時の

仕事終わりのルーティーンは

名ばかりの総合病院の

砂利が敷かれた駐車場を出て

コロナウイルスの猛威で

もはや緊急事態ではなく日常と化した

緊急事態宣言で

静まり返った街を横目に走り抜けたら

古びた市民会館がある

ここは僕のお気に入りの場所だ

仕事終わりには必ずここに

引き寄せられるように向かって

どこからどこまでが喫煙所なのか

わからないような解放された

エントランスという名の喫煙所で

今日1日の疲れと鬱憤を

煙に乗せて吐き出しながら

今若者に流行りの

スマートフォンの液晶を右へ左へと

スワイプして人を選別する作業と

言えば聞こえは悪いが

いわゆるマッチングアプリに

のめり込んでいた。


仕事と家の往復で

休みの日は悪友達と当てもないドライブをするそんな日常から抜け出して

アプリのCMのような恋人ごっこを

夢見ていた僕は

1つの背景もわからないような

笑顔と作られた文面を見てスワイプを

続けた。

いいねというHPが尽きると

それを回復させようとばかりに

同じアプリをやっていた

高校時代の悪友Fに電話をかけて

「あんな子がいた」

「この前女の子と一夜を過ごした」とか

「ねずみ購に引っかかりかけた」とか

すぐに忘れてしまうような

人間達の事を話題に延々と電話を

してゲラゲラと笑っていた今は

懐かしさすら覚えてしまう。


そんなルーティーンが崩れたのは

街がクリスマス色に染まって

どこのコンビニもケーキの予約の

チラシで埋め尽くされていた頃だった

いつものように分かりきった

「初めまして!」

なんて開幕の合図を自分好みの子に

送りつけて

やりとりをしながら

薄い春夏用のジャケット一枚では

体が震えるようなエントランスで

悪友Fに電話をかけて

ゲラゲラと笑う日々が続いてた時に

1人の女の子と会うことになった。

彼女のハンドルネームは

Mだった、

黒い髪は肩に届くくらいの長さで

恥ずかしそうに鼻と口を隠す

右手の上には笑顔であろう

2つの閉じた眼があった

今思えばその眼の中にどんな景色を写していたのだろうか


まぁ、いつも通り一回会ってみるか

なんて、もはや淡い期待すら

抱かなくなっていた。


カチッと分けてガッと上げた七三分けで

ワニがトレードマークの

某ブランドの白いワイシャツに

高校時代から母がよく買ってきた

ブランドの正規店で購入した

黒いスキニーに足を通し

紫色とも紺色とも言えないような

チェックのジャケットを羽織り

靴紐ではなく、ポンプで調整する

流行っているのかいないのか

わからないような靴を履く。

全て社会人になってから購入した物で

一万円以上するそれなりのもので

社会人一年目の僕にとっては

ラスボスに挑むための

勇者の鎧であり盾であり剣だった


今の病院に就職してから

三連休以上もらってない僕からしたら

自由この上ない

最強の三連休の中日に

背景の一つもわからない

スマートフォンの液晶の

向こう側の彼女に会いにいくために

最寄りのインターチェンジに乗り

往復で84kmの街へ灰色のいセダンを走らせた。



開設してから10年も経っていない

家から最寄りの高速のインターチェンジは

タバコを一本

吸い終わらないような距離にある。


長距離トラックのドライバーからしたら

ありふれた

ド田舎のインターチェンジに

見えるのだろうが

僕にとっては「どこでもドア」

のような物で

右に行けば人々と夢の溢れる東京に、

左に行けば日々の喧騒から抜けて

雄大な自然に出会える。

なんてくだらないことを考えながら

トラックドライバーといえば、と

糖尿病で入院していた中年の男性が

頭の隅によぎる。

彼はトラックドライバーで

甘いコーヒーばかり飲んでいたらしい。


ある夜勤の時

僕の胸に下げたペンライトだけが

灯りを放つ真っ暗な病室の中

そんな教科書通りの症例の男が

寝そべるベッドサイドで

彼に繋がれた点滴の管を

動きやすいように整えて

ポタポタと垂れる雫の速度を

調整していた記憶が蘇った。


僕の職業は看護師だ。

アプリのプロフィール欄には

「看護師」とは書かずに

「医療職」とだけ書いていた。

やりとりをする中で

看護師だということは打ち明けていたが。

彼女にもそのことを伝えると

「凄いですね!」

と常套句のように何度も聞いた返事が返ってきた。

彼女に職業は何かと問うと

「サービス業です」

としか帰ってこない。

返信の頻度や準夜勤があることなど

数少ない彼女の職業の情報から

僕の足りない頭に浮かんだのは

看護師かはたまた水商売か風俗業か

なんて失礼にも程がある考えがよぎっていたことを思い出し、

パーキングエリアの喫煙所で

電子タバコをふかしながら

悪友Fに

「これから謎のサービス業の女の子と会う」

とだけ送信し、また車に乗り込んだ。



待ち合わせ場所は

ショッピングモールの駐車場だった

駐車場に着いて待っていると

「着いたけど、なんの車?」

と僕のスマホの液晶が光る。

「僕は灰色ののセダンだよ」

「私、青のSUV」

とだけメッセージが来た

この駐車場のどこかに

画面越しでやりとりをしていた

女の子がいる。

アプリで人と会うことには

慣れていたが

このファーストセッションの時の

鼓動の高鳴りと手に滲む汗だけは

どうしても慣れない。

期待感と緊張で押しつぶされそうな

僕の横に容赦なく

赤い車が右隣に横付けしてくる。

NBAのバスケ選手がコートの全体を

見回すようにショッピングモールの

駐車場を見回していた僕はその瞬間に

まるでそんなことなかったのかように

満員電車の大勢の乗客のように

スマホの方へ目を向ける

立て続けに

「そっち行っていい?」

と通知が光る。

覚悟を決めた僕は

「おっけー」

とだけ送る。

顔はスマホに向けたまま

視線だけはフロントガラスの方だけに向いていた。

目の前を長い黒髪と紺のパーカーの

女性が横切った刹那

助手席のドアが開きその女性が

乗り込んできた。

「初めまして」

目があったその瞬間は

「運命」という言葉でしか

表せなかった。

その当時の僕は紛れもなく

幸せな運命と、

これから彼女と過ごすであろう輝いた未来を彼女の瞳の奥に感じていた。

8ヶ月後の夏には

その予感が外れることなんて

思いもしなく

ただ僕はその真っ直ぐな瞳に

吸い込まれた。


「季節は春へと移り変わる。」

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